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  • 真のクリスチャンの一致した集合体がありますか
    ものみの塔 1974 | 12月1日
    • タラントの例えは次のようにはじまります。「それ[すなわち天の王国と関係のある事情]はちょうど,人が外国へ旅行に出るにあたり,奴隷たちを呼び寄せて,自分の持ち物をゆだねたときのようになるのです。そして,ある者には五タラント,別の者には二タラント,さらに別の者には一タラントと,各自の能力に応じてひとりひとりに与えてから,外国に行きました」― マタイ 25:14,15。

      この「人」とはイエス・キリストのことです。イエスはまもなく「外国」への長い旅,つまり天の父のもとにもどる旅に出ようとしておられました。死んで復活したのちにその旅をなさるおつもりでした。そして天に行かれたなら『神の右に座し,それ以後,自分の敵たちが自分の足の台として置かれるまで待つ』ことになっていました。(ヘブライ 10:12,13)み父から,王国の権を完全に執るよう命令を受けるまでには長い期間がありますが,それを受けた時には,イエスはまずご自分の「奴隷」たちをよく調べ,報いをお与えになります。イエスは奴隷たちが一致してイエスの「商売」を営み,お互いに反目し合ってなどいないことを期待されます。調べが完了したなら,ルカ 19章15節から27節に示されているように,敵を地から追い出されます。―詩 110:1-3。

      「奴隷たち」にゆだねられる「持ち物」

      さて,この「人」には,王の権を得てもどってくるまで「奴隷たち」にゆだねておく「持ち物」がありました。イエス・キリストには大きな価値のあるどんな持ち物がありましたか。イエスにはお金もなければ,土地や建物などの大きな財産もなく,政府機関から権威を認められてもいませんでした。イエスは,ユダヤ人の強い要求により,ローマ帝国の手で殺されました。ではイエスは,「奴隷」たちにゆだねるべきどんなものをお持ちだったのでしょうか。

      それは,先に述べたような種類の持ち物とは異なる価値のあるものでした。キリストは,人間となって宣教しておられたあいだ,天のみ父の王国を第一に求め,伝道し教えることによってひとつの畑を耕されました。イエスはこの畑を潜在力 ― 弟子たちを生み出す隠れた力 ― を持つものとされました。イエスが弟子たちに残された財産はこれでした。

  • 真のクリスチャンの一致した集合体がありますか
    ものみの塔 1974 | 12月1日
    • イエスが3人以上の奴隷を所有しておられたことは明らかです。したがって,例えの中で描かれている3人の異なる「奴隷」は,将来キリストの共同相続者となる人々,イエスが王国の契約を結ぶさいに考慮に入れておられる人々すべてを表わしていました。それは,あらゆる階層から来る老若男女です。(使徒 1:14; 8:12とくらべてください)しかしこの境遇や年齢のちがいは,彼らの一致を妨げるものではありません。すべての人が同じ仕事をします。

      その例えの成就において,主人は,だれも自分の力に及ばないほどの仕事を持つことがないよう,「各自の能力に応じて」仕事を得るよう配慮されました。第一世紀の「五タラント」級に,最も重い責任を与えられた使徒たちが含まれていたことは明らかです。(啓示 21:14。エフェソス 2:20-22)彼らは,「二タラント」級がその責務を果たすにあたって大きな助けとなりました。

      「奴隷たち」はみな,ミナのたとえの人々と同じように,『彼が来るまで商売をする』ことになっていました。(ルカ 19:11-13)それはイエスの商売,王の商売でした。ですから従順な奴隷たちは,思いと行動において一致していなければなりませんでした。キリストは内部で分裂してはいません。(コリント第一 1:10)キリストの「奴隷たち」は,ひとつの教派はひとつの教理を教え,別の教派はまた別のことを教えるキリスト教世界の場合のように,お互いに相反することをしたのでは,たしかにイエスの商売を発展させることはできません。

      例え話そのものの中では,タラントの配分の基準となった奴隷たちの「能力」は,体力か知力を指していたでしょう。しかし成就においてそれが表わすものは,体力や知力でしょうか。これらが,正しい方向に向けられて正しく用いられるなら,価値のあるものであることは疑えません。しかしここで言われている「能力」は,天の王国を受け継ぐ立場にある,クリスチャンである「奴隷」に見いだされる種々の霊的可能性を表わしています。奴隷が持つ熱意,喜んで物事を行なう精神,意欲などはすべて,それらの可能性を助長します。このことは,「神は体に肢体を,そのおのおのを,ご自分の望むままに置かれた」という原則と調和します。―コリント第一 12:18。

      主人であるイエス・キリストは,例えの中で言われている「五タラント」級であると他の級であるとを問わず,それらの「奴隷たち」にあるものをゆだねられました。彼らとしても何かを持っている,つまり何かをささげなければなりません。彼らがささげ得るものと,彼らにゆだねられた価値あるものとがあいまって,彼らが霊的財産,つまり主イエス・キリストの残された「畑」を耕すことを可能にします。それは,級もしくは一致したグループとしての彼らが新しい弟子たちを刈り入れるための助けになります。

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