-
イエスの奇跡ものみの塔 1962 | 4月1日
-
-
早く理解させるためのものでした。イエスの奇跡は,親切を示すための手段,長い間とざされていた喜びの泉を開くための道具でした。そして彼の教えを力あるものにしました。
ガリラヤのカナでイエスは,最初の奇跡を行ないました。彼は,四,五百リットルの水を最上のぶどう酒に変えました。ここでイエスは,もてなしということについて教え,神の寛大さを示しました。よいぶどう酒は年を経るほどよくなります。ですから,その量が必要以上のものであったにしても,むだにはならなかったでしょう。この奇跡はまた,発酵させた飲み物を飲んでもよいとイエスが認めていたことを示しています。さもなければ,イエスはぶどう酒をつくられなかったでしょう。―ヨハネ 2:1-11。
また,ある王の侍臣が,カペナウムで,死にかかっているむすこをなおしてもらうために,イエスをたずねてきたのもカナでした。イエスは,その子をなおしたうえに,彼をもっとよい父親にしてその子のもとに送り返しました。カペナウムまで一緒に行くかわりに,イエスはその人に言われました,「『お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ』彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った」。父親はあとで,カペナウムから25マイルも離れた所におられたのに,イエスが言葉を発せられると同時に,むすこがいやされたということを知らされました。こうしてイエスは,彼を通じて示された神のいやしの力が,距離に制限されていなかったことを実際に証明されました。そのため,その人も「その家族一同も信じ」ました。―ヨハネ 4:46-53,新口。
エルサレムでは,ベテスダという池で,38年の間病気だったひとりの男をいやされました。ユダヤ人たちは,イエスが安息日にそういうことを行なっているといって苦情を言いました。イエスは,神が毎日同じように休むことなく活動しておられることに言及して,彼らの非難に答えられました。「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。(ヨハネ 5:17,新口)安息日になぜ良いことをしてはいけないのですか。太陽は輝くのをやめますか。川は流れをとめますか。草の成長はとまりますか。果物は熟し鳥は歌いはしませんか。神は忙しくないですか。神の全領域において,安息日は活動的なあわれみの日です。ではなぜ,安息日の主が,安息日に,あわれみのわざをしてはいけないのですか。
イエスは魚に命令します。すると魚はやってきます。彼は水の上を歩き,激しい嵐をしずめます。そして,「海の魚と,空の鳥と,地に動くすべての生き物とを治め」る権威のあることを証明されます。彼は真実の人の子です。―創世 1:28。ルカ 5:4-7。マルコ 6:48。マタイ 8:23-27; 28:18; 8:20,新口。
イエスの奇跡は,人間の苦しみに対するやさしい同情の表現,愛とあわれみの光のひらめきです。そして,イエスの教えの一部であり,新しい世における祝福を約束するものです。新しい世にはもはや悲しみも死もないでしょう。奇跡は,イエスがキリストであることを,事実をもって人々に印象づけるための手段です。―黙示 21:4。
使徒パウロは書いています,「さて,わたしたちには,もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから,わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。この大祭司は,わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが,すべてのことについて,わたしたちと同じように試錬に合われたのである。だから,わたしたちは,あわれみを受け,また,恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために,はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」。―ヘブル 4:14-16,新口。
-
-
少女は学級で伝道ものみの塔 1962 | 4月1日
-
-
少女は学級で伝道
― セントマーチンで
御国の真理が多くの人々に伝えられていることは,ある日カトリックの学校で示されました。すべての善人は天に行くと,生徒は教えられました。少女のうちひとりは,礼儀正しい仕方の中にこう話しました,「いいえ,14万4000人だけが天に行き,他の善人は地上で生活すると,エホバの証者は言います」。―1962年のエホバの証者の年鑑(英文)より。
-