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日本と沖繩からの報告ものみの塔 1954 | 3月15日
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のでした! アメリカ人や英国人に対して,日本人の宣教者となりました。日本人の二人の代表者が,今ギレアデで学んでいることに,日本は非常にうれしく思つています。
ニュー・ヨークの大会は,何という刺戟を与えたのでしよう! 日本語に翻訳された新しい世を信ずる基礎を得ることを,私達は今,切に待ち望んでいます。この冊子は,本当に素晴らしい備えものであり,『祖先達』の悪を追い払つて,日本の何百万という多くの人を導き新しい世の社会にあつて『清き崇拝の中に開花させる』でありましよう。
沖繩
第二次世界大戦の時の戦場であつた沖繩は,未だに軍の要塞です。戦争中,那覇市は全く破壊され,地下の神道の宮である一つの建物だけ残つています。其処の大部分の日本人は,急造の掘立小屋に住んで居り,沖繩の経済は遅々として回復しません。
伝道者の中核は,フィリッピンの兄弟の群です。彼等は非常に熱心で,通訳を用いてかまたは聖書からいろいろな点についての聖句を指摘して日本人に証言します。聖書をこのような方法で用いて彼等が伝道した一人の日本人は,その聖書の聖句に印をつけておいて,今度は自分の友人達にいろいろな事を説明する事が出来ました。このようにして,聖書を用いることによつて反対の議論すべてに対抗することが出来るということを,その人は知り,それで直ぐに真理を受け容れました。会衆内で,その人は今最も熱心な伝道者で,多くの聖書研究を司会しています。昨年中,日本語のものみの塔と他の文書の配布は良い成績でした。
(1954年のヱホバの証者の年鑑より)
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キリストの死を記念するものみの塔 1954 | 3月15日
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キリストの死を記念する
『主の夕食』
キリストの死の記念を始める前に,ユダはすでに2階を去つて,イエスを裏切ろうとしていましたが,その記念の祝いについて,目撃者である使徒マタイは次のように記録しました。『彼等が喰べている時に,イエスはパンを一片取り,祝福を述べた後に,そのパンを裂いて弟子達に与え,「取つて,喰べなさい。これは私の体を意味する」と言われた。また,杯を取つて,感謝を捧げてから,彼等に与え,「あなた方すべての者は,この杯から飲みなさい。何故ならば,これは『契約の私の血』を意味する。私の血は,罪の赦しを得させようと,多くの人々のために注がれるのである。』― マタイ 26:26-28,新世。
『これは私の体を意味する。』とイエスが言つた時に,どんな体について,彼は指していましたか? 使徒パウロは,私達の理解を広めて,このように申して居ます『私達がさくパン,それはキリストの体と共に分け合うことではないか? パンは一つであるから,私達は,多くの人数であつても一つの体である。私達は皆その一つのパンに共に与るのである。』(コリント前 10:16,17,新世)そうです。クリスチャン,ギリシャ語聖書全巻を通じて多くの場合に,クリスチャン会衆は,『キリストの体』として示されています。―ロマ書 12章4,5節。コリント前書 12章12-17節。エペソ書 1章22,23節。コロサイ書 1章24節を見なさい。
主の夕食で杯を飲むことについて,使徒パウロはまた書きました。『私達が祝福する祝福の杯,それはキリストの杯と共に分け合うことになることではないか?』(コリント前 10:16,新世)しかし,或る人はこのように言うかも知れません。イエスの血は,新しい契約を確実なものとし,また多くの人のために罪のゆるしを得させようとして流されたのに,イエスの追随者達がその杯に共に分け合うとイエスは,どうして言えるのであろうか? 何故ならば,大きな意味で,杯はイエスに対する神の御意を表わしたからです。その神の御意は苦しみと死を意味しました。ゲッセマネの庭で,ペテロに語つたイエスの次の言葉を記憶してください。『父が私に与えられた杯を,私はどうしても飲まなければならないだろうか?』 またイエスの体の成員が,その杯を飲むことに共に分け合うということについては,ヤコブとヨハネの二人の使徒に,イエスは次のように語つてその点を明白にしました。『私が飲んでいる杯を,あなた方は飲むであろう。私が洗礼されている洗礼を,あなた方は受けるであろう。』― マルコ 10:39。ヨハネ 18:11,新世。
しかし,イエスが苦しんで死ぬだけが神の御意ではなく,イエスが死から甦えされ,神の右の座に高められるのも神の御意でした。それですから,杯がまた,
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