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死の王の支配打砕かるものみの塔 1953 | 9月1日
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「土の人」である。第二の人は天から出たのである。』(コリント前 15:45,47,口語)『実に私たちは知つている,キリストは死人の中からよみがえらされたのであるから,決して再び死なれないであろうことを。死はもはや彼を支配しない。』『しかし神は彼をよみがえらせて,死の苦しみを解かれた。彼は死に捉えられていることのできない方であつたからである。』(ロマ 6:9。使行 2:24,口語)キリストは悪魔が虚偽者であることを証明しました。ヱホバの律法の尊厳も彼を死に封じ込めておくことが出来なかつたのです。何故なら,彼は全く罪がないからです。従つて神は彼を甦えらせて,死の力を持つ悪魔を死によつて滅ぼす資格をそなえた者としたのです。勝ちる得たキリストはこう叫んで居ます ―『私は死んだ。しかし見よ,私はいつまでも,いつまでも活きて居る。そして死と地獄との鍵を有つて居る。』― ヘブル 2:14。黙示 1:18。
21 神が愛をもつて,他の人々もキリストと共に証明の業に参加出来る様にとりきめて下さつたことを考えて下さい。忠信にして召され,潔められた14万4000の祭司達の復活について語り,パウロは次の様に申して居ます ―『朽ちる者が朽ちないものを着,死ぬものが死なないものを着る時に,聖書に記された次の言葉は実現するのである。「死は勝に呑まれてしまつた。おお死よ,お前の勝はどこにあるか,おゝ死よお前の針はどことにあるか。』(コリント前 15:54,55,口語)それらの人はイエスキリストを通じて勝利を得,サタンは間もなくそれらの人々の足で踏み砕かれるでしよう。又,善意ある人々,つまり地上に於ける永遠の生命の希望をもつ忠信な他の羊級も,キリストを通じて勝利を獲得するのです。彼らは,復活によつてであろうと,又今生きながらにハルマゲドンを通過して新しい世に入り永遠の生命を獲得するのであろうと,とにかく死に打ち勝つのであります。何故なら,彼らは,永遠の御国の祝福に与かるからです。『そして,もはや死はないであろう。そしてもはや歎きも,叫びも,苦しみも,ないであろう。前にあつたものは過ぎ去つたからである。』(黙示 21:4,口語)人間の最後の試験が終つた時,死の王の支配は,生命の王の支配でおきかえられるのであります。
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読者よりの質問ものみの塔 1953 | 9月1日
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読者よりの質問
イエスは,或る時,実のなっていない無花果を咎がめられて,それを枯らしてしまいました。その時は,無花果の時期ではなかったから,実がなくても当然なのに,どうしてそう呪われたのでしょうか?
答……これに就いての,聖書の記録を先ず読みましょう。『イエスは空腹であられ,遠くから葉の茂った無花果の木を見て,何かありはしないかとそこに行かれた。そのもとに来られると無花果の木には葉ばかりで何もなかった。無花果の時期ではなかったからである。これを見てイエスはその木に言われた。「これから後いつまでも,誰もお前から実を食べることのないように。』……彼らは朝,通り過ぎる時,あの無花果の木が根本から枯れているのを見た。』(マルコ 11:12-14,20,口語)無花果の場合は,葉よりも果が先になるのが普通で,葉が既に茂っていれば,誰しもがもう実があると期待できるのです。このイエスの場合の木は,葉が茂っていて,イエスはこれを遠くから望まれたのでした。木の葉の外見から,イエスが,その木に果があるであろうと期待なさったのは当然のことでした。で,イエスは近づき,彼の空腹を充たそうとなさり何らの実がないのを発見なさった時,その木を咎められたのです。この時まだ無花果の季節でなかったにしろ,この木には ― 何かの理由で,例外的に,― 沢山の葉が茂って居って,それは実を約束して居たのです。このことは,私達に,ユダヤの民を想起させます,神との契約に入って居たユダヤの民は,律法も持ち,崇拝の形式を念入に調らべ,神への実が如何にもなっているような,外面を装うて居ました。だが,イエスが地に来られて,民を調らべた時,それは見せかけだけのものであることを発見されて,次のように咎られて居ります。『見よ,あなた方の家は荒野となって,棄てられる。』聖い民としての彼らは,やがて,枯れ,死んでしまいました。何故なら,イエスは,ユダヤの民を切り捨てられ,時経て,ローマ人は押寄せ,エレサレムを荒廃の地と化してしまったからです。
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