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再び始まった残虐な迫害目ざめよ! 1973 | 6月8日
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ても断固として信仰を曲げぬ彼らの頑強さには,われわれすべてが,少なくともある程度の感嘆の念をいだくはずである。ナショナリズムの勢いの強い今日において,エホバの証人は,人間に従う前に神に従わねばならないというクリスチャンの見方を依然として証言しつづけている数少ないグループのひとつである。擬似宗教国家という混乱したイメージのあるアメリカにおいて,われわれに以前の忠誠を思い出させてくれるエホバの証人は一服の清涼剤と言える」。
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苦難の時における重要な助け目ざめよ! 1973 | 6月8日
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苦難の時における重要な助け
全世界200の国において,エホバの証人たちは,マラウィのクリスチャンの兄弟たちのことを深く憂慮しています。彼らを援助するための努力もたゆみなく続けられています。それに加えて,エホバの証人はある重要な事柄を行なってきました。
それは何でしょうか。毎日,全世界で,マラウィ人の兄弟たちのためにささげる,これら多数のクリスチャンたちの祈りが,神のみもとに立ちのぼっているのです。その祈りは,個人によって,小さなグループによって,会衆の集会で,大規模な大会においてささげられています。
祈りは何を成し遂げたか
神のみもとにゆくこのおびただしい祈り ― これらは何を成し遂げたでしょうか。その祈りは聞かれたでしょうか。どうすればそれがわかりますか。
これらの祈りが意図された目的を果たしていることは疑いありません。
しかしながら,聖書にあまり詳しくない人びとは,そのことに疑問をいだき,『迫害は続いているのに,どうして祈りが聞かれたと言えるのか』と尋ねるかもしれません。
その答えは,何が祈り求められたかを知ればわかります。エホバの証人は,迫害を防いでくださいと神にお願いしてきたのではありません。神ご自身のことば聖書は次のように預言しています。『およそキリスト・イエスにありて敬虔をもて一生をすごさんと欲する者は迫害を受くべし』。(テモテ後 3:12)イエスご自身も言われました。『人もし我を責めしならば,汝らをも責め(ん)』。―ヨハネ 15:20。
イエスはまた,人間の歴史のこの時期,すなわち現在の邪悪な事物の体制が終わりに近づいている時について言われました。『そのとき人々なんじらを患難に付し,また殺さん。汝らわが名のために,もろもろの国人に憎まれん』。(マタイ 24:9)ですからエホバのクリスチャン証人は,神の民に迫害がのぞむことを知っています。
そうした状況のもとに置かれたとき,これらのクリスチャンは何を祈り求めるでしょうか。彼らは,実際に迫害に面している兄弟たちが信仰に固く立つべく霊的力を与えられるよう祈るのです。―コロサイ 4:12。
キリスト・イエスは迫害を受けたとき,神に向かって,すべての迫害から自由にしてくださいとは言われませんでした。イエスは攻撃を受けても,信仰に固くとどまり,迫害をのがれるために妥協するようなことをされませんでした。同様に,迫害の激しいマラウィ全土で,エホバの証人は神に対する信仰を保っています。
したがって,この問題にかんするクリスチャン
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