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あなたのためにイエスがなされたことを感謝しますかものみの塔 1966 | 3月15日
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人であったのはこのためです。それではのこりの人々はパンとぶどう酒にあずからないのにどうしてイエスの死の記念式に出席するのですか。
いくつかの理由があります。ひとつにはそれによって「わたしを記念するため,このように行いなさい」と言われたイエスの命令のことばに敬意をあらわすためです。さらに,このような記念式においては,イエスのなされたことに対する感謝を深めることを目的とした聖書の講演が行なわれます。また,出席することはパンとぶどう酒にあずかる人々に対する関心のあらわれとなります。そして使徒ヨハネが自分の福音書の13章から17章に記録したことから明らかなとおり,主の晩さんのための集まりはキリストに従う人々を一致させ,互いに対する愛を深めさせる機会となります。事実,主の晩さん式に出席する人のすべてが,式の前かあとに前述の5つの章を読むとよいでしょう。それによってイエスの死を記念する精神をいっそう深く理解することができます。―コリント第一 11:24。
エホバのクリスチャン証人は神とそのみことばを愛する人々,イエスがなされたことに対する感謝を深めようとする人々すべてがエホバの証人と共にニサン14日に集まることを心からすすめます。今年,その日は4月5日火曜日,日没後に始まります。近くの集会所,ないしは御国会館の場所をごぞんじでないなら,この雑誌の発行者にお問い合わせください。よろこんでお知らせするでしょう。
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読者からの質問ものみの塔 1966 | 3月15日
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読者からの質問
● ペテロ後書 2章4-6節とルカ伝 17章26-30節の中で,洪水で滅びた人々とソドムとゴモラで滅びた人々とが一緒に述べられていることから,洪水で滅びた人々も復活されると言えませんか。
ペテロ後書 2章4-6節とルカ伝 17章26節-30節がその事を論じているかどうかを決定するために,これらの聖句を注意深く読み文脈を調べるのは有益です。
ペテロ後書 2章を調べると,ペテロが会衆内に偽りのクリスチャンが現われると警告していることがわかります。(ペテロ後 2:1-3)これら「偽りの教師」はある者を真の信仰から引き離そうとしますが,彼ら自身の滅びは必ず来ます。神が彼らを滅ぼされるという点をはっきりさせるため,使徒はいろいろな例を参照しています。ペテロの示すところによると「神はためらうことなく,罪を犯した御使たちを処罰され」またノアの時代の「古い世界を処罰された」。(新世)それで使徒は悪行のゆえに神が不敬虔な人を処罰されることを示す例を上げたのです。ここで復活の見込みは論じられていません。
同じようにルカ伝 17章26節から30節は洪水で滅びた人々やソドムが滅んだ時に死んだ人々をみせしめとして引き合いに出しています。なんのみせしめですか。キリストの再臨の時に飲食,婚姻,売買,栽培,建築など日常の事柄に没頭しているので,そのことに気づかない一般の人の状態を示すためのみせしめです。これは「ノアの時にあったように」,また「ロトの時にも同じようなことが起った」。イエスはこう結んでいます。「人の子が現われる日も,ちょうどそれと同様であろう」。イエスはまたマタイ伝 24章37節から39節においても同様なたとえを用いていますが,そこではノアの時のことだけを述べています。いずれの場合も人々が復活されるかどうかについてイエスは語りませんでした。
しかし,ペテロ後書 3章で使徒はキリストの再臨のあいだに来る滅びに注意をひいています。「その時の世界〔ノアの箱舟の外にいた人間社会〕は,御言により水でおおわれて滅んでしまった。しかし,今の天と地とは,同じ御言によって保存され,不信仰の人々がさばかれ,滅びる日に火で焼かれる時まで,そのまま保たれているのである。」(ペテロ後 3:6,7)ペテロがここで洪水前の世界が「滅んでしまった」と述べていることに注意して下さい。それはどういう意味ですか。聖書のどこかに洪水で滅んだ人々が復活されると述べられていますか。彼らが裁きの日に立つと教えられていますか。そうではありません。ペテロ後書では洪水で滅んだ人々がこの事物の制度の終わりに滅ぼされる「不信仰な人々」と較べられています。イエスはそれらの人が象徴的な「山羊」として「永遠に生命が断たれる」と言われました。それゆえノアの時代に滅んだ人々が永遠に生命を断たれたことは明白です。―マタイ 25:31-46。(新世)
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