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霊とはなにかを理解するものみの塔 1963 | 11月15日
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テモテ前書 4章1節において,「霊」という言葉は全く異なった意味に使われています。それは霊感された表現すなわち言葉という意味です。テサロニケ後書 2章2節にあるギリシャ語のpneu'ma<プニユーマ>についても同様であり,聖書のほん訳によっては,これを霊と訳しています。「霊により,あるいは言葉により,あるいはわたしたちから出たという手紙によって……すぐさま心を動かされたり,あわてたりしてはいけない」。(新口)ここで言われている霊は,「霊感された表現」の意で,新世界訳聖書はこの言葉を使っています。
エホバ神がそのみ心を成し遂げるために用いる見えない活動力は,聖霊と呼ばれています。これは創造のわざに用いられた力であって,神の霊が水のおもてをおおっていた」と述べた創世記 1章2節の霊はこの意味です。「神の霊はわたしを造り」と述べたヨブ記 33章4節も同様です。そのわざをしたのは,神の強力な力でした。創造主は神であっても,神の霊が創造のわざをしたと言うのは,電気がエレベーターを上昇させたと言うのと同様です。実際にその働きをするのはモーターであり,電気ではありません。
イエス・キリストは神の霊すなわち活動力によって奇跡を行ないました。「わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら,神の国はすでにあなたがたのところにきたのである」。(マタイ 12:28,新口)サムソンが,ろばのあごの骨で1000人を殺し,また町の門の柱を持ち去るような怪力を発揮したのは,この同じ活動力のためでした。(士師 15:14,15; 16:3)同じ力に導かれて他の人,たとえばバプテスマのヨハネの父は預言しました。(ルカ 1:67)イエス・キリストの128人の弟子が外国語を話し,病気をいやし,死人をよみがえすことができたのも,五旬節の日,聖霊をそそがれたからです。神はこのように聖霊をそそぎ,聖霊でバプテスマを施しました。(使行 2:17)それで「霊」という言葉は,神のみ心を成し遂げるために働く,神の見えない強力な力を指して,しばしば用いられます。
すでに見たように,「霊」という言葉には少なくとも7つの異なった意味があります。それはエホバ神,イエス・キリスト,生き物の持つ生命力,気質,霊感された表現,神の活動力を指して用いられています。これらの意味を念頭において聖書を読むことは,聖書の理解を助けます。神のことばを十分に学んで悟りを得るとき,創造主に奉仕する多くの特権に恵まれ,遂には永遠の生命に至る道が目の前に開けます。―マタイ 7:14。
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ベネゼラでものみの塔 1963 | 11月15日
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ベネゼラで
◇ 幼時から心臓の弱い若いカトリックの婦人が文書を求め,真理に深い興味を持ちました。しかし,主人と両親は彼女の聖書研究を望まず,偶像,信仰治療,霊媒術などによってからだは良くなると考えていました。やがてこの夫婦は他の町に移転しましたが,婦人は隣りの家の奥さんが日曜ごとに伝道カバンを持って外出するのに気付き,早速たずね,真理についてさらに話を聞きました。夫婦はまた他のところに引っ越しましたが,まもなく証者がたずね,研究が取りきめられました。婦人はそれまで三位一体説のあやまりについて主人に説明していましたので,主人も『楽園』の本の勉強に時おり参加するようになりました。勉強が進んで「神を真とすべし」の本にはいるとき,だれか兄弟が研究の司会をしたほうが良いように思われました。一人の兄弟とその妻が研究を引き継ぎ,やがてこの夫婦は集会に出席し,神権宣教学校のプログラムも受け持つようになりました。次いで野外奉仕に参加し,翌月には二人そろってバプテスマを受けました。主人はたばこを止め,婦人の健康も以前より良くなりました。二人とも家からの家への伝道が大好きであり,それぞれ自分の研究を司会しています。半病人のようだった以前の彼女を知る人はとても同じ人とは思わぬほどです。それは,病気が良くなったというよりも,彼女がそれほどうれしそうにしていた事がなく,また病気も心臓の疾患もない将来の新しい世に対する希望にあふれているからです。―1963年エホバの証者の年鑑から
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