-
山上の垂訓 ―「いっさい誓ってはなりません」ものみの塔 1978 | 9月1日
-
-
“神への奉納物”を意味する“コルバン”という言葉を使って多くの誓いが立てられました。この言葉を口にすることにより,人はある特定の物を,神殿における犠牲と同様,自分自身または他の人にとって禁じられた物にすることができると信じられていました。この事に関して,イエスはパリサイ人に向かって次のように言われました。
「あなたがたは自分たちの伝統を守ってゆこうとして,巧妙にも神のおきてをわきに押しやっています。たとえば,モーセは,『あなたの父と母を敬いなさい』,そして,『父や母をののしる者は死に至らせなさい』と言いました。ところがあなたがたは,『もし人が自分の父や母に,「わたしの持つものであなたが益をお受けになるものがあるかもしれませんが,それはみなコルバン(つまり,神に献じられた供え物)なのです」と言うならば』と言います ― あなたがたはもはやその人に,自分の父や母のために何一つさせないのです。こうしてあなたがたは,自分たちが伝えた伝統によって神のことばを無にしています」― マルコ 7:9-13。a
-
-
山上の垂訓 ―「いっさい誓ってはなりません」ものみの塔 1978 | 9月1日
-
-
a つまり,このような人は両親に次のように言っていることになります。「あなたがたに関する限り,わたしの持ち物は『コルバン』,神に献じられた供え物であり,あなたがたはどんな方法であれそれを使うことも,それから益を得ることもできません」。「コルバン」という言葉を使っても,人は必ずしも財産を神に奉納したのではありません。ふつう,この言葉は,人が持ち物を単に神への奉納物のようにしたこと,したがってその言葉を告げられた人あるいは人々がそれを使えないことを意味しました。「イエス・メシアの生涯と時代」の中でアルフレッド・エダシェイムは次のように書いています。「両親に関するこのような誓いが拘束力を持ち,また実際に立てられたことには疑いがない」。
-