クリスチャン教会の一致
「わたしは,あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは,わたしたちが一つであるように,彼らも一つになるためであります」。―ヨハネ 17:22,新口。
1 なぜエホバは偉大なる統一者と呼ばれますか。
エホバは偉大な統一者です。エホバは,御自分の望む目的を達成するために,知性を持つ生物をすばらしい仕方で一致させ得る御方です。人間が日の光を見たときより幾百万年の昔から,エホバは御自分の初子なる御子と共に完全な一致のうちに働いてこられました。エホバ神は御子を用いて万物を創造されたのです。エホバの創造のわざが進んで,知性を持つ生物の数が宇宙内に増加してきても,混乱の結果は生じませんでした。エホバは,愛のきずなによって,彼らを御自身とむすび,また彼らどうしをむすびつけることにより,調和の取れた一致,円滑に働く一致にむすびつけられたのです。エホバは,この幸福な一致を例示するため,忠実な天的の被造物で構成される御自分の宇宙制度を,妻と述べています。エホバは,この妻と幸福な婚姻関係をむすび一致しておられます。―コロサイ 1:16。ヨハネ第一書 4:8,11-13。イザヤ 54:5,6。
2 人々の一致をつくる場合に,いちばん強いきずなは何ですか。イスラエルは,当時においてどのように神の唯一つの真の会衆あるいは教会になりましたか。
2 エホバ神が人間社会をつくり始めたとき,彼は結婚のきずな,という最少の単位で始められました。結婚のきずなは,人間の持つきずなの中でも最も強いものの一つです。結婚をむすびつける要素は愛であるゆえ,それは当然であります。そして,愛は生物の一致の中でいちばん強い接合物です。全くのところ,それは一致をつづけさせるためのただ一つの基礎です。それよりも大きな範囲においては,愛の強いきずなでむすばれる,両親と子供は家族の一致をつくり上げます。エホバ神は,家長ヤコブの12人の息子たちの家族,すなわち氏族をむすび合わせて,国家的な一致をつくられました。エホバ神とイスラエル人のあいだに,同意すなわち契約がむすばれました。その趣旨は,つまりエホバ神は彼らの王だけでなく,彼らの神であること,およびイスラエルを一国家にしただけでなく,神の会衆なる教会,すなわち当時におけるただ一つの真の教会にならせたということです。―創世 2:24。出エジプト 19:5,6,8; 20:1,2。使行 7:38。詩 147:20。
3 イスラエルを御自分の会衆に選んだエホバは,国家主義的でしたか。
3 なぜエホバはイスラエルの国民をえらんで,教会すなわち会衆をつくりましたか。エホバは国家主義的な神でしたか。そうではありません。それは,イスラエル人の先祖で,エホバの友であったアブラハムに与えられた約束の故に,彼らがその新しい教会の群れをつくることをゆるされたからです。しかし,エホバは国家主義的な気持を持っていません。それで,非イスラエル人が割礼をうけて唯一の真の教会員になることを妨げなかったのです。イスラエルに参加して,真の神に崇拝をささげたいと欲した神をおそれる人々は,国籍や人種,以前の宗教や政治的な結びつきにはかかわりなくうけいれられました。割礼をうけたそのような外国人は,神がイスラエルと持たれていた一致の一部になることができました。そのための御準備は設けられていたのです。すなわち彼らには,イスラエルが属していた会衆の制度内における地位が憲法的に設けられたのです。イスラエルは,エホバがイスラエルを愛したように,外国人を愛するようにと告げられました。割礼をうけた崇拝者たちが,イスラエル人の家系に属さない者であろうともエホバはそれらの者たちと別々の一致または教会をつくるということをしませんでした。それで,神は国籍とか人種に特別の考慮を払わなかったのです。神に会うことのできるただ一つの宮,ただひとりの大祭司,ひとつの律法,全部の崇拝者が結合するためのひとつの一致あるいは教会がありました。聖書の記録の示すところによると,エジプトからみちびき出された混合の群衆,割礼をうけたギベオン人やレカブ人のようなある人々や種族,またラハブやルツのような多数の人々は,イスラエルと一致するようになりました。それで,エホバは諸国民を一致させるのに成功された最初の御方であると証明いたしました。―申命 10:17-19。列王上 8:41-43。出エジプト 12:38。サムエル後 21:1,2。エレミヤ 35:18,19。
4 クリスチャン会衆は,どのように神の真の教会になりましたか。
4 しかし,ユダヤ人の教会,すなわち会衆は,長い年月を経るうちにエホバへの愛を示さなくなりました。その結果,それはエホバとの一致から切り断たれ,そして西暦33年の五旬節の日にクリスチャン会衆は,神の真の教会になりました。
一致
5,6 神の会衆がひとつでなければならぬ,とどのように私たちは知りますか。その一致の中には,誰がふくまれていますか。
5 初期クリスチャン教会について特別に目立つことは,その一致でした。第一に,それはエホバ神とキリスト・イエスと一致していました。それは,あらゆる一致のうちで最も大切なものです。イエスは,ぶどうの木のたとえ話の中で,このことを強調しました,「わたしはぶどうの木,あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながつており,またわたしがその人とつながつておれば,その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては,あなたがたは何一つできないからである。人がわたしにつながつていないならば,枝のように外に投げすてられて枯れる」。―ヨハネ 15:4-6,新口。
6 キリストとの一致は,また彼と一致している者たちの間に一致をもたらすにちがいありません。それで,イエスは裏切られる直前にささげた祈りの中で,弟子たちの中の一致を願い,次のように語りました,「わたしは彼らのためばかりでなく,彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも,お願いいたします。父よ,それは,あなたがわたしのうちにおられ,わたしがあなたのうちにいるように,みんなの者が一つとなるためであります。すなわち,彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり,それによつて,あなたがわたしをおつかわしになつたことを,世が信じるようになるためであります。わたしは,あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは,わたしたちが一つであるように,彼らも一つになるためであります。わたしが彼らにおり,あなたがわたしにいますのは,彼らが完全に一つとなるためであり,また,あなたがわたしをつかわし,わたしを愛されたように,彼らをお愛しになつたことを,世が知るためであります」。この一致のおよぶ範囲に気をつけてごらんなさい。彼の弟子は,みな一つでなければなりません。その時に生存していた弟子たちだけでなく,彼らの言葉すなわち弟子たちの言葉を聞いてイエスに信仰を働かす者たちも一つでなければなりません。それで,一致は将来にまでおよび,今日生活しているすべてのクリスチャンたちをもふくみます。同時に,天にも達して,イエス・キリストとエホバ神とを含みます。それは,イエスが言われたように彼の弟子たちも,「わたしたちのうちにおらせる」ためです。―ヨハネ 17:20-23,新口。
一致の範囲
7 結合をゆるいもの,弱いものにするのは何ですか。結合を密接なもの,強いものにするものは何ですか。
7 その有名な祈りの中で,イエスはどんな種類の一致を願い求めていましたか。それをむすびつけるきずなは,何本ですか。そして,それはどのくらい強くなければなりませんか。全部の結合が平等に強いわけではありません。ある結合は,その成員の生活の特定な一分野だけに影響します。たとえば,人々は動物を保護するための一同盟に加入するかもしれませんが,宗教,政治,および他の事柄については,東と西くらいに遠く離れています。そのような結合は,ゆるい結合です。それとは反対に,結婚の結合あるいは家族の結合は,密接なもの,強いものです。なぜなら,その結合は,成員の生活中においてたくさんの関心事に影響をおよぼすからです。普通の家族の場合,血縁,相互の愛,共通の家,その精神あるいは雰囲気,家族名,伝統,宗教,文化の標準,互の秘密を打ち明けることができるほどの信用,尊敬そして理解というようなものは,成員が共通に持つているすべての事柄です,人々が多くの事柄にあずかればあずかるほど,人々はより密接に,より強くむすばれるようになります。
8 初期クリスチャン教会の一致を,そんなにも強いものにさせたのは何でしたか。
8 さて私たちの質問に戻りましよう。イエスは,ヨハネ伝 17章の中でどんな種類の一致について語つていましたか。弟子たちの生活内における一つか二つだけの関心事に影響をおよぼす,ゆるい結合でしたか。そうではありません。彼は,もつとも強い結合を願いもとめていたのです。「わたしは,あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは,わたしたちが一つであるように,彼らも一つになるためであります」。エホバ神と御子キリスト・イエスのあいだに存在している結合よりも,密接な結合,強い結合は考えられません。その一致の強いことは,苦しみの杭の上で死ぬまで,イエスが従順な道を取つたことによつて証明されました。弟子たちが受け入れられるようにと,イエスが願つたのは,もつとも密接な神の家族の結合,特権を持つ子になることでした。その目的のために,彼は「父のひとり子としての栄光」『エホバが彼に与えた栄光を彼らに与えた。』(ヨハネ 1:14,新口)彼らが共通に持つ多くのもののいくらかは,エペソ書 4章3-5節(新口)のところで,パウロにより述べられています。彼は,「平和のきずなで結ばれて,聖霊による一致を守りつづけるように努めなさい」と語つています。彼はそれから,次のように語つて,その一致をひとつづ述べています,「からだは一つ,御霊も一つである。あなたがたが召されたのは,一つの望みを目ざして召されたのと同様である。主は一つ,信仰は一つ,バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり,すべてのものを貫き,すべてのものの内にいます,すべてのものの父なる神は一つである」。共通に持つ数多くの事柄から判断するとき,彼の弟子たちは,なんと密接にむすびついた緻密なからだになつたのでしよう!
9 パウロは,コリント前書 12章とエペソ書 4章で人間の体に言及することにより,何を表わし示していますか。
9 その密接さと,緻密な一致をさらに示すため,パウロはそれを人間の体になぞらえています。「からだが一つであつても肢体は多くあり,また,からだのすべての肢体が多くあつても,からだは一つであるように,キリストの場合も同様である。なぜなら,わたしたちは皆,ユダヤ人もギリシャ人も,奴隷も自由人も,一つの御霊によつて,一つのからだとなるようにバプテスマを受け,そして皆一つの御霊を飲んだからである」。……神は劣つている部分をいつそう見よくして,からだに調和をお与えになつたのである。それは,からだの中に分裂がなく,それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである」。「愛にあつて真理を語り,あらゆる点において成長し,かしらなるキリストに達するのである。また,キリストを基として,全身はすべての節々の助けにより,しつかりと組み合わされ結び合わされ,それぞれの部分は分に応じて働き,からだを成長させ,愛のうちに育てられていくのである」。人体の各器官の一致以上に完全な一致はあるでしようか。人体が分裂するというようなことはあり得ますか。一つの体に,頭が一つ以上ありますか。クリスチャン会衆をつくりあげる多数の成員が持つ最高度の一致と統一を示す,なんとすばらしい譬なのでしよう!―コリント前 12:12-25。エペソ 4:15,16,新口。
10 なぜクリスチャン教会はその最初から神の御霊が働いた真実の驚異でしたか。
10 クリスチャン会衆は,その最初の日から人々をその一致のうちに同化させ得ると証明しました。パレスチナからの人々だけでなく,いろいろの言葉を持つたくさんの異なつた国々からの人,ユダヤ教の宗派に属していた人々,ユダヤ人と割礼をうけた改宗者などが同化しました。彼らはその種々の宗教的な意見とか地方的な意見を変えてクリスチャンの考え方に従うようになりました。社会的な背景が全くことなる人々,謙遜な漁師,農夫,羊飼,収税人たちは,学識のあるパリサイ人と医者,金持ちと貧乏人,若い者と,年老いた者,男と女,子供たちは一致の状態にみちびかれました。彼らはみな会衆の一致に加えられるようになりました。一時のあいだ,物質面の資産を分け合うほどに彼らは一致していました。それは,成員がどんどん入つて来てただちに救済の手段を取らねばならなかつたというエルサレムに生じた危急の状況に対処するためでした。「信じた者の群れは,心を一つにし思いを一つにして,だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく,いつさいの物を共通にしていた」。それは,神の御霊が働いた真実の驚異でありました。しかし,教会の成員は,最初の3年半のあいだユダヤ人とユダヤ教からの改宗者たちだけで構成されていました。―使行 2:5-11,41; 4:32-35,新口。
11 西暦36年,どんな面でクリスチャン会衆に変化が起こりましたか。
11 それから,西暦36年クリスチャン会衆はその歴史の新しい分野に入りました。その年には,すべての人を驚かすようなことが起こりました。すなわち,割礼をうけていなかつた人とその家族,かつてエホバ神と契約関係に入つていなかつた異邦人たちは,とつぜんクリスチャン会衆の一部になりました。しかも,平等の権利と責任を十分に持つてクリスチャン会衆の一部になつたのです。そのことは,これらの異邦人が,ユダヤ人制度から来た信者の場合と同じように,洗礼をうけて聖霊をうけたことからも分かります。いまや,イエスの有名な命令は行なわれました,「あなたがたは行つて,すべての国民を弟子とし……」。クリスチャン会衆は,ユダヤ人信者の一致または制度だけにとどまらず,他の人類にその門を広く開いて,国際的な制度になるよう拡大しなければなりません。そして,国際的な制度がいつも直面せざるを得ないようなあらゆる問題に直面しなければなりません。このすべてのことにより,真の一致は平和と愛のきずなの中に保たれるべきです。―使行 10:44-48。マタイ 28:19,新口。
他の国際的な制度
12 なぜローマ帝国は,支配した国民の一致をつくることに興味を持つていましたか。ローマ帝国は,どのようにそれを行いましたか。それは成功しましたか。
12 当時の異教ローマ帝国は,その知恵のかぎりをつくして最善の国際制度を建てて維持していました。文明世界の大部分を征服した後のローマ帝国の仕事は,多くの国民,国家および人種をローマの支配下に隷属させることでした。他の世界強国の場合と同じく,支配下にあつた多種多様の国民を一致させる際にぶつかつた最大の難問題は,国家的な感情および宗教的な感情でした。階級差別をなくし,地方的な習慣の代りに一律の法律と行政を実施し,国家的な宗教の代りに共通の宗教を行なわせて,全帝国を強固な群れにしようとする企てがいろいろなされました。しかし,そのような企てが成功したことは一度もありませんでした。「聖書のヘイスティングス辞書」(英文)第4巻,293頁は次のように述べています,「ローマは,その帝国を強固な国にすることができなかつた。……ローマ帝国は,最初から高い目的を抱いており,征服された世界に対する義務の観念は,時がたつにつれて増して行つた。しかし,国家の愛国主義を復興することもできず,つくり出すこともできなかつたのだ。古いローマ国家は世界の中に失われた。そして世界がローマの中に失われたとしても,それは新しいローマ国家をつくり出したのではない。ギリシャ人やゴール人は,自分自身のことをローマ人と呼ぶかも知れぬ。そして,ローマのシビタス(『身分』)を誇るあまり,自分たちの古い民を忘れたように見えたかも知れぬ,しかし彼らはいぜんとしてギリシャ人でありゴール人であつた。……多種多様の国民が存在した。古い国家は死んで,新しい国家は一つとして誕生しなかつた」。
13 なぜ今日の世界指導者はローマを見下す理由を持つていませんか。
13 今日の世界支配者は,誇りを感ずる理由を持ちません。なぜなら,彼らは20世紀の啓発をうけ,国際連合の組織があるにもかかわらず,ローマ人よりも良い結果を収めているわけではないからです。エッチ・ジー・ウエルズは,「世界の歴史」(英文)という本の中で,その業績を次のように比較しています,「ローマの国民は,知らぬ間に巨大な行政経験を積んでいたのである。……それはつねに変化して,固定したことはない。ある意味において,〔行政の〕経験は失敗した。そして,今日の欧州とアメリカは,ローマの国民が最初に直面した世界的な行政上の難問題と,いまでも取りくんでいる」。―第33章,「ローマ帝国の隆盛」(英文)149-151頁。1922年出版。
14 西と東は,一群として,諸国家の真実の一致をつくるという問題を解決しましたか。
14 諸国家の一群<ブロツク>として,西の民主主義も,東の共産主義も国際的な一致という難問題を解決していません。西の世界の北太西洋条約機構のような国際的な軍事同盟は,その成員国家の中のある国々が国家的な誇りを持つているため,協力を得ることができません。東の方では,ユーゴスラビヤは他の共産圏諸国から離れて,自己流の共産主義を好みました。それで,共産主義のごとき高度に理想的なもので,かつ長年のあいだ「全世界の労働者よ,団結せよ」との標語の下に働いてきた国際的な運動は,全部の共産主義者が国家的な誇りを犠牲にしても,共産主義者の国際的な一致に必ずしも参加するものでない,という事実に直面しました。共産主義者の運動は,政治的な計画の面では多数の国民を一致させることに驚くべき良い結果を収めました。しかし,共産主義者の中から国際的な一致をつくり出すことに失敗しています。国家主義,人種,宗教,言語,そして数多くの他の分裂の要素は,海中の岩のようです。人間の国際支配者たちの船は,おそかれ早かれその岩にぶつかつて,災に直面します。
15 (イ)国際的なクリスチャン教会を最初のユダヤ人的なクリスチャン教会よりも大きな驚異にならせたものは,何でしたか。(ロ)それは,どのようにその結果を達成しましたか。
15 国際的な事柄に未経験で年若いクリスチャン会衆は,海中の岩や難破船のいつぱいあるこの海の中を航行し始めました。すべての国民に手を拡げて,その門戸を解放し,異教の宗教と哲学,国家的な誇り,言葉の障害,人種的,政治的,社会的な論争など,あらゆる問題に対処して行くとき,クリスチャン会衆はその絶対的な一致を保つことができるでしようか。その教えや,成員に対する標準について妥協をしなくても,その一致を保つことができますか。エルサレムに所在する見える統治体を持つその神権的な制度の機構は,変らずに維持されるでしようか。それは国家的な群れに分裂しなければなりませんか。そして各群れにはなんらかの形式の自治が行なわれてそれから群れが合同しなければならないでしようか。それは存続することができますか。もし国家的なユダヤ人教会が驚嘆のものであつたなら,この国際的な教会の驚異にくらべるとき,それは小さなものでありました。特に,歴史的な背景から見るときにそうです。今日にいたるまで人間の世界建設者にとつて解決不能の問題も,クリスチャン教会のかしらなるキリスト・イエスにとつては,すこしも問題になりません。クリスチャンは,分裂を生じさせるとともに一致をもたらすいちばん根本,すなわち人間の心に働きかけました。彼らはいたるところで,神を恐れるへりくだつた人々の心を入れ替え始めました。間もない中に,あらゆる国の信者たちはかしらなるキリスト・イエスにならい始めて,その個性に変化を生ぜしめました。その結果は,おどろくべきものでした。諸国家の人々がキリストのからだに入れられるにつれて,分裂を生ぜしめていた一切の障壁は,消えてなくなりました。小アジアのコロサイにあつたその地の会衆に宛てて,パウロは次のように書きました,「古い人格をその行いと共にぬぎ捨て,正確な知識により,つくり主の像に従つて新しい人格を着なさい。そこには,もはやギリシャ人とユダヤ人,割礼と無割礼,未開の人,スクテヤ人,奴隷,自由人の差別はない。キリストがすべてであり,すべてのもののうちにいますのである」。また,ガラテヤの教会の者たちに対しては,「あなたがたはみな,キリスト・イエスにある信仰によつて,神の子なのである。キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは,皆キリストを着たのである。もはや,ユダヤ人もギリシャ人もなく,奴隷も自由人もなく,男も女もない。あなたがたは皆,キリスト・イエスにあつて一つだからである」。―コロサイ 3:9-11,新世。ガラテヤ 3:26-28,新口。
16 ひとつの教会に対する要求は何ですが。最初のクリスチャンたちは,それを持つていましたか。
16 一つの教会の基礎は,教えと信仰における一致です。そして,御霊にみちた使徒たちや他の円熟した兄弟たちが存在していた期間中,この一致は保たれました。かつて,コリントの会衆内で分派の生ずる傾向が生じたとき,パウロは次のことを彼らに思い起こさせました,「キリストは,いくつにも分けられたのか」。そして,彼らは「みな語ることを一つにし,お互の間に分争がないようにし,同じ心,同じ思いになつて,堅く結び合つていてほしい」とさとしたのです。共通の信仰は,信者が誰であろうと,またどこにいようとも,共通の教会をつくります。―リコント前 1:10,13,新口。
17 他のどんな要素は,国際的な一致に貢献しましたか。
17 クリスチャンの一致を支持した別の要素は,最初のクリスチャンたちが政府について特定の見解を抱いたことです。最初のクリスチャンたちは,この世のものでなく,またこの世の政治制度にも属しませんでした。その事実だけでも,一致をもたらすことに大きく貢献します。しかし,彼らは,自分たちが政府のない国民または支配者のない国民であるとは考えませんでした。かえつて,彼らはへブル語聖書を信頼していました。また,イエスが実際の御国における実際の王であるというイエス自身の言葉を信頼していました。この御国は,実際の政治をします。そして,彼は定められた時に他のすべての国々を滅ぼし得るだけの強い軍隊を持つています。彼らは,超国家の王イエス・キリストを自分たちの主と告白しました。そして,ゆるがぬ忠節心のうちに,彼らはキリストを通して,神の御国に生命をささげました。彼らは,自分たちの住んでいた国々の従順な市民でした。しかし,彼らの主なる主人の命令と,人間の命令とのあいだに食いちがいがあるとき,彼らは人間よりも神に従わねばならないという立場を取りました。彼らは本気でした。ローマのカイザルたちは,クリスチャンがその神と王にむすばれている一致を破ろうとしたとき,そのことを知りました。今日の多数の自称クリスチャンたちは,神の御国が人間の心の中にあるものぐらいに想像していますが,彼らはそのように考えませんでした。彼らは,この世からはなれ,その目をしつかりと天の御国に注ぎ,愛を産出する御霊によつてみちびかれたので,たとえ国際的であつても,「一つのからだ」でした。―ヨハネ 17:16; 18:36,37。ダニエル 2:44。使行 5:29。
18 (イ)御霊は,初期の教会内にあつた各地の会衆を直接にみちびきましたか。(ロ)エルサレムの目に見える統治体の下した決定について,悶着が起きるかも知れぬ,となぜ考えられますか。悶着は起こりましたか。
18 ただひとつの制度だけがありました。すると,全部の制度のために,ただひとつの中央行政機関が存在し得る,ということになります。使徒たちと,エルサレムにいた円熟した兄弟たちは,御霊のみちびきをうける目に見える行政機関あるいは群れをつくりあげました。それは全世界にわたつて認められ,快い協力を受けました。教会にとつて国際的な意義を持つ問題は,裁決をうけるためにエルサレムに提出されました。割礼の問題が生じたとき,パウロはアンテオケやシリヤ地方の他の場所にいる会衆の監督を召集して会議を開き,その問題を論じて,決定をくだすというようなことをしませんでした。また,神の御霊が会衆に直接の指示を与える,ということもパウロは期待しませんでした。彼はエルサレムに所在した目に見える統治体のところに行つたのです。そして,統治体に注がれた御霊の導きの下に,その問題が解決されたのち,彼は諸会衆に送り返されて,その決定を彼らに知らせました。この処置は,非ユダヤ人のあいだに悶着をひきおこしませんでした。おそらく他の環境の下では,悶着は起こつたかも知れません。ふつうのこの世的な見解から判断するなら,ギリシャ人が反対をして,自分たちの持つ過去の高慢な伝統に注意をひく,と聞かされても驚くにはあたりません。けつきよくのところ,世界の指導的な歴史家,詩人,数学家,そして建築家は,ギリシャ人ではありませんでしたか。文化という名のつくものは,たとえ全ローマ帝国内のものであろうと,みな実際にはギリシャのものではありませんでしたか。世界首都の自信にみちた市民,ローマ人は,なぜいやしめられていたユダヤ人の言葉に耳を傾けねばなりませんか。これらのユダヤ人たちは,時にはローマで生活することが許されなかつたのです。セム人種の世界支配は,バビロンの滅亡とともに,アリヤン人種にうつされたではありませんか。それでは,アリヤン人種のローマ人とギリシャ人が,エルサレムでアラミヤ語を話したセム人種のユダヤ人から命令をうける理由がどこにあるのですか。彼らは自分自身で考えることができませんでしたか。そのような国家主義的な考え,あるいは人種的な考えが,白蟻のようにクリスチャン一致の根本を食いかじつたということを示す記録は,すこしもありません。すべての人が,パウロと同様にそのことを見たのは,明らかです。「ユダヤ人とギリシャ人との差別はない,同一の主が万民の主……」それは分裂をすこしも起こしませんでした。かえつて,記録は次のように述べています。「それから,彼らは通る町々で,エルサレムの使徒たちや,古い人々の取り決めた事項を守るようにと人々に告げた。こうして会衆は信仰をかたくし,その数は日ごとに増して行つた」。―使行 15:2,41; 16:4,5,新世。ロマ 10:12。
19 どんな面において,初期のクリスチャン教会はいまだかつて見られたことのないものでしたか。
19 ほんとうに教会は人類の歴史上驚嘆すべきもので,いちぢるしい例外でありました。それは国際的な制度でしたが,「一つの心と魂」,「同じ思い」「同じ考え」「ひとつのからだ,ひとつの御霊,ひとつの希望,ひとつの主,ひとつの信仰,ひとつの洗礼,ひとつの父なる神」により特色づけられていました。(使行 4:32。コリント前 1:10。エペソ 4:4-6)そのようなものは,いまだかつて見られたことのないものです。それは,神の御霊の真実の産物です。たしかに,エホバはクリスチャン教会の一致を願い求めたイエスの祈りを実現させました。―ヨハネ 17:20-23。