-
どんな「真理」が人々を自由にしますか目ざめよ! 1979 | 5月8日
-
-
同じ事柄がヨハネ 1章17節で次のように述べられています。「過分の親切と真理とはイエス・キリストを通して存するようになった」。
モーセを通して与えられた神の律法とは対照的に,「過分の親切と真理」はどんな意味でイエス・キリストを通して来ましたか。律法は,キリストに導く養育係としての役目を果たしました。(ガラテア 3:23-25)律法には,キリストにおいて成就する影または預言的な描写が含まれていました。この点に関して使徒パウロは次のように記しています。「あなたがたは,食べることや飲むことで,また祭りや新月の習わしや安息日に関して,だれからも裁かれるべきではありません。そうした事はきたるべきものの影であり,その実体はキリストに属しているのです」。(コロサイ 2:16,17)したがって,イエスは律法によって予表されていた事柄を,現実の領域つまり「実体」に移されましたから,「過分のご親切と真理とはイエス・キリストを通して存するようになった」のです。
-
-
どんな「真理」が人々を自由にしますか目ざめよ! 1979 | 5月8日
-
-
使徒パウロが次のように記しているとおりです。
「ひとりの人の罪過によって多くのものが死んだのであれば,神の過分のご親切と,ひとりの人イエス・キリストの過分のご親切を伴う神の無償の賜物とは,いよいよ多くの者に満ちあふれるからです」。(ローマ 5:15)「こうして,[アダムの]一つの罪過を通してあらゆる人に及んだ結果が有罪宣告であったと同じように,正しさを立証する[イエス・キリストの]一つの行為を通してあらゆる人に及ぶ結果もまた,命のために彼らを義と宣することなのです。ひとりの人の不従順を通して多くの者が罪人とされたのと同じように,ひとりのかたの従順を通して多くのものが義とされるのです」― ローマ 5:18,19。
-