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    今ある命がすべてですか
    • 「富んだ人」と「ラザロ」はそれぞれだれを表わしているか

      文脈を調べてください。イエスはだれに話していましたか。ルカ 16章14節にこう記されています。「さて,金を愛する者であるパリサイ人たちがこれらのすべてのことを聴いていて,彼のことを冷笑しはじめた」。

      イエスはパリサイ人たちの聞いている所で話をされました。イエスは現実の事として話しておられたのでしょうか。それとも,単に一種の例えを用いておられたのでしょうか。群衆を教えるさいのイエスの手法についてこう記されています。「イエスは……例えを用いないでは話そうとされなかった」。(マタイ 13:34)それゆえ,富んだ人とラザロに関する話も一つの例えであるに違いありません。

      明らかに,この例えはパリサイ人にあてて語られたものでした。一つのクラスとして見る場合,彼らはその富んだ人に似ていました。彼らは金を愛し,また人前での目だった地位やへつらいの称号を愛していました。イエスは彼らについてこう語りました。「すべてその行なう業は人に見せようとしてするのです。彼らは,お守りとして身につける聖句入れの幅を広げ,衣のふさべりを大きくしているからです。また彼らは晩さんにおいては最も目だつ場所を,そして会堂ではいちばん前の座席を好み,また市の立つ広場でのあいさつと,人にラビと呼ばれることを好みます」― マタイ 23:5-7。

      パリサイ人たちは,他の人々,とりわけ,収税人,娼婦,その他罪人と評されている人々を見下していました。(ルカ 18:11,12)ある時,イエスを捕縛するために遣わされた下役たちがイエスの教えに感動してむなし手で戻って来たことがありましたが,その時パリサイ人たちは声を強めてこう語りました。「あなたがたまで惑わされたわけではないだろう。支配者やパリサイ人で彼に信仰を持つ者はひとりもいないではないか。だが,律法を知らないこの群衆はのろわれた者たちなのだ」― ヨハネ 7:47-49。

  • 富んだ人とハデス
    今ある命がすべてですか
    • この富んだ人について述べられている事柄に注意してください。この人がハデスで責め苦に遭ったのはなぜですか。この人が何をしたのですか。この富んだ人が堕落した生活を送っていたとは述べられていません。イエスが述べたのは,この人が富んでいて,りっぱな身なりをし,ぜいたくな食事をしていたということだけです。そうした行為によって自動的に責め苦の処罰に価するのでしょうか。こじきのラザロに対するこの富んだ人の態度に大きな失態の示唆されていることは確かです。この富んだ人はラザロに対する思いやりに欠けていました。しかし,その失態はラザロとの間にそれほど大きな相違を生むものでしたか。

  • 富んだ人とハデス
    今ある命がすべてですか
    • ある富んだ人およびラザロという名のこじきに関する話をしたのはイエス・キリストでした。そのイエスの言葉はルカ 16章19-31節にあり,以下のとおりです。

      「ある富んだ人がいて,紫と亜麻布で身をかざり,豪しゃな日々を楽しんでいました。

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