『見よ! 私は凡ての物を新しくする』
1-4 (イ)どんなすばらしい見込が,いま全人類にありますか。(ロ)なぜ,そのことを証明するいろいろな事実について真剣に考慮すべきですか。
この頁に示されている幸福な人々を見てごらんなさい。あなたもその一人になりたいとは思いませんか。もちろんです,と言われるでしよう。ここには全人類の望んでいる平和と一致があるのです。黒人も白人も黄色人種も,あらゆる人種の人々が,ひとつの家族としていつしよになつています。なんというよろこび! なんという一致でしよう! これらの人々が「死の灰」とか,水素爆弾の危険についてすこしも心配していないことは明らかです。ジェット戦闘機は,この美しい公園の平和な上空をかきみだしません。兵隊もいなければ,戦車もなく,鉄砲もありません。秩序を保つためのお巡りさんの警棒も必要でないのです。戦争とか犯罪は,そこにありません。また住宅が不足するということもありません。すべての人は,美しい自分たちの家を持つているからです。
2 その子供たちを見てごらんなさい。子供たちの遊んでいる様子を見るのはよろこびです。遊び相手の動物たちを見てごらんなさい! この公園のなかでは,鉄の檻は必要でありません。すべての動物は人間と仲良くなり,また動物どうしも仲良くなるからです。獅子でさえ羊と仲良くなつています。美しい色模様の鳥があちらこちら飛びまわつているのを見てごらんなさい。そして,鳥の快いさえずりが子供たちの笑い声に加わつて,大気にみちみちるのを聞いてごらんなさい。鳥籠はないのですか。そのようなものはありません。この場所では,すべてが自由であり,そのよろこびにかぎりはないのです。ちよつと,その花の匂いをかいでごらんなさい。清らかな流れのさざなみを聞いてごらんなさい。太陽の快いあたたかさを感じてごらんなさい。その籠の中の果物は,なんとおいしいものでしよう! それはこの地で産出した最善の果物です。まつたく,この美しい公園のような園の中のすべてのものは一番良いものです。
3 しかし,いつたい年を取つた人々は,どこにいるのだろう,と或る方は言います。年を取つた人々にも,この幸福な社会のよろこびを分ち合うべきではありませんか。実際のところ,年を取つた人々はそこにいるのですが,若返つているのです。この公園の中では,老衰で死ぬ人はひとりもいません。子供が成人になつて後は,もう年を取りません。20歳の者でも200歳のものでも,この公園のなかに生活する幾百万という人々は,みな完全な健康でいつまでも若々しさを楽しみます。幾百万人とう人々? そうです,幾百万という人です。この公園は地のはてまでもひろがつているのです。富士山からヒマラヤ山にいたるまで,香港から地中海にいたるまで,まつたくどこもかしこもこの公園の中には自然の美がことごとく見られます。全地は楽園の園に変り楽園は地上のあらゆる場所に復興されるのです。
4 とても信じられない,と言われますか。では,最初にそのことを証明する事実を検討して下さい。あなたとあなたの家族も,現在の苦しみに充ちるこの世の滅亡に生き残つて,この前の頁に示されているような新しい世に入ることは可能なことです。a
楽園を説明する本
5 (イ)どんな本は,これらの事柄を説明しますか。(ロ)どんな面でこれは特別顕著な本ですか。
5 このようなすべてのすばらしい事,およびそのたしかなことは,1冊の本の中で説明されています。それは今までに書かれた本の中でいちばんすばらしい本です。それは聖書と呼ばれます。それは地上でいちばん古い本であり,その起源は約6000年のむかしにまでさかのぼります。しかし又,それはいちばん最新の本でもあつて,現代の生活にたいする健全な助言,実際的な助言を述べている本です。その本の予言は,将来にたいする明るい希望をなげかけます。歴史全部を通して,聖書はいつでも一番良く売れる本でした。20億冊以上の聖書は,1100以上のちがつた言語で全世界に配布されています。
6 どういう面で聖書は,他の聖なる書物とはちがいますか。
6 聖書以外の本で,これほど広く配布されている本は1冊もありません。また,聖書の半分の古さを持つている本も1冊もありません。回教のコーランは,1400年の古さにも達していません。仏陀と孔子は約2500年むかしの人で,両人の本の年代はその時からのものです。神道の書物は,わずか1200年のむかしに現在の形式にへんさんされました。モルモン教の本は,140年しか経つていません。6000年にもわたる人間の歴史を正確に書き記している聖書に対して,これらの聖典の中の1冊といえども太刀打ちできるものはありません。それですから,最初の宗教を理解するために,私たちは聖書に行かねばなりません。聖書だけが全人類に対する一般的な音信を持つ本です。
7 物事を考える人々は,聖書について何と言いますか。
7 あらゆる国で,またあらゆる階級に属する人の中で,物事を深く考える人々は,聖書の音信の持つ智恵と美を認めています。有名な科学者で,重力の法則を発見したアイザック・ニュートン卿は,『聖書以上に良く証明されている科学はない。』と語りました。『我に自由を与えよ,しからずんば死を』という言葉を叫んだので有名なアメリカの革命指導者パトリック・ヘンリーは,次のように言いました,『聖書は,いままでに出版された他の全部の本と同等の価値がある。』ヒンヅー教の大聖マハトマ・ガンジーもインド駐在の英国総督にこう語りました,『あなたの国と私の国が共に,山上の垂訓中のキリストの残した教えに従うならば,我々の国の諸問題を解決するだけでなく,全世界の諸問題をも解決するであろう。』ガンジーは,聖書のマタイ伝 5章のことを語つていました。あなた自身もこの章を読んでごらんなさい。その力強い音信に心の躍るのをかならず感ずるでしよう。
聖書は東洋の本
8 (イ)聖書の起源は何でしたか。(ロ)聖書はどんな種類の本ですか。(ハ)その著者について聖書を書いた人々は何と言いましたか。
8 一般に広く信じられている事柄とはちがい,聖書は西洋文明の所産ではなく,また西洋文明を称揚しているのでもありません。聖書のほとんど全部は,東洋の国々で書かれました。聖書を書いた人は,みな東洋人でした。今から約6000年のむかし,最初の人間アダムは中東ではじめて書くことをしました。仏陀が生まれる時よりも約3500年のむかしアダムは『天と地が創造されたその歴史』(創世 1:1から2:4)と『アダムの歴史の本』(創世 2:5から5:2)を書きました。最初の人間はこれらのことを知つていました。彼をつくつた創造者が,それらのことを告げられたか,または彼みずから経験したから,それらのことを記録することができました。しかし,彼は創造者に忠実を保たなかつたのです。それから約2500年の後,そして仏陀よりも1000年もむかしに,神の人であつたモーセはアダムの歴史や,昔の人の書いた九つの他の歴史を編集して一つの連続の記録をつくり上げました。この記録は,創世記と言う聖書の最初の本で始まります。この最初から,黙示録の最後の本にいたるまで,聖書は一つの調和のある主題に従つています。聖書の最後の本は,仏陀の時から約600年後に書かれました。聖書は66冊のちがつた本でつくり上げられていることを御存知でしたか。まつたく,聖書は本の集められたものです! セーセの時以後1600年以上の期間をかけて,約35人のちがつた人々は完全な調和にみちる聖書の記録を書きました。彼らは,人間よりもはるかに高い力の霊感をうけて書いたと証言しています。―サムエル後 23:2。ペテロ後 1:21。ルカ 1:70。
9 (イ)聖書は,どのように私たちの時代まで伝わつてきましたか。(ロ)現代の聖書が正確であることについて何と言えますか。
9 また,聖書が今日まで伝わつてきた点も極めてすばらしいものです。いまから約500年むかしに印刷術が発明される時までの幾千年ものあいだ,聖書の写本は手でなされてきました。何度も何度も写本されましたが,しかしいつでも細心の注意を払つてなされてきました。今日でも,約1万6000もの手でつくられた聖書写本,あるいは聖書の部分が存在しています。その或るものは,キリスト前2世紀からのものです。むかしの文学作品で,聖書ほどに写本され,また再写本されたものはありません。手で書かれたたくさんの写本を比較することにより,再写本の際に生じたあやまりは,極めてわずかであること,および聖書の原文を確立することは可能であると証明されました。聖書写本の指導的な権威者フレデリック・ケンヨン卿は次のように言つています,『聖書は書かれた時と同じく正しく我々のところまで伝わつて来た,ということに対する疑いの最後の土台は今や取りのぞかれた。』さらに,聖書が最初に書かれたヘブル語,アラミヤ語,ギリシャ語から,聖書は地上にあるほとんどすべての言葉に正確に訳されているのです。
10 現代のいろいろの発見は聖書をどのように確証しましたか。
10 ある人々は,聖書は正確なものでないと言い,聖書に対する信用を落そうとしてきました。しかし,近年になつて考古学者たちは聖書の地にあつた古代都市の遺跡を掘りあげて,碑文とか他の証拠品を発見しました。それらの事物は,一番古い聖書の記録中に述べられている人物とか場所が実際にあつたことを疑問の余地なく証明するものです。いまから4000年以上のむかしのノアの時代に,世界的な洪水があつたと聖書は述べています。考古学者たちは,そのことを証明するたくさんの証拠を発掘しました。この点について,考古学者でもあり又考古学の権威として広く知られている三笠宮は,次のように述べています,『はたして大洪水はほんとうにあつたのでしようか。近年考古学者の発掘の結果,洪水がじつさいにあつたことが,りつぱに証明されました。』b
聖書の神
11 (イ)全能の神はいますか。(ロ)彼は名前を持つていますか。
11 ある人々は聖書のことをあざけつていますが,同様に他の人々は全能の神のおられることをあざけつています。(ペテロ後 3:3-5)そういう人々は,こんな風に言います,『神を見ることができないのに,どうして神を信ずることができようか。人間よりも高い見えざる創造者のことなど,どうして理解することができるか。神は万物の中に住まわれないのか。』また『神も仏もない』と言う人々もいます。しかし,聖書の示すところによると,私たちがみな地的な父親を通して生命を受けるのと同じく,私たちの一番最初の先祖は天的な父なる創造主から生命を戴きました。その創造主の御名前はヱホバです。―詩 100:3。
12,13 ヱホバ神に関するいくつかの顕著な事実は何ですか。
12 ヱホバは聖書の著者です。ヱホバは永遠にわたつて大いなる霊者です。(ヨハネ 4:24。詩 90:1,2)その御名ヱホバは,彼の被造物に対する目的について注意を呼びおこします。悪しき者たちを滅ぼして,ヱホバを愛する者たちを救い,そしてその新しい世でよろこびの生活をさせることは,彼の目的であります。(出エジプト記 6:2-8。イザヤ 35:1,2)彼は全能の神である故,このことをする力を持つています。全宇宙の創造者であるヱホバは,一般普通の国家的な神々や偶像よりもはるか上におられる方です。―イザヤ 42:5,8。詩篇 115:1,4-8。
13 ヱホバは,2冊の大きな本を通して御自分を人類に知らせました。この2冊の本の中でより重要な本は,ヱホバの目的を知らせている聖書です。(ヨハネ 17:17。ペテロ前 1:24,25)他の本は,創造の記録であつて,私たちはすべての自然を観察して,読むことができます。
14 自然の本は神についてどのように証明しましたか
14 最近の世紀になつて,科学者たちは自然の本を研究することにたくさんの時間をついやしました。科学者たちの結論は何でしたか。電気を発見した人のひとりで,有名な英国の科学者ケルビン卿は,次のように語りました,『科学を徹底的に研究すればする程,科学は無神論というものを私たちから取りのぞいてしまうと,私は信ずる。』同じく有名な欧州の科学者アルバート・アインシュタインは,こう論じました,『おぼろにしか見えない宇宙のすばらしい構成に思いをめぐらし,自然界に表明されている叡智の極く微少の部分を理解しようと謙遜に努めるだけで……私にとつては充分である。』アメリカの科学者でノーベル賞受領者のアーサー・ホリー・コンプトンは,次のように言いました,『秩序正しく広がつている宇宙は,「はじめに神」というもつとも壮厳な言葉の真実さを証明するものである。』彼は聖書の初めの言葉を引用していました。
15,16 (イ)宇宙はどのように神の知恵を表わし示しますか。(ロ)神は存在しないと言うことの愚かさを,例を用いて説明しなさい。
15 強力な諸国家の支配者たちは,スプートニクやその他を宇宙に発射したので,自分たちの叡智や科学の業績を誇るかもしれません。しかし,地球のまわりを回る月とか,太陽のまわりを回る惑星にくらべるとき,彼らの宇宙船はなんと取るに足らない小さなものでしよう! 幾十億という天の星団をつくつたヱホバの創造と比較するとき,これらの人間の業績はなんと小さなものでしよう! それぞれの星団は,地球に光を与える太陽と同じような太陽を幾十億も持つているのです。ヱホバはそれらの星団を,測り知れぬ程の長い時をかけて宇宙内に群分けし,定め置かれています!(詩 19:1,2。ヨブ 26:7,14)ヱホバが人間をいなごのように見なし,強力な諸国家を『無きにひとしい』と見られるのもまつたく当然です。―イザヤ 40:13-18,22。
16 あなたは家に住んでいますか。たぶん,あなた自身の力でその家を建てたのではないでしよう。また,その家を建てた人のことも知らないでしよう。しかし,その家を建てた人を知らなくても,或る理知のある人がその家を建てたということは認められるでしよう。その家がひとりでに建つたと考えることは,全く馬鹿らしく見えます! 大宇宙や,その中の万物をつくるには,家をつくる時よりも無限に大きな理知が必要だつたのですから,理知のある創造者がいないと言うことは愚かに見えませんか。ほんとうに,愚か者だけが心の中で『ヱホバはいない』と言います。―詩篇 14:1,新世。
17 神は賛美を受けるのにふさわしい方であることを示しなさい。
17 自然のすばらしい驚異,花,鳥,動物,人間という驚嘆すべき創造,生命と誕生の奇跡 ― これらのものは,みなその産出者,目に見えない大叡知を証明します。(ロマ 1:20)叡知のあるところ思考力があります。思考力のあるところには,個性を持つ者がいます。最高の叡知は,すべての生けるものの創造者,生命のみなもとなる最高者の叡知です。(詩篇 36:9)ほんとうに,創造者はあらゆる賛美と尊崇を受けるにふさわしい方です。―詩篇 104:24。黙示録 4:11。
18 なぜ神は諸国民の戦争に参加しませんか。
18 第二次世界大戦のつらい経験から神への信仰を失つた人がいます。旧教であろうと,新教であろうと,あるいは東洋の宗教であろうと,戦争中には,それぞれの国は自分たちの『神』に願い求めました。『神』は或る国々に勝利を与えて,他の国々の敗北を許したと言えるでしようか。これらの国々の中で,真の神を呼び求めた国は一つもなかつたと,聖書は示しています。天と地の創造者であられるヱホバ神は,諸国民のあいだの混乱や戦争に対して責任を持ちません。(コリント前書 14:33)ヱホバ神の御考えは,この地上の政治的な国家や,軍事的な国家の考えよりもはるかに高いものです。(イザヤ 55:8,9)同じくヱホバの真の宗教と崇拝は,諸国民の戦争と何の関係も持つていません。ヱホバは軍事的な神々よりは,ずつと上におられ,そしてヱホバだけがすべての国の平和愛好者たちの神であられるのです。聖書は次のように述べています,『神は人をかたよりみないかたで,神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さる。』(使行 10:34,35,新口)すべての国にいる善意者たちは,いま聖書を学んでおり全人類の創造主であられる唯一つの真の神の崇拝を行つています。―使行 17:24-27。
19 キリスト教国がキリスト教のものでなく,神に反対するものと何が証明しますか。
19 或る人々は,聖書に従うと主張するキリスト教国内の分裂を指摘します。そして,『聖書を持つ国々が,原子爆弾や水素爆弾の試験に大わらわになつているのに,聖書の神を信ずることなどどうしてできようか』と言います。事実はこうです,聖書はいつでも真実ですが,キリスト教国の諸国家は聖書のキリスト教からは全くかけ離れています。本当に北極と南極のあいだほどかけ離れているのです。口先でキリスト教と言つている点で彼らは偽善者です。聖書を持つていますが,その教えに従わないのです。広島に最初の原子爆弾投下を命じたアメリカの大統領は,かつて次のように叫んだことがあります,この世界危機の只中にいる人間をみちびくため『イザヤか聖パウロはぜつたいに必要である!』この大統領が,聖書のイザヤを信じたのであるなら,原子爆弾を投下しなかつたでしよう。イザヤは「剣をすきに打ちかえ,やりを鎌にかえるよう」提唱し,また聖書のパウロはこのように述べたのです,『私たちは……肉に従つて戦つているのではない。私たちの戦いの武器は,肉のものではなく。』(イザヤ 2:4。コリント後 10:3,4,新口)キリスト教国の諸国家は聖書の賢明な助言に従つていません,かえつて大きぼな軍備競争にまきこまれています。聖書に従うクリスチャンであるというその主張は,いつわりです。神のみこころを行わなかつたことに対して,神のさばきを受けるでしよう。―マタイ 7:18-23。
ヱホバの奇跡と創造
20 神の奇跡を信ずることはなぜ理に合いますか。
20 ヱホバは創造し,奇跡をいたします。水を血に変えたこと,紅海の水が分れたこと,イエスが処女から生まれたこと,そして聖書の中の他の奇跡について疑問に思つたことがありますか。人間の理知の力は限られているものであるため,おそらく或る奇跡がどのように起つたかは決して理解できないでしよう。丁度,太陽が毎日のぼつては,没して行く奇跡について,十分に理解できないのと同じことです。人間の創造は奇跡でした。現代の人はその奇跡を見ていません。しかし,その奇跡の行われたことを知つています。人間が今日生きているということは,その事実を証明するものです。全くのところ,すべての生命と全宇宙は,ひとつの永久の奇跡です。神の言葉である聖書の述べるところによると,神は特定な時のために特定な奇跡を行つたのであつて,今日,同じ奇跡をする必要はありません。私たちは,そのことに疑いを持つべきでしようか。
21 神のもつともすばらしい創造を述べなさい。
21 ヱホバの創造は,みな奇跡であつて,すばらしいものです! しかし,ヱホバのすばらしい創造の中でも彼の最初の創造はいちばんすばらしいものです。これは霊者なる御子の創造でした。聖書はこの御子について次のように述べています,『御子は,見えない神のかたちであつて,すべての造られたものに先だつて生れたかたである。万物は,天にあるものも,地にあるものも,見えるものも見えないものも,……みな御子にあつて造られたからである。これらいつさいのものは,御子によつてつくられ,御子のためにつくられたのである。』(コロサイ 1:15,16,新口。ヨハネ 1:3)この天的な子は『言葉』と呼ばれました。つくられてから非常に長い年月を経てのち,彼はこの地上に来て『人間キリスト・イエス』と呼ばれました。(テモテ前 2:5)それですから,彼については次のように言われたのです,『そして言葉は肉体となり,私たちのうちに宿つた。私たちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であつて,めぐみとまこととに充ちていた。』― ヨハネ 1:14,新口。
22 (イ)神と御子との関係は,どのように説明することができますか。(ロ)神は他の霊者なる子たちを創造したと,何が証明しますか。
22 この父と子の関係は,会社の社長と実務を行う者との関係になぞらることができます。実務をする者は社長の思う通りのことをします。この御子はシンゲン 8章22,30節(新世)で次のように語つています,『ヱホバが昔そのわざをなし始められるとき,そのわざの初めとして私をつくられた。私はその側にあつて巧みな働き手となつた。』ヱホバは実務を行うこの御子により,神の子なる他の霊者たちを数多く創造しました。後日,これらの霊者たちはヱホバの巧みな働き手が,物質の天と私たちの住むこの地球をつくり出すのを見て非常によろこびました。これらのものが創造されたことを疑いますか。ヱホバはむかしのヨブに次の質問をいたしました,『私が地の基をすえた時,どこにいたか。もしあなたが知つているなら言え。かの時には明けの星は相共に歌い,神の子たちはみなよろこび呼ばわつた。』― ヨブ 38:4,7,新口。
23 ヱホバのどんな地的の創造は,特別にすぐれていますか。そして,どんな面で?
23 時の経つにつれて,ヱホバは生物をこの地上に創造しました。植物や,木や,花や,魚や,鳥や,動物を創造したのです。(創世 1:11-13,20-25)それから,神は巧みな働き手にむかい,こう言われました,『われわれのかたちに,われわれにかたどつて人をつくり,……神は自分のかたちに人を創造された。すなわち,神のかたちに創造し,男と女とに創造された。』(創世 1:26,27,新口)神のかたちに,神にかたどつてつくられた最初の人間は,神の大きな属性である愛,知恵,公正そして力を与えられていたので,動物よりもはるかにすぐれた者でした。人間は考えることができる,将来の計画を立てることができる,そして神を崇拝する能力を持つているという点で動物とはちがうのです。動物は物事を考える智力というものを持つておらず,本能に従つて生活します。創造者などはいないと言つたり,また多くの能力を持つ理知ある人間が,理知のない下等動物から進化してきたなどと言うのは,何と愚かなことでしよう!―詩篇 92:6,7; 139:14。
24,25 (イ)人間の前にはどんなすばらしい見込が置かれましたか。(ロ)なぜ地上の人口過剰というような問題はないのですか。
24 神とその御子の両者は働く方々です。それで神は,この地上の仕事を人間にも与えました。(ヨハネ 5:17)神は最初の男と女であるアダムとエバにむかつて,次のように言われました,『生めよ,ふえよ,地に満ちよ。地を従わせよ。また海の魚と,空の鳥と,地に動くすべての生き物とを治めよ。』(創世 1:28,新口)人間はふえて地に満ちてから,その後でもふえつづけ,遂に地が人口過剰になるということですか。そうではありません。茶わんにお茶をつぎなさいと言うとき,お茶が茶わんから溢れ出でしまうまでつぐようなことをしません。お茶わんが一杯になるなら,つぐのを止めます。同じように,『地にみちよ』という人間に対するヱホバの命令は,居心地が良い程度に地が満ちてから人間の生殖を中止させるという目的を示します。完全な人間社会のなかでは,これはすこしも問題になりません。今日の不完全な人類の世界では人口過剰が問題となつているのです。
25 神は『東のかた,エデンに一つの国を設けて』そこに人間を置きました。それはこの記事の最初の頁にある園のような楽しい園でした。しかし,その時にはアダムとその妻だけ,つまり二人の人間しかいなかつたのです。この最初の園は中東に在つたということは知られています。その園の中を流れていたと聖書の中に述べられている川のいくつかは,今日でも存在しています。(創世 2:7-14)人間はこの園を中心地として用い,ここからひろがつて全地を耕し,全地球を一つの楽園にするというすばらしい機会を持つていました。―イザヤ 45:12,18。
反逆と死
26 いまどんな質問が起りますか。
26 楽園の地をつくることが神の目的であるなら,今日の地上が悪や,くるしみそして悲しみで満みているのはなぜでしようか。けつきよくのところ,神は全能でないと証明するのではないでしようか。神はそのような悲しみの源でしようか。そのような状態が終るという希望はありますか。聖書は何を示しますか。
27 反逆はどのように神の園に入りましたか。
27 聖書の示すところによると,ヱホバは地上に人間を創造したとき,その霊者なる子たちのひとり,『智恵に満ち,美のきわみである』者をエデンに置き,奉仕の特定な特権を行わせました。この御使は『神のエデンの園』にいました。しかし,「自分の美しさのために心にたかぶり」彼はヱホバを崇拝せず,自分自身を崇拝するようになりました。(エゼキエル 28:12,14,15,17)彼は,創造者なるヱホバに捧げられていた最初の男と女の崇拝を引きはなして,自分自身にささげさせようと決意しました。この御使は,一匹の蛇を用いてエバにうそを語り最初にエバを,そして,次にはその夫アダムをして全能の神にそむかせたのです。―創世 2:15-17; 3:1-6。
28 人間は不従順であつたため,どんな結果が人間に及びましたか。
28 不従順に対する刑罰は死であると,神は述べられました。ヱホバは最初の女に宣告を告げた際,次のように語りました,『私はあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお,あなたは夫を慕い,彼はあなたを治めるであろう。』男のアダムにむかつて神は次のように言いました。『あなたは顔に汗してパンを食べ,ついに土に帰る。あなたは土から取られたのだから。あなたは,ちりだから,ちりに帰る。』(創世 3:16-19,新口)この不従順な夫婦は,幸福の楽園から,まだたがやされていない地に追い出されました。時たつ中に両人は死にました。―創世 5:5。
29 誰が人類の目に見えない支配者として残りますか。この世界は,彼の性格をどのように反映しますか。
29 人間をあざむいた御使は,蛇として知られるようになりました。(コリント後 11:3)彼は又『反対者』という意味のサタンとも呼ばれ,『そしる者』という意味で悪魔とも呼ばれています。彼もまた,死の宣告下におかれました。(創世 3:15。ヘブル 2:14)しかし,彼がしばらくのあいだ,堕落した人類の諸国民や宗教を支配しつづけることは,ヱホバによりゆるされました。今日の世界のいたるところで,利己主義や,愛のないこと,そして不正というサタンの性質が見られるということに,あなたは同意されるでしよう。たしかに,現在の世界はその見えざる支配者の性格を反映しています。そのわけで,聖書は次のように述べているのです,『全世界は悪しき者の配下にある。』― ヨハネ第一書 5:19,新口。
30 『罪』とは何ですか。人類に及んだその結果は何ですか。
30 アダムとエバが,完全な的からはずれた後になつて,子供たちを産みはじめました。今日のすべての人間は,両人の子孫であるため,不完全であり,そしてその故にすべての者は死にます。聖書を書いたひとりの人は,次のような言葉を述べて,そのことをこう説明しています,『ひとりの人によつて,罪がこの世にはいり,また罪によつて死がはいつてきたように,こうして,すべての人が罪を犯したので,死が全人類にはいりこんだのである。』(ロマ 5:12,新口)この『罪』とは何ですか。それは,完全または完成の的に達していないことです。ヱホバ神は,不完全なものを是認せず,また生きつづけさせません。すべての人は,最初の人間アダムから罪と不完全さを相続したため,すべての者は死にます。堕落した人間は,ちようど動物のように死んで行きます。―伝道之書 3:19-21。
31 人類がアダムから受けついだ『死』とは何ですか。
31 この『死』とは何ですか。死は生命の反対です。神は,地上で終りない生命という見込を,人間の前に置かれました。しかし,それには人間の従順ということが条件です。だが人間は不従順になつたため,その刑罰は死,無意識,そして存在が無くなることでした。(詩 146:4)人間は不従順になつたので死にますが,しかし人間の生命が霊界に行くとか,又は火の燃える『地獄』に行くというようなことについて神は一言も述べられていません。神は人間にむかつて,『きっと死ぬであろう。』と警告しておかれました。『あなた方は決して死ぬことはないでしよう。』といういつわりの言葉を述べた者は,殺人者の悪魔でした。(創世 2:17; 3:4。ヨハネ 8:44)すべての人間がアダムから相続したものは,ちりにひとしくなる死です。―伝道之書 9:5,10。詩篇 115:17。
32 人類とこの地にはどんなすばらしい将来が待つていますか。
32 それでは,死んで行く人間に将来はないのですか。すばらしい将来があるのです! 聖書の示すところによると,いま死んでいる者を含めて,全人類のために楽園の地をつくるという神の目的は決して失敗しないでしよう。ヱホバはこう言われています。『天はわが位,地はわが足台である。』『私はわが足をおく所を尊くする。』(イザヤ 66:1; 60:13,新口)ヱホバはその愛のみこころから,御自分の御子なる言葉をこの地につかわしました。それは人類が御子により生命を得るためです。(ヨハネ 3:16。ヨハネ第一書 4:9)いま私たちが論じなければならぬ三つの重要な事柄があります。そして,ヱホバは御子を通してそれらの事柄を達成いたします。(1)死の力からの救助をそなえること,(2)死人を生命に回復すること,(3)全人類を支配する完全な政府を設立することです。
死からの救助
33,34 (イ)どのようにしてのみ人間は死から救助されますか。(ロ)例を用いて説明しなさい。
33 むかしから神の預言者たちは,人間の不滅性ということにのぞみをかけていませんが,神が『彼らを死からあがなう』ことにのぞみをかけていました。(ホセア 13:14,新口)しかし,人間はどのようにして死の束縛から救助されますか。ヱホバの完全な正義は,「魂には魂を,目には目を,歯には歯を」要求しました。(申命 19:21)アダムは自分の完全な生命を意識的に投げすてたので,全人類は死を相続しました。それですから,別の完全な人間はアダムの代りの地位に立ち,アダムの失つたものを買い戻すために彼の完全な生命を支払わねばなりません。
34 質屋の例でこのことを説明してみましよう。大多数の人々は質屋から遠ざかりたいと思うことから,人間の現在の状態をこのように描写することは適切です。或る人が質屋に時計をあずけてから,その時計を質屋から取り出すただ一つ方法は,その時計に相当する金額を払うことによります。そのようにして時計を自由にすることができます。今日の人類は,その時計が質屋にあずけられているように不完全という束縛にしばりつけられ死に向いつつあります。丁度,質屋に預けられた時計が時たつ中にはたらきが悪くなり,無用なものになるのと同じ具合です。時計と同じく,人類はこのあわれな状態から自分自身を買いもどすことができません。しかし,ある外部のものは,時計を買い戻す場合と同じく,人類の救助の価を支払うことができます。アダムが完全な人間の生命を失つたからこそ,人間は死の束縛を受けるようになつたのです。それですから,人間を死の力から救助するためには,別の完全な人間の生命が支払われねばなりません。
35 あがないとしての完全な人間の生命という必要物について,ヱホバはどのように答えましたか。
35 しかし,そのような完全な人間の生命をどこで見出すことができますか。不完全なアダムの子孫であるすべての人間は,不完全に生まれてきました。『まことに人はだれでも自分をあがなうことはできない。そのいのちの価を神に払うことはできない。』(詩篇 49:7,新口)その必要にこたえるため,神は最大の奇跡のひとつを行いました。神は御自分の霊者なる子,すなわち言葉の持つ完全な生命をユダヤ人の処女マリヤの胎にうつされました。この若い婦人はみごもつて,時経て男の子を産みました。この男の子は,『ヱホバは救い』という意味の『イエス』と名づけられました。(マタイ 1:18-25)そのような出来事は,歴史上ただの一度しかないという理由で,この処女による誕生を疑いますか。神の大きな目的の中にあつては,そのような奇跡が一度だけで十分でした。
36 イエスは,生命を欲するすべての人間に対する彼の友情をどのように示しましたか。
36 イエスは,成人してヱホバに献身し,そして洗礼を受けました。ヱホバは,神の御こころを行うようにイエスに任命しました。(マタイ 3:13,16,17)イエスの地的な生命は天から来たもので完全であつたため,イエスはその完全な人間の生命を犠牲にして全人類を死から救助するのに用いることができます。(ロマ 6:23; 5:18,19)イエス自身も次のように言われました,『私が来たのは,彼らに生命を得させ,豊かに得させるためである。』『人がその友のために自分の魂を捨てること,これよりも大きな愛はない。』(ヨハネ 10:10; 15:13,新世)イエスは,苦しみの杭の上で死をとげることにより,彼のあがないの準備を通して生命を豊かに得たいと欲するすべての人類に対して大きな友情を示しました。―マタイ 20:28。テモテ前書 2:5,6。
生命に回復
37 神の子は,どのように生命に回復しましたか。何がこのことを証明しますか。
37 神の子は敵によつて殺されましたが,しかし神への忠実を保つたため,完全な人間の生命の権利を失いませんでした。しかし墓の中で死んでいたイエスは,どうして人類のために人間の生命の権利というこの貴重なものを用いることができましたか。イエスが墓にいた三日目に,ヱホバは彼を死からよみがえして,今度は不滅の霊者にならせました。(ロマ 6:9。ペテロ前書 3:18)復活についての信仰をかたく建てるため,イエスは人間の姿で現われ,いろいろの場合に500人以上の弟子たちに現われました。この500人以上の弟子たちはもちろんのこと,後日に栄光を受けたイエスの出現で盲目になつた使徒パウロでさえも,イエスの復活の奇跡をすこしも疑わなかつたのです。―コリント前書 15:3-8。使行 9:1-9。
38 (イ)イエスは,自分の犠牲の価値をどのように用いますか。そして最初,誰のために用いますか。(ロ)イエスは他のどんな大きな奇跡について語りましたか。
38 40日の後復活されたイエスは天の神のおられるところにのぼりました。そのところで,全人類を救うために自分自身の完全な人間の犠牲の価値をささげたのです。『しかるに,キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえを捧げた後神の右に座し,それから,敵をその足台とする時まで,待つておられる。』(ヘブル 10:12,13,新口)このあがないによつて救助を受ける最初の者たちは,『キリストに属する』忠実なクリスチャンたちの『小さな群』です。(ルカ 12:32。コリント前書 15:22,23,新口)これらの者たちは『地からあがなわれた』者で,復活をうけるときには霊者となり,天のキリストの共同者となります。(黙示 14:1-5)しかし,いま墓の中で死んで横たわつている大多数の人類はどうなりますか。イエスは,この地上におられたとき,別の大きな奇跡について語りました。その奇跡は,彼が楽園の地を復興するときに行われるでしよう。彼は次のように言われました,『これをあやしむな。記憶の墓にいる者がみな彼の声を聞いて出て来る時がくる。善を行つた者は生命の復活を受け,悪を行つた者は裁きの復活をうけるであろう。』― ヨハネ 5:28,29,新世。
39,40 『復活』の意味についてはつきり説明しなさい。
39 『これをあやしむな』と言われたイエスの言葉に気をつけてごらんなさい。しかし,長く死んでいる者がどうして死から解放されて,生命に戻ることができますか。その体は,ちりに戻つたではありませんか。その体をつくりあげた分子の中のあるものは,植物とか動物のような他の生物に消化されていることでしよう。しかし,復活は同じ化学的な要素をふたたび一緒にするという意味ではありません。それは,神が同じ個性を持つ同じ人を再創造するという意味です。神は地的な要素から新しい体をつくり,それからその体の中にその人が死ぬ時までに作つた同じ性格,同じ明確な性質,同じ記憶,同じ生命の型を置くのです。
40 戦時中,自分のたいへん愛していた家が燃えてしまつたというような経験があるかもしれません。しかし,愛していた家の細部の設計具合は,十分よく記憶しているので同じ家を再建するのはたやすいことでしよう。それなら,記憶の創始者なる神は,神を愛する者たち,そして御自分の記憶の中にとどめておかれる者たちを再創造することは必ずできるでしよう。(イザヤ 64:8)そのわけで,聖書は『記憶の墓』という言葉を用いています。死人を再び生命によみがえす神の予定のときが来るとき,神はその奇跡を行うでしよう。丁度,最初の人間を創造したときに一つの奇跡を行つたのと同じです。しかしこの度は,数多く何度もその奇跡を行うでしよう,― 創世 2:7。使行 24:15。
41 なぜ地上における永遠の生命は合理的でもあり,たしかなことですか。
41 神は人類を生命にひき戻し,二度と再び地上で死なないという見込みを与えます。しかし,地上における永遠の生命は,どうして可能ですか。それは神のみこころであり,また目的であるゆえに可能であると共に確実です。(ヨハネ 6:37-40。マタイ 6:10)今日,人間が地上で死ぬ唯一の理由は,人間がアダムから死を相続したからです。しかし,人間が楽しむ地上のすばらしい事柄の無限の変化を考えてみるとき,100年にも足らない寿命は,まつたく短すぎるものです! 神は,この地球を人間に与えたとき,神の創造の驚異を楽しむために人間が生きつづけて行くようにとの目的を立てられました。それは,僅かな100年とか,1000年とかいうものでなく,永遠にわたつて生きつづけることなのです。―詩篇 115:16; 133:3。
平和の完全な政府
42 なぜ完全な政府の必要があるのですか。この点についてヱホバはどんな目的を立てていますか。
42 人間が最初の楽園を失つた時から今にいたるまでに人間の政府は『この組織制度の神』なるサタンの支配を受けてきました。(コリント後書 4:4,新世)人間の諸政府の戦争や,残酷さや,腐敗や,不安定はこの事実を証明しています。国際連盟と国際連合は,混乱の中から平和をもたらすことに失敗しました。人類は平和の政府を叫び求めています。この地上における楽園の復興を目的としている創造者が,その楽園のために完全な政府を備えられるということは理にかなつていませんか。全く,それこそヱホバの目的とされているところです。この政府でヱホバを代表する王は,『平和の君』なるイエス・キリストであつて,『その政事と平和とは,増し加わつて限りない。』― イザヤ 9:6,7,新口。
43 (イ)この政府は,どんな首都を持つていますか。(ロ)天と地上におけるその政府の構成は,どんなものですか。
43 その政府の構成は何でしようか。それは民主主義ですか,又は独裁主義ですか。その支配の権威は,ワシントンか,モスコーか,東京か,または今日の他の大きな首都にあるのでしようか。聖書の示すところによると,その完全な政府は,現在の人間政府のいかなる形式よりもはるかにすぐれたものです。それはシオンと呼ばれる天の首都を持ち,王イエス・キリストはこの有利なところから全地に対する正義の支配を効果的に行うでしよう。(詩篇 48:1,2。ゼカリヤ 9:9,10)さらにイエスは,その目に見えない天的な政府内に共同の支配者を持つでしよう。これらの者たちは忠実な人間から選ばれた者で,いろいろな試練を受けたときもイエスにつき従つたイエスの弟子たちです。イエスは,これらの者たちにむかい,次のように言われています,『私の父が,御国の契約を私とむすんだように,私もあなた方とその契約を結ぼう。』(ルカ 22:28,29,新世)キリスト・イエスと共に支配するため天に連れて行かれる者は,人類の中のごくわずかな数の人です。その点で,議会や国会で支配するためごくわずかな者が選ばれている今日の諸国家と似ています。キリスト・イエスは丁度14万4000人の共同支配者をその首都なるシオンに持つと聖書は示しています。(黙示 14:1,3)しかし,この地上では目に見える支配者たちがひとりもいないのですか。そのいることは,まつたくたしかなことです。詩篇 45篇16節は,これらの者の中の或る者,すなわちむかし神に信仰を持つたので復活をうける人々について述べております。王はそれらの者たちを『全地の君たちに任命する』でしよう。そして,地的な支配者たちは他にもいます。それらの者たちの一人として,権力欲に狂う現在の政治家ではありません。むしろ正義の原則に献身している故に王より任命をうけたものです。―イザヤ 32:1。
44,45 (イ)地上でのイエスの伝道の中心主題は何でしたか。(ロ)なぜ完全な政府の設立は待たねばなりませんか。(ハ)預言において,また世界の出来事において,何が西暦1914年を特別顕著な年にしますか。
44 その完全な政府は,いつ,そしてどのように設立されますか。イエスが地上におられたとき,この御国は彼の伝道の中心の主題でした。(マタイ 4:17。ルカ 8:1)しかし,イエスはそのときには御国を設立せず,また復活を受けた時も御国を設立しませんでした。(使行 1:6-8)天にのぼられてからも,イエスはヱホバの定め給うた時まで待たねばなりません。(詩篇 110:1,2)聖書の預言は,その定められた時が(西暦)1914年に来たと示しています。しかし,或る人々はこんな風にたずねるでしよう,1914年は完全な政府を指し示すというよりも,むしろ世界の艱難のはじまりを指し示したではないだろうか。そうです。全くその通りです! 神の御国の来ることと,近年の最悪の出来事とには密接な関係があるのです。それについて,いま調べてみましよう。
45 1914年よりも約40年も昔の時から『ものみの塔』(現在,地上でいちばん広く配布されている宗教雑誌)は,1914年が聖書の預言中で特別に指し示されている年であると,人々の注意をうながして来ました。これらの預言は,1914年にすばらしい成就を始めました。その預言の一つは,1900年むかしに述べられたイエス御自身の預言でした。それは世の終りに現われる『しるし』で,王の力を持つ彼の見えざる臨在を証明する『しるし』に関する預言です。この『しるし』についての弟子たちの質問に,彼は次のように答えました,『国民は国民に反対して立ちあがり,国は国に反対して立ち上るであろう。次から次にと,いたるところで食糧不足や地震があるであろう,これらのものは,みな災難の苦しみの初めである。』(マタイ 24:3,7,8,新世)そのいちじるしい成就を示すものとして,第一次『世界』大戦は1914年に始まり,それより以前の2500年間に行われた900の戦争全部を合わせたものよりも4倍も大きな被害をもたらしました! 1914年以来,災難のくるしみはつづいています。あなたは,1914年からこの地上に災をもたらした戦争の被害,食糧の不足,または大地震を経験いたしましたか。もしそうなら,あなたはこの世の『終りの時』の『しるし』を目撃された方です。
46 その『しるし』を成就する出来事は,どのように最近増大しましたか。
46 この『災難の苦しみ』は,第二次世界大戦中に高まりました。第二次世界大戦は,第一次世界大戦よりも7倍も大きな被害をもたらして,核時代に突入しました。全くイエスの預言は更に成就しているのです,『地上では,諸国民がなやみ……おじ惑い,人々は世界に起ろうとする事を思い,恐怖と不安で気絶するであろう。』(ルカ 21:25,26,新口)犯罪と悪事の増加,子供たちの親不孝と不良化,不敬虔と不道徳の増加 ― これらの憂慮すべき事柄もこの悪い世の『終りの日』をしるしづけるものとして預言されていたものです。―マタイ 24:12。テモテ後書 3:1-5。
47 誰が地上の艱難にたいして責任を持ちますか。なぜ,それらの艱難は1914年以来増加しましたか。
47 しかし,天的な政府が1914年に設立されたというのであるなら,なぜ地上にはこのような災害があるのですか。サタン悪魔こそ,それに対する責任を持つ者です。キリストが御国の力を受けたとき,最初にした行いは,目に見えない天でサタンに対して戦争をすることでした。その結果,『全世界をまどわす』サタンは,その使たちと共々にこの地の近くに投げ落されました。サタンは,自分の滅びの近づいているのを知つて,地上に大艱難をひき起しているのです。『地と海よ,おまえたちはわざわいである。悪魔が,自分の時が短いのを知り,激しい怒りをもつて,おまえたちのところに下つてきたからである。』― 黙示 12:7-9,12,新口。
48 (イ)神は,利己的な人間がこの地を滅ぼすことを許しますか。(ロ)それでは,ヱホバはこれらの艱難およびその艱難に責任を持つ者たちを,どのように終らせますか。
48 これらの災は終るでしようか。たしかに終ります! それは,全能の神の御国すなわち天の政府が『地を滅ぼす者どもを滅ぼ』す時です。(黙示 11:18,新口。ダニエル 2:44)共産主義者であろうと,偽わりのクリスチャンであろうと,または他のどんな者たちであろうと,神の御手の業なる地を核兵器で滅ぼすことは,神の許し給うことではありません。むしろ,神は次のように述べておられます,『私の決意は諸国民をよせ集め,もろもろの国を集めて,わがいきどおり,わが激しい怒りをことごとくその上に注ぐことである。』(ゼパニヤ 3:8,新口)ヱホバは,キリストを通し,自然界を制御している大きな力を用いてサタンと,この地上でサタンに従うすべての者たちを全く絶滅させてしまうでしよう。ノアの日の洪水の場合と同じく,それは世界全体にわたる大規模なものです。―エレミヤ 25:31-34。ペテロ後書 3:5-7,10。
49 (イ)『ハルマゲドン』とは何ですか。(ロ)誰だけがハルマゲドンを生きのこれますか。
49 聖書の中では,悪しき諸国民に対するこの滅亡は神のハルマゲドンの戦いと呼ばれています。(黙示 16:14-16)ヱホバと正義を求める心のへりくだつた人々だけがハルマゲドンを生きのこつて平和にみちる神の新しい世に入ることができます。(ゼパニヤ 2:3。イザヤ 26:20,21)聖書は,これらの者たちについて次のように述べています,『しかし心のへりくだつた者たちは地を所有し,豊かな平和を非常によろこぶであろう。』(詩篇 37:11,新世)この地に楽園を復興するというすばらしい時は,そのときに始まります。
楽園に入るための教育
50 なぜ今は,最も危険な時ですか。それで,いまはどんなすばらしいわざが行われていますか。
50 人類はいま,全歴史上もつとも危険な時を通過しています。今日の困難にみちる世界と,その近づいている滅亡の『しるし』について,イエスは次のように言われました,『良く聞いておきなさい。これらの事が,ことごとく起るまでは,この時代は滅びることがない。』(マタイ 24:34,新口)いま生きているこの時代の人々は,聖書について学んで,世の終りに生き残る機会を持つているのです。イエスは今日について,更に次のようにも預言しました,『そしてこの御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そうしてそれから最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新口)ヱホバの証者として知られている社会は,この伝道の業を熱心にしており,ますます増加しつづけて行く80万人の奉仕者の群れは175の国々で活動しています。―イザヤ 43:10-12。
51 善意者は,宗教についてどんな手段を取らねばなりませんか。そして,なぜ?
51 あなたはこの証言を聞いていますか。その切迫した緊急さを認めますか。あなたは,混乱と悲しみに満ちるこの古い世の終りに生き残つて,平和とよろこびにみちる神の新しい世に入りたいですか。それなら,あなたは行動することが必要です。しかもただちに行動しなければなりません! あなたは真の宗教を見出すために研究しなければなりません。宗教を家具のように見なして,家庭になければならぬが,しかし何か社交的な働きをする時だけ必要である,などと考えるのは安全でありません。また,どの宗教も良いのであつて,結局のところすべての宗教は同じ目標を持つているのだ,と考えてもなりません。多くの宗教は利己的なものであり,現代の宗教は,楽園の地を持つ神の新しい世の希望を教えていません。あなたが聖書の宗教を学ぶことは必要です。日常の社会の特定な地位にふさわしい者になるために,適当なこの世の教育は必要です。それと全く同様に,楽園の地に生き残る社会に入るに必要な備えを身につけるために,適当な聖書の教育は必要です。(ヨハネ 17:3。テモテ後書 3:16,17)あなたの安全と,あなた自身およびあなたの家族のすべての将来は,いまあなたが聖書を研究すること,ヱホバの証者の新しい世の社会と交わること,あなたの創造主なるヱホバ神に献身すること,そしてヱホバ神の側に立つて証言をすることに依存しているのです。物質を追い求めたり,またはこの世のわずらい事のために,生命を得るこのすばらしい機会を見のがしてしまうようなことがあつてはなりません。イエスはこう言われました,『まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば,これらのもの(物資の必要品)は,すべて添えて与えられるであろう。』― マタイ 6:33,新口。
52,53 どんな面で新しい世の社会は他の社会とちがいますか。このことは,どのように証明されましたか。
52 あなたが,ヱホバの証者と神の新しい世の社会と交わるとき,それが地上にある他のいかなる社会とも全くちがう,ということを知るでしよう。この社会内のすべての者は,聖書の第1番目の大きないましめ,すなわち『心をつくし,魂をつくし,思いをつくして,あなたの神であるヱホバを愛さねばならない。』を心にふかく銘記しているのです。(マタイ 22:37,新世)彼らに生命を与えた創造主,そして又神の新しい世における生命の道をも開いた創造主にたいして,彼らはほんとうにあふれるばかりの愛を持つています。その新しい世は,楽園の地をも持つているのです。さらに,彼らはおたがいに対しても大きな愛を持つています。(マタイ 22:39)この愛と,全人類が愛の中に一致し得るという実際性は,彼らの国際大会で明白に表明されました。例えば,1958年7月27日から8月3日までの八日間にわたつてヱホバの証者は,ニューヨーク市の神の御心国際大会に集まり,そのとき,ヤンキー野球場とポロ野球場の二つの野球場は,大群衆でいつぱいになりました。大会の最初の日には18万291人,そして最後の日には25万3922人という大群衆は,大きな調和の中に会合し,更に聖書についての教育を受けました。彼らは123のちがつた国々から集まつてその全部が兄弟であり,真実のクリスチャン愛のきずなの中に一致していました! この調和の表現は,まつたく人々の印象に強く残つたため,大会についてのニューヨーク・タイムス紙の報告は1958年度アメリカ合衆国議会報告付録A6907頁に記載されました。その一部をここに引用します。
53 『証者たちはニューヨーク市の最善の賓客 ― 世界大会に来た18万人の礼儀正しいこと,静粛さ,そして清楚さに賞賛される……証者たちの行動が模範的ですばらしいことに,ニューヨーク人は異口同音に同意している。……彼らの清潔さは,いまではほとんど伝説的なものと言つても良い……礼儀正しいことは彼らの合言葉である,……ニューヨーク大会と訪問者部門の執行副部長は,証者たちのことを「社会の貴重な資産」と呼んだ。彼は彼らの振舞を「この世のものでない」と述べた。』
54 (イ)なぜヱホバの証者は,この世から離れますか。(ロ)彼らにはどんな幸福な前途が待つていますか。
54 まつたく,『この世のもので』はありません。『あらゆる国,種族,国民,そして言語』から集められたこれらのヱホバの証者は,過ぎ去つて行くこの世から離れたからです。(黙示 7:9。ヨハネ第一書 2:15-17)彼らの希望と愛情は,栄光に輝く新しい世にかかつているのです。ヱホバは,その新しい世の創造という目的を立てられました。(イザヤ 65:17,18)彼らは神の約束を確信しており,またこの地上で生きつづけることを期待する人々は,この世の終りに生き残つて新しい世で生きつづけ,決して死ぬことはないとも希望しています。(ヘブル 11:1,6。ヨハネ 11:26)キリストの犠牲の適用を受けて,彼らは死から復活を受ける人々と共に,人間としての完全さに向上するでしよう。(ヨブ 33:24,25)なんと幸福な楽しい見込なのでしよう。
55 (イ)ヱホバと地上にいるヱホバの崇拝者たちとの間には,どんな密接な関係がありますか。(ロ)将来注がれる祝福のいくつかは何ですか。
55 それでは,研究をつづけて行きなさい。そしてヱホバ神とその御子,および正義の天的な政府にたいして愛と感謝の念を持ちつづけなさい。聖書の預言は,新しい世の政府およびそれが人類に注ぐ祝福について,次のように述べています,『見よ! 神の幕屋が人と共にあり,神が人と共に住み,人は神の民となり,神自ら人と共にいます。』今の利己的な諸国家,核兵器で狂奔している諸国家とははるかに程遠い『神』は,その新しい世で神を愛し,神を崇拝する者たちすべてにとつて,親切な父親のごとく極めて密接な関係を持たれます。本当に,一つの宗教だけ,子供と父親との間の密接な関係の中にヱホバ神の真の崇拝だけが行われるでしよう。神は愛のみ心を持たれるすばらしい父なることを証明いたします,『そして彼は人の目から涙を全くぬぐいとつて下さる。もはや,死もなく,悲しみも,叫びも,痛みもない。先のものが,すでに過ぎ去つたからである。』― 黙示 21:3,4,新世。
56 ヱホバが『凡てのものを新しくする』ことは,どうして絶対かくじつなものと信ずることができますか。
56 このようにして,完全な天的の政府の下に楽園の地を設立する大きな奇跡は達成されます。明日,太陽がのぼつて,没するのと同じく,それは確実なことです。天と地の創造主なるヱホバ神の約束は,いつでも『信頼することのできるもので,まこと』だからです。天の御くらからヱホバ神は次のように述べられています。『見よ! 私は凡てのものを新しくする。』― 黙示 21:5,新世。
[脚注]
a 前述の事柄を支持する聖句参照。(1)使徒行伝 17:26。詩篇 46:9。ミカ書 4:3,4。イザヤ書 65:21-23。(2)イザヤ書 65:25; 11:6-9; 55:12,13。詩篇 67:6,7。(3)ヨブ記 33:25。イザヤ書 35:5,6; 33:24。詩篇 104:24。(4)イザヤ書 55:11。
b 『帝王と基と民衆 ― オリエントのあけぼの』25頁。
[274-277ページの図表]
全世界にわたるエホバの証者の1958年奉仕年度報告
(製本した雑誌を参照)