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支部の手紙王国宣教 1982 | 3月
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支部の手紙
王国伝道者のみなさん:
過去4年以上にわたる全日本の兄弟,姉妹たちのすばらしい支持をいただき,海老名の新しい支部が完成したことをお知らせできるのは大きな喜びです。この手紙を書いている時点で最後の仕事である造園と整地が行なわれていますが,これらの仕事も遠からず終わることと期待されています。工事を完成させるために,みなさん一人一人が与えてくださった精神的な支持,祈り,金銭面での援助や自発奉仕などすべてに対し,心からの感謝を申しあげたいと思います。いままでのところ大きな事故もなく工事を終えることができるのはエホバの大きな祝福であると確信します。
5月中旬にブルックリン本部からロバート・ウォーレン兄弟が地帯監督として日本を訪問なさいますが,それに加え,ものみの塔聖書冊子協会会長である,F・W・フランズ兄弟,およびロイド・バリー兄弟も来日なさいます。それで5月15,16日の両日を献堂式の週末といたします。兄弟たちすべてをお招きできませんが,5月15日,土曜日午後3時から海老名ベテルにおいて献堂の話が行なわれます。この献堂式には,この海老名ベテルの建設工事に実際に参加した建設の兄弟たちとそのご家族で希望される方々が出席することができます。5月16日の日曜日は例年の通り,日本の多くの都市の会場を電話回線によって結び,訪問してくださる兄弟たちの話を通して,大勢の方々にも支部の完成を共に喜んでいただきたく思っております。詳細が決まりしだいすべての会衆に通知いたします。
12月の奉仕報告によると,6万5,840人の新最高数の伝道者が奉仕を報告しています。これは過去3年間,36か月連続で伝道者が増加し続けたことを意味しています。3月は,3月28日の特別講演会,4月8日の記念式そして5月16日の特別集会と続く一連の春の活動の最初の月となります。「霊に燃え」て奉仕に励みましょう。建設奉仕を終える大勢の兄弟たちも,新たな熱意を抱いて野外に戻るので,野外の活動は一段と活発なものとなるでしょう。―ローマ 12:11。
わたしたちの心からの愛を送ります。
日本支部で働くみなさんの兄弟
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イエス・キリストがあなたのためにしてくださったことに感謝していますか王国宣教 1982 | 3月
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イエス・キリストがあなたのためにしてくださったことに感謝していますか
1 かつて地上に生きた人で,イエス・キリストが人類のために行なわれたことをなし得た人間はほかに一人もいません。イエスは,だれにでも得る可能性の開かれている,永遠の命という最もすばらしい賜物をわたしたちが受けられるよう助けてくださったのです。とはいえ,大多数の人々はイエスが行なわれたことにほとんど感謝の念を抱いていません。あなたはいかがですか。
2 感謝の欠如はゆゆしい事柄です。神のみ子に対するわたしたちの態度に関しては特にそう言えます。(ヘブライ 10:28,29)それとは対照的に,どうすれば本当に感謝していることを示せるでしょうか。一つの点として,わたしたちは,4月8日,木曜日の晩,記念式に必ず出席することでしょう。しかし,それ以上のことが関係しています。イエスの地上における最後の六日間に起きた感動的な出来事の幾つかを少し振り返ってみれば,それを知るのに役立ちます。
ニサン9日
3 ニサン9日,日曜日に,イエスがエルサレムに勝利の入城をされた時,弟子たちは「エホバの名によって王として来る……かた」を見て喜びにあふれました。弟子たちは,メシアなる王への感謝に動かされて「喜び,自分たちの見たすべての強力な業について大声で神を賛美」しました。(ルカ 19:37,38)その日,そこに居合わせていたなら,あなたもきっと,神を賛美することに加わっておられたことでしょう。その1週間後,数か月後,あるいは数年後であっても,あなたは同じ感謝を保てたでしょうか。
4 賛美の表現は極めて重要であったため,イエスは,「もしこれらの者[弟子たち]が黙っているなら,石が叫ぶでしょう」と言われました。(ルカ 19:40)もし石がそうしたとすれば,それは弟子たちの側の感謝の欠如をあらわにしたのではないでしょうか。今日,キリストはみ父と共に活動的に王として支配を行なっておられます。わたしたちはその意味するところを真に認識しているでしょうか。もしそうであれば,野外奉仕で『喜び,大声で神を賛美』していることでしょう。
ニサン10,11日
5 ニサン10日,月曜日,祭司長と書士たちは,イエスを滅ぼそうとたくらみました。「それは,群衆がみな彼の教えに終始驚き入っていたから」です。(マルコ 11:18)この宗教上の反対にもかかわらず,イエスは勇敢にも「神殿の中に入り,……両替人たちの台と,はとを売っている者たちの腰掛けを倒され」ました。(マルコ 11:15)エホバの崇拝に対する何という深い関心を示されたのでしょう! わたしたちは,悪い事柄を習わしにする人々に実力行動を取る権威こそ与えられていませんが,イエスがエホバの崇拝に対して示されたような勇気と熱意は示すことができます。(ヨハネ 2章14-17節にある同様の行動と比較してください。)わたしたちは各自,エホバの崇拝に対してそのような資質を示しているでしょうか。
6 翌ニサン11日,火曜日,神のみ子はパリサイ人たちの偽善を恐れることなく公然と非難されました。エルサレムのただ中で,イエスは彼らにこう告げられました。「あなたがたは人の前で天の王国を閉ざす(の)です。あなたがた自身がはいらず,またはいる途中の者がはいることをも許さないのです」。(マタイ 23:13)同時にイエスは,その王国に入るよう人々を援助するため,あらんかぎりの努力を払っておられました。エルサレム市外で,ご自分の臨在と事物の体制の終結についての傑出した預言をイエスが弟子たちにお告げになったのも,この同じ日のことでした。当時の弟子たちと今日のわたしたちに対し,イエスは,生活上の他の物事のためにこれらの出来事の重要さから注意をそらされることがないようにと諭されました。要点を示してイエスはこう言われました。『食べ過ぎや飲みすぎまた生活上の思い煩いなどのためにあなたがたの心が押しひしがれることがないよう,自分自身に注意を払いなさい』。(ルカ 21:34)イエスの言われたことをわたしたちはどれほど感謝しているでしょうか。当時イエスが話された音信を,イエスが感じておられたと同じほど重要なものと見ているでしょうか。
7 その同じ日に,イエスは,神にかかわる物事の尊さを識別した一人の婦人に注目するよう促されました。神殿で,ごくわずかな価しかない硬貨二つを納金箱に入れたやもめに注意を向けられたのです。しかし,イエスが説明されたように,それは『彼女の持つ暮らしのもとすべて』だったのです。(ルカ 21:1-4)真の崇拝の関心事を促進するためにわたしたちが行なう事柄は,このやもめが抱いていたのと同じほどの認識をわたしたちが抱いていることを示していますか。
ニサン12-14日
8 ニサン12日,水曜日,イエスはエルサレムに戻られませんでした。しかし,聖書は,イエスがマリアという名の婦人から非常に高価な香油を塗られたことを告げています。イエスが言われたように,『彼女はイエスの埋葬の日を見越して』それを行なったのです。(ヨハネ 12:7)イエスはその親切を大変感謝してこう言われました。「世界じゅうどこでもこの良いたよりが宣べ伝えられる所では,この女のしたことも,彼女の記念として語られるでしょう」。(マタイ 26:13)この出来事は,ユダの貪欲さに火をつけました。彼は「祭司長たちのところに行って」,イエスを裏切れば何をくれるかという交渉をしたのです。―マタイ 26:14,15。
9 ニサン13日,木曜日の日没前に,神のみ子は,弟子たちとの最後の過ぎ越しを取り決められました。午後6時ごろにはニサン14日が始まり,イエスはほぼ20時間に及ぶ極度の困難に直面されました。過ぎ越しの食事のさい,イエスはユダをも含めて,使徒たちの足を洗われました。神のみ子にとって,またその使徒たちにとって,それは特別の夜でした。「わたしは,……あなたがたといっしょにこの過ぎ越しの食事をすることをせつに望んできました」とイエスは弟子たちに言われました。(ルカ 22:15)他の使徒たちと共にすぐそばで食事をしているユダが,ご自分を裏切ることになるのを知っているということは,イエスにとってどんなにかつらいことだったでしょう! 彼らが過ぎ越しの食事を終えた後,ユダは立ち去り,イエスは11人の忠実な使徒たちと共に,ご自身の死の記念式を制定されました。裏切者が食卓を去った時,イエスはご自分にとって最も困難な時が足早に近づいているのを悟られました。み父のみ言葉の成就および全人類の命の見込みは,イエスが行なおうとしておられることにかかっていました。神への賛美を歌ってゲッセマネの庭へと出掛ける前に,イエスは,ご自身のためばかりか,まだご自分に信仰を置いていない人々のためにも祈られました。(ヨハネ 17:20)人々への何という無私の愛でしょう!
10 ゲッセマネに出てから,イエスはご自分の内奥の感情をこめて繰り返しみ父に祈られました。「わたしの魂は深く憂え悲しみ,死なんばかりです。ここにとどまって,わたしとともにずっと見張っていなさい」と,イエスは3人の弟子たちに告げておかれました。(マタイ 26:38)しかし,生じようとしていた事柄の意義を認識していなかった弟子たちは,眠り込んでしまいました。間もなく,裏切者が,剣やこん棒を持った大群衆を連れて現われました。弟子たちは逃げ,イエスは拘引されました。
11 裏切られた後,イエスはその夜の残りの部分と翌朝を,祭司長たち,サンヘドリン,ヘロデおよびピラトの前で過ごされました。最後に,ニサン14日,金曜日の午後3時ごろ,苦しみの杭につけられたイエスは,次のように宣言されました。「成し遂げられた!」「父よ,わたしの霊をみ手に託します」。こう言ってから,イエスは息を引き取られました。―ヨハネ 19:30。ルカ 23:46。
12 勇気と忠節の何という立派な記録でしょう! しかし,イエスがなさった事柄は,ご自身の栄光のためではありませんでした。それはみ父に誉れを帰するためでした。また,使徒ペテロは,『キリストはあなたがたのために苦しみを受けたのです』と述べました。わたしたちのためのその際立った,私心を離れた生き方に対する感謝を,どのように示すべきでしょうか。記念式に出席することだけが答えではありません。ペテロが述べたように,『キリストはあなたがたのために苦しみを受け,あなたがたがその歩みにしっかりついて来るよう手本を残され』ました。(ペテロ第一 2:21)そうです。毎日,エホバのみ名の立証に寄与する事柄を行なうように努めて,イエスが行なわれた事柄に対する深い感謝をあらゆる仕方で示してまいりましょう。
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親のみなさん ― お子さんは霊的に成長していますか王国宣教 1982 | 3月
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親のみなさん ― お子さんは霊的に成長していますか
1 エホバに喜んで仕える子供たちを持つことは何という祝福でしょう! それは献身した親の心に大きな喜びをもたらします。使徒ヨハネは,次のように書いた時,霊的な子供たちに関するその感情を表わしました。「わたしの子どもたちが真理のうちを歩みつづけていると聞くこと,わたしにとってこれほど感謝すべきことはありません」― ヨハネ第三 4。
2 「でも,どうすれば子供たちに霊的な見方を持たせることができるのでしょうか」と多くの親は尋ねてきました。今日,若者たちに加えられているサタン的な数々の圧迫を思う時,この質問は理解できるものです。成功を収めた親たちから得られる答えは助けになります。「第一に求められるのは,霊性の点で親自身が模範を示すことです」と,一人の父親は語りました。この兄弟は,子供4人の家族を顧みている忙しい長老ですが,子供たちと共に時間を過ごします。その家族の生活は王国を中心に築かれており,家族で霊的な事柄を話し合います。休暇で出掛ける時は,家族として行きますし,父親は家族がその土地の王国会館での集会に必ず出席するようにします。
3 別の要素は野外奉仕を喜びの機会とすることです。ある母親は,子供たちを幼い頃から野外奉仕に連れて行ったと述べました。子供たちは,ただ行かなければならないので行くというのではなく,奉仕をいつも楽しんできました。
自由に意思を通わせる
4 子供たちと自由に意思を通わせないとしたら,子供たちが霊的に成長しているかどうかがどうして分かるでしょうか。控え目に言っても,それは困難なことでしょう。成功を収めている多くの親が,子供たちと自由に,また率直に話し合うのが賢明だと気付いているのも,そこに理由があります。親子で一緒に時を過ごします。子供たちを別にして他の大人たちと親ぼくの交わりを持つよりも,子供たちも一緒に加えるのが最善であることに親たちは気付いてきました。こうして,年齢差による障壁ができることはありません。また賢明な親たちは,学校でのものであれ,他の場所でのものであれ,子供たちの活動に鋭い関心を払います。子供にそのような親切な関心が示されていると,問題が起きた時に,たとえ悪い事をしたとしても親は理解してくれる,
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