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正しい者が苦しみを受けるのはなぜかものみの塔 1962 | 7月1日
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道を歩むことを何にもまして望みました。正義の道を追い求めたために大きな苦しみにあいながらも,その人々は正しい態度を持っていました。
苦しみに対する正しい態度
苦しみそのものは決して喜びではありません。しかしそれが愛する者のためになり,愛する者を喜ばせることになると知っているとき,人は喜んで苦しみに耐えることができます。それで使徒たちは,御国の良いたよりを伝道したためにむち打たれてのち釈放されたとき,「御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら,議会から出てきた」のです。使徒たちは伝道せよとの神の御命令に従っていました。またそれは神の御心を喜ばせることを知っていたのです。従って彼らは喜んでいました。「しかし,万一義のために苦しむようなことがあっても,あなたがたはさいわいである」と聖書は述べています。―使行 5:40,41。ペテロ前 3:14,新口。
山上の垂訓の中でイエスの言われたことを,これでよく理解できます。「義のために迫害されてきた人たちは,さいわいである,天国は彼らのものである。わたしのために人々があなたがたをののしり,また迫害し,あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には,あなたがたは,さいわいである。喜び,よろこべ,天においてあなたがたの受ける報いは大きい」。(マタイ 5:10-12,新口)クリスチャンは,神に対して忠実を守るために苦しめられるとき,悪魔を偽り者と証明し,エホバの御心を喜ばせていることを知って大いに喜びます。苦しみは喜びではなくても,神の御名の立証にあずかることは喜びです。そのときまた,忠実な者に約束されている報いのゆえに喜ぶことができます。―箴言 27:11。
悪の組織制度の中に住み,罪に由来する不完全さを受けついでいるゆえに,今日だれでも苦しみを経験します。正しい人々は,神への忠実を守るゆえに苦しみを受けます。しかし彼らは勇気を持ち,喜ぶことができます。神の造る新しい世があり,それはいま目前に迫っているからです。新しい世において苦しみはなくなります。神は「人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや,死もなく,悲しみも,叫びも,痛みもない」と約束されているからです。ですから今の苦しみのゆえに心を苦くしてはなりません。前途を見なさい。苦しみのない世界,神の約束された新しい世に,希望と信頼を置いて下さい。―黙示 21:4,新口。ペテロ後 3:13。
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真理を認めた牧師ものみの塔 1962 | 7月1日
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真理を認めた牧師
協会は,孤立した区域を伝道するように兄弟たちを励ましました。ある開拓者夫妻は,休暇を利用して,彼らの任命されている孤立した区域からいくらか離れたところにある小さな村に伝道に行きました。ちょうど使徒パウロがしたように,市場で伝道した時,興味をもった人に会いました。特にある男の人は,開拓者の兄弟に,「あなたはどの宗教のかたですか」と尋ねました。「宗派に関係のないキリスト教です」と兄弟は答え,さらに多くの真理について話しました。ほんとうに新しい世が来るという考えに興味をそそられたその男の人は,「あなたがたのようなかたははじめてですが,どんな宗教をお持ちなのですか」ともう一度用心深く尋ねました。兄弟は率直に,「私たちはエホバの証者です」と答えました。彼は驚きました。そして怒った顔して兄弟を見ながら言いました,「でもそんなはずはありませんよ! エホバの証者は聖霊を信じないですからね。キリスト・イエスはただの人で,神ではないと彼らは信じています。それから地獄の存在は信じていません」。彼は,エホバの証者に反対の福音派が出している小冊子のほとんど全部の点を取りあげて,ながながと話しました。1時間ほど聖書を調べたのちその人は,聖書の真理と,宗教の教える偽りとの間の相違に驚きました。そしてついにこう言いました,「日曜日に私たちの教会に来て講演をして下さいませんか」。兄弟は答えました,「でもさっきまであなたが信じていたのと同じ偽りを信じているあなたの牧師さんが,それを許すと思いますか」。そのことなら牧師はもう信じていません。私がその牧師ですから」。集会が取決められて,ペンテコスト派の信者のグループに講演が行なわれました。兄弟は全部の人に小冊子を無料であげました。それから書籍を紹介して,いつもの値で出席者に配布しました。牧師は,自分のために数冊を求めて教会員を正しく導きました。彼にとって,それは恐らく初めてのことだったでしょう。―1962年のエホバの証者の年鑑より(ペルー)
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