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苦しむことを喜ぶものみの塔 1972 | 7月1日
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人もし我に事へんとせば,我に従へ,わが居る処に我に事ふる者もまた居るべし。人もし我に事ふることをせば,我が父これを貴び給はん。
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苦しむことを喜ぶものみの塔 1972 | 7月1日
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11 この点でイエスはご自分の事がらだけを考えておられたのではないことがどうしてわかりますか。
11 しかしながら,イエスが次にご自分に仕える人たちについてヨハネ伝 12章26節で言われたことばによれば,イエスが単にご自身のことだけを考えておられたのでないことは明らかです。ご自分が刑柱の上で特異な価値を帯びた犠牲の死を遂げようとしていたことは確かにご存じでした。しかしまた,ご自分の足跡に従う親密な追随者もしくは弟子たちを持つのはみ父の大いに喜ばれる事がらであることもご存じでした。それらの人たちも自分を捨てて同様の道を進み,刑柱を負い,イエスに終始従うよう招かれるのです。イエスが少し前に,つまり変貌を行なうほんの少し前に言われたことばはこのことを確証しています。それは他の福音書の各の筆者によってほとんど同様のことばづかいで記録されています。「人もし我に従ひ来らんと思はば,己をすて,己が〔刑柱〕を負ひて,我に従へ。己が〔魂〕を救はんと思ふ者は,これを失ひ,我がために,己が〔魂〕をうしなふ者は,之を得べし」― マタイ 16:24-27〔新〕。マルコ 8:34-38。ルカ 9:23-26。
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