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新しい祭司職の発足ものみの塔 1966 | 4月15日
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すえられました。それはイザヤ書 28章16節の預言の成就です。19世紀前に地上のシオンはキリストを拒絶しました。しかしキリストはいま霊的なシオンすなわち天のシオンに住み,人類のための生命のパンを十分に用意されています。それはキリストがご自分を犠牲にされたからです。キリストは生命のパンを喜んで与えられます。ヘブル人への手紙 9章28節にパウロが述べているように,「キリストもまた,多くの人の罪を負うために,一度だけご自身をささげられた後,彼を待ち望んでいる人々に,罪を負うためではなしに二度目に現れて,救を与えられるので」す。1918年にキリストは,ご自分とともにならせるために,忠実な会衆を復活させることを始められました。近い将来にキリストとともになることを期待する少数の人々がなお地上にいます。キリストの千年統治のあいだ,従属の祭司たちから成るキリストの会衆は天においてキリストとともに王また祭司となり,キリストの犠牲の益を,地上の忠実な人類に施す栄光ある特権に与るでしょう。ゆえにすべての人が信仰を抱いてそのもとに来なければならないのは,司教や教皇ではなく,天のシオンにいますメルキゼデクのさまに等しい大祭司イエス・キリストです。―黙示 20:6。
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読者からの質問ものみの塔 1966 | 4月15日
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読者からの質問
● イエス・キリストのかたわらで刑柱につけられた悪人は,どんな方法で刑柱につけられましたか。釘づけされたのですか,あるいは縛りつけられたのですか。―英国の一読者より
この悪人たちは刑柱に縛りつけられたようです。ローマ人が行なった,刑柱を用いる処刑法について,大英聖書辞典(第1巻,377頁)は次のように述べています。「運命の場所に連れてこられた時,その犯罪者は衣服をはぎ取られて,裸同然にされたうえ,十字架に縛りつけられるか,あるいは釘づけにされると,十字架は持ち上げられ,立てられたのである」。キリストとこの悪人たちを刑柱につける際に,もしユダヤ人の処刑法が用いられたとすれば,最初に殺されてしまい,それから死体が刑柱に取りつけられたことでしょう。(申命 21:22,23。ヨシュア 10:26)しかし彼らは生きながら,刑柱につけられたのです。(ルカ 23:32-46)それで彼らが刑柱につけられたときには,ローマ人の処刑法が用いられ,釘づけにされるか,縛りつけられたのです。
イエス・キリストの場合には苦しみの杭に釘づけされたことがわかります。死んで復活させられて後,イエスは幾度も化身しましたが,その肉体には釘づけにされた傷あとがありました。たとえば,あるときイエスはトマスを招き,ご自分の両手に釘づけにされた傷のあることを確かめさせています。(ヨハネ 20:19-29)このように聖書は,イエスが苦しみの杭に釘づけされたことを示していますが,イエスのかたわらで処刑されたその悪人たちが刑柱に釘づけにされたか,縛りつけられたかは明示していません。そのために,ものみの塔協会は,たとえば「失楽園から復楽園まで」という本の141頁に,聖書に示されていることおよび,ローマ人が,釘づけにする処刑法と,縛りつける処刑法の両方を用いていた事実を認める絵をかかげているのです。そのさし絵では,イエスは苦しみの杭にだけに釘づけされており,他の悪人たちは縛りつけるという簡単な方法で刑柱にかけられています。
● マルコによる福音書 15章33節に記録されている,イエスが刑柱につけられた時に生じた暗闇は日食によるものですか。―アメリカの一読者より
聖書はこの暗闇に関して簡単に述べています。「昼の十二時になると,全地は暗くなって,三時に及んだ」。(マルコ 15:33)マタイによる福音書 27章45節とルカによる福音書 23章44,45節の記録も根本的にはこれと同様ですが,ルカは「太陽は光を失い」と観察的なことばをつけ加えています。
霊感を受けた福音書の筆者は,この異常な暗闇の起こったことを神のわざとして記録しました。ところがある注釈者たちは,長年の間このできごとを科学的に説明しようと試み,イエスが刑柱に釘づけされた時,偶然に日食が起こったと述べています。しかしイエスが死なれたのは西暦33年の過ぎ越しの日であって,広く認められているようにこの日は満月
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