なぜからだを殺す者をおそれないか
1,2 (イ)イエスは追随者に対し,だれを恐れるなと告げましたか。その者たちはどんな状態にありますか。(ロ)神はその民を強めるため,預言者イザヤにどんな言葉を語らせて,この事実に注意をひきましたか。
マタイ伝 10章28節において,イエス・キリストはだれを恐れないようにと追随者に告げましたか。それはどんな人々ですか。それは私たちと同じく死ぬ人間です。彼らは政治的,軍事的あるいは経済的,宗教的に権力をふるい,その支配下におかれた人々からは神と崇められているかも知れません。しかしそれにもかかわらず,彼らは死を避けることのできない単なる人間です。彼らは最初の罪人アダムから,今日地上に住む人々を含めてすべての人に及んだ死を免れることができません。生ける唯一の真の神は,むかしの神の民が世界強国バビロンから解放されることを預言したとき,この事実を指摘しました。バビロンは神の民をしいたげ,その解放を妨げていたのです。神の民に次の言葉が告げられました。
2 「我こそ我なんぢらを慰むれ,汝いかなる者なれば死べき人をおそれ草のごとくなるべき人の子をおそるるか いかなれば天をのべ地の基をすえ汝をつくりたまへるエホバを忘れしや,何なれば汝をほろぼさんとてそなへする虐ぐる者の憤ほれるをみて常にひねもすおそるるか,虐ぐるもののいきどほりはいづこにありや」。(文語)
3 (イ)ヤコブの国民にとって,この言葉は何時,適切なものでしたか。(ロ)この同じ言葉は今日だれに適切ですか。なぜそうですか。
3 イザヤ書 51章12,13節のこの言葉は,紀元前539年に世界強国バビロニアが倒れ,紀元前537年になって征服者のクロス大王が解放の布告を出してのち,ヤコブの国民によくあてはまりました。かつてしいたげられていたユダヤ人の捕われ人は,この布告によってバビロンを去り,その愛した故郷のパレスチナに帰ることができました。しかし現代のエホバの証者についてはどうですか。彼らは西暦1919年,大いなるバビロンから解放されました。その年以来,現われた独裁者は,エホバの証者が,マタイ伝 24章14節にあるイエスの言葉に従って全地に御国を伝道するのを阻止しようとしてきました。それでイザヤ書 51章12,13節のことばはおもに現代のエホバの証者にあてはまるのです。何千人に上るエホバの証者のからだを殺した独裁者たちはどうなっていますか。
4,5 (イ)エホバの証者とかかわりのあった現代の独裁者や圧制者はどうなりましたか。(ロ)これらの圧制者は何に過ぎませんでしたか。なお存在する圧制者に対して私たちはどんな態度をとるべきですか。
4 1922年から1943年までファシストの独裁者だったムソリーニはどうなりましたか。1945年に彼は処刑され,イタリア人はその死体をはずかしめました。1933年から1945年までナチスの独裁者だったヒトラーはどうなりましたか。彼は捕えられることをいさぎよしとせずに自殺しました。カトリック教徒の独裁者ムソリーニおよびヒトラーと政教条約を結び,またカトリック・アクションの推進者でもあった法王ピオ12世はどうなりましたか。1958年10月以来その柩はバチカン市の墓所に安置されています。29年間ソ連独裁者の地位にあり,ヨーロッパにあるソ連の国土においてもシベリアにおいても,刑務所や強制収容所でエホバの証者を苦しめたスターリンはどうなりましたか。1953年3月5日,スターリンは脳溢血で死にました。1930年以後ドミニカ共和国を支配した独裁者トルヒヨはどうなりましたか。彼は1961年5月30日,陸軍の将校に暗殺され,悪名高いその支配は終わりを告げました。
5 人々を圧迫したこれらの支配者は,エホバ神の言われた通り「死べき人」であり,死の鎌に刈り取られて「草のごとくなるべき」人です。ゆえに天の神の国を伝道するエホバの証者は,なお残る独裁者に対しても恐れを抱く必要がありません。
従いながらも伝道する
6 全体主義の支配者に対し,エホバの証者はロマ書 13章1節に従ってどのように行動しますか。またどんな場合に,使徒行伝 5章29節に示された使徒の立場をとりますか。
6 今日,御国の伝道者は,政治権力の座にある全体主義の支配者の命をねらうような事をしません。彼らは支配者に反抗せず,むしろロマ書13章1節にある使徒の命令に良心的に従います。「すべての人は,上に立つ権威に従うべきである」。全体主義の支配者がエホバの証者に圧迫を加え,神の国に従うことをやめさせ,伝道をやめさせようとするとき,エホバの証者はイエス・キリストの使徒が残した手本にならい,「人間に従うよりは,神に従うべきである」と言います。(使行 5:29)しかし神に絶対に従うという立場をとるにしても,迫害者や圧迫者に対して政治的な反対運動を起こしたり,身体に危害を加えるようなことはエホバの証者に許されていません。
7 迫害されるエホバの証者は,迫害されたダビデがサウロ王に対してとったどんな態度を,政治権力に対してとりますか。
7 政治支配者から迫害されるとき,エホバの証者は,ベツレヘムのダビデと同じ態度をとります。ヤコブすなわちイスラエルの国の王サウロにねたまれたダビデはゆえなくしてその存在を非合法化され,迫害されました。しかしダビデは追われながらも,サウロ王に危害を加えようとせず,またサウロ王の支配下にあった国民と戦おうとはしませんでした。サウロ王は「エホバのあぶらそそぎし者」であり,それゆえにサウロを王の地位から除くのはエホバのみ心次第であることを,ダビデは忘れなかったのです。そこである時,サウロ王の生命がダビデの手中にあり,おいのアビシャイがサウロ王を殺す許しを求めたとき,ダビデは次のように答えました。「エホバは生く エホバかれを撃ち給はんあるひはその死ぬる日来らんあるひは戦ひに下りて死にうせん」― サムエル前 26:10,文語。
8 ダビデは利己的な心を抱かず,迫害者サウロ王に手を下しませんでしたが,どんな事態が起きてサウロ王は死にましたか。
8 それからあまり時を経ないうちにサウロ王は,ペリシテ人との戦いに出,ペリシテ人の矢にあたって重傷を負ったのです。それで自分のからだが敵の手に陥らないように,サウロ王は自ら剣の上に伏して死にました。こうしてヘブル人のエホバの証者であったダビデは,自らがイスラエルの王となる道を開くため,迫害者の死に荷担するようなことをしなかったのです。
9 迫害者から救われたダビデは,どなたに感謝しましたか。どんな言葉を述べていますか。
9 そこでダビデは,サウロ王の迫害から救われたことをエホバに感謝できました。ダビデの書いた詩篇 18篇の表題に次のことばがあります。「エホバの僕ダビデの歌,このうたの詞はもろもろの仇およびサウロの手より救はれし時エホバにむかひてうたえるなりいはく」。ダビデの言葉は次のようにつゞいています。「エホバわれの力よ,われ切になんぢを愛しむ エホバはわが厳,わが城,われをすくふ者,わがよりたのむ神,わが堅固なるいはほ,わが盾,わがすくひの角,わがたかき櫓なり」。(詩 18:1,2,文語。サムエル後 22:1-3)ダビデと同じく,今日,エホバのクリスチャン証者は,迫害する敵からの救いをエホバに俟ち望んでいます。
10 現在東ドイツにいるエホバの証者の例からもわかる通り,このように待つことはどれ位の期間に及ぶかも知れませんか。
10 ダビデの場合と同じく,それには何年も待つことが必要かも知れません。東ドイツのエホバの証者は,ヒトラーのナチスの支配が終わるのを待ちました。いまではナチスに代わった全体主義の支配すなわちブレジネフの下にあるソ連に依存した共産主義者の支配が終わるのを待たねばなりません。救われるまであと何年待つのかはわかりません。しかし彼らはエホバから救いがくるまで待つことを決意しています。
11 (イ)エホバの証者は,なおどれだけの間,不当な罰と苦しみにあうかも知れませんか。(ロ)このような迫害は,何時かならず終わりますか。
11 独裁者が老衰その他の原因で死んでも,独裁支配はソ連の場合に見られるように,独裁者の死後もつづきます。またあるいは支配体制が変わっても,エホバの証者はあいかわらず非合法化され,人々が大いなるバビロンを離れて生命の水に来るのを助けるために神の国を伝道することはやはり禁止されるかも知れません。(黙示 18:2-4; 22:17)独裁者や圧制は,この「終りの時」の残された期間中存在するかも知れず,各国のエホバの証者は,この期間の終わりに至るまで,不当な罰を受ける大きな危険を冒し,地下にもぐって崇拝と伝道をつづけることを余儀なくされるかも知れません。しかし一つの事は確かです。すなわち独裁者,全体主義支配,その他あらゆる人間の支配体制は,この時代のうちにハルマゲドンの戦い,つまり「全能の神の大いなる日の戦闘」にあって滅びるという事です。
12 その時だれの愚かさとだれの知恵が表わされますか。
12 それは全能の神ご自身が天の軍勢すなわち主イエス・キリストの率いる天使の軍勢を用いてもたらす激しい滅びです。神の国を自由に伝道することを許さず,その音信に注意を払わなかった支配者の愚かさは,そのとき明らかに示されます。また御国伝道者の知恵も同時に明らかになるでしょう。彼らは生き残って,永遠に解放されるからです。―黙示 19:11-21; 16:14,15。
「魂を殺すこと」はできない
13 からだを殺す者を恐れるなと御国伝道者に告げたとき,イエスはその理由をどのように述べましたか。
13 からだを殺す者を恐れるなとイエス・キリストが追随者に告げたのはなぜでしたか。からだを殺す者自身がやがては死んでしまうという事が,おもな理由ではありません。イエスのあげた理由は,からだを殺す者も「魂を殺すこと(が)できない」からです。(マタイ 10:28)キリスト教国においてはローマカトリックの教職者も新教の牧師も,イエスのこの言葉をとりあげて人間の魂は殺すことのできないもの,つまり古代バビロニア人や異教のギリシャ人が信じたように「不滅の魂」であると論じてきました。聖書はヘブライ語聖書もギリシャ語聖書も,人間の魂は不死ではなくて死ぬものであり,不滅ではなくて滅びることを教えています。88あるいはそれ以上の聖句は人間の魂が死ぬことを述べています。魂の不滅を述べた聖書の句はありません。
14 人間である魂が死ぬことを証明するどんな聖書の句がありますか。人間である魂が死ぬことは,どのようにして可能ですか。
14 たとえばエゼキエル書 18章4節と20節に「罪を犯す魂は死ぬ」とあり,イエスも「わが心〔魂〕いたく憂ひて死ぬばかりなり」と言われました。(マタイ 26:38,文語)黙示録 16章3節には,「〔海〕の中の生き物,〔生きた魂〕がみな死んでしまった」としるされています。人間の魂というのは人そのものであって,呼吸によって維持される生命の力および肉のからだから成り立っています。(創世 2:7)ゆえに人間のからだが殺されると,魂は死ぬことになり,理知もろともに人は死にます。
15 人間はからだを殺しても,どうして魂を殺すことができませんか。
15 では「からだを殺しても,魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」というイエスの言葉は何を意味していますか。神の国の伝道に反対して圧迫を加える者は,忠実な御国伝道者がヘーデースつまり死んだ人類の共通の墓から魂の復活を受けるのを妨げることができないという意味です。
16 人間が魂を殺せないことは,イエスの場合にどのように示されましたか。それはどんな預言の成就でしたか。
16 たとえばイエス・キリストは神の国の最大の伝道者でした。天の父エホバ神は,敵がイエスのからだを殺すことを許しました。イエスが記念の墓に葬られ,こうしてヘーデースに下ってのち,敵はイエスが死から復活するのを阻止しようと考えました。そこでユダヤ人の大祭司とパリサイ人はローマ総督からの権威を受けて墓の入口を石で封印し,イエスのからだを盗む者がないように番兵を置きました。しかし3日目に全能の神は忠実なみ子イエス・キリストを死からよみがえらせたのです。(マタイ 27:57から28:7)このようにして詩篇 16篇10節はイエスの上に成就しました。「汝わがたましひを陰府にすておきたまはず,なんぢの聖者を墓のなかに朽ちしめ給はざるべければなり」(文語)
17 (イ)使徒ペテロは,詩篇 16篇10節をだれに,何時,どのようにあてはめましたか。(ロ)神がイエスの魂を黄泉あるいは陰府に捨てておかなかったと言えるのはなぜですか。
17 イエスが死からよみがえって50日目,神からそそがれた聖霊の霊感によって使徒ペテロは詩篇 16篇10節をイエスに適用し,次のように述べました。「ダビデはイエスについてこう言っている,『……あなたは,わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず,あなたの聖者が朽ち果てるのを,お許しにならないであろう……』……彼は……キリストの復活をあらかじめ知って,『彼は黄泉に捨ておかれることがなく,またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。このイエスを,神はよみがえらせた。そして,わたしたちは皆その証人なのである」。(使行 2:25-32)それでイエスの敵は,神の許しによってイエスのからだを殺すことができましたが,その魂を殺すことはできませんでした。復活によって受ける将来の生命の権利を奪うことはできなかったのです。敵がイエスのからだを殺したとき,イザヤ書 53章12節の預言が成就しました。「これは彼が死にいたるまで,自分の魂をそそぎだし,とがある者と共に数えられたからである」。しかし全能の神はイエスの魂を黄泉または陰府に捨てておかず,3日目に死から復活させ,再び魂としての生命にイエスをよみがえらせました。
18 (イ)マタイ伝 10章28節のイエスのことばは,何を信ずることを弟子たちに強くすすめた言葉ですか。(ロ)たゆまずに御国を伝道するため,キリストの追随者にはどんな資質がかつて必要であり,いま必要ですか。
18 からだを殺しても「魂を殺すことのできない者を恐れるな」というイエスの言葉は,復活を信ずることを使徒たちに強く訴える言葉だったのです。当時イエス・キリストの追随者が,神の国の音信に敵対する者にたとえ殺されるようなことがあっても,神の国を断固として伝道しつづけるにはどんな資質が必要でしたか。今日,イエスの追随者にどんな資質が必要ですか。当時においても今日においても,大きな信仰,そうです。全能の神の力による死者の復活に確固とした希望を抱かなければなりません。マタイ伝 10章28節の言葉をイエスから聞かされた使徒たちには,死者をよみがえせる神の目的と神の力を信ずる確かな根拠がありました。
19 キリストの使徒たちには,死者をよみがえらせる神の力を信ずるどんな確かな理由がありましたか。
19 使徒たちは,イエス・キリストの時より何世紀も前にエホバの預言者エリヤとエリシヤが死者をよみがえらせたことを聖書から知っていました。またイエスがユダヤ人の支配者ヤイロの娘をよみがえらせたことを目撃しました。(列王上 17:17-24。列王下 4:32-37。マタイ 9:18-26。ルカ 8:40-56)またからだを殺す者を恐れるなと告げた同じ言葉の初めのほうで,イエスは12使徒に次のことを命じています。「行って,『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。病人をいやし,死人をみがえらせ〔よ〕」― マタイ 10:7,8。
20 使徒たちは,神に活発に奉仕するとき,生命を失うことをなぜ恐れる必要がありませんでしたか。この事から,すべての御国伝道者は何をするように励まされますか。
20 この第1回の伝道活動の時に,使徒のだれかが死人をよみがえらせたかどうかは,聖書に記録されていません。しかし後になって使徒ペテロは,死んだ弟子タビタすなわちドルカスをよみがえらせています。(使行 9:36-41)それで殺害の気に満ちた人間を恐れて御国の音信を語るのをやめてはならないとイエスから告げられた使徒たちは,神に活発に奉仕するとき,人間の生命を失うのを恐れてはならないことを十分に理解しました。なぜならば死からの復活があり,彼らはその時に報いを受けるからです。これは人間としての生命を捨てても忠実を守るように,御国伝道者を励ますものではありませんか。
だれを恐れるか
21 いまのキリストの追随者は,どんな福音を伝道する使命を与えられていますか。からだを殺す者をなぜ恐れませんか。
21 献身してバプテスマを受け,イエス・キリストの追随者となった人々は,「この御国の福音」を宣べ伝える使命をいま与えられ,そのために遣わされました。殺すことのできる人間を恐れるなという命令は,12使徒と同じく彼らにもあてはまります。そうでなければ人類の唯一の希望として神の国を宣べ伝えることはできないでしょう。
22 しかしどんなおそれが,伝道のわざをする励みとなりますか。
22 しかし殺害の気に満ちた人間を恐れずに伝道する励みとして,イエス・キリストの追随者は他の何者かを恐れなければなりません。イエスはこのかたが何をできるかを述べて,それが何者かを明らかにしました。「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもをおそるな,身と霊魂をゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」。(マタイ 10:28,文語)別の時,同様な言葉の中でイエスは弟子たちに次のことを言われました。「そこでわたしの友であるあなたがたに言うが,からだを殺しても,そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。恐るべき者がだれであるか,教えてあげよう。殺したあとで,更に地獄〔ゲヘナ,文語〕に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ,あなたがたに言っておくが,そのかたを恐れなさい」。(ルカ 12:4,5)悪魔はいま「死の力を持つ者」ですが,しかしここに言われているのはサタン悪魔ではありません。(ヘブル 2:14)恐れるべきかたは,全能の神エホバです。
23 キリスト教国の教職者の言うように,人間の魂が不滅のものであるとすれば,当然どんな質問が起きますか。
23 キリスト教国においてローマカトリックの牧師や新教の教職者は,滅ぼすことのできない魂が人間にあると教えています。もしそうなら,神は魂を滅ぼすことができないことになり,からだを殺すに過ぎない人間と変わらない事になります。では死ぬべき人間以上に神を恐れる理由がどこにありますか。私たちが神から与えられた伝道の使命の遂行に不忠実であった場合,神が私たちの存在を抹殺できないとすれば,なぜ神を恐れるのですか。
24 イエス時代には,文字通りのどんなゲヘナが存在していましたか。イエスは何の象徴としてそれを用いましたか。
24 しかしイエス・キリストの言われたように,神にはからだと魂の両方をゲヘナで滅ぼす力があります。イエス時代には,エルサレムの西と南の城壁の外側に実際のゲヘナが存在していました。ゲヘナは「ヒンノムの谷」を意味するギリシャ語です。このヒンノムの谷は,エルサレムの塵芥を燃やす公の焼却場となっていました。そして時には凶悪な犯罪人の死体もそこに投げ込まれたのです。ヒンノムの谷すなわちゲヘナに生きものを投げ込み,火で苦しめることはしませんでした。その中のものは最も強力な手段すなわち火によって燃やしつくされました。そこでイエスは,人の存在を抹殺する完全な滅びの象徴として,ヒンノムの谷すなわちゲヘナを用いたのです。完全に滅ぼされるのは恐ろしいことではありませんか。
25 ゲヘナはどんな場所の象徴ではありませんか。なぜそうですか。
25 ゆえにゲヘナは,悪魔の見張る中で意識のある人間の魂が火と硫黄で永遠に苦しめられる場所の名前ではありません。人間は不滅の魂ではなく,従って永遠に苦しむことはできません。ゲヘナは永遠につづく完全な滅びの状態です。
26 神は,人間すなわち魂をどのようにゲヘナで滅ぼしますか。
26 では神はどのようにして魂をゲヘナで滅ぼすのですか。神は死滅する魂である人間を神の国の下で復活させないことによって,そうするのです。からだが死ぬならば,魂すなわち意識と理知のある人も死にます。からだは朽ちて土の塵に戻り,消滅します。(創世 3:19)魂について言えば,エホバ神は,19世紀前にイエス・キリストが神にささげたあがないの犠牲の価値を,その死んだ魂のために用いません。その魂はふさわしくないからです。それで神はその魂を死んだままの,存在しない状態に放置し,死から復活させません。
27 人間はからだを殺しても,何を抹殺できませんか。まただれの復活を妨げることができませんか。
27 やがて死んでしまう人間は,人のからだを殺してもその人の将来の生命を奪うことはできません。み子イエス・キリストがささげた完全な人間の犠牲は生命を救う,価値のあるものです。エホバ神がこの価値を適用して,死んだ人を復活させるとすれば,人間はそれを妨げることができません。不敬虔な共産主義者や他の無神論者は,「正しい者も正しくない者も,やがてよみがえる」という聖書の預言の成就を妨げられません。(使行 24:15)ソ連および衛星諸国の唯物主義者,共産主義者は,救いをもたらす唯一の政府として神の国を伝道することをやめず,聖書の真理を捨てなかった忠実なエホバの証者を殺しました。しかし神がこれらの忠実な証者を復活させるのを妨げることはできません。
28 御国伝道者のからだを殺す者は,いま何を知るべきですか。
28 しかし全能の神は,だれに対してであっても不利な裁きを執行し,その者が復活を受けないことを公に宣告できます。ゆえに神の国の伝道をやめないエホバの証者のからだを殺そうとするものは,次のことを知るべきです。「全能の神の大いなる日の戦闘」がいますぐ迫害者に臨み,全能の神が彼らに対して不利な裁きを執行するならば,そのからだのみならず,魂がゲヘナで滅ぼされます。―黙示 16:14,16,文語。19:15-21。
29 (イ)御国伝道者であるエホバのクリスチャン証者もまた,何を心に留めるべきですか。(ロ)ゆえに彼らはどなたをおそれるべきですか。また何をすべきですか。
29 神の国を伝道するエホバのクリスチャン証者もまた心しなければなりません。なぜですか。神への献身を十分にはたさず,殺害しようとする人間を恐れて,マタイ伝 24章14節に預言的に命ぜられた神の国の伝道をやめるならば,全能の神は献身してバプテスマを受けたクリスチャンに対しても,復活のないことを宣告できるからです。このようにエホバ神は,魂とからだの両方をゲヘナにおいて永遠に滅ぼすことができます。献身してバプテスマを受けたクリスチャンは,それゆえに人間よりも神を恐れ,神の命令に従って神の国の福音を伝道しつづけるべきではありませんか。それは神を恐れ,死ぬ人間よりも神に従う決定的な理由ではありませんか。
30 (イ)人間が私たちに対してする最悪のことを恐れて,神への忠実を失ってはならないのはなぜですか。(ロ)神は私たちに対して何をすることができますか。
30 神を支配者と認めて神に従ったゆえに人の手にかかって死ぬならば,忠実な者を死から復活させるという神の約束は必ずはたされます。ですから人間を恐れるべきではありません。むしろ神をおそれ,忠実を守って復活の希望を固く守るべきではありませんか。神は人間が私たちにできる最悪のこと以上の事をできます。人間にできる最悪のことは,私たちのからだを不当に殺して私たちを黄泉に行かせることです。人間のする最悪のことは,神が永遠の正義の新秩序の下において私たちを死から復活させるとき,全く無力なものとなります。ああ,しかし神が悪人をゲヘナにおいて完全に滅ぼすとき,キリストを通して神の示されたあわれみに値しないその者の滅びは,何人も変えることができません。ゆえに私たちは賢明に振舞い,そのような者になることを避けなければなりません。
31 死に至るまで忠実な追随者は,復活したイエス・キリストから「いのちの冠」をどのように与えられますか。
31 19世紀前のこと,復活して昇天したイエス・キリストは,追随者に対し,人間の手にかかって不当に生命を奪われることがあっても,忠実ならば復活を受けることを保証しました。イエスは次のように言われました,「あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ,悪魔が,あなたがたのある者をためすために,獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間(全部の期間),苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば,いのちの冠を与えよう,……勝利を得る者は,第二の死によって滅ぼされることはない」。(黙示 2:10,11)敵は生命を奪うかも知れません。しかし復活後,「死と黄泉のかぎ」を持つイエス・キリストは,忠実な追随者に生命の賜物を与えます。どのようにしてですか。黄泉における死から復活させることによってです。このようにしてクリスチャンである魂はゲヘナで滅ぼされることなく,「第二の死」を受けません。―黙示 1:17,18; 21:8。
32,33 (イ)パウロはからだを殺す者をなぜ恐れませんでしたか。その事はパウロの伝道にどう影響しましたか。(ロ)パウロは獄中からテモテに手紙を送り,何を強くすすめましたか。この点において自分のことをどのように述べていますか。
32 使徒パウロは,復活に信仰を抱いた人のすぐれた例です。それゆえにパウロはからだを殺す人間を決して恐れなかったのです。彼は人を喜ばせようとはせず,キリストのために労しました。そして人間よりも神をおそれ,伝道をつづけました。(ガラテヤ 1:10)そのために悪魔の手によって何回も投獄されました。
33 からだを殺す者の手にかかって殺される少し前にパウロは獄中からテモテに手紙を送り,神のことばを断固として伝道しつづけることを励まし,同時に自分自身の忠実な手本に関連して,最後の報いに注意を喚起しています。「神のみまえと,生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで,キリストの出現とその御国とを思い,おごそかに命じる。御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても,それを励み……自分の務を全うしなさい。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき,走るべき行程を走りつくし,信仰を守りとおした。今や,義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には,公平な審判者である主が,それを授けて下さるであろう。わたしばかりでなく,主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう」― テモテ後 4:1,2,5,7,8。
34 パウロはどのように「義の冠」を授けられますか。
34 義を行なったことの報いとして,パウロは「公平な審判者」である主イエス・キリストが御国に出現するとき,死からの復活を受けます。
35 西暦1914年以来,エホバの証者だけにどんなわざが与えられていますか。それはエホバの証者に対してどんな事柄が明らかにされ,知らされたためですか。
35 献身してバプテスマを受けたクリスチャンであり,エホバの証者である私たちは,西暦1914年以来,伝道のわざを与えられてきました。(マタイ 24:14; 25:31-34)設立された神の御国を全地に宣べ伝えるという比類のないわざを与えられているのは私たちだけです。この伝道のわざを行なっている宗教組織はほかにありません。御国奉仕の「タレント」と「ミナ」は,臆病で怠け者の,不忠実なしもべからとりあげられました。(マタイ 25:24-30。ルカ 19:20-26)神のことばの啓示を得た私たちには,御国の音信が与えられています。他の人々には悟ることのできない霊的な事柄が,私たちに明らかにされました。神のことばに秘められた事柄が,私たちに知らされました。では私たちは何をすべきですか。
36 ゆえに私たちはマタイ伝 10章26,27節に従って何をしますか。
36 この事です! 支配している王イエス・キリストが,世の人々に最初気づかれないように「暗やみで」私たちに語った事柄を「明るみで」言うことです。支配している王が,信任の厚い,忠実な弟子である私たちに対し,聖書によって「ささや」いた事を,広く知らせなければなりません。これらの事を,いわば「屋根の上で言いひろめ」ることが必要です。
37 いつわりの非難を受け,また死の刑罰をもっておどされるならば,私たちはどうしますか。なぜですか。
37 しかし人々から悪く言われ,また私たちのわざが不当な非難を受けるとき,どうすべきですか。「彼らを恐れるな」と王は命じています。彼らが私たちの音信に反対し,死の刑罰を以て臨むならば,どうしますか。彼らを恐れてはなりません。むしろ悪人をゲヘナで滅ぼし,神をおそれる忠実な人々を栄光の御国の領域によみがえすことのできる全能の神をおそれなさい。(マタイ 10:26-28)神をおそれ,最も偉大な伝道者イエス・キリストにならい,神の朽ちない栄光のために神への全き忠実をあらわして,伝道しつづけて下さい。復活の力を持つ神の国は永遠の勝利を得ます。
[176ページの地図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
一世紀のエルサレム
神殿地域
ヒンノムの谷(ゲヘナ)
[176ページの図版]
凶悪な犯罪人の死体はゲヘナに投げ込まれた