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「従いなさい」― だれに?ものみの塔 1962 | 11月15日
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をする用意が」あるようにと,パウロは助言しています。
37 キリストが死なれ,一定の目的のために私たちを救われた事実と,これはどのように調和しますか。しかしこれは私たちの服従にどう影響しますか。
37 このことは,パウロがその前に述べた事実と全く一致しています。すなわち,救い主イエス・キリストが「わたしたちのためにご自身をささげられたのは,わたしたちをすべての不法からあがない出して,良いわざに熱心な選びの民を,ご自身のものとして聖別するためにほかならない」。(テトス 2:13,14,新口)政府や権威に対する私たちの服従が比較的なものに過ぎなくても,私たちが彼らに危険な者になるようなことは決してあり得ないでしょう。同時に,私たちはキリストにより不法からあがない出されて「良いわざに熱心」であるゆえ,政府や権威に比較的な服従以上のものをささげることをしないでしょう。なぜですか。なぜなら,人間の支配者は,時おり,神の最高の律法に反することを要求したり,また法律を施行したりするからです。
38 神の律法に従う私たちは,政府と権威に対し,決して何をしませんか。また政府や権威のどんな行いに加わりませんか。
38 私たちが神の律法に良心的に従うとき,人間の政府や権威は当惑することがあるでしょう。彼らが間ちがっていること,および神の律法と一致していないことが示されるでしょう。しかし,私たちは現存している政府や権威に対して暴力的な運動を起こしたり,陰謀を企むことを,決してしません。この組織制度の期間中,私たちは神のものを神に返します。が,カイザルのものをカイザルに返さないということではありません。(マタイ 22:21)また,「政府と権威に服し,これに従」えと告げた使徒の助言を破るということでもありません。不完全な人間の政府や権威が神に敵対して戦うとき,良心的なクリスチャンとして私たちは彼らに加わらないという意味です。キリストの使徒たちは,政治と無関係な宗教的なエルサレムの法廷に向かって,「人間に従うよりは,神に従うべきである」と語りました。私たちは,彼らと同じ立場を取らねばなりません。―使行 5:29。
39 従って私たちは,使徒のどんないましめに従いますか。何を心に留めてそうしますか。
39 夫に従うこと,奴隷所有者に従うこと,この世の政治的な政府や権威に従うこと,および生活の他の事柄について,私たちは,どんな場合でも,使徒パウロの指示に従います。私たちがそうすることは,「神を信じている者たちが,努めて良いわざを励むことを心がけるようになるためである。これは良いことであって,人々の益となる」。―テトス 3:8,新口。
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「人のつくったものすべて」に服従するものみの塔 1962 | 11月15日
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「人のつくったものすべて」に服従する
1 今日,いちばん自由な人々はだれですか。しかしどうしてその自由を失うことがありますか。
自由な人々は,自分の自由を濫用したり,利己的な不法の行いをするための口実として自由を用いぬように注意しなければなりません。今日,いちばん自由な人々は「この世の支配者」サタン悪魔すなわち「この世の組織制度の神」でエホバ神の大敵対者の束縛から解放されている人々です。(ヨハネ 12:31。コリント後 4:4)これらの人々は,虚偽,無知,そして迷信の束縛から解放されました。「もしわたしの言葉のうちにとどまって
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