「生命の言葉」を一致してひろめる者たち
「いのちの言葉を堅く持って」― ピリピ 2:15,新口。
1 なぜ今日「いのちの言葉」はかつてないほどにひろめられているのですか。それはなぜ与えられましたか。
今はかつてないほどに「いのちの言葉」をひろめるべき時です。現代文明は破滅の危険に面しています。もっと悪いことに,全人類は,未曾有の破壊力をもつ兵器によって滅ぼされる危険に面しています。どの国も,核兵器や核兵器よりも恐ろしいガスが用いられる次の世界大戦の恐れに悩んでいます。その目的においては,武器を使う実際の「熱い戦争」と少しも変わらない「冷い戦争」が,国際的な規模で行なわれています。核兵器を擁して対立する二つの陣営の間の恐怖の均衡により,かろうじて平和が保たれている有様です。しかし人類は「いのちの言葉」にふさわしいですか。人間家族は救われるに値しますか。人間の創造主エホバ神はたしかにふさわしいとお考えになっています。神の愛する御子イエス・キリストもそうお考えになっています。そのわけでエホバ神は愛をもって「いのちの言葉」を与えて下さったのです。それはひろめる価値のあるものです。またはじめからひろめられるべきものでした。今ではかつてないほどに,広く宣べ伝えられています。
2 (イ)核戦争はこの世界の直面している最悪のものですか。(ロ)来たるべきものからだれが生き残りますか。
2 今日の世界が,自らの悪行のゆえに滅びに面している,というだけの理由で,「いのちの言葉」が天から与えられましたか。そうではありません。人類の直面している最悪のものは世界的な核戦争であると,今日一般の人々は考えています。世界がこのような戦争の危険をはらんだ事態に立ち至っているのは事実です。しかし実を言えば世界はもっと悪いものに直面しているのです。第三次世界大戦の有無は確かでないにしても,世界がこのもっと悪いものに突入することは間違いありません。それは「全能の神の大なる日の戦闘」であって,世界はこれに生き残らないでしょう。(黙示 16:14)しかし人間家族のある人々はこれに生き残って正義の新しい世を迎えるでしょう。それはいま「いのちの言葉を堅く持つ」人々です。しかし,私たちが全能の神の戦いに直面しているから「いのちの言葉」がはじめて与えられたのではありません。それはなぜですか。
3 そもそも「いのちの言葉」が与えられたのは,私たちの時代が恐ろしい滅びに面しているという理由だけによるのではありません。それはなぜですか。何時そしてだれが,はじめてそれを与えましたか。
3 死に直面したのは私たちの世代が最初ではありません。それで「いのちの言葉」を必要とするのは私たちだけではないのです。今までほとんど6000年の間,人類は最新の医学の進歩にもかかわらず死の道をたどってきました。無数の男女,子供が死んで墓に横たわり,忘れられています。それで「いのちの言葉」はその必要が最初おきた時に与えられました。死が人類のあいだにはいり込んですぐのち,それは与えられるようになりました。はいり込んだ死は,人類の敵です。死が人類の友であったことはありません。人類の敵が死の原因を作りました。「いのちの言葉」は人類の友,まったくのところ人類の最も偉大な友から与えられたものです。生命の与え主,生命の本来の源だけが,このような「いのちの言葉」を与え得るのです。それは創造主である神です。
4 (イ)人類の敵がエバに死の言葉を与えたのはどうしてですか。(ロ)今日の地が不従順な子供たちで満ちているのはなぜですか。
4 人類の母にむかって「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう」と語った人間の敵は,偽り者でした。(創世 3:4,新口)その者は「いのちの言葉」を差し出したのではなく,死の言葉を与えたのです。その者は人類の母を欺いて,生命の偉大な与え主エホバ神に背かせようとしたからです。彼女の夫アダムは,禁ぜられた木の実を食べてはいけない,と命じた神の言葉を従順に守ることによって,死を避け得ることを彼女に告げていました。神はアダムにこう言われたからです,「それを取って食べると,きっと死ぬであろう」。(創世 2:17,新口)神は地上のご自分のむすこと娘がエデンの園に生きつづけ,彼らと同じく罪のない完全な人間で全地をみたすことを望まれました。「終りの時」の預言通り,今日「親に逆らう者,恩を知らぬ者,神聖を汚す者」で地はみたされていますが,神はその事を望まれませんでした。(テモテ後 3:1,2,新口)今日の地が不従順な子たちでいっぱいなのは,アダムとその妻エバが天の父である創造主にそむいたからです。
5 不従順なアダムとエバに対する宣告を,神はどのように実施しましか。アダムは子孫に何を伝えましたか。
5 生命を与えて下さった天の父に不従順な両親から生まれた子供が,地的な両親に不従順となっても不思議ではありません。またアダムやエバと同じく神に不従順なのはいうまでもないことです。アダムがその妻に加わって死をもたらす行いをしたために,神はアダムに対して,もとの土に帰り,生命のない無形の塵に戻ることを宣告しました。エデンの園を設けてそれを所有される神は,そのためにアダムとエバを外に追い出し,ふたりが大きな園の真中にある「命の木」をこっそりと捜しあててその実を食べ,今に至るまで,またいつまでも生きつづけることがないようにされました。(創世 3:17-24; 2:9,新口)このようにしてアダムがその子供たちに伝えたものは,完全な生命ではなくて人間の不完全さ,罪深さ,そして死の宣告でした。(ロマ 5:12)それで後の時代にイスラエルの国で次のことわざが書かれたのです。「父たちが,酢いぶどうを食べたので子供たちの歯がうく」。―エゼキエル 18:2,新口。
6 (イ)エバを欺くために用いられたへびはどうなりましたか。しかしへびの背後にいた者はどんな宣告を受けましたか。(ロ)その宣告は何を意味しますか。
6 しかしこのすべての事をひき起こした人類の敵はどうなりましたか。その者はアダム,エバと同じくすでに死んでいますか。そうではありません。しかし神の定めの時にその者は打ち砕かれて死ぬでしょう。蛇の背後にいて神に反対するうそを語らせたこの目に見えない霊者は,まだ死んでいません。しかしその者は死ぬでしょう。どうして分かりますか。その者はサタン悪魔であり,「年を経たへび」とも呼ばれ,神はエデンの園でこの者に次の宣告を与えられたからです,「わたしは恨みをおく,おまえと女とのあいだに,おまえのすえと女のすえとの間に。彼〔女のすえ〕はおまえのかしらを砕き」。(創世 3:15,新口)蛇にとってそれは踏みつけられて死ぬことを意味します。「年を経たへび」,サタン悪魔にとってそれは,神の「女」のすえが父なる神にかわる刑の執行者として行動をおこす時に,非業の死をとげることを象徴しています。
7 大いなるへびサタンを将来殺すことの益について,どんな疑問が起きますか。だれがそれに答えますか。
7 人類の敵が将来に滅ぼされてしまうならば,その滅びの後に地上に住む人々にとって,それは益となるでしょう。しかし過去6000年のあいだに死んだ無数の人々や,サタン悪魔の生命が絶たれる前に死ぬかも知れない人々にとって,それは何の益になりますか。サタン悪魔はやがて滅ぼされます。その後はもう害を与えないでしょう。しかしすでに死んで墓に横たわっているすべての人の受けた害は,サタンの将来の滅びによってどのように取り除かれますか。エホバ神もそのことをお考えになって,私たちの益のためそれに答えることをされました。
どちらが先に滅びるか
8 (イ)どちらが先に砕かれますか。かかとを砕かれることは,すえにとって何を意味しますか。(ロ)どのようにしてのみ,砕かれたすえは後にへびのかしらを砕くことができますか。
8 神は「年を経たへび」であるサタン悪魔が神の「女」のすえによって滅ぼされると言われただけでなく,次のことをも言われました。「おまえは彼のかかとを砕くであろう」。神の「女」のすえがまず蛇のかしらを砕くならば,蛇は死んでしまいすえのかかとを砕くことはもちろん出来ません。そこで実際には,蛇が神の「女」のすえのかかとを砕くことが先に起こるのです。このかかとを砕くことは,すえ,すなわち神の御子にとって何を意味しますか。それは死を意味します。死? そうです。しかしすえが蛇にかまれて先に死ぬならば,すえはどうして後に蛇のかしらを砕くことができますか。神の再創造の力によって生き返らされるよりほかありません。それは神の力による死者の復活を意味します。これはエデンの園において神の述べられた意味深長な宣告の言葉を,私たちが解釈したものではありません。神がこの言葉を成就させた方法を見れば明らかなように,これは神ご自身の解釈です。
9,10 (イ)主要な意味において,だれのかかとが砕かれましたか。(ロ)彼はどのように神の「女」のすえでしたか。またどのように生まれて完全なアダムと等しい者になりましたか。
9 神の女のすえのかかとを砕くことは,おもに1900年前に起きました。約束されたすえは神の御子です。当時,神の子供であった人間は地上にいませんでした。アダムのために,人類は神の子供という立場を失ったからです。それでこのすえは天から来た神の子でした。天から来たゆえに,彼を生み出した母も天のものです。彼はこの母から出て来ました。それは神の象徴的な妻,すなわち目に見えない天の聖なる霊者,つまり天使から成る神の宇宙的な制度です。
10 この天的な制度は神に嫁いでいて公に神と結ばれ,破れることのない関係と従順を保っています。それは人間の妻が夫に結ばれて夫の律法に従うのと同様です。約束されたすえはこの天の制度の中でおもだった子,神のひとり子,「すべての造られたものに先だって生れたかた」であり,天の制度から地に遣わされて,人間として生まれました。(ヨハネ 3:16。コロサイ 1:15,新口)父なる神のご命令に従って彼はイエスと呼ばれた。その名前は「エホバは救いである」という意味です。地上のどんな人間もイエスの父になることはできません。それでイエスは処女から奇跡的に生まれました。このようにして血肉を持つ人となったイエスは,その天の父が完全であったゆえに完全な人となりました。(ヨハネ 1:14)人間となることによってイエスは完全なアダムに等しい者となり,また以前には長としてご自分が支配した天使たちよりも低い者となりました。
11 約束されたすえとして働くにあたって,神の御子が完全な人になることはなぜ必要でしたか。
11 しかし質問があります。神のひとり子が神の女のすえとして蛇のかしらを砕くために,天使よりも低い完全な人とならねばならなかったのはなぜですか。それはエデンの園における神のお約束の成就としてかかとを砕かれる,すなわち完全な人間として死の苦しみを受けるために必要でした。これと一致して次のように書かれています,「ただ,『しばらくの間,御使たちよりも低い者とされた』イエスが,死の苦しみのゆえに,栄光とほまれとを冠として与えられたのを見る。それは,彼が神の恵みによって,すべての人のために死を味わわれるためであった」。「このように,『子ら』が血と肉とにあずかっているので,イエスもまた同様に,同じものをそなえておられる。それは,死をもたらす手段を持つ者,すなわち悪魔を,ご自分の死によって滅ぼし…」(ヘブル 2:9,新口,14,新世)また次のようにも書かれています,「罪を犯す者は,悪魔から出た者である。悪魔は初めから罪を犯しているからである。神の子が現れたのは,悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである」。―ヨハネ第一 3:8,新口。
12 完全な人となることによつて,神の御子はどんな犠性をささげることができましたか。それはだれを解放するためですか。
12 神の女のすえ,すなわち御子は,エデンの園で創造された時のアダムと同じ完全な生命の価値を持つ完全な人となったために,「すべての人のために死を味わ」うことができたのです。どうしてですか。御子は人類の受けついだ罪を除くためにご自分の完全な人間の生命を犠性としてエホバ神にささげることができたからです。アダムとエバの罪のために,その子孫である私たちはひとりも完全な人間の生命を持つことができませんでした。ご自分の完全な人間の生命を犠牲にして,イエスは,死にゆく人類の身代りとなりました。それは神にささげられたイエスの犠牲を受け入れるすべての人が完全な生命を再び得ることのできるためです。
13 人間として生まれたとき,神の御子は何になると発表されましたか。その直後に「年を経たへび」は何をすることをはばまれましたか。
13 イエスの生まれた時,天の御使がユダのベツレヘム近くの,神を恐れる羊飼にあらわれて,その誕生を次のように告げました,「すべての民に与えられる大きな喜びを,あなたがたに伝える。きょうダビデの町に,あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである」。(ルカ 2:10,11,新口)「キリスト」とは「油そそがれた者」を意味する称号です。キリストすなわち油そそがれた者が神から遣わされて来ることは,ずっと前から預言されていました。ユダヤ人はこのかたをメシヤと呼びましたが,このヘブル語の言葉の意味はギリシャ語のキリストと同じです。サタン悪魔はイエスが約束されたキリスト,あるいはメシヤであることを知りました。そこで「年を経たへび」なるサタンは2歳にもみたない「幼な子」のうちにイエスを殺そうと企てました。しかし神が幼な子のイエスを保護されたので,悪しき蛇はその時にイエスのかかとを砕くことができなかったのです。―マタイ 2:1-23。新口。
14 (イ)どのようにイエスはキリストとなりましたか。(ロ)すえのかかとを砕くことを不必要にするため,サタン悪魔はどんな手段をとりましたか。
14 成長して30歳の完全な人となったとき,イエスはナザレでしていた大工の仕事をやめて,ヨルダン河に行き,洗礼者ヨハネの手によって洗礼を受けました。その水の洗礼の直後に神は,天から聖霊をもってイエスに油を注ぎ,イエスを油注がれた者にしました。その時から神の女のすえである神の御子は,まさしくイエス・キリストと呼ばれたのです。(マタイ 3:13-17)その後40日たって,サタン悪魔は,利己的で野心にみちた奇跡を行なわせることにより,またサタン悪魔を神と認めて崇拝するならば世界を支配させると誘惑して,神の女のすえを死に至らせようと図りました。サタンは完全なアダムを誘惑して神に対する罪を犯させましたが,この完全な人を罪に誘惑することはできませんでした。イエス・キリストは忠実にも三つの誘惑に耐えてサタンを退けたからです。(マタイ 4:1-11)全く従順であったイエス・キリストは神に罪せられることなく,死の宣告を受けなかったので,「年を経たへび」は ― 後になって ― そのかかとを砕くことが必要でした。
15 (イ)油そそがれたことと一致して,イエスは何を始めましたか。どこで?(ロ)「年を経たへび」は自分の用いるどんなすえを生み出しましたか。どんな偽りの告訴によって彼らはイエスを死なせましたか。
15 さてイエス・キリストは油そそがれた者にふさわしく神への奉仕を始め,全人類を救う唯一の政府である神の御国を伝道し始めました。また弟子たちを集めて教え,神の御国を伝道するわざに訓練しました。これは悪魔の世界のただ中,当時において世界の支配的な勢力であったローマ帝国の中で行なわれたのです。(マタイ 4:17; 10:1-7。ルカ 10:1-9)「年を経たへび」がそのすえを生み出すことをも,神は預言されていました。この大いなる蛇は,イエス自身の民と,支配した宗教家の中から,この悪魔のすえを生み出しました。ユダヤの地方を治めたローマ総督の前で彼らは,イエス・キリストが,自分の国を建ててローマのカイザルの帝国にとって代わろうとしていると訴えました。この偽りの告訴のためにイエスはエルサレムの町の外で杭につけられ,極悪の反逆者のように,人々に見さげられて死にました。
16 それはいつでしたか。神はその日に何が起きることを許しましたか。
16 それは西暦33年4月1日,金曜日のことでした。イエスは無罪でしたが,神は女のすえをこの残酷な死から救うために介入することをされませんでした。昔から告げられていた御目的通り,神は「年を経たへび」が約束のすえのかかとを砕くことをお許しになったのです。(ヨハネ 18:12–19:37)神を恐れる人々が永遠の生命を得る希望は,イエス・キリストの死と共に無くなったように見えました。
17 神のエデンの約束のうち,他のどんな部分がなお成就されるはずでしたか。神はどのようにその成就をはかりましたか。
17 神は預言された通り,「年を経たへび」が女のすえを砕くことをお許しになりました。そこでエデンの預言の他の部分,すなわち女のすえが時をへてこの大いなる蛇のかしらを砕くという預言の成就は,神に依存していました。そのためにイエスの死は,かかとを砕かれることだけにとどまらねばなりません。神の目から見てそれは犠牲の死,無罪の人の死でした。罪のないイエスがその死につながれていることは正しくありません。イエスは,アダムのように神が永遠の死にとどめておくべき意識的な罪人ではないからです。従って預言されていた時,すなわち死んで三日目に,全能の神はご自分のすえである御子を死からよみがえらせました。
18 (イ)イエスが永久に死につながれていることは不可能であること,およびイエスの受けた復活の種類についてペテロは何と言いましたか。(ロ)人類があがなわれることは,どうしてこの復活により可能となりましたか。
18 シモン・ペテロと呼ばれたイエスの弟子の一人は,この驚くべき奇跡のことを,次のように述べています,「ナザレのイエスは,汝らの知るごとく,神かれに由りて汝らの中に行い給ひし能力ある業と不思議と徴とをもて汝らに証し給へる人なり。この人は神の定め給ひし御旨と預じめ知り給ふ所とによりて付されしが,汝ら不法の人の手をもて釘磔にして殺せり。然れど神は死の苦難を解きて之を甦へらせ給へり。彼は死に繫れをるべき者ならざりしなり。…神はこのイエスを甦へらせ給へり,我らは皆その証人なり」。(使行 2:22-32)イエスは「御使たちよりも低い」人間によみがえされたのではなく,大いなる蛇であるサタンよりも力の強い霊的な御子によみがえされました。この同じシモン・ペテロは次のように語っています,「キリストも,あなたがたを神に近づけようとして,自らは義なるかたであるのに,不義なる人々のために,ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし,肉においては殺されたが,霊においては生かされたのである」。(ペテロ前 3:18,新口)このようにしてイエスの完全な人間の生命は犠牲としてとどまり,復活して40日後に天に戻ったイエスは人類をあがなうために,その価値を神にささげることができました。
19 (イ)その時以来,サタンはだれを砕いてきましたか。しかし今では何を待っていますか。(ロ)サタンに対するこの処置は,どんな象徴によって弟子のヨハネに示されましたか。
19 大いなる蛇であるサタンが,神の女の御子のかかとを砕くことは,もはやできません。次のように書かれています,「キリストは,死人の中からよみがえらされて,もはや死ぬことがなく,死はもはや彼を支配しないことを,知っている」。(ロマ 6:9,新口)大いなる蛇はその後キリストの忠実な弟子たちのかかとを砕くことを許されてきましたが,サタンは今や復活して不滅性を持つ神の女の御子の手によってかしらを砕かれるのを待つばかりです。イエスの復活と昇天後何年もたって弟子のヨハネに与えられた預言的な幻は,「年を経たへび」なるサタンが天における神の御国の誕生後に天から追い落されたことを示しています。それからサタンは捕えられて,キリストの支配する千年のあいだ底知れぬ所に入れられて無力にされ,ついでゲヘナに落とされて永遠の滅びを受けることが,その幻の中で示された。
20 (イ)完全に砕かれたのち,サタンはもはやだれに干渉することがありませんか。(ロ)「いのちの言葉」が最初に与えられた時に関して,私たちはいま何を理解することができますか。
20 この順序で大いなる蛇サタンはそのかしらを完全に砕かれるのです。それで再び完全な人間となって全地にひろがる楽園に住むあがなわれた人類は,二度とサタンからの干渉を受けません。(黙示 12:7-17; 20:1-10)この記事のはじめのほうで,「いのちの言葉」は死が人間家族にはいってから間もなく,人類の最大の友,エホバ神によって与えられたと述べた理由がこれで理解できます。エデンの園においてその言葉は与えられました。
「いのちの言葉」をどうするか
21 (イ)希望を与えるこの知らせをどこから得ることができますか。(ロ)創世記から黙示録に至るまで聖書の本66冊の全体を通して,どんなすばらしい事が語られていますか。
21 しかし希望を与えるこの知らせはどこから得られますか。それは生命の偉大な与え主エホバ神の霊感によって書かれた本から得られます。それはこの輝かしい「いのちの言葉」をおさめた,全世界で唯一の本すなわち聖書です。ヘブル語で書かれた創世記と呼ばれる聖書の最初の本は,神の子のすえが蛇のかしらを砕くという神のエデンの御約束を述べています。19世紀前,最初通俗のギリシャ語で書かれた黙示録と呼ばれる聖書の最後の本は,「年を経たへび」サタンがその悪鬼たちと共に遂にかしらを砕かれて全くうせはてることを幻の中で述べています。神はご自分のすえイエス・キリストを通して人類のために救いを備えられました。そのご準備によって人類は死から永遠に救われ,また「年を経たへび」サタン悪魔の束縛から解放されて,神の天の御国の下に地上において平和で幸福な生活を,永遠に楽しむことができるのです。霊感を受けた聖書の本66冊,全部はこのすばらしい事柄を物語っています。
22 聖書はどんな種類の言葉と言えますか。なぜ正しくそう言うことができますか。
22 従って霊感を受けて書かれた聖書全体を「いのちの言葉」と呼ぶことができます。そう呼ぶのは正しいことです。聖書は神の愛にみちたご親切による賜物だからです。そのことについて次のように書かれています,「永遠の昔にイエス・キリストにあってわたしたちに賜わっていた恵み,そして今や,わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし,福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである」。(テモテ後 1:9,10,新口)聖書のほかに今日,「いのちの言葉」はありません。
23,24 (イ)「いのちの言葉」から益を受けるため私たちはそれをどうしなければなりませんか。(ロ)その言葉の中でさしのぶられている生命を得るため,どんな武器を用いて戦わねばなりませんか。
23 神の愛あるご親切によってこの「いのちの言葉」を持つ私たちは,それをどうすべきですか。私たちは死にゆく人間世界の中に住み,近づいている「全能の神の大いなる日の戦闘」のときに滅びるこの古い組織制度の終りの日を目のあたりに見ています。「いのちの言葉」から益を得て,その中に約束された神の新しい組織制度に永遠の生命を得たいと望むならば,私たちはたしかに「いのちの言葉」に固くつき従わなければなりません。この悪い組織制度と共に滅ぼされることなく,このような永遠の生命にふさわしい者であることを証明するために,私たちはこの言葉と一致した生活を送らなければなりません。神の霊的な子供となった人々にむかって,霊感を受けた使徒パウロは次の言葉を書き送っています,「すべてのことを,つぶやかず疑わないでしなさい。それは,あなたがたが責められるところのない純真な者となり,曲った邪悪な時代のただ中にあって,傷のない神の子となるためである。あなたがたは,いのちの言葉を堅く持って,彼らの間で星のようにこの世に輝いている」。(ピリピ 2:14-16,新口)この事をするならば,私たちは与えられた「いのちの言葉」を無駄にしたことにはなりません。私たちはこの生命を得るためにある意味で戦わねばなりません。そしてこの戦いに成功する手だてを持っています。それは何ですか。
24 使徒パウロは「いのちの言葉」すなわち神の言葉を「神の武具」のひとつである剣にたとえています。パウロはこう語っています,「また,救のかぶとをかぶり,御霊の剣,すなわち,神の言を取りなさい」。(エペソ 6:11-17,新口)生命のために戦いつづけ,象徴的な剣をたたき落されることのないように,「いのちの言葉を堅く持つ」ことが必要です。
25 (イ)「いのちの言葉」を自分のものだけにしておくべきかどうかは,どんな個人的な経験から知ることができますか。(ロ)「いのちの言葉」をどうすべきかについて,だれが親しく私たちに告げましたか。
25 しかしそれは「いのちの言葉」を自分だけのものにして,自分自身の救い,自分が永遠の生命を得ることだけに関心を持つという意味ですか。そのようにして私たちは「いのちの言葉」を手に入れましたか ― この言葉を持つ他の人々がそれを独り占めにしたため,エホバ神ご自身が私たちのもとに来られて手ずから「いのちの言葉」を与えられましたか。全くのところ私たちは否と答えざるを得ません。永遠の生命を私たちにもたらす神の手段であるイエス・キリストは,「いのちの言葉」をどうすべきかを私たちに告げられました。
26 (イ)私たちが生命を得ることはイエスと関連しています。それはイエスを指して用いられるどんな表現からも分かりますか。(ロ)イエスは自分一人で生命を楽しみましたか。また生命をもたらす手だてであるご自身をどのように描写しましたか。
26 イエス・キリストご自身が「いのちの言葉」と呼ばれています。エホバ神の代弁者であるイエスは「神の言」と呼ばれています。天におけるその公の称号は「言」でした。(黙示 19:11-13。ヨハネ 1:1,新口)神の新しい組織制度で永遠の生命を受けつぐ人々にむかって使徒ヨハネは,19世紀前のイエスの地上の臨在について次の事を書いています,「初めからあったもの,わたしたちが聞いたもの,目で見たもの,よく見て手でさわったもの,すなわち,いのちの言について ― このいのちが現れたので,この永遠のいのちをわたしたちは見て,そのあかしをし,かつ,あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは,父と共にいましたが,今やわたしたちに現れたものである ―」。(ヨハネ第一 1:1,2,新口)地上でイエスは言われました,「わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は,いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは,世の命のために与えるわたしの肉である……わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう」。(ヨハネ 6:51,57)神の御子は,利己的にも自分だけが生命を楽しむことをしませんでした。彼は私たちに生命を与えるために遣わされて来たのです。
27 (イ)「いのちの言葉」をどうすべきかについて,イエスはどんな最後の命令を与えましたか。(ロ)このように世界的にひろめる事自体は,なぜほめるべきことですか。
27 イエス自身,天から遣わされて,ご自分の中に宿る生命を与えるために来られました。そのようにイエスは「いのちの言葉」を持つ人々を遣わして,他の人々にその言葉を与えさせます。書かれた神の言葉の中から最後の教訓を弟子たちに与えたとき,イエス・キリストはこう言われました,「こう,しるしてある。キリストは苦しみを受けて,三日目に死人の中からよみがえる。そして,その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが,エルサレムからはじまって,もろもろの国民に宣べ伝えられる。あなたがたは,これらの事の証人である」。(ルカ 24:46-48,新口)「ただ,聖霊があなたがたにくだる時,あなたがたは力を受けて,エルサレム,ユダヤとサマリヤの全土,さらに地のはてまで,わたしの証人となるでしょう」。(使行 1:8,新口)イエスの追随者は,一致して「いのちの言葉」を地のはてにまで,宣べ伝えることを命ぜられました。このように宣べ伝えるのは全く正しいことでした。この言葉は全人類にとって生命の言葉だからです。