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なぜ人々は祝うかものみの塔 1961 | 12月15日
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エゼキエル書 8章によると,エホバの宮の汚れが述べられています。それは,宮の壁の書かれた憎むべき絵のほかに,「悪き憎むべき事ども」があり,イスラエルの長老はそれに香を焚きました。その「悪き憎むべき事ども」は,女どもが真の神にささげられた宮の中でバビロンの神タンムズのために泣いて行なった「悪き憎むべき事ども」よりも悪いものでした。それはどんなことでしたか。25人の人々は,「東にむかいて日の前に身をかゞめをる」。この3世紀と4世紀に異教のローマ人に伝えられたこの太陽崇拝は今日のクリスマスの祝いの基礎になっているのです!
クリスチャンのするべきこと
イエスの死んだ日は聖書中に明記されているにもかかわらず,イエスの生まれた日が述べられていない事実は,クリスチャンに対する警告でなければなりません。聖書を書いた人々がその日を知らなかったわけではないのです。むしろ,その日が意識的に無視され,故意にかくされたようです。聖書の中には一語といえどもキリストの誕生日を祝えということを示す句はありません。もし私たちがキリストの誕生日を祝わねばならないなら,聖書はすくなくともその日付を示したはずです。その日付のないことは,見のがしたということでもありません。聖書を書いた人々は,キリストの約束した聖霊を持っていました。その聖霊は,彼らに必要なものをことごとく思い出させたのです。イエスは彼らにこう告げられました,「しかし,助け主,すなわち,父がわたしの名によってつかわされる聖霊は,あなたがたにすべてのことを教え,またわたしが話しておいたことを,ことごとく思い起させるであろう」。―ヨハネ 14:26,新口。
クリスチャンの守るべきひとつの祝いがあります。それは,異教主義に端を発しているクリスマスの日とは全く反対のものです。それはイエスの誕生を祝うのでなく,彼の死を祝うのです。その日ははっきりしています。それはユダヤ人の暦によると,過越の日であるニサン14日です。それは,冬でなく春に行なわれます。イエスは,ご自分の始めたこの新しい祝いについて,「わたしを記念するため,このように行いなさい」と言われました。(ルカ 22:19,新口)その言葉は,彼の誕生について語られたのではありません。春,彼の死を祝うことだけが,クリスチャンに対して聖書の命ずるただひとつの儀式です。
この記事の中に引用した権威者たちは同意していませんが,第1世紀の初期クリスチャンたちは,異教の祝いを拒絶しました。キリストの名前は,そのような異教の祝いにつけられたに過ぎません。真のクリスチャンもそれを拒絶します。彼らは,太陽の再生 ― それにつけられる名前にかかわりなく ― を祝わず,キリストの死だけを祝います。彼らは使徒ペテロと意見を同じくするが故に,このことをするのです。
「過ぎ去った時代には,あなたがたは,異邦人の好みにまかせて……もうそれで十分であろう」。―ペテロ前 4:3,新口。
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シンガポールからの報告ものみの塔 1961 | 12月15日
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シンガポールからの報告
軍隊に勤務する幾千名という人々 ― その多くは家族連れ ― が,外国から来て,シンガポールで2年半勤務します。その中の大ぜいの人々は英国でエホバの証者と研究したことがあり,その中のある者は英国で伝道を始めています。これらの人がシンガポールに来ると,新しい世の社会とよろこんで交わります。ある人々は,極東に来てのちに活発になり,御国の側に立ちました。英国で真理に接したひとりの善意者は,シンガポールに来たとき病気になりました。心臓病であるから,熱帯地の気候は彼女の健康に良くないので,英国に帰りなさいと医者は彼女に告げました。ちょうどそのとき,彼女は聖書研究をふたたび始め,真理についての知識と理解が進むにつれて,彼女の健康も良くなりました。彼女はエホバに生命をささげて,休暇開拓者になりました。しかし,熱帯の気候で働くのはどうでしょうか。この姉妹は良いスケジュールをつくったので,自分の家族の世話をするだけでなく,その月中,孤立した区域で100時間の奉仕を報告することができました。彼女はその地でほとんどひとりで奉仕し,160冊の雑誌を配布し,29の再訪問をしました。―エホバの証者の年鑑(英文)より
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