聖書理解の助け ― 兄弟
「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。
兄弟。一方あるいは両方の親を同じにする関係の男子。同父母兄弟,つまり同じ父と母から生まれた息子たちとして聖書に出て来る例を挙げれば,アダムとエバの息子であるカインとアベル(創世 4:1,2。ヨハネ第一 3:12),イサクとリベカの双子の息子ヤコブとエサウ(創世 25:24-26),ゼベダイとその妻から生まれたヤコブとヨハネなどがいます。(マタイ 4:21; 27:56。士師 8:19と比較)モーセとアロンはミリアムの兄弟でした。(民数 26:59)ラザロはマルタとマリアの兄弟です。(ヨハネ 11:1,19)「兄弟」という語は片親兄弟を指しても用いられています。父親が同じで母親が異なる例としては,四人の異なった母親から生まれたヤコブの12人の息子たちがおり(創世 35:22-26; 37:4; 42:3,4,13),父親は異なるが同じ母親から生まれた子供たちとしては,イエスとその兄弟たち,そしておそらくダビデとその姉妹たちの場合があります。―マタイ 13:55。歴代上 2:13-16。サムエル後 17:25。
しかし,「兄弟」という語は直接の肉親関係についてだけ用いられているわけではありません。アブラハムとラバンはそれぞれ自分のおいに当たるロトやヤコブを兄弟と呼んでいます。(創世 11:27; 13:8; 14:14,16; 29:10,12,15。レビ 10:4と比較)イスラエルの同部族内の人々は互いを兄弟とみなし(サムエル後 19:12,13。民数 8:26),さらに大きくは,イスラエルの全国民が互いを兄弟とみなしていました。共通の父ヤコブの子孫であり,同一の神エホバに対する崇拝の点で結ばれていたからです。(出エジプト 2:11。申命 15:12。マタイ 5:47。使徒 3:17,22; 7:23。ローマ 9:3)エドム人さえ,アブラハムの子孫としてイスラエルの遠縁にあったために兄弟たちと呼ばれています。(民数 20:14)再結合したユダとイスラエルの両王国は,「兄弟関係」にあるものとして述べられています。―ゼカリヤ 11:14,新。
「兄弟」という語はまた,共通の考えで結ばれ,同様の意向や目的を持つようになった人々についても用いられています。例えば,ティルスのヒラム王はソロモン王を自分の兄弟と呼んでいます。単に地位や立場が同じであったからではなく,神殿のために木材その他の物資を供給する点で相互的な関心を抱くようになったためでもあるでしょう。(列王上 9:13; 5:1-12)「見よ,何と良く,何と心地よいのだろう,兄弟たちが一致のうちに共に住むのは!」 ダビデはこのように記して,肉親の兄弟間の平和と一致を進めるものが単に血のつながりだけではないことを示唆しています。(詩 133:1,新)事実ダビデは,同じ親から生まれたのではなくても,相互に抱いた愛情と関心のゆえにヨナタンを自分の兄弟と呼びました。(サムエル後 1:26)気質や性質のよく似た仲間どうしは,たとえそれが良くない性質の場合でも,やはり「兄弟」と呼ばれます。―箴 18:9。
族長社会およびモーセの律法下において,肉親の兄弟はある種の特権や責任を引き受けました。父親が死ぬと,一番年上の兄弟つまり長子が家族の相続財産の中から二人分を受け,家族の頭として行動する責任を引き受けました。買い戻し,レビレート婚,血の復しゅうなどに関して,肉親の兄弟は優先的な権利を持ちました。(レビ 25:48,49。申命 25:5)自分の兄弟や姉妹との近親相姦の関係はモーセの律法によって厳重に禁じられていました。―レビ 18:9。申命 27:22。
クリスチャン会衆内の成員どうしは,兄弟の関係に比べられる霊的に共通の関係を持っています。イエスは自分の弟子たちを兄弟と呼びました。(マタイ 25:40; 28:10。ヨハネ 20:17)イエスはこの関係を大いに重視して,「わたしの父のご意志を行なう者……その人がわたしの兄弟,また姉妹,また母なのです」と語りました。(マタイ 12:48-50)したがって,血縁の親族に対する以上の愛がキリストに対して示されるべきであり,キリストのために必要とあれば自分の血縁を後にしなければなりません。(マタイ 10:37; 19:29。ルカ 14:26)実際,兄弟が兄弟を死に渡すこともあります。(マルコ 13:12)「兄弟」という言葉はイエスとじかに接した人たちのわくを越えて,信者たちの会衆全体(マタイ 23:8。ヘブライ 2:17),「イエスについての証しの業を持つ」「仲間の兄弟全体」をも包含するようになりました。(ペテロ第一 2:17; 5:9。啓示 19:10)そのような霊的兄弟の交わりのうちに「兄弟愛」が最高度に発揮されます。―ローマ 12:10。ヘブライ 13:1。
ペテロはペンテコステの際,遠くの土地から来た,改宗者をも含む人々すべてに,「兄弟たち」と呼びかけました。(使徒 2:8-10,29,37)男子のクリスチャン信者が「兄弟」,女子の信者が「姉妹」と呼び分けられている場合もありますが(コリント第一 7:14,15),一般的には両性のまじったグループに対しても「兄弟たち」という呼びかけが行なわれており,特に男子たちだけに限られていたわけではありません。(使徒 1:15。ローマ 1:13。テサロニケ第一 1:4)この語は上記の意味で,霊感によるクリスチャンの手紙のうち三つ(テトス,ヨハネ第二,ユダ)を除く残りのすべての中で用いられ,他の初期クリスチャンの書き記した物の中でも同様に使用されています。使徒たちは諸会衆に忍び込む「偽兄弟」について警告しました。―コリント第二 11:26。ガラテア 2:4。
イエスの兄弟たち
四福音書,使徒たちの活動,そしてパウロの手紙二つは,「主の兄弟たち」,「主の兄弟」,「彼の兄弟たち」,「彼の姉妹たち」に言及し,その「兄弟たち」のうち四人,つまりヤコブ,ヨセフ,シモン,ユダの名を挙げています。(マタイ 12:46; 13:55。マルコ 3:31。ルカ 8:19。ヨハネ 2:12。使徒 1:14。コリント第一 9:5。ガラテア 1:19)大多数の聖書学者は種々の重複証拠から,イエスには少なくとも四人の兄弟と二人の姉妹がおり,そのすべてはイエスの奇跡による誕生の後にヨセフとマリアから自然の方法で生まれたという考えを受け入れています。
これらイエスの兄弟たちは以前の結婚によってヨセフが得た子らであるとか,義姉妹とのレビレート婚によるものであるとかいう専断的な考えは虚構に類するものであり,聖書の中にそれを裏付ける事実はなく,それを示唆する記述さえありません。そこで使われている「兄弟」(「アデルフォス」)という語が「いとこ」(「アネプシオス」)をも意味するという主張は,ヒエロニムスの創案とされる仮説にすぎず,西暦383年以前にさかのぼることのできないものです。ヒエロニムスは自分の新説を支持できる伝承をさえ挙げていないだけでなく,後の著作の中では自らの見解に対する動揺を示しており,この「いとこ説」に対する疑念をさえ表明しています。ライトフットはこう述べています。「聖ヒエロニムスは自説に対する伝承上の権威を何も主張していない。ゆえに,それを支持する証拠はただ聖書にのみ求められることになる。わたしは聖書中の証拠を調べたが,……種々の困難が重なって……その説のために提出されるこれらの二次的論議を全く圧倒してしまい,それを退けざるを得ない」―「ガラテア人への聖パウロの書簡」,1874年,258ページ。
ギリシャ語聖書の記述の中でおいやいとこが関係する部分に「アデルフォス」の語は用いられていません。むしろその関係は,「パウロの姉妹の息子」とか,「バルナバのいとこ[アネプシオス]マルコ」という形で説明されています。(使徒 23:16。コロサイ 4:10)ギリシャ語「スンゲナイ」(いとこも含む「親族たち」)と「アデルフォイ」(「兄弟たち」)とが同時に出て来る句もあり,これらの語がギリシャ語聖書の中で散漫にあるいは見境なく用いられていたのではないことを示しています。―ルカ 21:16。
イエスの宣教中のことについて,「実のところ,その兄弟たちは彼に信仰を働かせていなかった」と記されていますが,これが霊的な意味でのイエスの兄弟たちでなかったことは明らかでしょう。(ヨハネ 7:3-5)イエスはこれら肉親の兄弟たちと自分の弟子たち,つまりイエスを信じて霊的な兄弟となった人々とを対比させています。(マタイ 12:46-50。マルコ 3:31-35。ルカ 8:19-21)イエスの肉親の兄弟たちが信仰に欠けていたというこの記述は,それをヤコブ,シモン,ユダなど同名の使徒と同定し得ないことを示しています。それら肉親の兄弟たちはイエスの弟子たちとはっきり区別して扱われています。―ヨハネ 2:12。
これらイエスの肉親の兄弟たちとイエスの母マリアとの関係も,それらの人たちがマリアの子であり,さらに遠い関係の親族などではなかったことを示しています。それらの人たちは普通マリアと共に述べられています。イエスがマリアの「初子」であったという主旨の記述(ルカ 2:7),またヨセフが「彼女が子を産むまでは,彼女と交わりを持たなかった」という言葉も,ヨセフとマリアにほかの子供たちがいたという見方を支持しています。(マタイ 1:25)ナザレの隣人たちもイエスを見て,「ヤコブ,ヨセフ,ユダ,シモンの兄弟」であるとし,「彼の姉妹たちもわたしたちといっしょにここにいるではないか」と言い添えています。―マルコ 6:3。
これらの句に照らしてみるとき,次の点が問われます。どうしてイエスはその死のすぐ前に自分の母マリアの世話を自分の肉親の兄弟たちではなく使徒のヨハネに託さねばならなかったのでしょうか。(ヨハネ 19:26,27)明らかにそれは,イエスのいとこでもあった使徒ヨハネが信仰を実証した人であり,イエスが特に深く愛した弟子であったためでしょう。この霊的な関係が肉的な関係を上回ったものと思われます。その時までにイエスの肉親の兄弟たちが弟子になっていたことを示すものは何もありません。その点も銘記してください。
イエスが苦しみの杭の上で死んだ後,その肉親の兄弟たちは疑う態度を変えました。イエスの昇天の後,その母と使徒たちが祈りのために集まった時,それらの人々も共にいたからです。(使徒 1:14)これは,ペンテコステの日,聖霊が注がれた際にもその場に共にいたことを示唆しています。エルサレムにあった統治体の年長者たちの中で際だった人物であったヤコブ,そして使徒ではないながらヤコブの名を付せられた手紙を記した人はイエスの兄弟であったと信じられています。(使徒 12:17; 15:13; 21:18。ガラテア 1:19。ヤコブ 1:1)ユダの名を付せられた書を記したのも,使徒のユダではなく,イエスの兄弟ユダであったと信じられています。(ユダ 1,17)パウロは,イエスの兄弟たちのうち少なくとも幾人かは結婚していたことを示しています。―コリント第一 9:5。