-
『こうべを上げ』て救いを知らせるものみの塔 1969 | 11月1日
-
-
『こうべを上げ』て救いを知らせる
エホバの証人の1969年度年鑑より
レバノン
人口: 2,405,000人
伝道者最高数: 1,025人
比率: 2,346人に1人
「良いたより」の伝道されているレバノンとアラブ諸国のエホバの証人は,昨奉仕年度,数々の祝福を受けました。人々の態度は以前よりもよくなったように思われます。
聖書に関心のある新しい人を助けて,いわゆる反対者に真理を弁明すると,しばしば意外な結果が生じます。ある特別開拓者は1組の夫婦と聖書研究を始め,なに事もなく1か月ほどたちました。ところが,このご主人の弟5人は政治に関心を持っていて,1番上の兄であるこの人がエホバの証人と聖書を学ぶのをやめさせようとしました。そのうちの一人が研究している時にこの人の家へやって来て,エホバの証人が聖書に述べられている偽りの預言者であることを証明しようとしました。しかし長い討論の末,この弟はエホバの証人が聖書から真理を語っていると悟り,兄のしている研究に参加したいと言いました。このことを知った他の4人の弟たちは仰天し,研究に参加することにしたその人の手引き書を破ってしまいました。兄弟の3番目にあたる人が翌週研究をやめさせるために来ました。しかし数時間にわたる討論の後,この人も二人の兄弟がしている研究に欠かさず出席することに決めました。さらにつぎの週,あとの3人が,兄弟たちに何事が起きているのだろうかとやって来ました。話し合った結果,彼らも妻子とともに研究に参加し始めました。最後にこの6人兄弟の父親も妻や娘たちとともに研究に加わりました。結局,3か月たった時には一家15人がいっしょになって定期的に研究していました。牧師はこの成り行きに全く驚き,攻めたりおどしたり,あの手この手で研究をやめさせようとしました。しかし,研究をやめさせるどころか,小さな村のこの教会は閉鎖しなければなりませんでした。この大家族は主要な教会員だったからです。現在家族のうち6人が「良いたより」の伝道者です。そのうち一人はバプテスマを受けており,つぎの大会で献身を象徴したいという人たちもいます。あとの人もよい進歩を続けています。
つぎの経験から偶然の証言の大切さがわかります。バスの中で,一人の兄弟の隣にすわった人が生活のいろいろな苦労について話しあっているうちにぐちをこぼし始めました。そこで兄弟はごく自然に真理についてその人に話し,いろいろなむずかしい事柄のゆく末はどうか,また神の御国がそれらをどのように解決するかを話しました。男の人はマホメット教徒でしたが,このクリスチャンから聞いた事柄にたいへん感銘しました。目的地に着くまでにこの人は多くの事柄を学んでいました。そして,住所が決まっていなかったため兄弟の住所を控え,兄弟を訪問すると約束しました。その後彼はほんとうに尋ねて来ました。ある小さな町に落ち着くとその地域の会衆と交わりました。この人はそれまでにもう親族に証言していました。彼は気が狂ったのだという者や,冒瀆者呼ばわりして暴力でおどす者がいました。しかし,この人はそのような事でくじけず,その土地の監督と「楽園」の本の研究を取り決めました。関心を持つこの人は毎週研究に出席するため40キロの道を通いました。4回研究した後会衆のすべての集会にも出席し始めました。二,三か月して家から家の伝道や偶然の証言をするようになりました。以前マホメット教徒だったこの人からキリストについて伝道を受けた人々はなんと驚いたことでしょう! 仕事仲間に証言した時,「わが羊はわが声を聞き,……彼らは我に従ふ」というイエスのことばを引用したので,それ以来仲間たちから「ヒツジさん」と呼ばれています。彼がこのあだ名を気にすることはありません。現在エホバに献身したしもべとして毎月60から75時間を野外奉仕に費しており,全時間奉仕者になる目標を持っています。これらのことは皆,バスの中で隣にすわった兄弟がこの男の人に御国の音信を伝えたことから起きたのです。
-
-
読者からの質問ものみの塔 1969 | 11月1日
-
-
読者からの質問
● ヨハネ伝 20章23節は,罪を許す権威を与えられる人がいることを意味していますか。―アメリカの一読者より。
まずつぎのことを心に留めて下さい。わたしたちが問題にしているのは,神に対する罪,すなわち盗みやうそを言ったり性的不道徳を犯して神の律法の一つを破る行為のことです。ある人は時に他のクリスチャンに対して無作法をしたり,その人のうわさ話やその他の仕方で個人的なあやまちをして,その人に対して罪を犯すかもしれません。聖書はこのような場合には許し続けるように勧めています。(エペソ 4:32。ペテロ前 4:8)しかし天の神に対するゆゆしい罪についてはどうですか。
ヨハネ伝 20章23節のことばが語られたのはキリストが復活され,「使徒たち」にあらわれた時の事です。ご自分が彼らをつかわされることを話し,ついで彼らがやがて聖霊を受けると述べられてから,イエスはこう言われました。「汝ら誰の罪を許すともその罪にゆるされ,誰の罪を留むるともその罪にとどめらるべし」― ヨハネ 20:21-23。
この聖句だけを見ると,使徒たちは罪の許しを与え得ると述べているように思われるかもしれません。しかし,聖書の他の部分が示す証拠を無視してはなりません。これがそのとおりかどうか調べるために「聖書を……注意ぶかく調べ」た心の広いベレア人に見習うべきです。―使徒 17:11,新。
ダビデ王が罪を犯した時,彼はだれの許しを請いましたか。その時代には,幕屋で奉仕する,神に任命されたユダヤ人の祭司たちがいました。しかしダビデはこう書いています。「我いへらくわが愆をエホバにいひあらわさんと かゝるときしも汝わがつみの邪曲をゆるしたまへり」。(詩 32:5)イエスは地上に来られた時,この罪の許しをエホバに求めることを変えられましたか。いいえ,変えられませんでした。なぜならイエスは,わたしたちが「天にいます我らの父よ。……我らの負債,〔すなわち罪〕をも許し給へ」と祈るように教えられたからです。(マタイ 6:9,12)またイエスの弟子たちもこの事について同じように理解しています。「我らの罪を許し,すべての不義より我らを清め」得るのは,人間ではなく神であることを弟子たちは知っていました。―ヨハネ第一 1:9。
それでは,イエスがヨハネ伝 20章23節にあることばを語られた弟子たちは,許すという問題にどのように関係していたのでしょうか。イエスがそれ以前に語った事柄はこの点に解明の光を投げかけています。マタイ伝 18章15節-17節でイエスは,霊的兄弟がだれかに対して罪を犯した場合に,その人はどうすべきかを説明されました。最後に踏む段階は,会衆の霊的に古い人々にその問題を聞いてもらうことでした。(ヤコブ 5:14,15)
罪を犯した人が自分のゆゆしい罪を悔い改めようとしないなら,会衆から排斥されねばなりませんでした。これは数人の人がその人の罪を許す,つまり留めるかどうかを決めるという事でしたか。そうではありません。会衆の霊的に古い人々は,彼らが天ですでに決定されていると結論することのできたとおりに行なっていただけです。では天の決定はどのようにしてわかりますか。それは,神がみことばの中でその問題に関して明らかにしておられる事柄によってです。―テモテ後 3:16,17。
それはイエスのつぎのようなことばからはっきりします。「まことに汝らに告ぐ,すべて汝らが地にて縛ぐ所は天にても縛ぎ,地にて解く所は天にても解くなり」。(マタイ 18:18。またロザハム訳とC・B・ウィリヤムズの「新訳聖書」をご覧下さい)地上で決定されてから天の決定があるというようにこの聖句を訳している翻訳がいくつかありますが,著名な聖書翻訳者であるロバート・ヤングは,この聖句が遂語的には,「(すでに)縛れているごとくなると訳される」と述べました。
したがって,たとえばあるクリスチャンがうそを言ったとします。そのことで会衆の古い人が彼と会った時,自分の不誠実なふるまいの悔い改めを拒めば,神のお考えは,そのみことばに示されていますから,早くも明らかです。罪を犯した人が悔い改めれば,神はその人をお許しになります。(イザヤ 55:7)またエホバは,無意識に罪を犯した人をお許しになります。しかし故意に罪を犯し,悔い改めない者をお許しにはなりません。(民数 15:22-31)このことを知っている会衆の委員は,いくつかの事実と罪を犯した人の態度から,その人をどのように扱うか決めることができます。その人たちは,聖書を通して神のお考えが何であるかを知りますから,罪を犯した人を会衆から排斥すべきかどうかについて彼らが決定した事は,神がすでに天において決定しておられたことになるわけです。
第1世紀のクリスチャンがマタイ伝 18章18節とヨハネ伝 20章23節を以上のように理解していたことは,コリント前書 5章からも明白です。コリント会衆には故意に罪を犯し,悔い改めない者がいました。会衆の古い人々は個人的に「(その者の)罪を許す」あるいは「(その者の)罪を留むる」ことができましたか。いいえ,使徒パウロですらできなかったのです。彼らはそのような悔い改めない罪人を神がどのように判断されるかを知っていたので,その者を会衆から排斥し,その罪はあきらかに神によってその者に「留め」られ許されないことを,すべての人に発表しなければなりませんでした。
マタイ伝 18章18節とヨハネ伝 20章23節は直接には使徒たちに語られたかもしれませんが,各会衆の霊的に古い人々がイエスのことばを適用しなければならなかったことはパウロのコリント人へあてたことばから明らかです。この事はペルガモとテアテラの会衆へ送られたことばの中にも見られます。(黙示 2:12-16,20-24)キリストはこの二つの会衆が悪を行なう者たちを排斥しないので彼らをとがめられました。こうして天ですでに縛がれた事を地上で縛がれました。
ところで罪を犯した人が悔い改めている場合に会衆ができる処置は,その人が引き続き会衆内に留まるのを許すことです。またもしその人が排斥されていたなら,会衆にもどるのを受け入れることです。確かにこれはその後コリント会衆に起きた事です。神がその者をお許しになることを知っていたパウロは,そうした人が会衆にもどるのを受け入れるようにとクリスチャンに勧めています。(コリント後 2:6-8)クリスチャン自身がその罪を許すことではありません。罪を許すことができるのはエホバだけです。しかし神のみことばにある諸原則に一致した処置を通して,悔い改めた者の罪は天の神によって許されていると結論できました。こうしてヨハネ伝 20章23節にある「汝らたれの罪を許すともその罪にゆるされ」という聖句は真実となります。
● モーセはペンテコステの日に律法を与えられたと聞いています。出エジプト記 19章1節によれば,イスラエル人はエジプトを出てから3か月目にシナイ半島に到着しました。ではわたしが聞いた事は正しいでしょうか。―アメリカの一読者より
ユダヤの言い伝えは大変明確に,モーセが十戒を得たのはペンテコステつまりシャブオースの日であったとしています。たとえばこのような例があります。「ユダヤ人の過去の記憶を集成すると,シナイに到着した日はシャブオースで,この時神がモーセとユダヤの人々にあらわれた。そして十戒を与える神の声を聞いた」。(A・ヘルツバーグ博士編「ユダヤ教」1961年版118頁。「新ユダヤ百科辞典」1962年版442頁もご覧下さい)聖書はそのことを特別にしるしていません。しかし,聖書の記述を調べると,そこから提出された資料はその可能性のあることを示していることがわかります。
ユダヤ人の過ぎ越しはニサンの14日でした。ユダヤ人の祝いの行事に従えば,ニサンの15日は安息日で,ニサンの16日には刈り入れられた大麦の初穂がささげられました。それから50日後のシワン6日に,ユダヤ人はペンテコステとも呼ばれる数週間の祭りを祝いました。ユダヤ暦の1か月は29日あるいは30日からなっていますから,エジプトを出てから3か月目はペンテコステの時を過ぎているように見えます。―レビ 23:4-17。
しかし出エジプト記 19章1節を調べてみましょう。そこにはつぎのように書かれています。「イスラエルの子孫エジプトの地を出て後第三月にいたりてその日にシナイの荒野に至る」。聖書はイスラエル人がエジプトを出てからまる3か月すなわち90日後にあたる「三月の後」と述べていないことに注目してください。むしろまる1か月に満たない月が含まれていると考えられます。過ぎ越しの祭りはユダヤ暦のニサンの月(30日)にあたります。翌月はイッヤル(29日)でつぎにシワン(30日)が来ます。ユダヤ人はニサンにエジプトを出ましたから,それから「第三月」はシワンです。しかしモーセが律法を得始めたのはいつでしょうか。その時は,あとになって設けられた数週間にわたる祭り,すなわちペンテコステの日付と符合しますか。
この点に関して多くの学者の間に一致が見られませんが,「第三月にいたり……その日に」という記録はシワンの一日を指していると広く信じられています。たとえば有名なユダヤ人の注解者ラシは,「その日 ― 新月のその日」つまりその月の最初の日であろうと書いています。ジェイムズ・G・マーフィ教授はこう述べました。「ここに使われている語は新しい月を指しており,また『その日』というようにはっきりとした日が示されているのでその月の第一日が意味されていると結論しても危険はないだろう」。
神は,前もってモーセにシナイ山で崇拝をささげることを命じておられたので,人々が野営をすると,「モーセは登りて神に至」りました。(出エジプト 3:12; 19:2,3)出エジプト記 19章1節に関する先の見解が正しいとすれば,モーセが山に登ったのはシワンの2日か3日であったといえます。モーセがエホバから伝言を受けると彼はそれを人々に告げ,人々は神の言われた事柄すべてを行なうことに同意しました。最後にモーセは民のことばを神のもとへ携えて行きましたが,これはおそらくシワンの4日のことでしょう。神はモーセに「今日明日」民を清め,また「(民が)準備をなして三日を待つ」ように命じられました。これはシワンの6日となります。―出エジプト 19:10,11。
ゆえに神が律法契約の根底をなす十戒を「第三日」に与えられた時が,後に祝われたペンテコステの日に当たる可能性は十分にあることになります。
さらに,十戒を得たのはペンテコステの日であったと信じて行なうユダヤ人の習慣があることも理解の一助となります。律法を得た自分たちの喜びを証しするというはっきりした目的を持って,ペンテコステの日に家を多くの花で飾るユダヤ人がいます。また「ユダヤ百科辞典」には「十戒を祝して『乳と蜜』になぞらえられた酪産物やチーズを食べるのはペンテコステの一般的な習慣である」と述べられています。
-