「善意の人々」大会のすばらしい祝福
「視よはらから相睦てともにをるはいかに善いかに楽きかな」。3,000年余も昔,聖書の詩篇作者によって,記録されたこのことばが真実であることを,エホバの証人の「善意の人々」地域大会に出席した人たちは,いかんなく味わった。―詩 133:1。
アメリカだけでも,昨年夏に開かれたそれらの大会に,50万を越える人々が出席した。アメリカでは,国内最大かつ最も美しい野球場も幾つか,会場として使用された。二,三の例をあげよう。カリフォルニア州アナハイムの広大な野球場。オークランド・アラミーダ郡の新体育館。3段式観覧席のある,セントルイスのブッシュ・メモリアル球場。デトロイトのタイガー球場。ボストンのフェンウェイ・パーク。
ほかにもフロリダ州の美しいガルフストリーム・レース・パークなど,モダンな大公会堂その他の施設も30以上の大会のために使用された。しかし,それらの大会では,そうした場所で普通見聞きする事柄とは全く対照的な状態が見られた。
歓迎された相違
傍観者の多くは,そうした相違はまさに祝福であったと語った。1970年7月10日付,メイコン市のテレグラフ紙はこう報じた。「彼らは幸福で,礼儀正しい人々であり,自分の宗教を真剣に考え,強固な確信を持って,音信を広めることにたゆまず努めている。
「流行歌謡祭りの後,行儀の良い客を当市に迎えられるのは祝福であり,われわれは安心しておれる。確かに,今年,エホバの証人が当市を訪れるのは,願ってもないことである」。
シャーロット市のオブザーバー紙は,1970年7月8日付の紙上で次のように報じた。「“善意の人々”大会がシャーロット体育館で開催されるということは,同体育館にとって,ここ数年来のできごとのうちで最善のものとなろう。
「エホバの証人の自発奉仕者が,広い半円形をした中心部の床を,端から端まで無償で洗い,掃除をしている」。
1970年7月31日付,セントルイスのポスト・ディスパッチ紙の第1面は,次のような興味深い報告を掲げた。「昨夜のブッシュ球場は宗教的なつどいの場と化した。同時に,20セントのホットドッグ,25セントのハンバーガー,10セントのコークも再びお目見えした。…
「ほかに,エホバの証人がもたらしたのは,ひざまでの長さのあるスカート,細いネクタイ,行儀のよい子どもたち,それに,今日のアメリカ人の群衆には見られない,まれな清潔さである。
「2万3,000人の人々が30分前に夕食を終えたばかりだというのに,紙くず一つ見あたらない。タバコを吸う人はひとりもおらず,あらゆる年代の人々からなる群集にしては,騒音もきわめて少ない」。
そうした相違は,ボストンでは興味深い新聞種となった。フェンウェイ・パークにおける日中の勤務に,警官がわずかひとりしか配置されなかったということを聞いた,ボストン・グローブ紙の宗教部の編集主幹G・M・コリンズは,みずからその警官の住所を尋ねて,報告をまとめた。それは,7月13日付,グローブ紙に,「ひとりの警官で十分まにあう2万人の証人」と題する記事として掲載された。
その書き出しはこうである。「ボストンの警官ティム・コーコーランは,フェンウェイ・パークにおける地域大会に出席する,2万余のエホバの証人を世話するために,自分ひとりが制服をつけた警官として配置されることを知らされた時,自分の長官,P・J・・ラッセルがたぶんふざけて,そう命令したのだろうと思った。
「しかし,群衆整理の仕事で,次はどこに配備してもらいたいか,とティム・コーコーランに尋ねるなら,彼はもう一度,エホバの証人の大会の世話をしたいと申し出ることであろう」。
コーコーランは深い感銘を受けて,こう語った。「こんなに秩序正しい状態を見たのは始めてです。口論はおろか,きついことば一つ耳にしませんでした。野球の試合終了後は,牛の群れがどっと逃げ出した時のような大混乱が生じます。…しかし,皆さんはあわてず,整然と退場します。わがままを言ってもよさそうな,小さな子どもたちまでもそうです。もし,すべての人があなたがたのようでしたら,私は失業ですよ」。
宗教部の編集主幹コリンズを特に驚かせたのは,エホバの証人の大会と,彼が2年前の夏に出席した,スウェーデン,ウブサラにおける世界教会協議会とが対照的なことであった。同主幹の報ずるところによると,後者の協議会には,401人の代表者と,403人の報道員やテレビ関係者が出席したが,同時に,864人の警官が配備された。ところが,アメリカ,ミネソタ州のブルーミントンで開かれた,「善意の人々」大会などには,ひとりの警官さえも配置されなかったのである。
相違が見られるのはなぜか
エホバの証人の大会に,それほど異なった精神が見られるのはなぜであろうか。1970年7月11日付,マイアミ・ニューズ紙の報道はその答えとなる。「最近開かれた,キリスト教各宗派のたいていの集会と違って,フロリダ州南部のガルフストリーム・競馬場で開かれたエホバの証人の大会は,その運営を妨げる意見の衝突など全くなかった。…
「おおかたの新教徒が,戦争・公民権運動・大学の抗議運動などに関した議論をかわすのに反し,証人たちは信仰の一致・家庭生活の重視・聖書にしっかり従う態度において,特異な存在となっている」。
しかし,聖書にしっかり従うからこそ,特に,互いに愛し合いなさいという聖書の命令に従うからこそ,エホバの証人の間には著しい平和な状態が見られるのである。(ヨハネ 13:34)この愛が何を成し遂げうるかは,驚きにあまりある。
シャーロット・ニューズ紙上,食品関係の編集主幹D・ガンマーソンは自分の感想を次のように明らかにした。「運営は全般にわたって,みごとに計画され,組織されている。大会に関するすべての手助けは,自発的になされており,自発奉仕者の献身的な働きのゆえに,全作業はとけいの針のように規則正しく進行する。食堂部門で働いている自発奉仕者は,800人から1,000人を数える」。―1970年7月10日付。
シアトル市のシックス球場のある警備員は,“いやな”仕事をだれがするかについての口論が一度も起きなかつたことに感銘を受けた。すべての人が協働したからである。フロリダ州ハランデール大会に出席したからだのまひした証人の例は,率先して手伝いをしようとする精神がどれほど行き渡っているかを如実に示している。その証人は車いすで自発奉仕部門の机の前まで運んでもらい,口にえんぴつをくわえて,自発奉仕申込用紙に必要事項を記入した。彼は寄付箱の世話をする仕事を割り当てられた。
そうした精神は,他の人にも影響を与えないではおかない。アマリロの大会で,ウォルシュ食品サービス社のG・ウォルシュ氏はこう語った。「ここで,皆さんがだれもかれも,いっしょうけんめいに働いているのを見ていますと,私まで自発奉仕がしたくなります」。さらに,セントルイスでは,自分の見聞きしたことに大いに動かされたひとりの警官は,「どうしたらエホバの証人になれるのですか」と尋ねたほどである。
ソルト・レーク・シチーのあるモーテル支配人の述べた次のことばどおり,エホバの証人の大会に愛の精神が宿っていることは否めない事実である。「証人たちがほんとうに愛し合っているということは,私たちにはよくわかります」。しかし,そうした愛は突然に生じるのではなく,つちかわれなければならないものである。そして,そのためには霊的な食事が不可欠である。
祝福に満ちたプログラム
「善意の人々」大会のプログラムは,豊かな祝福をもたらした。というのは,そうした貴重な霊的食物を豊富に提供するものとなったからである。大会司会者による,「100年におよぶ神の指導」と題する開会の話に,出席者全員が励まされた。エホバの証人の現代の歴史における重要な事柄を回顧しながら,過去100年にわたる,神の指導のゆるぎない証拠を知るのはなんという喜びであろうか。
特に霊的に豊かな報いをもたらしたのは,大会での幾つかの主要な話であったが,その中でも重要なのは,「王国によって,人類を救う」と題する公開講演であった。アメリカで開かれた33の大会で,この講演を聞いた人が合計52万3,799人になったのは,なんとうれしいことであろう。
「残された『善意の年』を活用する」と題する,大会の基調をなす話も聴衆の注目を集めた。その話を通して,わたしたちが今,預言的な「善意の年」に生きていることが強調された。(イザヤ 61:2,新)しかし,その「年」が現在の邪悪な事物の体制を神が滅ぼされるときに,まもなく終わりを告げることを講演者は明らかにし,それゆえ,今が神の善意を活用する最後の時であると力説した。
それにはどうすればよいか。悔い改めて,悔い改めた罪から離れ,エホバの要求と一致した生活を送ることによってである。わたしたち各人はそうしてきたであろうか,あるいは,そうしようとしているであろうか。すべての人がそうするよう,講演者は励ました。
深い関心を集めた,「『けん悪すべきもの』によるキリスト教世界の荒廃」と題する話も,すぐれた霊的な食物となった。聖書の預言に述べられている,あの「けん悪すべきもの」とは何か。多くの人が疑問をいだいていた。
講演者は,1世紀においては,「野営を張った」ローマの「軍隊」が,「荒廃をひき起こす,けん悪すべきもの」であることを明らかにした。(ルカ 21:20,マタイ 24:15,ダニエル 9:27,新)したがって,「けん悪すべきもの」とは,イエス・キリストの死をもたらすために,エルサレムの宗教指導者がローマ帝国と結んだ同盟ではなかったのである。
しかし,20世紀の現在における「けん悪すべきもの」とは何か。それは,国際連合として今日知られている,世界平和と安全のための国際的な組織であると,講演者は説明した。
話の最高潮に達した時,講演者は,「国際連合の加盟国は,キリスト教世界という宗教組織を,まもなく荒廃させてしまうでしょう」と述べ,こう付け加えた。「この世界機構の成員が,『荒廃をひき起こす,けん悪すべきもの』として,どのようにともに行動するかを,わたしたちは深い関心をもって見守っています」。
「わたしたちは知っているものを崇拝している」と題するもう一つの主要な話は,クリスチャンが自分の崇拝しているかたを知っている事実を強調するものであった。『ヨハネ伝 4章22-24節にしるされている,イエスのことばに重点が置かれ,円熟したクリスチャンにとって神が現実のものであり,想像の作り出したものではないことが明らかにされた。真のクリスチャンに関して,講演者はこう述べた。「彼らは,自分たちの知っている,聖書の神エホバを,あくまでも崇拝することをやめません」。話が終わると講演者は,新世界訳聖書の1970年改訂特製版を発表した。アメリカの各大会で配布するために送られた,その美しい新しい聖書は,12万冊に及んだ。
愛をもって心臓に動かされて行動する
仲間のクリスチャンを心臓から真実に愛さなければならないという要求が,「愛は一致のための完全なきずな」と題する聖書劇によって,みごとに強調された。最初は現代の場面で,会衆のある少女に対する憎しみの念を心臓のうちに募らせたひとりの娘が登場する。憎しみの代わりに愛をいだかねばならないことを,その娘に認識させるため,父親は聖書の中のエステル書に記録されているできごとについて,家族に話すことにする。次いで,そのできごとが,古代の衣装をつけた配役の演ずる劇として描き出される。
ユダヤ人の根絶を図る,アマレク人ハマンの恐ろしい策略が明らかになるにつれ,聴衆はかたずをのんで見入った。ペルシア帝国に在住する,真の神エホバに仕えるしもべすべての命が,危険にさらされる。しかし,ユダヤ人の女である王妃エステルは,自分の家族と友人たちに対する愛に動かされて,命をとしてまで執行延期の令状を求める。同様に危険な時代である現代に生きているわたしたちも,互いに真実に愛し合う必要がある。それどころか,必要ならば,互いに自分の命を犠牲にするだけの気持ちがなければならないことを聴衆は痛感させられた。
ルイジアナ州モンローで開かれた大会に,同市最大の黒人教会の主任執事が出席し,金曜日の夜,この劇を見て,「今までに見聞きしたプログラムの中でこれは最善のものでした」と叫んだ。そして,土曜日には家族全員をつれてきます,と話したあと,こう付け加えた。「日曜には,私たちの会衆全員が300名ほど来ますよ。すでにこの件については,会衆で話し合いをして,来ることに決めたのですから」。
また,心臓という問題に重点を置いた,「全き心臓をもってエホバに仕える」と題する話は,徳を高めるものとなった。聖書が心という場合,その意味するところのものは文字どおりの心臓であって,思いや比喩的な心臓ではない,と説明された。それゆえ,聖書が述べているように,心臓,つまり文字どおりの心臓は促すことや鼓舞することができるのである。(出エジプト 35:21,26,29,新)したがって,心臓を常に良い印象で満たし,心臓を守ることはきわめて肝要である。
わたしたちに動機を与えるのは心臓であるから,わたしたちが全心臓を尽くしてエホバの関心事を支持することが肝要である。ジャージー・シチーで,「『力をこめて努力し』なさい…『拒む』ことをしてはなりません」と題する話をした講演者はこう述べた。「もし,『あなたの心臓の半分を取り出さねばなりません』と医師に言われたとしたら,『でも,先生,そんなことをしたら私は死んでしまいます』と,あなたは答えることでしょう。同じく,あなたがエホバの奉仕に全心臓を尽くさないなら,あなたは死んでしまうでしょう」。
援助を必要とする新しい証人
各大会における重要な行事は,なんといってもバプテスマであった。そして,それはなんという祝福になったのであろう。総計1万527人が水の浸礼を受けて,エホバ神に全き献身をもって自分をささげたことを表わした。それら何千人もの人々の職業や身分は,種々さまざまである。
モンタナ州ビュート市における大会では,なんと88歳になる男の人がバプテスマを受けた。また,首都ワシントン市の小学校女子校長も,メリーランド州ローレルの大会で浸礼を受けた。彼女の学校にいる,50人ほどの若いエホバの証人が行儀が良いので深い感銘を受けた,と彼女は語った。エルパソでは,それらバプテスマを受けた人の中に,エホバに仕えるため,プロのフットボール選手になる有望な前途を断念した人がいることを新聞が取りあげた。「フットボールは大好きですが,両方はできないことがわかりました」と,彼は説明した。
「彼らが『円熟を目ざして進む』ように助け」ると題する,1時間のプログラムを扱った講演者は,過去わずか2年間のうちに,新たにバプテスマを受けた人が平均8人から10人,エホバの証人の各会衆に加えられたことを明らかにした。その数を合計すると,なんと,25万人以上に達するのである。「彼らを助けるために何がなされていますか」と,講演者は尋ねた。
次いで,実演を通して,そうした人々を「ものみの塔」研究での注解,神権宣教学校での話,人々の家で話す効果的な聖書の話,再訪問,聖書研究の司会,さらに,献身した男の人であるなら,会衆内のしもべの責任を引き受けられるように準備することなどにおいて,どのように助けられるかが示された。そうした事柄が討議されるのを聞いた聴衆は,自分たちもそうしたことを行なっているかどうか,みずから反省せざるをえなかった。
ジャージー・シチー大会における閉会のことばの中でも,ものみの塔協会長N・H・ノアは,新しい人々を助けることの必要性を強調した。それらの人が神の真理に関しては“赤ちゃん”であると述べた会長は,こう付け加えた。「これは,彼らを助ける重大な責任が,わたしたち各自に課せられているということです。助けこそ,それらの人が必要としているものです」。
協会の会長は続けて,次のような提案を述べた。「あなたの会衆の中でそうした新しい人を見つけて,その人たちと親しくなるのは,なんととうといことでしょう。それから,何も特別にすることがない晩,たとえば土曜日の夜など,ちょっと訪問するよう彼らを招待してあげなさい。しかし,彼らが来る前に,あなたの家族は何かをして,その人たちを助けなければなりません。その人たちについて何かを知りたいというのではないのですから。
「週中,神権宣教学校の勉強に備えて聖書を読んでいる際,ある特定の章があなたの注意を強く引きつけた,というようなことがあったかもしれません。では,新しい人たちがあなたの家を尋ねた夜,その章について話せばよいのです。それを読んでごらんなさい。
「声を出して読むのです。そして,それについてどう思うか彼らに尋ね,今度は自分の考えていることを話すのです。そうすれば,2時間もたたないうちに,聖書のある部分を読み通すことができます。山上の垂訓,エペソ書の中のある部分,または監督に関する事柄でも,とにかくなんでもかまいません。ただし,聖書について話しなさい。新しい人々を円熟させるのは聖書です。…彼らは,元気づけられ,霊的に建て起こされて帰ることでしょう。そして,あなたも建て起こされることでしょう。
「それら25万人の新しい人は,わたしたちの与えるすべての霊的な助けを必要としています」と,ノア会長は強調した。あなたは助けを与えることができるであろうか。
若い人々を援助する
大会のプログラムの幾つかは,若い人々を援助するよう企画されたものであった。その中でも顕著なものとなったのは,「あなたの援助を必要としているのは誰ですか」と題するプログラムで,それは,特に十代の人々に援助を与え,彼らがしばしば直面する問題を取り扱うものであった。
その一環として自慰の問題が考慮された。世の人々はそれを正常な習慣とみなす場合が多いが,少なからぬ害をもたらす悪習であることが示された。それは同性性欲倒錯症の原因となることがある。しかし,その習慣を絶つにはどうしたらよいか。「実際にやめることは,口で言うほどやさしくないように思えます」と,プログラムに出演したひとりの十代の少年が意見を述べた。
その少年の父親と,父親の親しい友人である医師が幾つかの提案を与えた。特に強調されたのは,霊的な助けの必要性であった。つまり,祈りを通してエホバにたより,問題の衝動がわいたら,他の事柄で思いを満たすことが必要である。
この問題が率直に取りあげられ,有益であったことに対して,多くの人々が感謝を表わした。カリフォルニア州アナハイムの大会に出席したある若者はこう語った。「私はこうした事柄について,おとうさんに話したいと前から考えていました。でも,それが正しいことかどうかわかりませんでした。これからは,きまり悪い思いをしないで両親に話せると思います」。
同じプログラムの他の部分では,結婚していない人たちのネッキングやペッティングが,どんな危険を招来するものであるかが強調された。一つの場面で,母親が娘に対して次のような賢明な助言を与えた。娘が結婚の相手に求めている特質は,ネッキングによって捜し出せるものではない。
「神のみことばをあなたの子供たちに教え込みなさい」と題する討議に対しても,大会出席者は深い感謝を表わした。現在,「ものみの塔」誌に載せられている,子どもを教えるための記事を,親がどうすれば最善の方法で用いられるかが実演で示された。それらの記事を生き生きとした方法で取り扱う必要が強調され,講演者は,「子どもが想像力を働かせられるよう,熱意をこめて生き生きとした方法で読んでください」と話した。
さらに,「他の人々が創造者とそのみことばに信仰をいだくよう助ける」と題する話の中でも,若い人々を助ける必要のあることが示された。講演者は,進化論的な考え方が学校の教科書に浸透している場合が多いことを指摘し,こう語った。「親の皆さんは,各学期の初めに,子どもたちが何を教えられようとしているかを知るため,時間を設けて,その学期に用いられる教科書を調べますか」。親がそうするのは愛ある行ないであり,賢明なことであると,励まされた。
障害にもかかわらず祝福を受ける
「善意の人々」大会は,多くの祝福をもたらした。エホバの証人が,円滑に運営される平和な大会を開くという点で堅実な評判を得てきたことも,そうした祝福にあずかる要因となった。たとえば,カリフォルニア州アナハイム市の官吏はエホバの証人を歓迎した。オレンジ郡の保健局長の評は典型的なものといえる。「点検に来て,エホバの証人と話し合う必要は全くない。証人の大会の運営方法はよく知っているし,万事うまく行く」と彼は語った。大会を訪れた市の官吏は,数万人の証人の熱心さとりっぱなふるまいに接して,深い感銘を受けた。
エホバの証人でない人でも,大会のプログラムそのもののもたらす,すぐれた祝福に感激し,ものみの塔協会に次のような手紙を書き送った人もいた。
「私はこの大会に対して心からの感謝を表わさずにはおれません。プログラムの主題の配合や講演の仕方は実にすぐれたものであり,加えて,形式ばらない経験の話や劇の実演などすべてが,聖書の知識と理解をもたらし,皆さんの神エホバに献身をささげる,という主要な目的をみごとに促進させていました。四日間を通じて,私は一心にプログラムを見聞きし,多くのことを学ばせていただきました。
「各人が相互に示し合う兄弟愛・信頼・尊敬などの精神が大会にみなぎっていることは,だれも否定できません」。
大会に出席するため全力を尽くした人々は,なんと豊かに祝福されたことであろう。そうした祝福を期待して,大会に出席するため非常に困難な障害を克服した人は多い。その一例として,ハランデール大会の始まる前日に自動車事故にあったひとりの婦人があげられる。その事故のため夫は死に,自分も歩けなくなってしまったにもかかわらず,その婦人は,生後3か月の幼児と4歳の子どもをつれて大会に出席した。
コーパスクリスチーの広々とした体育館と,それに付属する博覧会場で開かれることになっていた,スペイン語の大会は深刻な障害に見舞われた。大会の始まるわずか3日前の8月3日,月曜日,ハリケーン・シーリアが荒れ狂いながら同市の湾を横断した。そのハリケーンのために,博覧会場の壁にも体育館の天井にもあながあき,両会場とも水びたしとなり,破壊物の砕片がいっぱいに散らばってしまった。
翌日,市の住民が被害の実態を調査したところ,時速250キロ以上のハリケーン・シーリアは,全市を一様に襲ったことが明らかになった。簡単な造りの小屋から,レンガ造りのビルに至るまで,多くの建造物が倒壊し,市のありさまは原爆の落とされた後の広島のようだ,と述べた報道員さえいた。
コーパスクリスチー市が災害地と化したので,そこで大会を催すことは不可能となった。どうすればよいだろうか。直ちに取り決めが設けられ,サンアントニオ市のヘミスフェア競技場を使用する契約が成立した。英語の大会が二日前に同会場で終わったばかりのところであった。それにしても,契約が署名されたのは火曜日晩おそくであり,会場の変更を遠くの会衆にどうして連絡するか,ということが問題であった。
ラジオにある程度たよることができたが,もっぱら口伝えで連絡を取った。火曜日の夜と翌日,その知らせはアメリカ南部一帯に広まり,大会の初日に5,827人が出席したことは胸を踊らせるものであった。日曜日の公開講演には,7,500人という,コーパスクリスチーで最初に予期していた以上の出席者があった。驚くほど円滑に運営されたその大会から,どんなにすばらしい祝福が得られたことであろう。
確かに神エホバは,「善意の人々」地域大会で一致のうちにともに住む楽しさを味わった,ご自分の民の上に数々の祝福を注がれた。発表された今年の五日間にわたる大会を,エホバの証人はすでに待ちわびている。読者もその大会に出席されるよう願ってやまない。
[61ページの図表]
大会都市 公開講演 バプテスマを受けた人
アレグザンドリア,ルイジアナ 9,075 157
マラリロ,テキサス 10,023 203
アナハイム,カリフォルニア 49,091 1,067
アンカレジ,アラスカ 1,488 48
ビスマーク,ノースダコタ 4,275 73
ブルーミントン,ミネソタ 20,777 377
ボストン,マサチューセッツ 22,623 469
ビュート,モンタナ 6,555 117
シャーロット,ノースカロライナ 17,431 392
デトロイト,ミシガン 37,111 733
エルパソ,テキサス 4,731 132
ユジーン,オレゴン 16,370 317
フォートワース,テキサス 16,137 295
フレスノ,カリフォルニア 13,256 262
ハランデール,フロリダ 15,777 407
ハンプトン,バージニア 13,786 247
ジャクソンビル,フロリダ 12,261 238
ジャージーシチー,ニュージャージー#1 18,886 228
ジャージーシチー,ニュージャージー#2 21,791 399
ジャージーシチー,ニュージャージー(スペイン語) 10,609 359
ローレル,メリーランド 19,756 292
メーコン,ジョージア 9,589 203
モンロー,ルイジアナ 7,623 115
オークランド,カリフォルニア 29,031 574
ピッツバーグ,ペンシルベニア 22,432 359
セントルイス,ミズーリ 30,247 697
ソルト・レーク・シチー,ユタ 8,724 176
サンアントニオ,テキサス 11,398 290
サンアントニオ,テキサス(スペイン語) 7,500 268
サンバーナジノ,カリフォルニア(スペイン語) 10,996 275
シアトル,ワシントン 15,675 319
タスカルーサ,アラバマ 10,546 168
ウィルミントン,デラウェア 18,229 271
合計 523,799 10,527
[56ページの写真]
フェンウェイ・パークに集まった22,623人の群衆。これは,アメリカで開かれた33の大会の一つにすぎない
[57ページの写真]
49,091人の群衆でうずまったアナハイム球場。アメリカ全土を通じて大会の公開講演を聞いた人は合計523,799人
[58ページの写真]
セントルイスで,基調をなす話をする,ものみの塔協会会長
[59ページの写真]
アナハイム大会で演じられた聖書劇の一場面。王妃エステルの用意した宴に臨んだアハシュエロス王とハマン
[60ページの写真]
結婚していない人たちのネッキングやペッティングが,どんな危険を招来するかに関して,母親が娘に助言を与える場面も,大会のプログラムの一部を成した
父親が,友人の医師とともに,性に関して自分のむすこに導きを与えているところ。父親がどのように導きを与えうるかを,プログラムは示した