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「すべてのめぐみをわするなかれ」ものみの塔 1965 | 12月1日
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すなわち,御国の事を第一として最善をつくし,自分の務を全うするなら,心の平和と満足を得られることです。時に色々な妨げのあることは確かです。しかし,うちかつなら,それらが私たちを霊的に強めるものとなるのです。
年がすすみ,健康と体力とが衰えても,これほど多くのめぐみを示されたエホバをいつまでも賛美できるように,自分の愛と忠実さとがいやますことは私の願いであり,また心からの祈りです。
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読者からの質問ものみの塔 1965 | 12月1日
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読者からの質問
● イエス・キリストはどんな動物に乗ってエルサレムに入城しましたか。マタイ伝 21章7節はろばと子ろばの両方について述べています。
エルサレムに遣わした弟子にイエスはこう言いました。「するとすぐ,ろばがつながれていて,子ろばがそばにいるのを見るであろう」。(マタイ 21:2)それで親または雌ろばおよびそれと一緒にいた子ろばがいたのです。それからマタイ伝 21章7節はこう述べています。「ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると,イエスはそれにお乗りになった」。
イエスが成就された預言をまず読むならば,実際にイエスがどの動物を用いられたかを理解するための助けが得られます。ゼカリヤ書 9章9節はこう述べています。「シオンの娘よ,大いに喜べ,エルサレムの娘よ,呼ばわれ。見よ,あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得,柔和であって,ろばに乗る。すなわち,ろば〔雌ろば〕の子である子馬〔成長した動物〕に乗る」。〔新世〕それでメシヤは「雌ろばの子」すなわち,「成長した」雄の動物を用いられるはずでした。
マルコ,ルカ,ヨハネの記録は,イエスの乗られた一つの動物だけを述べています。3人はその動物を「ろば」とも「小ろば」ともいっています。明らかにどちらの呼び名を使ってもその動物であることがよくわかりました。(マルコ 11:2-7。ルカ 19:30-35。ヨハネ 12:14,15)興味深いことにマルコとルカの二人は「だれも乗ったことのない」のが「小ろば」であると示しています。それは成長した雄の動物でしたが,それは母親から離れたことも人を乗せたこともありませんでした。そこで弟子は雌のろばとその子ろばをイエスのところへ連れて行きましたが,イエスの乗られたのは,雄のろば,すなわち子ろばでした。聖書には,弟子が「自分たちの上着をそれに投げかけるとイエスはその上にお乗りになった」,と書いてあります。それでイエスは雌ろばとその子ろばの両方ではなく,子ろばにおかれた上着の上に乗られたのです。それからキリストはエルサレムに入城されました。
● 「バビロニヤ人がながい眠りにいり,目をさますことはない」と述べているエレミヤ記 51章39,57節をどのように理解できますか。彼らが復活しないという意味ですか。
エレミヤ記 51章はバビロンの倒壊を予言的に語っています。その中でエホバは,バビロンの力をくだくために周囲の諸国を起こすことを知らせておられます。この予言の途中,39節と57節はこう述べています。「彼らの欲の燃えている時,わたしは宴を設けて彼らを酔わせ,彼らがついに気を失ってながい眠りにいり,もはや目をさますことのないようにしようと〔エホバ〕は言われる」。「わたしはその君たちと知者たち,おさたち,つかさたち,および勇士たちを酔わせる。彼らはながい眠りにいり,目をさますことはない」。
バビロンがメデヤ人とペルシャ人に倒された晩に,ベルシャザル王は1000人の高官のためにぜいたくな酒宴を開き,人々は大酒を飲みました。しかし夜が明ける前に,「カルデヤびとの王ベルシャザルは……殺され」,王のまわりにいた者や路上で捕えられた者など多くの者が殺されて敵の兵士は町の支配を手中におさめました。(ダニエル 5:1-4,30)彼らは翌朝,目をさます酔っぱらいとして眠りについたのではなく,死んだのですからながい眠りについたことになります。
彼らは文字通りの酒だけでなく,彼らが汚したエホバ神の象徴的な「怒りのぶどう酒の杯」の結果を苦しみました。彼らのうちにある戦争の剣は彼らを酔っぱらいのようによろめかせました。剣で殺されたある者は,人間に起こしてもらえない「ながい眠り」につきました。―エレミヤ 25:15,16,26。
すると彼らは,使徒ヨハネが裁きの御座の前に立つのを預言的に見た「大いなる者も小さき者も」いる死者のうちに含まれず,復活されないということになりますか。(黙示 20:12,13)そのようなことはありません。ベルシャザルはその王朝の最後の王でした。彼はバビロンが倒れた晩に殺され,「ながい眠り」につき,いまだに目をさましていません。酒酔いなら一晩寝てなおすことができますが,彼は酒に酔ったのではなく,殺されたからです。それで彼はシェオールにいる者の中に含まれて
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