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王に敵する者たちとともにうち殺されるのを免れるものみの塔 1974 | 3月1日
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「邪悪な奴隷」
17 主のために増加をもたらすように求められていることについて不満を感じる人がいれば,それについてどんな疑問が提出されますか。イエスのたとえ話はどんな不満の例を示していますか。
17 今や王としての権威を付与された主イエス・キリストが自分のゆだねたものを増し加えるように奴隷に要求することに不満を感じ,それに対して憤慨を示す人がいるでしょうか。この点でそのように感じることが許されるかどうかについては,自分に託されたミナで忙しく働いた者たちとは異なる態度を取った奴隷の場合に示されています。こう記されています。「しかし,別の者が来て言いました,『主よ,ここにあなたの一ミナがあります。わたしはこれを布にくるんでしまっておきました。おわかりでしょうが,わたしはあなたが怖かったのです。あなたは厳しいかただからです。ご自分の預けなかったものを取り立て,まかなかったものを刈り取られるのです』」― ルカ 19:20,21。
18 この無益な奴隷の態度はなぜ良心的に見て許されるものではありませんでしたか。
18 この,他と異なる奴隷の態度は良心的に見て許されるものですか。そうではありません。誤った事がら,つまり,主の一ミナを用いて不正な利得を上げるようにと求められたのではないからです。彼自身が自分の主人をどのようにみなすとしても,彼は奴隷という立場にあり,主人の求めた方正な事がらを行なうべきでした。怠惰のゆえに働く意欲がなかったのであれば,せめてその一ミナを銀行に入れ,自分に代わって銀行業者に仕事をさせるべきでした。彼は全く不十分な言いわけをしました。
19 主人は何に基づいてこの奴隷に答えましたか。どのように?
19 主人は彼自身の言いわけに基づいて彼に答え,また彼を裁きました。こう記されています。「彼はその者に言いました,『わたしはあなた自身の口からあなたを裁く,邪悪な奴隷よ。わたしが厳しい人間であり,自分の預けなかったものを取り立て,まかなかったものを刈り取ることを知っていたというのか。それなら,わたしの銀子を銀行に入れなかったのはどうしてか。そうしておけば,わたしは到着のおり,それを利息といっしょに集めただろうに』」― ルカ 19:22,23。
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王に敵する者たちとともにうち殺されるのを免れるものみの塔 1974 | 3月1日
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その到来のさいイエス・キリストに伴って来た聖なるみ使いたちが,メシアによる王国に敵対する者またそれを支持しない者すべてに対して神の報復を執行する時は近づいています。それはハルマゲドンの戦い以前に始まります。
25 (イ)神の報復の執行がハルマゲドンの戦い以前に始まるのはなぜですか。(ロ)その時,クリスチャンと唱えながら「邪悪な奴隷」のようになっているとすれば,それはわたしたちにとって何を意味しますか。
25 それは宗教上の大いなるバビロンの滅びとともに始まり,西暦70年におけるエルサレムの攻囲と滅びによって予表された「大患難」の始まりのさいに起こります。(啓示 17:1-16。マタイ 24:15-22)したがって,クリスチャンと唱えながら,自分のミナをただ布にくるんでしまっておきやがてそれを失う結果になった「邪悪な奴隷」によって表わされる者たちに属している人にはやがて災いが臨みます。すなわち,「大患難」のさいに王の「敵」たちとともに永遠の滅びをこうむることになってしまうでしょう。
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