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  • 「わたしを見た者は,父を見たのである」― どういう意味ですか
    目ざめよ! 1979 | 5月22日
    • 聖書はイエス・キリストのことを,神の主要な代理者の立場で神から「遣わされた」方として,繰り返し述べています。(例えば,ヨハネ 3:17,28,34; 5:23,24,30,37をご覧ください)興味深いことに,聖書では,ある人の代理者を,あたかも代理をさせた人自身のように述べる場合が少なくありません。二つの例を考えてみましょう。

  • 「わたしを見た者は,父を見たのである」― どういう意味ですか
    目ざめよ! 1979 | 5月22日
    • (2)マルコによる福音書は,「ゼベダイの子のヤコブとヨハネとがイエスのもとにきて」,「栄光をお受けになるとき,ひとりをあなたの右に,ひとりを左にすわるようにしてください」と頼んだと記しています。(マルコ 10:35-37)しかしマタイの記述では,イエスに対するこの願い事は,実際には「ゼベダイの子らの母」が二人の代理として行ったと述べられています。―マタイ 20:20,21。

      無論,こうした聖書の記述を読んで,それらユダヤ人の長老たちが百卒長と同一人物であったとか,ヤコブとヨハネの母がその子らと同一人物であったなどという結論を下す人はいないでしょう。同様に,聖書のある箇所でエホバ神について述べられている事柄が,別の箇所ではイエス・キリストに適用されているからというだけで,イエスが神と同等であるなどと結論づけるべきではありません。こうした記述が見られるのは,イエスが神の代理者であられたからに外なりません。b

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