『あなたの宝のある所には心もある』
『あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持つていても,人の生命は,持物にはよらないのである』― ルカ 12:15,新口。
1 いま,心の清いことと,正しい行はなぜ必要ですか。
あなたの心は,何処にありますか。それは,あなたの造り主なるヱホバに向つていますか。それとも,その心はあなたをして,神を否定する堕落した世の行をなさせますか。『ヱホバは心をみるなり』ということを,つねに心に留めなければなりません。(サムエル前 16:7)宇宙の最高の神は,疑いなくあなたの動機を見ることができます。神は,あなたの探し求める宝が何であるかを知つています。ダビデ王は,ソロモンに次の言葉を述べました,『汝の父の神を知り,完全心をもて喜び勇んでこれに事えよ。ヱホバはすべての心を探り,すべての思を暁りたもうなり。汝もし之を求めなば,これに会わん。されど,なんじもし之を棄てなば永く汝を棄てたまわん。』(歴代志略上 28:9)心が神に向つている人は,誰でも神を見出すことができます。しかし,神に背を向ける人は,神の助けを受けません。何人も,自分の行を隠すことができません。なぜなら,『人の道はヱホバの目の前にあり。』― シンゲン 5:21。
2-4 (イ)パウロは,彼の心が何処にあるかを,どのように表わし示しましたか。(ロ)パウロの述べたどんな堕落した状態を,私たちは避けることができますか。そして,なぜ?
2 パウロはこのことを深く悟りました。最初,彼は,神の棄て給うた当時のモーセの律法制度に従い,パリサイ人として,ヱホバ神に奉仕しようと努めたのです。そして,新興の宗教である『この道』の『男女』,すなわちキリストの弟子たちを迫害するのは,ユダヤ人としての自分の義務である,と考えていました。(使行 9:1,2,新口)しかし,真理が強烈に示されたとき,パウロは転向して,時代遅れとなつた古い宗教的な実践を棄て,そして『キリスト・イエスの僕……召されて使徒』となりました。(ロマ 1:1,2,新口)当時に存在していた古い組織制度から,パウロは『神の福音のために選び別たれ』ました。彼の心は,もはやユダヤ教の偽善的な古い組織制度に無かつたのです。彼は,復活を受けたキリスト・イエスのことを学びました。そして,彼は永遠の生命の希望についての熱心な奉仕者になつたのです。パウロは『日ごとに彼の救の良いたよりを宣べ伝え』たため,パレスチナ,小アジア,ギリシア,ローマのいたるところで知られるようになりました。(詩 96:2,新世)多くの旅行をしたパウロは,人類の生活状態をつぶさに観察することができました。腐敗しきつていた世の諸所方方を訪問したパウロは,『福音を恥としない。それは……すべて信じる者に,救を得させる神の力である。』彼はユダヤ人にもギリシア人にも伝道しました,つまりヱホバ神を信ずる者にも信じない者にも伝道したのです。この良いたよりの音信によつて,神の正義は表わし示されました。パウロは,熱心な研究によつて神の御言葉を学んだのです。彼は『義しき者はその信仰によりて活べし』,ということを知りました。―ロマ 1:16,17,新口。ハバクク 2:4。
3 真のクリスチャンなるパウロは,あらゆる不敬虔と不義に対してなされる神の怒をためらわずに宣べ伝えました。ロマ人に宛てた手紙の中で,彼はそのことを極めて明白に書きました。ロマ書 1章18-32節を読めば,パウロの言わんとしていることが何であるか,容易に理解できます。パウロの論によると,神は御自身をすべての人に表わし示され,そして全能者の目に見えざる特質は,世の創造の時このかたはつきり見えました。世の人々は神を認めても,神を崇めず,また自分の持つすべての良い事柄について神に感謝しません。それどころか,人々の思は空しいものとなり,その知性のない心は暗くなりました。ほとんどすべての人間は,極端に愚かになりました。男も女も,極めて低い堕落した生活に耽けつたのです。パウロの記した言葉から,現代もその時代と違つていないことが,裏づけられます。現在の私たちも,パウロのように『それゆえ,神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。』と言うことができます。人々は,昔も今も『互にその情欲の炎を燃やし』男も女も『卑猥なことを為し』ています。人々には,真理を聞いて正しい行をする機会がありましたが,しかし「この世といつしよに浮かれ遊びをすることができるのに,なぜ神の知識を得るのに時間を費すのか」と言つて,神の正確な知識を取ることに賛成しなかつたのです。不義,悪,そして貪欲が,パウロの時代の世に充ちました。人々は互に傷つけ合い,ねたみ,争,欺瞞,そして殺人が充ちていました。これらの事柄は広く行われており,すべての人は,無礼傲慢で神を憎んでいました。子供たちは,両親に従わなかつたのです。自然の情は,人々のあいだに知られていませんでした。みな憐みを持たぬ人々でした。パウロは,当時の状態をはつきり書き記して後に,次の言葉をつけ加えています,『彼らは,こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら,自らそれを行うばかりではなく,それを行う者どもを是認さえしている。』― ロマ 1:32,新口。
4 パウロの強い言葉は,今日も昔と同じく適用することができます。キリスト教国にいる人でも,または異教の神々の崇拝の行われているところの人でも,すべての人類に向つて,私たちはパウロと共に,いま次の言葉を言うことができます,『だから,ああ,すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは,他人をさばくことによつて,自分自身を罪に定めている。さばくあなたも同じことを行つているからである。私たちは,神のさばきが,このような事を行う者どもの上に正しく下ることを,知つている。ああ,このような事を行う者どもをさばきながら,しかも自ら同じことを行う人よ。あなたは,神のさばきをのがれ得る,と思うのか。』(ロマ 2:1-3,新口)別の言葉で言えば,『人の道はヱホバの目の前にあり。』それで,あなたの心は何処にありますか ― この堕落と共にありますか。それとも,この堕落に逆つていますか。
5,6 何時そしてなぜ神の正義の裁きは表われ示されますか。そして,地上のどんな人々に対して表わし示されますか。
5 現在の悪しき世の指導的な為政者たちは,どの国の国民にも,事柄の処理の仕方や政府行政の仕方,また平和に生活する仕方を告げています。しかし,実状はどうですか。支配者たちは心配し,国民は堕落し,諸国家は悩んでいます。今日,すべての国家(キリスト教であると言う或る国々の主張にかかわりなく)は,神とその御国に対して心を固くしました。彼らは,その御国を欲しません。(マタイ 6:10; 24:9)彼らは,神ヱホバと,御座に即いたヱホバの王,キリスト・イエスによつて支配されることに反対します。(詩 2:1-3。ダニエル 2:44; 12:1。使行 4:24-30。マタイ 24:9,15。黙示 11:15)それですから,次のパウロの言葉を今日の諸国家に当てはめてごらんなさい,『あなたのかたくなな,悔改めのない心のゆえに,あなたは,神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを,自分の身に積んでいるのである。神は,おのおのに,そのわざにしたがつて報いられる。すなわち,一方では,耐え忍んで善を行つて,光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に,永遠の生命が与えられ,他方では,党派心をいだき,真理に従わないで不義に従う人に,怒りと激しい憤りとが加えられる。悪を行うすべての人には,ユダヤ人をはじめギリシア人にも,患難と苦悩とが与えられ,善を行うすべての人には,ユダヤ人をはじめギリシア人にも,光栄とほまれと平安とが与えられる。なぜなら,神には,かたより見ることがないからである。』― ロマ 2:5-11,新口。
6 あなたが,特定な国の民であり,また特定な宗教の一員であるという事だけでは,神の烈しい憤りから身を守ることができません。あなたの心は,何処にありますか。あなたの宝は何処にありますか。あなたは正義を愛しますか。あなたは生きたいですか。もし,そうなら,アブラハム,モーセ,ダビデ,エレミヤ,イエス・キリスト,パウロ,他の初期のクリスチャンたち,そして今日の真のクリスチャンたちの唯一つ真の神を知りなさい。それから,神を恐れるこれらのすべての人々と共に『全き心をもて喜び勇んでこれ(ヱホバ)に事え』なさい。聖書に『神はおのおのに,そのわざにしたがつて報いられる。』と書いてあることを忘れてはなりません。
悪い考え方
7 キリスト教国の指導的な国家の今日の状態は,(イ)宗教家によつて,(ロ)法律施行者によつて,どのように鑑定されていますか。
7 現在の大多数の人々の考えは,混乱の状態です。強い宗教心を持つたり,友人に聖書のことを話すのは,人気のないものです。キリスト教国の宗教と言えば,日曜日だけの宗教であつて,しかも日曜日の1時間だけ人々はオルガン音楽を聞いたり,幾らかの歌を歌つたり,合唱隊の歌を楽しむだけです。そして,給料で雇われる牧師が,説教壇からする20分ぐらいの話を聞きます。牧師は,聖書からの話をする場合もあれば,他の本からの話もなし,また政治についても話すことがあります。なにかの宗教をしている大多数の人々にとつて,精精その程度までが,1週間の宗教的な考えなのです。神の言葉である聖書を定期的に読んで研究し,そして恥ずかしい気持を感ぜずに他の人々に語れる人は,ごく僅かです。全くのところ,ほとんどいない位です。神の言葉によつて導かれる,ということについて言えば,聖書についてはほとんど考慮が払われていません。アメリカ合衆国では,1億16万2529名が何らかの宗教に属している,ということが最近に報告されました。(1956年9月10日,ニューヨーク・タイムス紙,1頁と25頁)すると,アメリカにいる約6800万人は,どの宗教制度にも加わつていないことになります。その報告を引用してみましよう。
『会議(アメリカ合衆国キリスト教会国家会議)により,258の宗教団体からの統計が集められた。会員数合計は1億16万2529名,すなわち人口の60,9パーセントであると報告された。宗教団体は,異つた条件で会員についてその定義を下している。ローマ・カトリック教会は,幼児をも含めて受洗者全員を数える。新教徒教会<プロテスタント>は,たいていの場合,十分に会員資格を持つ者だけを数える。大部分は,13歳かそれ以上の年齢である。……教会員は,2.8パーセント増加した。』
しかし,アメリカ合衆国内における青少年犯罪や一般犯罪については,どうですか。それらも増加しました。毎日のニュース報告によると,道徳の標準は極めて低いのです。ニューヨーク・タイムス紙(1956年9月27日,37頁)を引用してみましよう。
『今日(9月26日),連邦検察局は,現在のままで行くと今年のアメリカには,250万件の大口の犯罪がなされる,と予告した。それは歴史上の最高数であろう。
『手元にある記録から判断すると,1956年は大口の犯罪が200万件以上行われた連続第5番目の年になろう,と連邦検察局長ジェー・エドガー・フーバーは語つた。
『今年最初の6ヵ月に行われた大口の犯罪は,14.4パーセントの増加をした,とフーバーは公表した。それは,1946年の前半期以来に記録されたものの中で最大のものだ。
『連邦検察局の定義する大口の犯罪とは,殺人,不注意に起因する人殺し,強姦,盗み,悪しき襲撃,強盗,窃取,そして自動車泥棒だ。本年の前半期には,それらの部に入る犯罪が119万1120件もあつた。これは16万2770件の増加であつた……』
キリスト教国の宗教は,アメリカを助けているだろうか,と尋ねざるを得ません。それは世界を助けていますか。
8,9 (イ)キリスト教国内の悪い考え方の結ぶいくらかの実は何ですか。(ロ)聖書的に見て,正しい考え方の実は何ですか。
8 成人も青少年も,霊的な導きをほとんど受けていないか,全く受けていないのです。それですから,彼らが正義の考え方をするなどと,どうして望めることができますか。指導的な国家の一つであるアメリカをも含めて,キリスト教国はみな世界の状態に責任を負わねばなりません。その結んでいる実は,彼らがキリスト教のものでない,と証明しています。偽りの宗教制度は,この世の事柄に全く没頭し,この世の戦争に祈を捧げ,諸国家間に憎しみを注ぎこみ,そして自分の群の人を散らしています。そして,その羊飼や群の羊にたいする生活の模範を示しました。今日のその道徳の状態は,まつたくパウロの時代と同じようです。生活における物質的な事柄は,キリスト教国にいる人々の考え方や毎日の行に大きく入りこんでいます。霊的な思いは,追い出されてしまつています。神の御国を求める人々は,本当にごく僅かしかいません。(マタイ 6:33)幾百万人という人々は,子供の頃に,キリスト・イエスが弟子たちに祈るようにと教えた祈り,『御国の来らんことを。御こころの天のごとく,地にも行われんことを。』を祈るよう教えられて来ました。(マタイ 6:9-13)さて,この祈りをした人々の中で,いつたいどれだけの数の人々は,その生涯中に一度かそれ以上神の御国を実際に求めたであろうか,と自問してごらんなさい。初期のクリスチャンたちは,その祈りをして,それを信じ,それを実際に行い,そしてそれを伝道しました。「日ごとに彼らはヱホバの救の良いたよりを宣べ伝えた。」しかし,キリスト教国内にいる人々で,今日そのことをしている人々は幾人ですか。今日の考え方は悪いのです!『虫も食わず,さびもつかず,また,盗人らが押し入つて盗み出すこともない』霊的なものにたいしては,人々の心は全く向つていないのです。(マタイ 6:20,新口)そのわけで,パウロはキリストの忠実な弟子たちに次の手紙を書き送つたのです,『最後に,兄弟たちよ。私たちは主イエスにあつてあなた方に願いかつすすめる。あなた方が,どのように歩いて神を喜ばすべきかを私たちから学んだように,また,いま歩いているとおりに,ますます歩き続けなさい。私たちがどういう教えを,主イエスによつて与えたか,あなた方はよく知つている。神のみこころは,あなたがたが清くなることである。すなわち,淫行を慎み,各自,気をつけて自分のからだを清く尊く保ち,神を知らない諸国民のように情欲をほしいままにせず,また,このことで兄弟を踏みつけたり,だましたりしてはならない。前にもあなたがたに告げて十分に証したように,ヱホバはこれらすべてのことについて罰を課せられるからである。神が私たちを召されたのは,汚れたことをするためではなく,清くなるためである。こういうわけであるから,これらの警告を拒む者は,人を拒むのではなく,聖霊をあなた方に賜わる神を拒むのである。』― テサロニケ前 4:1-8,新世。
9 この世の影響は,クリスチャンの道を歩んでいる者にも及ぶ,とパウロは知つていました。それで,彼は健全な諭しを絶えず彼らに与えたのです。また,神の御国を求めていた初期のクリスチャンたちは,正しく歩んでいた,とパウロは知つていましたから,「あなた方は正しい道を歩んでいる」と語つたのです。しかし,ますます一層そうするように,とパウロは彼らにすすめました。彼らはすこし弛んでいました。それは,遂には他の者にも同じことをさせるようになり,そしてこの世の物質の富は霊的な富よりもずつと心をひきつけるものになるであろう,とパウロは知つていたのです。パウロは,イエスの教えた通り,クリスチャンの心のあるところには,その宝がある,と知つていました。もし,クリスチャンが天に宝を貯えようと試みないなら,虫やさびがついて腐つてしまう地上に宝を貯え始めるでしよう。キリスト教国を見ると,それは霊的なものがすこしもないこの世的な制度であることが分ります。ヱホバをよろこばしたいと欲する人は,キリスト教国から出て良い食物を探し求める,すなわちヱホバからの生命の言葉を探し求め,そして神に向わなければなりません。その人は,「完全心をもてヱホバに事え」なければなりません。キリスト教国とその牧者たちは,人々を失望せしめました。キリスト教国の国民や他の国民,および人々は,みな神とその御国を棄てました。ヱホバの恵みと祝福を得る唯一つの道はこうです,『汝もし之を求めなば,これに会わん。されど,なんじもし之を棄てなば,永く汝を棄てたまわん。』(歴代志略上 28:9)探し求めなさい,そうすれば見出すことができるでしよう!
10 神に奉仕することを選ぶと,どういうことになりますか。そして,なぜ?
10 神に奉仕して,生涯をヱホバに真実に献身し,そして神の良いたよりを伝道する正義の奉仕のみに専念して自分自身を潔めたいと欲する人は,その道が難しいことを知るでしよう。その人は,現代文明の大流に逆つて進んでいるのです。そして,多くの患難に面するでしよう。しかし,それは価値のあることです。なぜなら,あなたは正しい側,つまりヱホバの側にいるからです。私たちの時代について,イエスは次のように明白に語りました,『そのとき人々は,あなたがたを苦しみにあわせ,また殺すであろう。また,あなたがたは,私の名のゆえに,すべての民に憎まれるであろう。そのとき,多くの人がつまずき,また互に裏切り,憎み合うであろう。また多くのにせ予言者が起つて,多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので,多くの人の愛が冷えるであろう。しかし,最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして,この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そして,それから最後が来るのである。』― マタイ 24:9-14,新口。
真の富
11,12 真の富は,どのように得ることができますか。
11 今日,ヱホバの奉仕に献身している幾十万人という人々は,キリスト教国や地の四隅から来ました。それらの人々は,ヱホバの御意を為したい,と表明しました。そして,天に宝を積みたいと欲しているため,神の言葉を研究してきました。また,今でもその研究を続けています。真のクリスチャンは,ヱホバ神のいましめに従うとき,豊かな祝福を経験します。真の富,永続する富,を欲する人は,創造主と密接な関係を持つことが必要である,と悟らねばなりません。シンゲン 10章22節(ア標)には,『ヱホバの祝福は人を富ます。ヱホバは悲しみを加えざるなり。』と書かれています。世界の状態を知つている人で,この世界に悲しみはない,などと言う人はひとりもいないでしよう。この世界は,悲しみで充ちています。世界は,霊的な知識に富んでいません。しかし,この世に属さず,かつ霊的な資格に富んでいる真のクリスチャンたちは,全世界の方々に散在しているのです。これらの者たちは,ヱホバの過分の御親切を頂きました。そして,ヱホバの御子キリスト・イエスを認めて御子の足跡に従つて歩み,かつ悪魔の制度の終の日になさねばならぬイエスの業をしようと決意しています。
12 そのようなキリスト・イエスの忠実な弟子たちは,次のように言うことができます,『私たちすべての者は,その充ち充ちているものの中から受けて,めぐみにめぐみを加えられた。律法はモーセをとおして与えられ,めぐみとまこととは,イエス・キリストをとおしてきたのである。』― ヨハネ 1:16,17,新口。
13 なぜ神の書かれた御言葉は,永遠の富を得るのに肝要なものですか。
13 聖書によると,ヱホバがモーセに与えた律法は,特定の国民をキリスト・イエスに導く守役の役目を果しました。(ガラテヤ 3:23-25。マタイ 5:17)神の御子なるキリスト・イエスは,来られました。私たちは,そのことを十分に認識しています。御子は,人類の中の従順な人々を贖うために,御自分の生命を棄てられました。かくして,人々はキリストの如き人,すなわちキリストの弟子,クリスチャンになることができるようになりました。(ヘブル 5:9。ペテロ前 2:21。ヨハネ第一書 2:2)これはみな,神の過分の御親切と,キリスト・イエスを通してクリスチャンたちに啓示された真理によつてなしとげられたのです。聖書の中に書かれているこの真理は,今では地上にある殆どすべての言語で読むことができるのです。今日,聖書を入手したいと思う人は,誰でも入手して読むか,或は読んでもらうことができます。聖書は,今までに出版された本の中で最大の発行数を持つているものです。ヱホバの証者は,全力をつくして世界中における聖書の配布を図り,また神の書かれた御言葉を理解するよう人々を援助しています。
14,15 (イ)聖書的に定義すると,偽の富とは何ですか。(ロ)偽の富を探し求める人々は,現代においてどんな経験をしていますか。
14 ヱホバの証者は,神の過分の御親切を深く認識しています。それは,証者の生活に著るしい影響をもたらしているからです。キリスト・イエスの忠実な弟子である彼らは,神の過分の御親切を味わいました。しかし,悪魔の目的は彼らを一人のこらず神から引き離し,自分の群の中に連れ戻そうと図ることです。ヱホバは愛の原則にもとづいて働かれますが,悪魔は利己主義の理論にもとづいて働きます。そして,悪魔は,自分の全世界の制度を利己主義の理論に従つて働かせているのです。利己主義は,貪欲を産み出します。それで,聖書には貪欲を警める多くの警告が述べられているのです。イエスはこう言われました,『あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持つていても,人の生命は,持ち物にはよらないのである。』(ルカ 12:15,新口。出エジプト 20:17)生命は,御子キリスト・イエスを通して与えられる神からの贈物です。それは,ヱホバ神が是非とも私たちに与えねばならぬ,というものではありません。神の望まれていることは,すべての人間が平和と繁栄の中に生活し,また自分を愛するように隣人を愛する生活をなすことなのです。ところが,今日の人間はそのような気持を持つていません。人は神と神の道を知らず,またヱホバの敵である悪魔とこの古い世の事柄に仕えるのを欲するため,人は利己主義に傾いています。今日の利己的な組織制度は,若い者も年老いた者にも,「富もう」という考えをいつも心に起させています。大多数の人々は,生命は富に依存するのだ,と真面目に考えています。それで,たとえ良い名前や,評判や,健康や,友人を無くそうと,富を得るためには,あらゆる努力をいたします。クリスチャン全部の益のために,パウロは次の言葉を書きました,『富むことを願い求める者は,誘惑と,わなとに陥り,また人を亡びと破壊とに沈ませる,無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。金銭を愛することは,すべての悪の根である。ある人々は欲ばつて金銭を求めたため,信仰から迷い出て,多くの苦痛をもつて自分自身を刺しとおした。』― テモテ前 6:9,10,新口。
15 まつたく,クリスチャンとして生活した人々でさえも,この古い世の道に後戻りして,いろいろの悪をします。しかし,それらの人々は,第一に自分自身を害しているのです。彼らはキリスト・イエスの基礎的な教えから迷い出ました。そして,自分で気づく前に,自分自身を刺し通し,苦痛で一杯です。それらの人人の日々は悲しみに充ちます。ヱホバ神を愛して信頼する者に,ヱホバ神はよろこびと幸福を与えます。しかし,それらの人々に,そのようなよろこびや幸福はありません。イエスの時代と同じく,今日でも或る人々は夜も昼も働いて,自分の蔵に宝を貯えています。それらの人々は,自分の集めた富から安全や生命が来る,と考えています。富める人の言葉を読んでみましよう,『彼は言つた「……魂よ,おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ,食え,飲め,楽しめ」すると,神が彼に言われた「愚かな者よ,あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら,あなたが用意した物は,だれのものになるのか。」』『自分のために宝を積んで神に対して富まない者は,これと同じである。』(ルカ 12:18-21,新口)人は,地的の富をすぐに失つてしまいます。見てごらんなさい,欧州の幾百万人という人々は,貯金や,家庭や,農場や仕事を失つたではありませんか。それも,或る利己的な独裁者たちが軍隊を用いてそれらのものを絶滅したからなのです。私たちの時代に起きた二つの世界大戦や,それ以前のすべての戦争は,人間の心を神から引き離そうとする悪魔の企みに手助けするものでした。多くの人々は,折角集めた自分の富が無くなつたために,神を悪しざまに非難しています。しかし,もしそのような人々が神の言葉に富んでいたならば,泥棒が盗んでしまつたり,虫が食い,さびがつくような地的な宝を貯えることの無益さを,前もつて知つていたことでしよう。危急の時になると,霊的の富は人を支える力を有し,人の考えを正しいものに保ちます。独裁者たちは,来ては去つて行きました。今日でも,なお幾人かの独裁者がいます。彼らは,独裁者が支配する為に世界はつくられたのであり,全国民は独裁者の足下に踏みつけられねばならぬ,と感じているのです。大独裁者と小独裁者がいます。国家を支配するようなものであろうと,小さな業務を運営するものであろうと,その両方とも利己的なものです。独裁者の心は,自分の事と,自分の集め得る富のことだけを考えています。そして,生命は持ちものによらない,ということを悟れないのです。人は,この古い世のものを皆持つことができるかもしれません。しかし,そのようなものはその人に永遠の生命を与えません。
神からの贈物
16 なぜ人間は,神によつて生命が与えられますか。
16 生命は,神からの贈物である,と神の言葉は明白に述べています。(ロマ 6:23。黙示 2:10)ヱホバの過分の御親切により,生命は造られたものに来ます。ヱホバが独り子を地に遣わされたのも,その御親切によるのです。人間は死に定められ,ヱホバの御子が現われる以前の4000年間ずつと死んできました。死んだ者は,みな墓にいて,ひとりとして天や,「永遠苦悩」の「地獄」に行つた者はいませんでした。なぜなら,『死ぬる者は何事をも知らず。』(伝道之書 9:5,10)ひとりの人によつて罪は世に入り,死は罪によつて入りました。それで死はすべての人に及びました。(ロマ 5:12)その処罰の下にいる人は,一人残らず死にました。しかし,今やヱホバの過分の御親切により,人は生命の機会を持つています。生命は,神によつて与えられるもので,自分の持つ持ち物にはよりません。聖書にこう書かれています,『御子に信仰を働かす者は,永遠の生命を持つ。御子に従わない者は,生命を見ないばかりか,神の烈しい怒りはその者の上にとどまる。』(ヨハネ 3:36,新世)それで,真の神の御言葉に信仰と従順を保つことが,神の要求せられている事柄です。その信仰は,大きくなつてあなたの生活全部に充ちるもの,またその信仰は,御言葉を研究することによりヱホバの御言葉への理解が更に大きくなるものでなければなりません。そして,その信仰は,あなたをして霊と真をもつて神に仕えさせるものでなければなりません。(ヨハネ 4:23。ガラテヤ 6:8,9)パウロは,ヱホバが以前に告げられた言葉を引用して,次のように書きました,『わが義人は,信仰によつて生きる。もしひるむならば,私の魂は彼を喜ばない。』(ヘブル 10:38。ハバクク 2:4)クリスチャンたちは,ひるむ者でありません。しかし,もしひるむなら,この組織制度といつしよに亡んでしまうでしよう。
17,18 聖書の中で,知識と生命は,どのようなつながりが,ありますか。
17 神の御言葉を研究して,聖書を調べ,そして神の与え給うた予言が絶えず成就するのを観察するとき,信仰は強いものになります。『信仰とは,望んでいる事がらを確信し,まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは,この信仰のゆえに,賞讃された。』(ヘブル 11:1,2,新口)神を信じて,神とその隣人を愛する者は,寿命を長くするでしよう。なぜなら,愛はすべての貪欲を取りのぞくからです,『貪欲を憎む者は,寿長かからん。』(シンゲン 28:16,ア標)その人の正しい考え方,正確な知識の正しい使用は,生命をもたらします,『唯一のまことの神であるあなたと,あなたのつかわし給うたイエス・キリストの知識を得ること,これは永遠の生命を意味する。』― ヨハネ 17:3,新世。
18 永遠の生命を得ることは,私たちの知識に依存します。すなわち宇宙の主権支配者なるヱホバ神とその御子キリスト・イエスの知識を絶えず取り入れることに依存しています。しかし,この世の神であるサタンは,生命は持ち物や物質から来るのであつて,ヱホバの目的の正しい知識や理解によつて来るのでない,といつも私たちに考えこませようとしています。(コリント後 4:3,4)そもそも,神が愛であられて,そしてその愛を過分の御親切によつて示されたからこそ,生命は存在しているのです。この生命を私たちに与える義務は,神にありません。生命は,『完全心をもて(彼に)事える』すべての人にあたえられる神の贈物です。
19,20 生命を得るためのどんな必要条件は,イエスによつて述べられましたか。
19 或る人々は,自分の持つ物質の繁栄は,みな神の祝福を受けたからだ,と考えています。しかし,パウロの述べたごとく,『金銭を愛することは,すべての悪の根である。』金銭があれば物を得ることができるという理由から金銭を第一に重んずるなら,つまり神の言葉以上に,また永遠の生命に導く神の御言葉の与えるもの以上に,金践を重んずるなら,あなたは本道から外れています。あなたは,もはや神の御国の事柄を第一に求めていません。イエスは,種子播き人についての御自分の譬話を説明して,次のように語りました,『この譬はこういう意味である。種は神の言葉である。……いばらの中に落ちたのは,聞いてから日を過ごすうちに,生活の心づかいや富や快楽にふさがれて,実の熟するまでにならない人たちのことである。』(ルカ 8:11-15,新口)幾百万人,幾千万人という人々が神の言葉を聞きました。そして,神の御言葉に非常な興味を感じました。しかし,それはごく短い期間だけのあいだなのです。というのは,神のこの言葉を研究している中に,生活の心づかいや富や快楽に心を奪われてしまうからです。それで,これらの人々は,まつたくふさがれてしまいました。それらの人々の心づかいのために,真理の香ぐわしい息は,その人々のところに達しません。真理の種子は,それらの人々の生活からすつかり追い出されました。彼らは,真理を聞く十分の機会を持つていましたが,この世の事柄でもつて心を奪われてしまつたのです。彼らはその事を欲しました。それは彼ら自身が選んだのです。
20 このことは,いま真理を持つている人々にも起り得ることです。もし生命線が切られるなら,それらの人々も息の根をふさがれてしまいます。神の言葉を食しつづけることを止めるなら,私たちは餓死してしまいます。それで,御自分を,神の言葉であるこの種子の落ちる正しい種類の地にすることができますかという質問が生じます。それは可能なことです。なぜなら,イエスは次のように言われたからです,『良い地に落ちたのは,御言葉を聞いたのち,これを正しい良い心でしつかりと守り,耐え忍んで実を結ぶにいたる人たちのことである。』(ルカ 8:15,新口)たしかに,正しい良い心がなければなりません。生活をする際の私たちの動機は,御国の事柄を拡大することであつて利己的な収益を殖やすことであつてはならないのです。私たちは証のため全世界に御国のこの良いたよりを伝道せよ,というキリスト・イエスのいましめに従いつつ,正義に関心を持たねばなりません。それは,気晴らしとか時間つぶしのような種類のもので僅かな時 ― 1年か2年というようなものでありません。実を結ぶためには,私たちはたえずそのことをなし続け,その実を熟さねばならないのです。それは忍耐を意味します。
21 なぜ,忍耐はいま必要ですか。
21 クリスチャンとしてこの忍耐をせねばならぬ,ということの為に,多くの人々は苦しみを受けます。それは,耐えることのできないという苦しみでなく,古い世からの苦しみなのです。ヱホバの目的を学んだ多数の人々は,こう考えます。つまり神の言葉と,また祈り求めて来た新しい世のことが理解できたいま,新しい世は直ちに設立されるべきだ,という考えです。真理を聞いた当座か,または1年かそれくらい後では,それらの人々は正義の新しい世の祝福を全部欲します。これは一種の貪欲です。彼らは,ヱホバ神がその新しい世を設立される時まで,神に待ち望むことを欲しないのです。その生活の仕方から,彼らは神の時などを待つ価値はなさそうだ,ということを示します。それらの人々には,進んで競走に入り,永遠の生命という祝福を頂く為に終まで耐え忍ぶ,という気持はないのです。これとは反対に,あらゆる種類の苦しみによろこんで耐え忍ぼうとする人々がいます。たとえば,収容所,労働天幕に入れられているか,又はシベリヤに流刑されているロシヤのヱホバの証者たちのような人々です。それらの証者は,転向しません。彼らは,ヱホバ神から頂く霊的な祝福を棄てて,その代りに共産主義やこの世のものを求めることをしません。それらの証者は,この世の物質を持つても生命は得られない,ということを知つています。彼らは忠実をしつかり守ります。ヱホバ神に真実と忠節を保ち,また忠実を守る故に,彼らは苦しみを受けます。ポーランド,チェッコスロバキア,ロマニア,ハンガリー,その他地上の多くの場所にいるヱホバの証者にも同様なことが言えます。これらの証者たちは,クリスチャンの信仰を破る目的のために加えられた最大な苦しみや圧迫にもしつかりと耐え忍んだのです。彼らは,自分の持ち物をすつかり奪われました。夫は妻から離されました。家族は,ちりぢりに引き離されました。サタンは,彼らの信仰,彼らの忠実を破りたいのです。生命は自分の持ち物によつて来る,と,サタンは彼らに思いこませたいのです。しかし,『鉄のカーテン』の背後の国々にいるヱホバの証者も,また世界の他の場所にいるヱホバの証者も,次のことを十分に悟つています。すなわち,生命は神の過分の御親切と神の設け給う御準備によつて来る,ということです。この御準備によつて,彼らは神の知識を取りつづけ,また設立された神の御国の良いたよりを伝道しつづけることができるのです。
22,23 (イ)人が「自分の生命を失う」ことを選ぶとは,何を意味しますか。(ロ)神を恐れる人は,どのように自分を傷つけるのを避け,そして満足を保つことができますか。
22 幾世紀か昔のカトリック異教徒審問所よりも,もつとつらい試練をうけているこれらの忠実なクリスチャンたちは,この古い世の楽しみや慰安を持つ目的で,自分の生命を救うということには興味を抱いていません。彼らは,イエスの次の言葉を読みました,『自分の生命を救おうと思う者は,それを失い,私のために自分の生命を失う者は,それを見いだすであろう。たとい人が全世界をもうけても,自分の生命を損したら,なにの得になろうか。また,人はどんな代価を払つて,その生命を買いもどすことができようか。』(マタイ 16:25,26,新口)この世の或る人々は,自分の生命のことよりも,一杯の食のことや,その食を得ることを大切に考えています。エサウの場合がそうでした。エサウは『一杯の食のために長子の権利を売つた。』(ヘブル 12:16,新口。創世 25:34)イエスは,次のように語りました,『人が全世界をもうけても,自分自身を失い,又は損したら,何の得になろうか。』― ルカ 9:25,新口。
23 主の祈りを捧げるとき,私たちの願うことは,日ごとの糧のみです。それだけで,地上の大多数の人々は,満足を覚えることができるでしよう。しかし,それとともに敬虔を持つている人の満足をも考えてごらんなさい!『信心があつて足ることを知るのは,大きな利得である。私たちは,何ひとつ持たないでこの世にきた。また何ひとつ持たないでこの世を去つて行く。ただ衣食があれば,それで足れりとすべきである。』(テモテ前 6:6-8,新口)今日のキリスト教国の人々は,神の言葉を愛しておらず,またそのいましめに従つて生活しようとは欲しません。彼らは,自分自身の利己的な道に歩むことを選び,自らを傷つけています。ヱホバの証者の一人であつても,この世の事柄や,自分の仕事や,持ち物や,また持ち物を集めることにすつかり没頭してしまうと,その証者は遂には新しい世の社会から外れ出て,ハルマゲドンの亡びに定められている悪しき制度に入ります。なぜ? 自分自身の仕方で,生命を救おうと努めたからです。
24 霊的な必要物を認識しつづけることは,どんな正しい行を含みますか。
24 ヱホバの過分の御親切を見失うと,人は程無くして神の民と交わることを止めます。集会を1回休めば,おそらく多くの金銭を稼いで,抵当を分割払いしたり,新しい家具を買つたり,又は自動車の支払いをすることができるでしよう。しかし,集会で知識を取り入れてヱホバの証者と交わることと,ほんの僅かな金を余計に稼ぐことと,どちらが価値のあるものですか。金を余計に稼げば,更に疲れてしまい,残業をした後ではヱホバの奉仕をすることはできなくなつてしまうではありませんか。人は昼も夜も,ぶつ通しで働く必要がありますか。またその全家族は,昼も夜も働く必要がありますか。それらの人々は,集会に出なくなり,神の民と交わるのを止めます。そして,同じ時に子供たちは路上で走り回つているのです。多分,それらの人々は物質的な面では,自分の欲しているものを得ているでしよう。しかし,もしあなたがそのような人のひとりであるなら,ちよつとこう自問して下さい,私は幸福を得ていますか。(マタイ 5:3)私は,自分の得ているものを楽しんでいますか。或は,生命に関してより大きな事柄を失つていますか。私は自分の夫(または妻),自分の家族を失つていますか。もつと重要なことに,私は真理を失つていますか。私は生命そのものを失つていますか。私は神とその愛子を失つていますか。私は新しい世を失つていますか。あなたは,今までのよりも大きなテレビジョン,大きな自動車,大きな家,大きな納屋を持つために,それらのものを失つていますか。真実のキリスト教からまた宇宙の主権支配者の真の崇拝から,そしてその御方に専心の献身を捧げることから,あなたを引き離すようなものが,あなたの生活内にありますか。
25 『近代的な便利品』は,どのように正しく用いることができますか。
25 ヱホバ神は,私たちが家や,食物や,衣服 ― 生活の必需品を必要としていることを,知つておられます。しかし,私たちはそれ以外のものをひとつも必要としない,ということをもヱホバ神は御存知です。アダムがエデンの園で持つていたものを見なさい。それは園でした。大きな邸宅でもなければ,今日の『近代的な便利品』などはありませんでした。しかし,アダムは,もしヱホバ神に忠実であつたならば永遠に生きる機会を持つていたのです。『近代的な便利品』は,人間の負担を,ちよつとの間軽くすることができます。しかし,これらの『近代的な便利品』を正しく用いるなら,私たちはもつと多くの時間をヱホバの奉仕に捧げ,ヱホバの御名を崇め,そして御国の良いたよりを伝道する為の大きな自由を得ることができるはずです。『近代的な便利品』は,時間を節約させるものであつて,時間を消費させるものであつてはなりません。
26,27 キリストの弟子たちは,どんな目的のために,正確な知識を取りつづけますか。
26 あなた方クリスチャンたち,さあ考えてごらんなさい! あなたはヱホバ神に専心の献身を捧げていますか。あなたは,神の過分の御親切について学んだ良い事柄を,隣人や友人や,または今まで一度も会つたことのない人々に話していますか。あなたは神の倉に什一を納めていますか。すなわち,あなたはすべての集会に出席して,集会に参加していますか。あなたは御国会館の経費を援助していますか。あなたは,御自分の業によつて,ヱホバへの献身の生活を本当にしている,と証明していますか。あなたは,全地に散在してヱホバの御国を宣べ伝えている大いなる群衆と交わることにより,ヱホバの証者のひとりである,と証明できますか。あなたは,ヱホバ神の奉仕者である,と言いますか。もし,そうなら,あなたの宣教奉仕についてはどうですか。あなたは,円熟に向つて進歩していますか。あなたは真理の正確な知識を得ていますか。日が経つにつれて,あなたは神の言葉を人々に前よりも良く説明することができますか。あなたは,ヱホバのいましめと権威のある助言によつて,子供たちを育てていますか。あなたは,子供たちに必要な注意を払いますか。あなたは子供たちといつしよに研究しますか。子供たちといつしよに遊びますか。子供たちを集会に連れてきますか。子供たちに霊的なものを備えていますか。子供たちは,両親にたいする愛をもつて,あなたを愛しますか。あなたは,自分の男の子も女の子も,おいおい成長して宣教者になることに興味を持つていますか。そして,多くの幸福な両親のように,あなたは子供たちが外国の地に行つて宣教の奉仕をしていることによろこんでいますか。そして,この終の日に,御国の良いたよりを地の果にまで宣べ伝えてあらゆる種類の人々を弟子とせよ,とイエスの言われた大きな業をさせるために,あなたは子供たちを外国の地に留まらせるよう励ましつづけていますか。
27 クリスチャンは,これらの質問を自問すべきです。クリスチャンは言葉ではなくして行により,神の御前にあつて,これらの質問に正しい答をなし得ねばなりません。―その毎日の生活の際に,心がどこにあるかを証明しなさい。なぜなら,そこには宝があるからです。
28 生ける神の真の崇拝者は,なぜ「日ごとに彼の救の良いたよりを宣べ伝え」ますか。
28 終の日にいる私たちのなすべき事柄は,次のようである,と詩篇を書いた人は述べました。すなわち『日ごとに彼の救の良いたよりを宣べ伝えよ。』(詩 96:2,新世)ヱホバの証者のひとりであるあなたは,そのことをしていますか。ヱホバ神のみが,人間に救をほどこすことができます。ヱホバの奉仕に献身している人として,あなたはヱホバの設けられたこの救の良いたよりを宣べひろめていますか。あなたは,日ごとにそれを行つていますか。あなたは,この良いたよりについてすべての人々に語つていますか。もしそうなら,あなたはたしかに天に宝を貯えており,また自分の心が何処にあるか,あなたはたしかに知つています。それはヱホバの奉仕にあるのです。
29,30 どのように貪欲を避けて,永続する富を得ることができますか。
29 パウロは,正しい道を歩み,そして,すべての人がそのことを知つてもらいたいと欲しました。そのわけで,彼は次の言葉を書いたのです,『私たちの主イエス・キリストの出現まで,その戒めを汚すことがなく,また,それを非難のないように守りなさい。』(テモテ前 6:13,14,新口)また,或る者は多くの苦痛をもつて自分自身を刺し通して傷つけ,信仰から迷い出た,と述べているパウロの言葉をも忘れないで下さい。しかし,このようなことを阻止して,自分自身を傷つけないようにするため,パウロは次のように言いました,『しかし,神の人よ。あなたはこれらの事を避けなさい。そして,義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい。信仰の戦をりつぱに戦いぬいて,永遠の生命を獲得しなさい。あなたは,そのために召され,多くの証人の前で,りつぱなあかしをしたのである。』― テモテ前 6:11,12,新口。
30 真実の生命を獲得したい,と欲する私たちは,本当に「虫が食い,さびがつき,また盗人が入つて盗み出すような地上に宝を貯えるのを止め」たい,と欲します。『むしろ,自分のため,虫もくわず,さびもつかず,また盗人らが押し入つて盗み出すこともない天に宝をたくわえなさい。あなたの宝のあるところには,心もあるからである。』― マタイ 6:19-21,新口。