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  • 山上の垂訓 ―「邪悪な者に手向かってはなりません」
    ものみの塔 1978 | 9月15日
    • おもに非ユダヤ人を対象として書かれたルカの福音書の記述は,イエスの言葉をさらに一般的なものとして表現しています。「あなたの一方のほほを打つ者には,他方をも差し出しなさい」。(ルカ 6:29前半)これは,単に侮辱的な平手打ちだけでなく,暴力的に加えられる殴打にも適用されます。いずれの場合でも,イエスの諭しは『他のほほをも向ける』ということでした。イエスは,ご自分の追随者たちが,仕返しをすることなく,喜んで個人的な侮辱に耐えるよう望まれました。そのようにしてイエスの追随者たちはイエス自身に倣うことができました。そのイエスについて使徒ペテロは次のように書いています。「彼は,ののしられても,ののしり返したりしませんでした。苦しみを受けても,脅かしたりせず,むしろ,義にそって裁くかたに終始ご自分をゆだねました」― ペテロ第一 2:23。イザヤ 50:6と比較してください。

  • 山上の垂訓 ―「邪悪な者に手向かってはなりません」
    ものみの塔 1978 | 9月15日
    • イエスの言葉に関するルカの記述は,法廷での処置以外の事柄にも適用されます。「あなたの外衣を取ってゆく者に対しては,下着をさえ与えることを控えてはなりません」。(ルカ 6:29後半)ルカは,道路で追いはぎに遭って外衣を奪われた人のことを思い浮かべていたのかもしれません。イエスの弟子たちは,高価とされていた衣服を取られないよう戦うのではなく,要求されていた事柄以上のことを行ない,「下着をさえ」手放す方がよかったのです。そうすれば,彼らは危険な罪人に遭った場合に命を守ることができ,また他の有益な結果を得ることができたかもしれません。―箴 15:1。マタイ 5:16。

      しかし,神のみ子は,人々がどんな場合でも訴訟に関与してはならないとか,邪悪な人々により貧困状態に追いやられるままになっているべきだとかいうことを意味されたのではありません。イエスがそのような意味で言われたのでないことを,使徒パウロはよく理解していました。パウロは,「良いたよりを擁護して法的に確立」しようとしてローマの役人の前に出たからです。(フィリピ 1:7。使徒 25:8-12と比較してください。)クリスチャンは,自分に正当に属する物を要求するため,世の人々や権威者に対して訴訟を起こすことができます。しかしそのような場合に,クリスチャンは好戦的にではなく,むしろ穏やかに振る舞うでしょう。しかし日常生活においては,クリスチャンは従順な気質を培わねばなりません。―ローマ 12:17-19。

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