-
『こうべを上げ』て救いを知らせるものみの塔 1969 | 5月1日
-
-
1969年の極東地域における国際大会の皮切りとしてノア兄弟が大ぜいの旅行者を伴い,再び京城を訪問されるのを心待ちにしています。韓国の兄弟たちは1963年の国際大会をなつかしみ,再び外国の兄弟たちを迎えるのを楽しみにしているのです。
-
-
成功の秘訣ものみの塔 1969 | 5月1日
-
-
成功の秘訣
● 英国のエホバの証人は「進化と創造」と「真理」の本を大いに用いたため,聖書研究の活動は驚異的に進歩し,はじめて5万以上の研究が司会されるようになりました。会衆の伝道者である,一人の証人とその妻は合わせて17もの研究を司会しています。6か月間研究したそれら17人のうち,11人は時おり集会に出席し,6人は定期的に出席しています。また5人は家から家の宣教奉仕のわざに参加しています。そのうえ,そのうち4人はすでに自分自身が他の人との研究を司会しているほどです。このような成功の秘訣はなんですか。別に特別なものではなく,ただあらゆる事において,研究生のために心をこめるということです。その妻はこう述べました。「私が話している事の意味をはっきりさせます。集会や奉仕の楽しさや,エホバが与えてくださる成功について話し,私が行なっていることを熱心に説明します」。
―エホバの証人の1969年度年鑑より
-
-
読者からの質問ものみの塔 1969 | 5月1日
-
-
読者からの質問
● 復活したイエスがマグダラのマリアに対し,自分に触れてはならないと言われたのはなぜですか。その後トマスに対しては,自分のからだに触れるようにと命じておられます。―ハイチの一読者より。
ヨハネ伝 20章17節を理解するにあたってどの程度の問題が生ずるかは,どんな聖書翻訳を使うかによっておおむね決まります。「カトリック・ドウエー訳」(英文)と「欽定訳」(英文)の双方は,イエスがマリアに対し,自分に「触れ」てはならないと言われたように訳しています。「ドウエー訳」はこうです。「イエス彼女に言う,我に触るるな,我いまだ我が父のもとに上らざればなり」。(ヨハネ 20:17)しかしこの翻訳によると,イエスはのちにトマスに向かってこう言われました。「なんぢの指をここに入れ,我が手を見よ。なんぢの手を伸ばし,わがわきにあてよ」― ヨハネ 20:27。
イエスがマリヤに対し自分の化肉したからだに触れるなと言い,のちにトマスに向かって,自分に触れるように勧めたという問題は,他の言語の聖書翻訳の場合にも起きています。ドイツ語では,「エルバーフェルダー訳」と「ルーテル訳」が,ヨハネ伝 20章17節を,イエスに「触れ」てはならないという意味に訳しています。これは,フランス語の「クランポン聖書」と「リエナール聖書」,イタリア語の「リペドタ訳」と「ディオダチ訳」,またスペイン語の「モデルナ訳」,「バレラ訳」,「ナカル-コルンガ訳」などについても言えます。
しかし,「触れる」というのは,ギリシア語「ハプト」に含まれる多くの意味のうちの一つにすぎません。このギリシア語のことばには,「すがりつく,つかまえる」という意味もあります。(W・E・バイン編「新約用語の解説辞典」第4巻,145ページ)したがって「新英訳聖書」はヨハネ伝 20章17節のイエスのことばを,「わたしにすがりついてはならない。わたしはまだ父のもとに上っていないからある」と表現しています。また,「アメリカ訳」,カトリックのフランス語および英語版「ラ・ビーブル・ド・ジェルサーレ」(エルサレム聖書)も,イエスのことばを同様に訳出しています。スペイン語の「エディシオネス・パウリチス」は「スエルターメ」ということばを用いています。これは「わたしを行かせよ」という意味です。
マグダラのマリヤの場合を考えると,彼女は,イエスが死んだので追随者たちはとり残されたと考え,大いに動揺していたものと思われます。復活後に化肉したイエスを見た時,マリヤはイエスにすがりつきました。イエスを見失い,もはや再び会えないのではないかと考えたためです。イエスのことばはマリヤの考え違いを正すためであったでしょう。それで,どこかに行ってしまうのを妨げようとするかのごとくに,イエスのからだにつかまる必要のないことを示されたのです。やがてイエスは天に上り天から聖霊を送って,ご自分の弟子たちを強めるのです。それで「新世界訳聖書」はマリヤに対するイエスのことばを適切にこう訳出しています。「わたしにすがりつくのをやめなさい。わたしはまだ父のもとに上っていないからである。むしろわたしの兄弟たちの所に行き,『わたしがわたしの父,あなたがたの父,わたしの神,あなたがたの神のもとに上る』と告げなさい」― ヨハネ 20:17,新。
その数日後,しかし天に上る前,イエスはトマスに対し,自分の化肉したからだに触れることを勧めました。それは,ご自分つまりキリストが確かによみがえったことをトマスに得心させるためでした。(ヨハネ 20:27)それでこれはイエスがそれ以前に言われたことと食い違うわけではありません。
-