なぜバプテスマを受けねばならないか
1 人間はどんな本能的な慾望を持つていますか。どのようにして,それは実際に充されますか。
人間の心には造り主なる神を崇拝したいという欲求があります。その特質の故に,人間は下等動物よりもずつと勝れているのです。この欲求は本能的なもので生まれながらに備つているものであつて,すべての人類はこの欲求を持つています。地上の原始人種も高度に進歩した人々も ― 人間社会内のいわゆる『神を信ぜぬ』人々も ― 勝れたもの,もしくは崇拝者よりも高い名誉あるものと秘かに考える或る対象を崇拝したい,という生まれながらの欲求を或る程度持つているのです。最初の人間夫婦にこの崇拝の欲望を入れられたのはヱホバ神でした。それは,自分たちの創造者であり恩恵者を,彼らが崇拝し得るためだつたのです。それは,彼らの善を図つて為されたのであり,彼らを正しく導くためでした。しかし,間もなくして反逆者サタンは最初の人間夫婦の崇拝を創造主から引離すのに成功しました。そして,その時以来,大多数の人類は,多くの偽りの宗教を行い,崇拝の欲望を充そうと努めました。それで,正直な心を持つ人が真理を学ぶとき,その人は偽りの宗教をよろこんで捨ててしまい,『ヱホバという名を持ち給う』最高の神の汚れなき清い崇拝に戻ります。―詩 83:18。
2 真理によつて自由に解放される人々の採る最初の三つの段階とは何ですか。
2 いまキリスト・イエスは囚われ人を解放つ大きな仕事を指示しています。その結果,毎年何万人という人々,毎週平均して1000人以上の人々が偽りの宗教という囚われの家から自由に解放されているのです。偽りの宗教からどのように解放されることができますか。各人は先ず『ヱホバに向』かねばなりません。なぜなら,『ヱホバの霊のあるところに自由がある』からです。それから,神と神の尊い約束に信仰を置かねばなりません。なぜなら,『信仰がなくては,神に喜ばれることはできない。』同時に,新しくヱホバとその道を学び始めたみなさんは,聖書を研究し続けることが必要です。なぜなら,聖書の中に人間に関するヱホバの啓示された目的と,生命を欲する人間に対するヱホバの御要求が書かれているからです。みなさんは,そのことを認めねばなりません。―ガラテヤ 5:1。コリント後 3:16,17。ヘブル 3:12; 11:6,新世。
3 終には献身にみちびく知識と理解に関して,人は更にどんな進歩を為しますか。
3 聖書の研究が進んで行くにつれ,ヱホバの正義の組織制度に関する基礎的な教理を学ぶだけでなく,神の言葉の深い事柄についての理解も進みます。ずつと以前のむかし,ヱホバの大敵サタン悪魔のひき起した大論争を強く悟り始めます。また,間近かに迫つているハルマゲドンの戦でヱホバが御自分の御言葉と御名を全く立証される必要ということも悟ります。研究することによつて,私たちはどの時にいるかが分ります。私たちは亡びをうけるこの古いサタンの組織制度の『終の日』にいるのです。しかし,この組織が全く終る以前に,ヱホバの勝利の御国の良いたよりは,先ず証として全国民に伝道されます。このすべての事は時間を要します。なぜなら,或る期間のあいだ聖書の教理や律法,聖書の歴史や予言を統一した方法で熱心に研究した後になつて,これらの大きな真理を理解し,また悟ることができるからです。実際に,神の言葉を研究する人は,訓練をうける人であり,この研究をすることにより他の人に奉仕する資格を備えるようになります。時経つ中にあなたの心の中にはこの伝道の業に参加したい,という燃えるような欲望が生じるでしよう。しかし,この業は,金で傭うこの世の人々で為されているのでありません。神の任命した奉仕者 ― ヱホバの御霊の与えられている人々だけが,この業に参加しているのです。みなさんが学んで知るごとく,キリスト・イエスを通してヱホバに全く心からの献身を為す者だけにヱホバは御霊を与えられます。それで,最近あなたはヱホバへの厳粛な献身を為しました,または近々に為そうとします。なぜなら,ヱホバへの献身は,神の要求だからです。
4 バプテスマと献身に関して,時々どんな質問が生じますか。
4 この献身を為すにあたつては,自分の持つすべてのもの,すべての心,魂,そして力をかたむけて今後はヱホバ神に奉仕する,ということを心の中に決意しなければなりません。この献身を為すことによつてのみ,あなたはキリスト・イエスを通してヱホバから生命を頂くことができる,と悟ります。あなたは献身の重大さを認識し始めます。ヱホバは,誓を立ててから,その誓を破る者をよろこばれません。あなたは,このすべての事の重要さと重大なることを理解し,かつ十分に悟らねばなりません。しかし,心と思いの中に生ける神に厳粛な献身を為した後でも,なぜ水によるバプテスマを受けねばならないのですか。水のバブテスマは必要ですか,それは神の要求し給うものですか。それは全く水に没する公やけのバプテスマでなければなりませんか。
5 (イ)『バプテスマ』の基礎の意味は何ですか。(ロ)証人たちの前で,バプテスマが施されることは,なぜ必要ですか。
5 英語の『バプテスマ』という言葉は,ギリシャ語のバプティスマという動詞から来ました。それは『浸す,水に漬ける,没する』という意味です。これに,ふりかける,というような考えはすこしもありません。それで,水によるバプテスマを受けるために,人は水の中に没入し,頭の先から足先まで全く水の中に沈まねばなりません。バプテスマは隠れた人知れぬところで行われる秘密の儀式ではないのです。聖書によれば,バプテスマは,結婚式と同じように,公開でなされる公式の儀式です。そして,人が心の中ですでに決意した事柄を合法的に確証するため,証人の前で公やけに発表する,または証言するものです。(コリント後 13:1。マタイ 18:16。申命 19:15)ヱホバに無条件の献身をなすとき,その人はこの古い悪魔の世に対して外国人になります。それで,献身は新しい世の市民権を得るようなものです。そして,バプテスマという公式の儀式は,証人たちの前で,実際にこの事実を確証する誓であります。―ヘブル 11:13。ペテロ前 2:11。
6 バプテスマのヨハネは,どの民に,どの時,そしてどの目的の為に来ましたか。
6 バプテスマは,神の始め給うたものです。19世紀前,『バプテスマのヨハネ(キリストの先駆者)が荒野に現れて,(西暦29年の春)罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。』(マルコ 1:4。使行 13:24,新口)イスラエルの国民は,シナイ山で設立された律法契約の下にいました。しかし,彼らを,メシヤに導く目的のために与えられたその契約に対して,彼らは罪を犯したのです。(ガラテヤ 3:24)いまやメシヤの現われる時でした。それで,契約を破つていたユダヤ人が悔改めて,ヱホバに戻ることは必要でした。それでヨハネの音信は,悔改めを要求し,「ヱホバに戻ること」を要求したのです。そして,証者たちの前でこのことを公やけに証言するものとして,ヨハネはヱホバに悔改めている者たちにバブテスマを施しました。(ルカ 1:16,17)そのわけで,ヨハネのバプテスマは,特定の民のため,特定の時に,特定な目的の為に行われたのです。
7,8 (イ)ヨハネは,イエスにバプテスマを施すのになぜ異議を唱えましたか。(ロ)水のバプテスマは,イエスの献身を象徴するのに,どのようにふさわしいものでしたか。
7 予定の時になつて,イエスは同じヨルダン河のところに来り,バプテスマを施してもらいたい,とヨハネに願いました。しかし,イエスは律法契約を破つた罪人ではなかつたのです。全くのところ,イエスは『悪も汚れもなく,罪人とは区別され』また,律法を成就した方で,破つた方ではありません。(ヘブル 7:26。マタイ 5:17,新口)ヨハネはこの事実を認めました。それでこの聖なる人にバプテスマを施さないように努めました。しかし,イエスはヨハネに次のような答えの言葉を告げられています,『今は受けさせてもらいたい。このように,すべての正しいことを成就するのは,我々にふさわしいことである。』30歳になつたイエスは,今後永遠にわたつてヱホバの御意を為すため,すべてのものを捧げて献身しようとしました。そして,この象徴として,バプテスマを受けるのは,極めて『ふさわしい』ことであり,『正しい』ことである,とイエスは知つておられたのです。―マタイ 3:13-15,新口。
御旨にかなう象徴
8 それでは,イエスの献身を象徴するのに水のバプテスマはどのようにふさわしいものでしたか。バプテスマを施す人の手に,何の反抗もなしに自ら進んで自分自身を全く委ねたことは,イエスが何ものをも差置かずに自分自身を捧げられたことを示しました。ヨハネによつて水の中に仰向けに沈められ,全く水中に没したことは,イエスが地上生活における以前の生活に関して,死んで,そして葬られた,ということを良く表わし示しました。もしイエスが水中からひき上げられなかつたなら,彼はそこで死んだことでしよう。それで,水からひき上げられたことは,今後はヱホバの御意を為すために生き返らされたことを示しました。それで,あらゆる面や詳細な事柄から見て,水のバプテスマは各個人の献身を示すのに『ふさわしくて』『正しい』象徴です。
9 バプテスマに関連して,イエスはどんないましめを与えましたか。そのいましめは,どの程度まで遂行されましたか。
9 イエス自身バプテスマを受けられただけでなく,昇天する直前に与えられた特定のいましめからも見ても,イエスは水のバプテスマを是認していることを示しました。イエスの御跡に従う忠実な弟子たちに対し,彼はこう言われました,『私は天においても地においても,いつさいの権威を授けられた。それ故に,あなたがたは行つて,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によつて彼らにバプテスマを施し,あなた方に命じておいたいつさいのことを守るように教えよ。見よ,私は世の終りまで,いつもあなたがたと共にいるのである。』(マタイ 28:18-20,新口)それから幾日か後の五旬節<ペンテコスト>の時,ペテロの「心を刺した」献身の話を聞いて約3000人のユダヤ人は,「心から彼の言葉を受け入れ,バプテスマを受けた。」それから,約3年半の後,割礼を受けていなかつた非ユダヤ人(もしくは『異邦人』)の最初の人,イタリヤの軍隊指揮官コルネリオは,『親族や親しい友人』そして『大ぜいの人』とともどもに,神への全き献身を象徴するために,水によるバプテスマを受けました。さて,私たちは今『世の終り』に住んでいます。そして,キリスト・イエスは,御約束の言葉通り,すべての国民の多くの人を弟子にしたり,バプテスマを施したりするこの業を導いているのです。―使行 10:22,24,27,47,48,新口。
10 真実のクリスチャンにとつて,水のバプテスマは何を意味しますか。
10 それでは,今日の真のクリスチャンの場合に,バプテスマの意味は何ですか。それはイエスの場合と同じ意味です。キリストは私たちがしつかりと従う模範を残されました。(ペテロ前 2:21)『誰でも私に従いたいならば,自分を捨て,日々刑柱を負つて私に従つてきなさい。』実際,『私について来るものでなければ,私の弟子となることはできない。』(ルカ 9:23; 14:27,新世)自分を捨てるとは,自分自身を断念し,神の奴隷として神に自らを捧げ,そして神の御意を為すことです。イエスは,最後にいたるまでそういたしました。また,最後の晩にはオリブ山で繰返し次のように語られたのです,『私の思いのままにではなく,みこころのままになさつて下さい。』『私の思いではなく,みこころのままになさつて下さい。』『私の思いではなく,みこころが成るようにして下さい。』(マタイ 26:39,42。マルコ 14:26。ルカ 22:42,新口)イエスの受けたバプテスマは,律法契約に対する罪の悔改めを象徴するものではありませんでした。同じように,私たちの受けるバプテスマも律法契約に対する罪の悔改めを象徴するものではありません。イエスのバプテスマは,アダムからの罪を許すものでありません。同様に私たちのバプテスマもアダムからの罪を許すものでないのです。イエスと五旬節以来の弟子たちの受けた水によるバプテスマは,献身の象徴です。そして,バプテスマを受ける者は,どのような犠牲を払おうともヱホバの御意を行うためにヱホバにすべてを捧げたということを他の者に証示する確証のしるしなのです。
11 『父の名によつて』バプテスマを受けるとは,何を示しますか。
11 『父と子と聖霊との名によつて』バプテスマを受けねばならない,と言われたキリストは,何を意味しましたか。第一に,父の『名』は,神御自身の与え給うた御名,すなわちヱホバと訳されているヘブル語四子音文字以上のことを意味するものです。『父の名』は,ヱホバの持たれている親なる地位,正しい主権,無類の権威を指しています。ヱホバは宇宙の主権者,天と地の創造主,全能最高の生命の源です。全宇宙に直面している大論争,すなわちハルマゲドンの時に必らず解決する大論争は,光と真理のこの永遠の父の職務と権威に関する事柄なのです。『父の名によつて』バプテスマを受けるとは,大いなる神権者ヱホバの持つ無比の地位,力,そして権威を深く悟つて,認める,ということを示します。
12 『子の……名によつて』バプテスマを受けるとは,何を意味しますか。
12 第二番目に,子の名によつてバプテスマを受けることは,ヱホバの愛子キリスト・イエスがヱホバによつて復活されて以来いま持つている高い権威と職務を深く悟ることです。その忠実な子については,聖書にこう書かれています,『その名は奇妙,また議士,また大能の神,永遠の父,平和の君ととなえられん。』(イザヤ 9:6)それで,いまヱホバを信ずるあなたにとつて,この聖なる子は,あなたの救い主,贖い主であるだけでなく,また神より油注がれた新しい世の王メルキゼデクの状に従う大祭司,そしてヱホバの宇宙的な主権と御名の正しい立証者です。
13 神の聖霊は,どんな機能を為しますか。それで,聖霊の名によつてバプテスマを受けることは,何を示しますか。
13 第三番目に,神の聖霊のなす職務と機能をも正しく認めます。聖霊は異教の三位一体の神の第三位ではありません。聖霊は,ヱホバ神の活動力であつて,ヱホバ神は望む人々にこの聖霊を与えられ,彼らが一致してヱホバ神の御意と目的を果し得るようにされます。聖霊は,昔の予言者たちを霊感して,神の聖なる言葉を書かしめた力でした。聖霊は,霊の導きを受けていた,頭なる主が復活して昇天してより後,初期のクリスチャンたちを導いた力でした。(ルカ 4:18-21。使行 2:16-18。ペテロ後 1:21)聖霊は,今日地上に存在している神の神権制度を導いている神の同じ活動力です。聖霊は,献身した神の奉仕者すべてを支持し,また絶えず活発にならしめています。故に,聖霊の名によつてバプテスマを受けることは,次のことを証示します,すなわちバプテスマを受ける者は,神のこの見えざる活動力を認めると共に,自分を活発ならしめるその働きによろこんでしたがい,そして生ける神の御意に従つて常に聖霊により導かれ,制御されることを欲します。
二度目のバプテスマ
14 以前にバプテスマを受けた者でも,ヱホバに献身を為した後は再びバプテスマを受けるべきですか。
14 以前に他の宗教団体の行う儀式でバプテスマを受けた人は,真理の正確な知識を得てヱホバに献身をなすとき,果して二度バプテスマを受けるべきか,という質問を多くいたします。前に述べられている事柄から見るとき,その質問に対する答は当然に『然り』であります。人は再びバプテスマを受けねばなりません。そのような宗教儀式によるバプテスマは,決して『父と子と聖霊の名によつて』なされたのではありません。もし,そのようなバプテスマを受けたのであるなら,真実の高い権力の権威と職務を十分に悟つたにちがいないでしよう。また,以前にヱホバに献身したのであるなら,神を汚すそのようなバビロンの制度から離れて,バプテスマを施させるようなことをしなかつたでしよう。それで,バプテスマを受けるという行が重要なものでなく,むしろその行の象徴するものが重要なのです。
15 エペソにいた人々は,なぜ再びバプテスマを受けることが必要でしたか。
15 この事態の生じた例が聖書に記録されています。エペソで一人のユダヤ人は,約12人に話をして音信に興味を感ぜしめ,バプテスマを施しました。しかし,このユダヤ人はヨハネのバプテスマだけを知つていたため,そのことだけを彼らに伝道したのです。後日,使徒パウロがこの都市を訪問してそれらの人々と会いました。みなさんは聖霊を頂きましたか,とパウロが尋ねたところ,人々は,パウロの言つていることが分らない,と告白しました。それで,パウロは『では,だれの名によつてバプテスマを受けたのか。』と聞きました。彼らは『ヨハネの名によるバプテスマを受けました』と答えたのです。そこでパウロはこの点について正しく解明し,ヨハネのバプテスマは律法契約に対して罪を犯したユダヤ人のためのものであり,またその契約は成就して,ヱホバによりキリストの刑柱に釘づけされたために,そのバプテスマはもはや有効でない,と説明しました。聖書の記録は,次のようです,『人々はこれを聞いて,(今一度,しかしこの度は)主イエスの名によるバプテスマを受けた。』そのとき,人々は神の聖なる活動力を多く頂いたのです。―使行 18:24,25; 19:1-7。マタイ 5:17。ロマ 10:4。コロサイ 2:13,14,新口。
16 真のクリスチャンにとつて,バプテスマはなぜそのように重大な事柄ですか。
16 このように研究してきたことから判断して分る通り,真のクリスチャンの受ける水のバプテスマは,人間の制度に加わるための簡単で些細な儀式ではありません。バプテスマは生命と結びついている極めて重大な行です。なぜなら,バプテスマは全能の神の前に誓を為すことを含んでいるからです。伝道之書 5章4-6節は次のように述べています,『汝神に誓願をかけなば,これを還すことを怠るなかれ。神は愚かなる者を悦び給わざるなり。汝はそのかけし誓願を還すべし。……それは過誤なりと言うべからず。』自分の言葉と同意を守らない人々は,『死に価する』とパウロは語つています。(ロマ 1:31,32。新口。民数紀略 30:2-4)それで,受洗希望者に話をする奉仕者が,バブテスマを受けたいと望む人々に,起立して特定の質問に答えるように,とお願いするのは正しいことです。しかし,その奉仕者は質問をする前に,受洗希望者に起立するだけの時間を与え,それから次のような言葉を言うことができます。
バプテスマを受けたいと望む人々へ
17 どんな権威に基いて,ヱホバの証者はすべての国の人々を弟子となし,またバプテスマを施していますか。
17 復活したイエス・キリストが地上にいるとき,『私は天においても地においてもいつさいの権威を授けられた。』と云われたのは天に行くすこし前のことでした。また,御自分の弟子たちには,次のような極めて特定の言葉を述べられたのです,『それ故に,あなたがたは行つて,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によつて,彼らにバプテスマを施し,あなたがたに命じておいたいつさいのことを守るように教えよ。見よ,私は世の終りまで,いつもあなたがたと共にいるのである。』(マタイ 28:18-20,新口)このいましめを受けているヱホバの証者は,世界中に出かけて行き,あらゆる種類の人々を弟子にしています。
18 バプテスマを受けたいと希望する人々は,なぜ『父と子と聖霊の名によつて』バプテスマを受けたい,と欲しますか。
18 バプテスマを受けたいと希望しているあなたは,キリストの弟子になり,故に父を知るに至りました。あなたは,父の御名を負われたため,各人はヱホバの証者であります。故に,あなたは父の御名によつてバプテスマを受けたい,と欲しています。イエスの語られた言葉によると,イエスの弟子たちは子の名によつてバプテスマを受けねばなりません。あなたがたはクリスチャンである故に,あなたは彼の名を負つています。クリスチャンであるあなたは,イエスの守られた高い原則に従い,イエスの御跡を熱心に歩まねばなりません。なぜなら,イエスはいつも父の御意を行い,父のために証をしたからです。聖霊の名によつてあなたがバプテスマを受けることは,あなたが次のことを認める時だけに有効になるものです。すなわち,聖霊とはヱホバの活動力であつて,ヱホバを愛する者とヱホバのいましめをよろこんで行う人々に働くということです。ヨハネ伝 14章15-17節(新口)で,イエスは使徒たちにこう語つています,『もしあなた方が私を愛するならば,私のいましめを守るべきである。私は父にお願いしよう。そうすれば,父は別に助け主を送つて,いつまでもあなた方と共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。』イエスはまた,ヱホバの御言葉が真理である,と教えられました。それで,ヱホバの真理の言葉を絶えず研究するなら,あたはヱホバの御意を理解するでしよう。(ヨハネ 17:17)あなたは,キリスト・イエスが昔に為した素晴らしい業や,また現在行つている素晴らしい業を知るにいたり,そして,ヱホバの霊の力を認めるでしよう。
19-22 (イ)バプテスマを受けたいと欲している人々に,どんな二つの質問を尋ねるべきですか。(ロ)これらの質問に『はい』と答え得るなら,人はバプテスマを受けるのに躊躇したり,遅れるべきですか。
19 それで,いま私の尋ねる二つの質問に答えることにより,あなたの信仰を公やけに言表わしなさい。そして,他の人にも聞えるように答えて下さい。そうするならば,あなたのまわりにいる人々は,厳粛に述べられるあなたの言葉について証人になることができます。
20 (1)ヱホバ神の御前にあつて,あなたは自分が救を必要とする罪人であると認め,そしてこの救は御父である,ヱホバ神から御子イエス・キリストを通して来る,ということを認めましたか。
21 (2)神にこの信仰を持つことと,救に対する神の御準備にこの信仰を持つことにもとづいて,あなたは神に全く献身し,今後はイエス・キリストを通し,また聖霊による解明の下に聖書を通して啓示される神の御意を行いますか。
22 これらの質問に『はい』と答えたあなた方は,みなためらうことなく,また遅れずに,バプテスマを受けねばなりません。あなたは,自分の行についての十分の知識と理解を持つています。そして,水によるバプテスマを受けてからは,あなたは神の御意を果さねばなりません。それは神に対するあなたの責任です。
23 バプテスマを受けた後,人はつねに何を記憶すべきですか。
23 ヱホバの勝利の御国と,その栄光に輝く王キリスト・イエスをつねに念頭に置きなさい。私たちの指導者および指揮官であるキリスト・イエスは道を照されました。詩篇 40篇8節に述べられているごとく,ヱホバに対してキリストの持つた心と同じ心を持ちなさい,『わが神よ,我は聖意にしたがうことを楽しむ。なんじの法は我が心のうちにあり。』たしかにヱホバの法である神の書かれた朽ちざる言葉,聖書を忘れてはなりません。聖書を注意深く研究しない。聖書の導きと指示に従つて歩きなさい。聖書はあなたの道を照らす光です。ヱホバの御霊を忘れてはなりません。ヱバの御霊は,悪魔の霊よりもずつと強い故に,ヱホバの御霊によつてすべての活動をいたしなさい。ヱホバの制度を忘れてはなりません! つねに,制度につき従いなさい。なぜなら,ヱホバの制度はあなたの母親のごとく,あなたに滋養物を与え,あなたを養い,いましめ,そして保護するからです。
24,25 献身してバプテスマを受けたクリスチャンは,どんな行をするときに心の平和や満足とともに,最大の幸福を得ますか。
24 あなたは,水のバプテスマを受けたこの日を記憶したい,と欲します。それで,将来の参考用に永久の記録をつくりなさい。神より任命され,使命をうけたことに関係を持つこの日は,あなた方各人の生涯中でたしかに大いなる日であり,幸福な時であります。なぜなら,あなたは以前の偽りの宗教を捨てて,真の証者と共にヱホバを永遠に崇拝する,ということを今日多くの証者たちの前で言明されているからです。そして,創造者の清い崇拝と奉仕を行うことにより創造者の恵みの御手よりあなたは素晴らしいものを沢山頂きました。このすべての事により,あなたは極めて幸福になりました。しかし,受けることよりも与える方がずつと幸いである故に,これらの良いものを自分だけが持つて楽しんではなりません。それで,偽りの多くの宗教を行つているこの世の他の人々にも,ヱホバの側に立ち,あなたと共にヱホバ讃美を歌うように熱心にすすめなさい。そのような良い行に従うとき,ハルマゲドンにおける全能の神の大いなる日の戦以前でもあなたの心は,よろこび,平和,そして満足で充たされます。さらに,来るべき将来では,溢れるばかりのよろこびと,測り知れぬ程の幸福を得るでしよう,それはみな,生ける神ヱホバの御言葉と御名にほまれ,栄え,讃美,そして立証をもたらすものです。その時,奉仕者は次のように言うでしよう。『私たちはみな頭を下げてヱホバに祈りを捧げましよう。』
25 これらの考えを頭に入れ,そして神のことを心に思いながら,受洗希望者はいまやバプテスマの場所に行き,水の浸礼を受けるべきです。かく献身してバプテスマを受けた各人は,今後永久にわたつてヱホバの御国を伝道し,神の書かれた言葉に従つて生活しなければなりません。なぜなら,ヱホバの証者の一員であることを証明し続けねばならぬからです。