「福音はまずすべての国の民に宣べ伝えられねばならない」
「あなたがたは,わたしのために……長官たちや王たちの前に立たされ,彼らに対してあかしをさせられるであろう。こうして,福音はまずすべての国の民に宣べ伝えられねばならない」― マルコ 13:9,10,新世訳
1 「福音」が伝道されなければ,国々の人はどんな状態に取り残されていたかもしれませんか。なぜですか。
この20世紀の諸国家のうち,その領土内に「福音」が宣明されるのを妨げ得た国はありません。世界のすべての国が滅びる危険に直面している時,終わりのくる前に福音はすべての国に宣べ伝えられねばなりません。福音はあらゆる民族,あらゆる国の人が大いに必要としている慰めを与えてきました。福音が宣明されなかったとすれば,滅びの迫った世の艱難の中で人々は希望のないままに取り残されたことでしょう。福音がまずすべての国の民に宣べ伝えられることを預言した,決して誤りのない預言者は,人類史上最悪のこの苦難の時代に福音が宣明されることの必要を先見されたに違いありません。
2 預言を語った人が与えたこの福音は,なぜ今日まで生きつづけてきましたか。
2 宣べ伝えられるべき福音を与えたのは,時を経た今日,真実性が証明されたこの預言を語った人にほかなりません。19世紀先を見とおした彼は,その苦難の時代において宣明するに値する唯一の福音が何かを知っていました。その預言が実際に成就したことから明らかなように,彼はふつうの人ではありません。彼は新聞の発行者や経営者ではなく,大きな発行部数を持つ都会の大新聞の編集者でもありませんでした。実を言えば本,冊子あるいはパンフレットさえも書いたことがないのです。また全世界に最も広く流布され,ほん訳されている本すなわち聖書の1章をさえ書いていません。しかも彼が与えた福音は生きつづけ,今日すべての国において宣べ伝えられているのです。信じられないようで,しかし実際には信じられることなのです。この非凡な人はイエス・キリストだからです。その直弟子たちはイエスが「神の子」であることを疑問の余地なく証明しました。
3 オリブ山上でペテロ,アンデレ,ヤコブ,ヨハネがイエスに質問をしたのはなぜですか。
3 とくに1967年6月以来,世界の注目を集めてきた町エルサレムについて,イエスはかつて語っていられました。イエスがこの「福音」についての預言をされた場所すなわちエルサレムの東にあるオリブ山は今もそこにあります。ヘロデ大王の建てた荘麗な宮はもはやエルサレムにはありませんが,そのことはイエスの預言の正確さをさらに確証しています。イエスの直弟子の4人つまり使徒ペテロ,アンデレ,ヤコブ,ヨハネはイエスとともにオリブ山にいて美しいエルサレムの町と宮を眺めていました。同じ日のそれより前にイエスが告げた事柄を聞いていたならば,あなたもイエスに尋ねたことでしょう。
4,5 (イ)使徒のひとりはどんな壮厳なものについてイエスに語りましたか。(ロ)観察力のあるこの使徒に対するイエスの答えは,なぜ疑いなく驚くべきものでしたか。
4 西暦70年まで宮の建っていた場所には今日でも国際観光団がおとずれます。しかしイエスと使徒たちが,エルサレムのヘロデ王の建てた高価な宮をおとずれたのは西暦33年早春のことでした。彼らがその場所を立ち去ろうとしていた時,使徒の一人がイエスに言いました,「先生,ごらんなさい。なんという見事な石,なんという立派な建物でしょう」。
5 このように堅固で壮麗な建物はギリシャ,アテネのアクロポリスにたつアテナの神殿パルテノンや古代エジプト,テーベのカルナーク神殿のように2000年はびくともしないと思われたかもしれません。しかしイエス・キリストは,宮に目をとめた使徒を驚かせたに違いない次のことばを述べました。「あなたは,これらの大きな建物をながめているのか。その石一つでもくずされないままで,他の石の上に残ることもなくなるであろう」。歴史家ジョン・マルコは,西暦70年ローマ軍団によってこの預言が成就される何年か前にローマでイエス・キリストのこの驚くべき預言を記録しました。(マルコ 13:1,2)貴重な崇拝の宮が破壊されたことは,ユダヤ人にとって確かに事態の変化を意味しました。
6 (イ)ヨハネ・マルコによれば,4人の使徒はイエスに何を尋ねましたか。(ロ)どんな仮定をすれば,イエスの預言的な答えは今日の私たちにとって過去の歴史の出来事にすぎなくなりますか。
6 同じ場所にあったソロモン王の宮が紀元前607年に滅びたことは,ユダヤ国民にとって事態の大きな変化を意味しました。それを心にとめていた使徒ペテロ,アンデレ,ヤコブおよびヨハネは,輝く宮を一望の下におさめる隣のオリブ山にすわっていられたイエス・キリストに尋ねました。彼らが何を尋ねたかを,ヨハネ・マルコは私たちに告げています。彼らの問いがしるされているのはマルコの福音書 13章3,4節です。「わたしたちにお話しください。いつ,そんなことが起るのでしょうか。またそんなことがことごとく成就するような場合には,どんな前兆がありますか」。イエスの述べられた「前兆」が当時のエルサレムの町の滅びのみに適用されるものであれば,この預言の成就は1900年前の歴史上の出来事にすぎず,不安な今の時代に住む私たちにとってあまり関係のないものとなります。
7 (イ)イエスの預言的な答えは,今日の私たちにも関係のあるどんな事柄を含んでいますか。(ロ)その滅びは現在の事物の制度に関して何を意味しますか。
7 しかし明らかにイエスはその預言的な答えの及ぶ範囲を西暦70年のエルサレムの滅びを越えて将来に,すなわちエルサレムとその宮が予表していたものにまで及ぼしています。ゆえに今日の私たちは関心を払わねばなりません。では何を予表していたのですか。それは明らかです。影は光のさす道におかれた実質のある物の輪郭を示すからです。エルサレムとその宮の滅びは,いまエルサレムの神を崇拝すると主張する組織と宗教制度に臨む滅びの輪郭を示す影でしたか。そうです。しかも世界情勢はそれがこの時代に起こることを示しています。キリスト教国の人々は彼らの宗教組織と構造物が滅びに定められていることを知らねばなりません。しかし恐れをなして反論する人がいることでしょう。「キリスト教国の滅びは世の終わりを意味するものにほかならない」と。「事物の制度の終結」という意味で「世の終り」と言うのであれば,まさにそのとおりです。―マタイ 24:3,口語訳と新世訳。
8 「まだ終りではない」というイエスのことばのゆえに,いま無関心になることができますか。
8 それでこれは今日の私たちがまさに関心を払わなければならない事柄です。私たちはそれと無関係ではありません。私たちにはイエスの言われた福音が確かに必要です。ゆえにイエスの預言を調べてみましょう。イエス・キリストが実在し,エルサレムで死なれた歴史上の人物であることを疑う人が,今日何百万人もいます。したがってこのような人々は偽キリストに対するイエスの警告の必要を認めません。(マルコ 13:5,6)しかし1914年以前を知っている年齢の人ならば,イエスの次の助言を時宜にかなったものと感ずるでしょう。「また,戦争と戦争のうわさとを聞くときにも,あわてるな。それは起らねばならないが,まだ終りではない」。(マルコ 13:7)そうです,しかし「まだ」という言葉があるからといって「終り」が決してこない,またエルサレムとその聖なる宮の滅びによって予表されている滅びがキリスト教国に臨まないという意味ではありません。
終わりに先だつ「前兆」
9,10 (イ)イエスはその預言の中にどのように区分を設けられましたか。(ロ)何が「産みの苦しみの初め」になりますか。「初め」ということばから当然に何が予想されますか。
9 では恐るべき「終り」が臨む前に何を期待すべきですか。またそれに先だってどんな「前兆」がありますか。「終り」のことを述べて預言の中に区分を設けたのち,イエスが次に言われたことばに耳を傾けてください。時の流れの中でイエスのことばの成就の時期を位置づけ,また見わけられるかどうかためしてください。
10 「民は民に,国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに地震があり,またききんが起るであろう。これらは産みの苦しみの初めである」。(マルコ 13:8)「初め」ということばは終わりのあることを予想させます。また「産みの苦しみの初め」は「終り」にすぐ先だつものに違いありません。そして昔のエルサレムとその宮の恐ろしい滅びによって予表されていた事柄を伴うでしょう。そうとすれば,「終り」に先だつ「初め」としてイエスのことばに描かれている産みの苦しみを,人類は経験してきましたか。この問いに率直に答えましょう。
11 (イ)率直な人は「産みの苦しみの初め」が何であることを認めますか。(ロ)イエス・キリストが与えられたような福音が適切なのはいつですか。なぜそうですか。
11 率直な人は人類がこのような苦しみを確かに経験してきたことを認めるでしょう。1914年に勃発した第一次世界大戦は,それ以前の戦争を全部合わせたよりも大きなものでした。また第一次世界大戦中から戦後にかけて起きた深刻な食糧不足のため何百万人の人が死にました。各地に大地震が起きたことも事実です。また疫病も見のがすことはできません。第一次世界大戦後,1918年のスペイン風邪だけで2000万人の犠牲者が出ています。ヨハネ・マルコと親しかった医師ルカは,同じ時期に関するイエスの預言を記録したことばの中に疫病のことを述べています。これら苦難の時代を生きてきた年配の人はこれらの出来事を記憶していることでしょう。(ルカ 21:10,11)「産みの苦しみ」について言えば,第一次世界大戦中から戦後にかけてのこれらの出来事から始まった苦難は今に至るまでやまず,また減少もしていません。ゆえにイエス・キリストから出た福音は,いま最も時宜を得たものと言えます。
12 イエスが次に言われたことばによれば,イエスの忠実な追随者はどうなりますか。
12 しかし預言の中でイエスが次に言われたことばは,その忠実な,追随者が安易な時を送るのではないことを述べています。すでに使徒時代においてさえ,そのことが言えました。「あなたがたは自分で気をつけていなさい。あなたがたは,わたしのために,衆議所に引きわたされ,会堂で打たれ,長官たちや王たちの前に立たされ,彼らに対してあかしをさせられるであろう。こうして,福音はまずすべての〔国の〕民に宣べ伝えられねばならない。そして,人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき,何を言おうかと,前もって心配するな。その場合,自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて聖霊である。また兄弟は兄弟を,父は子を殺すために渡し,子は両親に逆らって立ち,彼らを殺させるであろう。また,あなたがたはわたしの名のゆえに,すべての人に憎まれるであろう。しかし,最後まで耐え忍ぶ者は救われる」― マルコ 13:9-13,〔新世訳〕。
13 (イ)どんなことにもかかわらず,「福音」は宣べ伝えられねばなりませんか。(ロ)どんな主要な人物を度外視して,今日,真の「福音」はあり得ませんか。
13 世界戦争,食糧不足,地震と疫病のさなかで使徒的な真のクリスチャンは宗教的な迫害を受けますが,それにもかかわらず,「福音」はまずすべての国の人に宣べ伝えられねばなりません。福音を活発に伝道する真のクリスチャンは明らかに諸国家や人々から一般に好意をもって迎えられません。しかしここでいったい「福音」とは何かを問わなければなりません。非キリスト教国の人々ユダヤ教徒,回教徒,またキリスト教国の人々は肝要な人物を無視しようと努め,人間の希望であるその者を度外視してきました。しかし今日イエス・キリストを度外視して真の「福音」はあり得ません。その理由で歴史家ヨハネ・マルコの手によるイエス・キリストの生涯の記録は「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」ということばで書き出されているのです。―マルコ 1:1。
14 イエスはご自分と「福音」との密接不離の関係を示してなんと言われましたか。
14 イエスもご自分が「福音」と密接不離の関係にあることを認め,次のように言われました。「わたしのため,また福音のために,自分の命を失う者は,それを救うであろう」。「だれでもわたしのために,また福音のために,家,兄弟,姉妹,母,父,子,もしくは畑を捨てた者は,必ずその百倍を受ける……また,きたるべき世では永遠の生命を受ける」。「全世界のどこででも,福音が宣べ伝えられる所では,この女の[私に]した事も記念として語られるであろう」― マルコ 8:35; 10:28-30; 14:9。
15 ヨハネ・マルコによれば,イエスご自身「福音」に関して何をされましたか。
15 それで当然にイエス・キリストみずから「福音」を伝道されました。イエス・キリスト以上に巧みにそれをできる人はいません。(ヨハネ 7:46)ヨハネ・マルコの次の報告はそれを確証しています。「[バプテスマの]ヨハネが捕えられた後,イエスはガリラヤに行き,神の福音を宣べ伝えて言われた,『時は満ちた,神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ』」― マルコ 1:14,15。
16 当時の福音は何でしたか。それはなぜ良いたよりでしたか。
16 当時の福音は神の国に関するものであり,殊にそれが近づいたことを告げるものでした。神の国は良いもの,事実,全人類にとって唯一最善のものです。しかもそれが近づいたことを告げるたよりは最も重要な福音です。天の政府において治めるメシヤなる王として神に油そそがれたイエス・キリストが人間となって地に来られたという意味において,19世紀前に神の国は近づいていました。イエス・キリストは神の国を伝道し教え,殉教者の死を遂げるために,また罪深い全人類のためにあがないの犠牲となって死なれるため地に来られたのです。(ヨハネ 18:36,37。マタイ 20:28)しかし,神の子イエス・キリストが,王となって人類を治めるこの神の国はどんな政府ですか。
「神の国」
17,18 (イ)イエスは福音の中に宣べられた御国とダニエルの預言した国とを,どのように結びつけられましたか。(ロ)ダニエルによれば,そしてイエスも預言されたように,神の国の到来には何が伴いますか。
17 この国は紀元前六,七世紀にバビロンで預言者ダニエルが預言したものに違いありません。イエス・キリストは4人の使徒に語ったご自身の預言をダニエルの預言と結びつけ,次のように言われたからです。「荒らす憎むべきものが,立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ,悟れ),そのとき,ユダヤにいる人々は山へ逃げよ……この事が冬おこらぬように祈れ。その日には,神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで,かつてなく今後もないような患難が起るからである。もし〔エホバ〕がその期間を縮めてくださらないなら,救われる者はひとりもないであろう。しかし選ばれた選民のために,その期間を縮めてくださったのである」― マルコ 13:14-20,〔新世訳〕。
18 「荒らす憎むべきもの」はダニエル書 11章31節および12章11節に預言されています。(マタイ 24:15。ルカ 21:20,21をごらんください)「荒らす憎むべきもの」が建てられることを預言したあとで預言者ダニエルは古今未曽有の「悩みの時」すなわちイエス・キリストが使徒たちに予告された「患難」が臨むことを預言しています。(ダニエル 12:1)ゆえに福音として宣べ伝えられねばならないとイエスが言われた神の国は,先にダニエルが預言した神の国と同じものに違いありません。ダニエルの預言によれば,神の国の到来するとき,世の諸国家には古今未曽有の悩みの時が臨みます。この悪しき世の政治支配者の最後の者たちについて述べ,次のように語った時,ダニエルがほかの事を意味したはずはありません。
19,20 (イ)ダニエル書 第2章には国々のどんな災いが預言されていますか。(ロ)第7章には何が預言されていますか。
19 「それらの王たちの世に,天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく,その主権は他の民にわたされず,かえってこれらのもろもろの国を打ち滅ぼすでしょう」― ダニエル 2:44。
20 「わたしはまた夜の幻のうちに見ていると,見よ,人の子のような者が天の雲に乗ってきて,日の老いたる者のもとに来ると,その前に導かれた。彼に主権と光栄と国とを賜い,諸民,諸族,諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって,なくなることがなく,その国は滅びることがない……第四の獣は地上の第四の国である。これはすべての国と異なって,全世界を併合し,これを踏みつけ,かつ打ち砕く……しかし審判が行われ,彼の主権は奪われて,永遠に滅び絶やされ,国と主権と全天下の国々の権威とは,いと高き者の聖徒たる民に与えられる。彼らの国は永遠の国であって,諸国の者はみな彼らに仕え,かつ従う」― ダニエル 7:13,14,23-27。
21 (イ)クリスチャンは,西暦70年,中東に神の国が建てられたのを見ましたか。(ロ)現在の旧エルサレムはどのようにしてできましたか。
21 これが神の国です。その樹立は人類にかつて宣べ伝えられた音信のうち最も良いおとずれとなります。しかしこの天の国は西暦70年に建てられたのではありません。その年イエスの預言は成就し,エルサレムとその宮は一つの石も他の石の上に残らないと言われたとおり崩壊しました。ユダヤ人のクリスチャンはイエスの助言に従って,ユダヤとエルサレムの外の山地に避難していたため,滅びにまき込まれませんでした。彼らはどこに行っても来たるべき神の国を宣べ伝えました。神の国は,滅びたエルサレムに建てられないことを知っていたからです。メシヤによる神の国が,栄光のメシヤ,イエス・キリストの手でエルサレムに建てられるかわりに,征服者のローマ人が61年後(西暦131年)に異教の都市をそこに建設しました。エルサレムはローマ植民地の格を与えられ,アリア・キャピトリーナと呼ばれました。それはいくらか変わったとしても今日まで残っています。
22 (イ)西暦70年のエルサレムの崩壊は,患難についてのイエスの預言と符合しますか。(ロ)近年のどんな患難とくらべる時,エルサレムの崩壊はとるに足りないものとなりますか。
22 イエス・キリストによって預言され,ユダヤ人の歴史家フラビウス・ヨセハスによって記録されているエルサレムの崩壊とユダの地の荒廃は恐ろしい出来事でした。しかし「その日には,神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで,かつてなく今後もないような患難が起るからである。もし〔エホバ〕がその期間を縮めてくださらないなら,救われる者はひとりもないであろう」と言われたイエスのことばと,それは符合しません。(マルコ 13:19,20,〔新世訳〕)西暦70年に中東の地に起きた恐るべき破壊は,西暦1914年から1918年の第一次世界大戦とどのようにくらべられますか。1939年から1945年まで続き,戦争にはじめて使われた原子爆弾2個の爆発によって終わった第二次世界大戦についてはどうですか。核弾頭をつけた長距離ミサイルが使われる次の世界大戦,それに伴う世界的な食糧不足,細菌兵器によってひき起こされる伝染病,放射能による大気の汚染がもたらす艱難と破壊と恐怖についてはどうですか。これらのものとくらべるなら,西暦70年のエルサレムの崩壊はとるに足りないほど小規模なものです。
23 西暦70年に神の国が建てられて異邦人の支配が終わるのではないことを,イエスはどのように示されましたか。
23 異邦人(非ユダヤ人)の世界支配は,西暦70年,メシヤによる神の国が天に建てられて終わることになっていたのではありません。イエス・キリストご自身がそのことを言われました。使徒たちに語られた預言の中でイエスは地上のエルサレムの滅びを予告するとともに次のことを言われました。歴史家である医師ルカはヨハネ・マルコのしるしていないそのことばを記録しています。「地上には大きな苦難があり,この民にはみ怒りが臨み,彼らはつるぎの刃に倒れ,また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは,異邦人の時期が満ちるまで,彼らに踏みにじられているであろう」― ルカ 21:23,24。
24 異邦人の時はいつ始まりましたか。それはいつ終わることになっていましたか。
24 バビロニア人によるエルサレムと宮の最初の崩壊によって紀元前607年に始まった「異邦人の時」すなわち「諸国民の定められた時」は,西暦70年にエルサレムと宮が2度目に滅びてのちも続くことになっていました。いつまでですか。ダニエルの預言がここでも理解を助けます。その第4章に示されているところによれば,メシヤによる神の国に妨げられずに異邦人が世界を支配する期間は2520年すなわち西暦1914年まで続きます。
宣べ伝えられるべき福音 ― いつ?
25 パウロがローマからコロサイ人に書き送った事柄に照らしてみる時,西暦70年までに伝道が成し遂げられたかどうかにつき,何が言えますか。
25 そのことを裏づける一つの顕著な事実に注目してください。すなわち神の国の福音を「まずすべての国の民に」宣べ伝えることは西暦70年までには成し遂げられていません。ローマ帝国の全土に伝道が行なわれたことは事実です。使徒パウロは監禁の身でありながらイタリアのローマで何年も伝道をつづけました。(使行 28:16-31)そしてローマの獄中からコロサイのクリスチャン会衆に次のように書き送っています。「あなたがたのところまで伝えられた福音の真理……この福音は,世界中いたる所でそうであるように,あなたがたのところでも,これを聞いて神の恵みを知ったとき以来,実を結んで成長しているのである……あなたがたは,ゆるぐことがなく,しっかりと信仰にふみとどまり,すでに聞いている福音の望みから移り行くことのないようにすべきである。この福音は,天の下にあるすべての造られたものに対して宣べ伝えられたものであ(る)」。(コロサイ 1:5,6,23)使徒ペテロは,当時ローマ帝国の領土外にあったメソポタミアの昔のバビロンまで足をのばしています。(ペテロ第一 5:13)それは西暦70年にユダヤとエルサレムが荒廃する何年も前のことです。
26 (イ)伝道のわざが西暦70年までに成し遂げらていないことは,使徒ヨハネに与えられた黙示録の幻の中でどのように示されましたか。(ロ)コンスタンチヌス皇帝の時以後,神の国について何が伝道されましたか。
26 西暦70年以前にこのように「福音」がひろめられたにもかかわらず,エルサレムと宮の崩壊からおよそ26年後に使徒ヨハネは幻の中で「あなたは,もう一度,多くの民族,国民,国語,王たちについて,預言せねばならない」と告げられています。(黙示 10:11)幻全体の記述の中で使徒ヨハネは「大いなる患難」がなお将来のことであり,大いなるバビロンの滅びとハルマゲドンにおける「全能の神の大なる日(の)戦い」が当時から見てなお将来であることを示しています。(黙示 16:13から19:21)それで福音がまずすべての国に宣べ伝えられるというイエスの預言は西暦1世紀に成就していません。ゆえに神の国の伝道はひきつづき行なわれることが必要でした。4世紀のローマ皇帝コンスタンチヌスは妥協した当時のキリスト教を国教にしたので,すでに建てられたものとして神の国を伝道することがそれ以後行なわれ,キリストの千年統治はすでに始まり,進行中であるという解釈が行なわれ出しました。
27 (イ)使徒時代から西暦1914年に至るまでの伝道は,どんな見地から神の国を宣べたものですか。(ロ)そのように長期間にわたって神の国が伝道されたことは,神の国の到来を証明しますか。
27 では使徒時代から異邦人の時の終わりである1914年までの期間における伝道については何が言えますか。それは「福音はまずすべての国の民に宣べ伝えられねばならない」と言われたイエスのことばの成就ですか。(マルコ 13:10,新世訳)20世紀の初めまではそのように考えられていました。a しかし次の点に注目してください。そのような神の国の伝道はすべて異邦人の時の終わりである1914年以前に行なわれたものであり,キリスト教国の宗派の多くが考えるように世界の改宗によって到来するものとしての神の国を伝道することでした。19世紀の長期間にわたるこのような伝道は,それ自体,神の国が来たことのしるしあるいは証拠ですか。そうではありません。御国の伝道を預言したことばの中でイエスが次のように言われたのは事実です。「よく聞いておきなさい。これらの事が,ことごとく起るまでは,この時代[ゲニィア]は滅びることがない。天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない」。しかし「この時代」という表現については何が言えますか。―マルコ 13:30,31。
28 (イ)「この時代」という表現をクリスチャン会衆に適用することは,緊急な時代をしるしづけることになりますか。(ロ)時代また世代は何を意味しますか。
28 イエスのこのことばは,西暦33年の五旬節からキリストの会衆の最後の成員が天において栄光を受けるまでの,忠実な弟子たちの教会すなわち会衆の全体をさすのではありません。確かに使徒ペテロはクリスチャン会衆にあてて「あなたがたは,選ばれた種族[ゲノス]である」と書いています。(ペテロ第一 2:9)しかしこの種族すなわち世代また時代は現在までに1900歳をこえています。このような世代の生命は短いものではなく,したがってきわめて緊急な限られた時間に限定されるものではありません。しかしイエスの言われた「時代」または世代はきわめて限られた期間すなわち時代を画する特定の出来事が起きる時期に生きる世代の一生をしるしづけるものです。詩篇 90篇10節によれば人の一生は70年あるいは80年とされています。
29 緊急な「この時代」のうちに何が起きますか。
29 「そんなことがことごとく成就するような場合には,どんな前兆がありますか」と問われてイエスが預言された出来事は,比較的に短いこの時期にことごとく起きなければなりません。(マルコ 13:4)すべての国に福音がまず宣べ伝えられることは「前兆」の一部であるゆえに,それは,「この時代」つまり世代のうちに成し遂げられる特別な伝道でなければなりません。ゆえにそれは緊急なわざであり,それが「まず」行なわれねばならない一つの理由もそこにあります。
30 (イ)マルコの福音書 13章10節に述べられた御国の伝道は,いつ始められるはずですか。(ロ)それはイエスと使徒たちが伝道したのと同じ御国に関するものですか。
30 マルコの福音書 13章4節において求められた「前兆」の一部である以上,「福音」をすべての国にまず宣べ伝えるこの特定のわざは,異邦人の時が1914年の初秋に終わってから行なわれねばなりません。このわざはその年に「産みの苦しみの初め」が臨んでから,行なわれるのです。苦難に見舞われた人々は福音を切実に必要としていました。それはイエスと使徒たちが西暦1世紀に伝道したと同じ神の国に関する福音です。この御国はいままでのどの時にもまして1914年以来のいま必要です。神の国は永遠の平和,安全,幸福,人類の世の救いをもたらす唯一の国だからです。しかし19世紀前にイエスとその弟子たちが宣べ伝えた「福音」とくらべると,現在では福音の宣明に多くのものがつけ加えられています。今日の福音はより豊かなものになっています。どうしてそうですか。
31 マルコの福音書 13章10節に預言された「福音」はなぜより豊かなものですか。
31 この時代に見られた預言の成就のすべてを考えてごらんなさい。1914年に先だつ何十年のあいだ,「ものみの塔」誌およびものみ塔聖書冊子協会と関係のある聖書研究生は,メシヤによる神の国が1914年に権力を全く行使しはじめることを期待していました。なぜですか。聖書にしるされた時の定めによれば,異邦人の時すなわち「諸国民の定められた時」がその年の秋に終わることになっていたからです。異邦人の時が始まった紀元前607年の秋,ダビデの王家に受け継がれ,生来のユダヤ人つまりイスラエル人を治めた小規模な神の国がくつがえされました。それで異邦人の時が終わる2520年後の1914年には,正反対のことが起きます。すなわちダビデ王の位を永遠に継ぐ者の治める,神のメシヤの国が復興ないし再建されるのです。
32 ダビデの王統の永遠の相続者とはだれですか。その者は今日どのようにして永遠の相続者ですか。
32 ダビデの王統に属するこの永遠の相続者とはだれですか。霊感によるクリスチャン聖書(ギリシャ語で書かれた)27巻は,イエス・キリストこそダビデ王の永遠の相続者であることを明言しています。(マタイ 1:1-16。ローマ 1:1-3。黙示 5:5; 22:16)19世紀前イエスは死につながれた人類のあがないとして完全な肉のからだを犠牲にされましたが,全能の神の手により天の栄光を持つ不滅の霊者として死からよみがえらされ,天に呼びもどされた時にもダビデ王の王権を保持されていました。(詩 110:1,2。使行 2:34-36)イエスはいま見えない霊者であられ,栄光につつまれたイエスを人間が直接に見ることはできません。―テモテ第一 6:14-16。
33 彼はどこから治めますか。どんな段階を経ますか。
33 ゆえにイエスは,昔ダビデの王統の王たちがすわった中東の古いエルサレムの物質の王座につくことなく,目に見えないさまで人類を治めます。それら地上の王たちの位は「エホバの位」と呼ばれました。(歴代上 29:23)しかし今イエス・キリストはエホバの右にあってエホバの真の位につき,天のその場所から敵の只中にあって治めていられます。そしてハルマゲドンの戦いが行なわれ,サタンと悪霊が束縛されてのち千年の間治めるでしょう。(ヘブル 1:1-4; 10:12,13。黙示 3:21,7; 5:5)イエスはダビデの王統に属する以前のどの王たちよりも大きな力を持っています。
34 (イ)1914年に中東の旧エルサレムから敵を追い払う必要がなかったのはなぜですか。(ロ)ルカの福音書 21章24節に述べられた踏みにじることがすでに終わったのはなぜですか。
34 このすべてに照らしてみる時,異邦人の時の終わった1914年,イエス・キリストと天使たちがパレスチナのエルサレムからクリスチャンでないトルコ人を追い出し,敵の只中でメシヤなる王として治めるため地上のエルサレムに王位を設立する必要はありません。イエス・キリストは天のシオンの山にある「生ける神の都,天にあるエルサレム」でいま治めていられます。(ヘブル 12:22,23)ダビデの王統の国はもはやくつがえされてはいません。それはもはや異邦人に踏みにじられていません。キリストの国は地上のエルサレムから「天のエルサレム」に移されたからです。(エゼキエル 21:25-27。ルカ 21:24)異邦人の世界強国がこのダビデの国をふたたび踏みにじることはありません。「天のエルサレム」を踏みにじることはできないからです。このことは異邦人の時が終わった1914年以来真実です。天の御国はその年に生まれました。―黙示 12:1-5。
[脚注]
a ものみの塔協会発行(1897年)「ハルマゲドンの戦い」(英文)169,567,568頁。