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  • 賢明な戒めを与える人は,過ちを犯している人々を助ける
    ものみの塔 1977 | 3月1日
    • 「戒める」に相当するギリシャ語はエレンコーです。この語はマタイ 18章15節に出てきます。それはイエスが,「もしあなたの兄弟が罪を犯したなら,行って,ただあなたと彼との間でその過ちを明らかにしなさい[ギリシャ語,エレンコー。王国行間逐語訳,『戒める』]」と言われた時でした。(レビ 19:17と比較してください。)しかし同様のことが記述されているルカ 17章3節では,イエスは「あなたの兄弟が罪を犯すなら叱責[ギリシャ語,エピティマオー]を与え,その人が悔い改めるなら,ゆるしてあげなさい」と言われたとなっています。これは,「叱責」と「戒め」がそのまま置き換えられること,本質的に同じ意味を持つことを示しているでしょうか。この一つの例に基づいてそのように断定するのは賢明ではないでしょう。聖書のこの二語の用法は,この二語の間に相違のあることを示しています。

      5,6 この二つの語が意味の上で実際に異なることを,どんな例が示していますか。このことは,前述の二つの聖句におけるそれらの語の用法に関してどんなことを示しますか。

      5 一例を挙げると,クリスチャン・ギリシャ語聖書には,イエスが悪霊たちに向かって,「黙りなさい」とか,彼らが取りついている人から「出て来なさい」などと言って,彼らを「しかりつけられた」(エピティマオー)ことが述べられています。(マタイ 17:18。マルコ 1:25; 9:25。ルカ 4:35,41; 9:42)悪霊がイエスに戒められた(エレンコー),と聖書記述者たちが述べている箇所はどこにもありません。イエスはまた,ペテロのしゅうとめの熱をしかりつけられました。そのために熱は彼女から去りました。またガリラヤの海では,強い風と波立つ海をしかりつけ,イエスとその弟子たちの乗っていた船がそれらによって覆される危険を阻止されました。―ルカ 4:39。マタイ 8:26。マルコ 4:39。ルカ 8:24。

      6 前述のような場合に,「戒める」(エレンコー)という語を代用しようとするなら,それは極めて適切を欠いた用い方となるでしょう。人は動物をさえ叱責することができます。(詩 68:30)しかし,のちほど分かりますが,推論する力および心と良心の特質を持つ人間だけが,戒めの対象となり得ます。したがって,先に触れたルカ 17章3節における「叱責」という語の使用は,戒めには叱責が伴う,あるいは含まれる,かもしれないということを示しているにすぎません。

      7 霊感を受けた聖書記述者たちが,当時の人々の用法に従って用いた,「戒める」に相当するギリシャ語には,どんな意味がありますか。

      7 ではギリシャ語のエレンコー(戒める)は,何を指しているのでしょうか。この語が古典ギリシャ語において一時,「恥辱を与える」とか「恥ずかしめる」という考えを言い表わしたのは事実です。しかしギリシャ語の辞典が明らかにしているように,それは一般の用法ではありませんでした。a また,そうした辞典の説明によると,クリスチャン・ギリシャ語聖書におけるこの語の主要な考えは決してそういう意味ではありません。リデルとスコットの希英辞典によるエレンコー(戒める)の次の定義に注目してください。

      「詰問する。尋問する。……人の行為を告発する。……有罪と宣告される。……2.試験する,試す。……3.証明する。……納得するに足る立証をなす。……4,論破する。……b.正す。矯正する。……5.何かを負かす。……6.あばく。……」

      8 このことは,戒めが必要であった基本的な理由について何を示していますか。

      8 これらの定義は大部分,聖書ではないギリシャ語の著書における用法に基づいています。しかし,以上の定義から一つのことが極めて明白になります。それぞれの定義が明らかにしていることは,「戒め」られなければならない者が,悪行をきっぱり否定はしなくとも,その悪行を認めることに少なくとも抵抗を感じているか,またはその悪行の真の性質を認め,それを悔い改める必要性に関し少なからぬ認識不足を示している,という点です。そのような人はそれが悪行であることを「納得させられる」か,「悟らされる」必要のあることを示しています。この点がなぜ記憶すべき重要な点であるかは,これから明らかになって来ます。

      9,10 聖書はまた,戒めが必要になるのは間違いを認めて悔い改めないためであることを,どのように示していますか。

      9 これらの定義は,聖書におけるこのギリシャ語の用法からその正しさを確証することができます。例えば,前述のマタイ 18章15節の聖句に注目してください。イエスはこう述べておられます。「さらに,もしあなたの兄弟が罪を犯したなら,行って,ただあなたと彼との間でその過ちを明らかにしなさい。[エレンコー;「(彼を)戒める」,王国行間逐語訳]」。つまり,違反者が自分の罪を認めずそれを悔い改めないからこそ,被害者は違反者の過ちを明らかにして戒めねばならないのです。

      10 この語(エレンコー)が用いられている他の聖句も,その時まで矯正を受け入れていなかった者,悪いことを行ない続けることによってそのことを示していた者が戒められたことを説明しています。―ルカ 3:19; ヨハネ 3:20; エフェソス 5:6,7,11-14; テモテ第二 4:2-4; テトス 1:9-13; ペテロ第二 2:15,16と比較してください。

  • 賢明な戒めを与える人は,過ちを犯している人々を助ける
    ものみの塔 1977 | 3月1日
    • a ロビンソンの新約聖書辞典では,エレンコーについて次のように記述されています。「ホメロス[キリスト以前の時代のギリシャの詩人]の作品においてのみ,恥辱を与える,恥ずかしめるの意。……通常は,そして新約聖書においては,過ちを犯している者を納得させる,……論破する,確証する」。

      ビンセントの「新約聖書用語研究」にはこのように書かれています。「さらに昔の古典ギリシャ語においては,恥辱を与える,あるいは恥ずかしめるの意。……それから[後代においては],納得させ,罪を悟らせ,あるいは論破する目的で詳しく詰問する,または尋問することを意味するようになった。……議論においては,試す,確かめる,一連の論証によって確証すること」。(下線は当誌)

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