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読者からの質問ものみの塔 1969 | 1月15日
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しかし,求愛の当事者となっていない人々についてひとこと注意を述べねばなりません。求愛している二人のクリスチャンの幸福に関心をもつのは良いことですが,ふたりの求愛に伴う細かな事柄はそれら両人およびその家族だけに関係のある全く個人的な問題です。ほかの男女はふたりの求愛の進展の様子についてせんさくする必要はありません。(ペテロ前 4:15)二人が他の人々を招いてあることを発表し,自分たちの喜びを人に伝えようというなら,それはそのことについて知る時です。あるいは,婚約した男子の行動からその人の霊的な円熟の度合が疑問になるなら,会衆を監督する務めをもつ兄弟たちはその点を調べることができますが,それを公に話し合ったり論評したりする事柄ではありません。
このすべてが強調するのは,結婚の申し込み,婚約,そして結婚そのものを真剣な事柄として扱うことの大切さです。こうした事柄において霊的な円熟性と賢明さとを示すクリスチャンは,聖書に従い,また自分の最善の益ともなる正しい事柄を行なえるでしょう。
● マルコ伝 15節25節(新)はイエスが刑柱につけられた時刻を第三時とし,ヨハネ伝 19節14節はそれを第六時としています。この相違をどのように説明できますか。一アメリカの一読者から
論理的で無理がないと思われるのは次の説明です。一日は12時間に区切られました。日の出から日没まで,つまり朝の6時ごろから夕方の6時ごろまでです。(ヨハネ 11:9)時間を分にまで分けなかったユダヤ人は,第四時が始まるまでの時間を第三時と呼びました。今日でも,実際には30歳9か月の人が,自分は30歳であると言う場合と同じです。それで,マルコが言う第三時は第四時が始まる午前10時ごろに近かったかもしれません。ヨハネは「時は第六時ごろなりき」と述べて,自分が時刻の面で正確であるとはしていません。それは午前11時半ごろであったかもしれず,あるいはそれより早かったかもしれません。この日はイエスの追随者にとって感情的に非常に緊張した日であり,できごとの起こった正確な時刻という必ずしも重要でない事柄に対しては,それほど注意していなかったことでしょう。また,当時の人々は腕に便利な時計をつけるというようなことをしていませんでした。この点も見落としはなりません。時刻を定めることは一般には太陽を見てなされたに違いありません。そして太陽は雲やかすみによって十分に見えなかったかもしれず,計られる時刻はせいぜい推定でしかなかったでしょう。また,ヨハネが自分の記述を書いたのは,このできごとが起こった時からおよそ65年後でした。この点にも注意すべきです。こうした要素のすべては二つの記述の時間的な相違の多くを埋めるものとなるでしょう。
問題に関係しているかもしれない別の点があります。むちで打つことは刑柱につける手順の一部とみなされていました。それは恐ろしいほどに残酷なものであり,打た者がそれによって死ぬこともありました。そして,イエスの場合にもかなりきびしいものであったかもしれず,それゆえに,はじめはイエスが自分で刑柱を背負っていたのに,途中でだれかに助けさせる必要があったのかもしれません。(ルカ 23:26。ヨハネ 19:17)もしこのむち打ちが刑柱につける手順のはじめであったなら,むち打ちの開始から刑柱に実際に釘づけするまでには時間の経過があったはずです。刑柱につける手順のどの段階で時刻に留意するかによって,人はさまざまな時刻をあげることになるでしょう。それで二つの記録の相違の説明となる要素は数多くありますが,両者の間に調和の可能な相違があることそのものは,ヨハネが自分の記述をそれより以前に書かれたマルコの記述と厳密に一致させようとするような,故意の努力をしなかったことの証拠です。記録を単にねつ造していたのであればヨハネは当然にそうしたであろうと思われるからです。
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正直な心に打たれるものみの塔 1969 | 1月15日
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正直な心に打たれる
◆ アメリカ,カリフォルニア州ポモナにおける,エホバの証人の「人々を弟子とする」地域大会の開催中,ひとりの出席者が36万円相当のカメラを失いました。彼は紛失届けを警察に出しましたが,やがて,カメラが大会の遺失物預かり部門に届けられていることを知り,警察にそのことを知らせました。
しかし,そのカメラが本当に届けられているかどうかを確かめるため,警察は大会の遺失物預かり部門に係官を派遣しました。その高価なカメラが届けられていることを知った係官は,「この目で見なければ,こうしたことはとても信じられない」と語りました。ちょうどその時,幼い子供が,拾ったお金を届けに来ました。その係官は深い感銘を受け,こう言いました。「すべての人がこのようになれば私はたちまち失業してしまうでしょう」。
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