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あなたは楽園での生活を受け入れますかものみの塔 1984 | 2月15日
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と叫びます。そのような楽園の環境の中で生きられることをわたしたちは本当にうれしく思います。そうです,それはまさしくエデンの楽園という公園における人間の起源にまでさかのぼる自然の欲求なのです。
これこそイエスが,ご自分の傍らで死んでゆく悪行者の前に置かれた希望です。イエスはその悪行者に,「今日あなたに真実に言いますが,あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」と言われました。(ルカ 23:43)ここでイエスはその悪行者に,あるいはその悪行者のいわゆる不滅の魂なるものに,天的運命を約束しておられたのではありません。ご自分の王国の支配下にある楽園<パラダイス>の地での地的な永遠の命を差し伸べておられたのです。あなたはその約束にどのように応ずるでしょうか。―マタイ 6:9,10。ヨハネ 5:28,29。使徒 24:15。
あなたは500年の寿命をもらいますか
面白いことに,「今日の心理学」という雑誌は最近,「これを飲むと500年は生きられるという錠剤があって,だれかがそれをくれると言ったら,あなたはもらいますか」という,上記の点と幾分関係のある質問を読者に投げかけました。もちろん,完全な健康を得ることや楽園の状態については何も言われていませんでした。しかしどんな反応があったでしょうか。50%以上がその錠剤をもらうと言ったのです。多くの人は「もっと多くのことを成し遂げたい,もっと多くのことをしたい,もっと人生を楽しみたい」と言いました。ある男性はごく簡単に,「生きることが好きだ」と言いました。また,「生きるのはとても楽しいことです。やることが多すぎて時間が足りません」と説明した女性たちもいました。あなたは生きることについてどう考えますか。あなたは生きることが好きですか。もし500年生きるのではなくて,楽園の状態の中で,しかも完全な健康を楽しめる永遠の命が得られるとしたらどうでしょうか。聖書はまさにその見込みを提供しているのです。―ヨハネ 17:3。詩編 37:11,29。イザヤ 33:24。
その反面,同じ世論調査で,そんなに長く生きたくないと遠慮なく述べた人々もいました。なぜでしょうか。「ある人々は,人生はただ退屈なものと考えている」のです。エホバの証人も時々,神の目的は楽園の状態の地上で従順な人類に永遠の命を与えることですと説明すると,同様の異議を唱える人々に会うことがあります。ある人は,「楽園で永遠に生きて何をするのですか。生活は,比較対照してみるものも,挑戦もないものになってしまうでしょう。そんな生活は退屈です」と言います。
本当にそうでしょうか。地上の楽園における永遠の命は退屈なものでしょうか。次の記事はこれらの質問に答えます。
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楽園での生活 ― 退屈なものですかものみの塔 1984 | 2月15日
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楽園での生活 ― 退屈なものですか
「人間の幸福には二人の敵がいる。それは苦しみと退屈である」。19世紀のある哲学者のこの意見にあなたも同感ですか。大抵の人は時々退屈になりますが,なぜでしょうか。
退屈と言えば,「のろさ,繰り返し,長たらしさ」,「疲れた感じや不満の気持ち」などを連想します。仕事や活動が刺激のないもの,満足のゆかないものである場合に退屈な気持ちになることがよくあります。しかし退屈が主観的状態であることもまた事実です。ある人にとっては退屈なことでも,別の人にとっては心を奪われるほど魅力のあるものかもしれません。
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