5章
神はなぜ地上の苦しみを許しておられるのか
1,2 人類はどのように出発しましたか。それはどんな出発でしたか。
科学的証拠および聖書は,全人類の起源が最初の一組の夫婦にあることを証言しています。そして洪水後,ノアの三人の息子の子孫から,人類家族の三つの主な支族が形成されました。―創世 3:20; 9:18,19。
2 使徒パウロは次のように述べています。『神はひとりの人からすべての国の人を作って地の全面に住まわせました』。(使徒 17:26)その人アダムと彼の妻エバは,神の業がすべてそうであるように,完全に造られました。―申命 32:4。創世 2:18,21-23。
3 創造された時のアダムはみ使いたちとどのように比較されますか。
3 アダムは,み使いたちより少し低く造られた,神の子で,神の家族の十分資格ある成員でした。(ルカ 3:38)み使いたちは力と能力の点で人間に勝る霊的な被造物です。(ペテロ第二 2:11)しかし,み使いたちがより優れた道徳的能力を持っていると述べた箇所は聖書のどこにもありません。イエス・キリストが女から生まれ人間として地上におられた時,その道徳的な高潔さは天と地に及ぶ神の宇宙的な家族のだれの道徳的な高潔さとも等しいものでした。―詩 8:4,5。ヘブライ 2:6-9; 7:26。
4,5 病気,悩み,苦しみはどのように全人類に臨みましたか。
4 では,不完全さとそれに伴う悩み,病気および争いはどのように人類にとって避けられないものとなりましたか。アダムとエバ以後の人間すべては,自分たちの過失によるのでないとはいえ,不完全さを持って生まれてきた,と聖書は述べ,こう言明しています。「ひとりの人を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪を犯したがゆえにすべての人に広がった」― ローマ 5:12。
5 遺伝の法則に従い,子供たちは両親から性向や特徴とともに欠点を受け継ぎます。ところで完全なアダムはどうして欠点のある不完全な罪人になったのでしょうか。それ以来苦しみや悩みの存在が許されているのはなぜですか。
アダムの優れた立場
6 アダムはどんな点で『神の像と様に似せて』創造されましたか。
6 アダムは神の像と様に似せて創造されました。(創世 1:26)したがって,彼は道徳的な資質と霊的な事柄を把握する能力を有していました。アダムは神について知り,かつ学ぶことができ,神と親子のような関係を持てたのです。彼には推論する力と良心の機能,すなわち善悪の感覚がありました。アダムは生まれてくる者たちに神の栄光,その優れた属性を表わして,地上で神を代表することができました。
7 (イ)神は地上の新来者であったアダムの必要をどのように満たされましたか。(ロ)アダムはそれにどう応じるべきでしたか。
7 神は,恐らく毎日,アダムと話をされたことでしょう。創世記 3章8節によれば,アダムとエバが「エホバ神の声を聞いた」のは「一日のうちそよ風の吹くころ」でした。一日のうちの特定の時が言及されていることは,その時刻に神が人間と話をするのがならわしだったことを示唆しています。そうです,至高の方は時間を割いて,地上の新来者であるアダムを教えられたのです。(創世 1:28-30)その最初の人間は神の援助と指導を必要としていました。それは,彼が自分より低い創造物をふさわしく支配するようになるためでした。アダムは霊的に成長するための,そして愛を培うための能力を十分に持っていました。知識が増すにつれて,創造者に対する感謝と愛を深めることができたはずです。(ヨハネ第一 4:7,8)創造者とのさらに親密な関係を築き得たのです。
8 アダムが動植物について深く学ぶことはなぜ肝要でしたか。
8 神がどのくらいの時間をかけて息子を指導されたか,聖書は何も述べていません。とはいえ,アダムが,とりわけ植物と動物について学ぶことは肝要でした。彼は熟練した耕作者,また造園や牧畜の技術を子供たちに教える者とならねばならなかったからです。(創世 2:15,19)そのためにはかなりの時間のかかることは明らかでした。
9 創世記 2章19,20節によれば,神はアダムにどんな割当てを与えましたか。アダムはその割当てをどのようにふさわしく果たせましたか。
9 アダムは神が彼のために造られたエデンの園の住みかに住んでいました。そこは恐らく,アダムが旅をすることができるほど広い地域だったことでしょう。したがってアダムは,神が設けられたいかなる方法にせよ,生息地にいる動物を観察することができました。それで彼は動物たちに,その特徴や性格に従って名前を付けることができました。そうするのにあわてる必要はありませんでした。―創世 2:8,19,20。
10 アダムは,受けた訓練をもって何をすることができましたか。しかし,何に注意しなければなりませんでしたか。
10 アダムは自分の持つ知識の範囲内で,生ずる問題を解決できたものの,『地を従える』方法に関しては設計者および指導者として神に頼らねばなりませんでした。エデンの園の外の耕されていない土地は,将来生まれてくる幾十億もの人々の“住みか”になるはずでした。建築業者が建築家の設計図に従うのと同様,人は地球を人類に最大の安らぎと楽しみを与える美しい場所に形造るため,神の賢明な指導に忠実に従う必要がありました。―ルカ 16:10。
11 最初アダムは自分の責任をどのように果たしましたか。彼の前途にはどんな務めがありましたか。
11 アダムは,神から祝福として与えられた事柄についてはどうしましたか。しばらくの間,アダムは首尾よく行ない,自分が神から学んだとおりに妻を指導しました。(創世 2:16,17と創世 3:2,3とを比較してください。)エホバは創造者であるゆえに,ふたりにとって神でした。神とふさわしい関係を保ち続けるには,アダムとエバは主権者なる支配者としてエホバに頼り,また従う必要がありました。ふたりが家族を大きくして,人間が地の全面に広がる時,神の支配権に服従することは,秩序と一致を保つのに絶対欠かせませんでした。アダムとエバは,今度は子供たちが神に栄光を帰すよう,子供たちを教え訓練することができました。
「知識の木」
12 創世記 2章17節によれば,アダムとエバにはどんな見込みがありましたか。
12 神はアダムに,善悪の知識の木以外なら,園のどの木からも自由に食べて良いと言われました。(創世 2:17)その夫婦とふたりの子孫の前途には永遠の命が置かれていました。そのために彼らに求められたのはただ従順を保つということのみでした。アダムが神に不従順になるほど不敬を示すことは,天と地に住む神の全家族にとって恥辱となります。
13,14 (イ)アダムが神に従うのは全く正しくかつふさわしいことでした。なぜそう言えますか。(ロ)アダムは自分が持っていた良い事柄に関して何をしませんでしたか。彼はどんな態度を取るようになりましたか。
13 神がアダムに与えたすべてのものは彼を楽しませるためのものでした。アダムはおいしい食物を産する地球を自分で作りはしませんでした。アダムはエバという美しい伴りょも,自分の持っているものを楽しむ能力を備えた体も作りませんでした。ところがアダムは,親切に与えられたすばらしい生活を愛し,楽しんでいたにもかかわらず,従順の道を歩み続けなかったのです。
14 やがてアダムは,自分の関心事と思えたことを天のみ父の関心事よりも優先させるようになりました。神の家族および自分がもうけることになっていた子孫のことより,当面の欲望の方を重要視したのです。不完全な人間でさえ,家族を裏切って自分の子供を売り,奴隷にして死に至らせるような者を軽べつします。しかし,アダムが行なったのは正にそのことでした。―ローマ 7:14。
15,16 (イ)「善悪の知識の木」は実際の木でしたか。(ロ)その木に関してほかにどんな質問が起きますか。
15 アダムはどんな罪を犯したのですか。それは,「善悪の知識の木」に関連していました。この木に関しては多くの憶測がなされてきました。それは実際の木でしたか。その「知識」および「善悪」は何を意味しましたか。神はなぜそのような木を園に置かれたのですか。
16 聖書は,園の実のなる木々の間にあったものとしてそのことを述べ,それが実際の木であったことを示しています。(創世 2:9)その木が表わしていた「知識」とは何でしたか。カトリックの「エルサレム聖書」は創世記 2章17節に関する脚注の中で,それに関して次のように述べています。
17 カトリックの「エルサレム聖書」の脚注によれば,その木が象徴していた「知識」は何でしたか。
17 「この知識とは,神がご自分のために取っておかれる権利であり,人が罪を犯すことによって取得する権利である,[創世] 3:5,22。したがって,それは堕落した人間が持っていない無限の知識ではない。また,それは道徳的識別力でもない。というのは,堕落する前の人間がすでにそれを持っていたし,神は理性のある人間にそれを拒むはずがないからである。その知識とは何が善で何が悪かを自分で決定し,それに従って行動する力のことであり,人間が創造された者という自分の立場を認めようとしない,完全な道徳的独立を求める権利のことである。最初の罪は神の主権に対する攻撃,すなわち誇りの罪であった」。
18 (イ)木は何の象徴でしたか。(ロ)完全な人間が『知識の木』から食べて罪を犯すには,その者はまずどんな決定を下しますか。
18 その木は,事実上,境つまり境界線,あるいは人間の正当な領域の限界を象徴するものでした。神がアダムにその境を教えたのは適切かつ正しいこと,そうです,肝要なことでした。完全な人間がその木から食べるには,自分の意志で,故意に,同意することが必要でした。それはすなわち,神の支配権に対する服従を捨て,自分勝手に歩んで自分で“善”,もしくは“悪”と決めた事柄を行なうという事前の決定を意味します。
神の主権が挑戦を受ける
19 ローマ 1章28節の原則に従い,アダムは故意に罪を犯すことによって自分自身と子孫に何をもたらしましたか。
19 こうして,人間は神から独立した道を歩むようになりました。神はアダムの自由意志に干渉なさいませんでした。とはいえ,アダムの誤った選択のために,アダムとその子孫は困難な,人間の力では解決できないあらゆる問題を経験するようになりました。―ローマ 1:28。
20 アダムの誤った行為は全人類が関係するどんな疑問を提起しましたか。
20 さらに,その問題にはアダムと彼の妻の単なる反逆以上の意味がありました。神の地的な子の反逆は次のような疑問を提起したのです。神の地的な家族の中で,自分の自由意志を用いて神の支配権に忠節であることを選ぶ者がいるだろうか。圧力のもとでも,あるいは不従順になれば自分自身に何らかの利得があるという誘惑を受けても神に忠節を保つ者がいるだろうか。したがって生まれて来るすべての男女の忠誠,忠実さが,天と地にある神の全創造物から疑問視されるようになるのです。
21 アダムの罪は,人間の忠誠の問題よりもはるかに大きいどんな論争を提起しましたか。
21 しかしこの問題は,それよりおよそ2,500年後の事態の進展によって例示されているように,神の主権つまり支配権の正当性に対する挑戦というはるかに重大な問題と比べれば副次的もしくは二次的なものです。関係した問題の一例はヨブという人の実生活に生じた出来事に見られ,その記録はわたしたちの益のために保存されています。
22 ヨブ記は,実際には,あらゆる人間の忠誠と忠節が論争点となったことをどのように示していますか。
22 ヨブ記は神の天のみ使いが挑戦の主導者であったことを明らかにしています。その者は至高の方の前に現われ,ヨブが神に忠節なのは全く利己的な理由からであると言って,神の献身的なしもべであるヨブを無礼にも非難しました。神は,その霊的な子がヨブにひどい災難をもたらして試みるのを許されました。ヨブが試練の下で忠実さを証明したにもかかわらず,反逆者はヨブが悪い心を持っているとなおも非難しました。エホバはその反逆者に次のように言われました。「あなたは,わたしのしもべヨブのように全く,かつ正しく,神を恐れ,悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか。あなたは,わたしを勧めて,ゆえなく彼を滅ぼそうとしたが,彼はなお堅く保って,おのれを全うした[とがめられるところがない,神への忠実さ]」。そのみ使いは答えてこう言いました。「皮には皮をもってします。人は自分の命のために,その持っているすべての物をも与えます。しかしいま,あなたの手を伸べて,彼の骨と肉とを撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって,あなたをのろうでしょう」― ヨブ 2:2-5,口。
23 ひどい苦しみの下でも忠実を守り通したヨブはどんな結果を見ましたか。
23 神はヨブが忠実さを保つのを知っておられて,ヨブが試みられるのを許されました。ヨブは,しばらくの苦しみによって実際には損をすることがありませんでした。というのは,試練の終わりに,神はヨブに,ヨブがそれ以前に享受していたものよりも豊かな報いを与え,ヨブの寿命を140年長くされたからです。―ヨブ 42:12-16。ヘブライ 11:6と比較してください。
24 (イ)神に対する反逆の扇動者,また推進者は実際にはだれでしたか。(ロ)それゆえ,アダムとエバは弁解できますか。
24 目に見えない天での出来事をこのようにかいま見ると,神が悪を許しておられることの真相を知る助けとなります。反逆の扇動者は実はサタン悪魔という挑発的なみ使いでした。とはいえ,サタンが挑戦し始めた時にその側に組した最初の人間夫婦は故意に罪を犯したのであり,言い訳は許されません。
25,26 (イ)神への忠節に関してアダムを攻撃したのがサタン悪魔である以上,神は不公正にもアダムを攻撃にさらされるままにされましたか。(ロ)エバを攻撃し始めた時のサタンの論法はどのようなものであったと考えられますか。
25 神は,ご自分に忠節であるための十分な備えをアダムに与え,そうするのに必要なあらゆる指示と機会を彼にお与えになりました。神はご自分のしもべを無防備のまま攻撃にさらすようなことをされないからです。(コリント第一 10:13)したがって,自分の意志を行使する完全な自由を持っていたアダムは,堅く立って忠節と忠実さを表わすことができたはずです。今日の不完全な人間の場合とは違い,アダムに罪を犯させるような,制御できない要因は何もありませんでした。彼の罪はあくまでも自ら望んで行なった故意のものでした。
26 それにもかかわらず,神の敵対者で反抗的な,神の霊の子は宇宙内で反逆を起こす機会をうかがいました。その者は神の支配権に対する挑戦を推し進めるための手段としてアダムとエバを用いたいと考えました。聖書の記録は,彼がまず最初に女を攻撃したいきさつを述べています。エバを自分の側に引き寄せたサタンは,アダムに大きな圧力を掛けることができる,との自信を持ちました。
神に対する反逆
27 へびがエバに話しかけたとはいえ,へびは悪魔の手先にすぎなかったとどうして分かりますか。
27 サタンがたくらんだ神の支配権に対する挑戦は実際どのように始まったのでしょうか。聖書の記述によれば,野の低い動物であるへびがエバに話し掛けました。言うまでもなく,動物は自分では話せません。実際に話していたのはサタン悪魔であり,彼はへびを用いていたのです。そうした欺きを行ない,へびを用いたゆえに,神はサタンを「初めからのへび(欺く者)」と呼びました。(啓示 12:9)サタンは「偽りの父」であり,エデンで反逆を始めた時から人殺しであると述べた際,イエスは,サタンが神の主権に対する挑戦の扇動者であることを指摘しました。(ヨハネ 8:44)その最初の偽りと反逆に関して,聖書は次のように記録しています。
28 創世記 3章1-5節の記録から,(イ)エバに対するサタンの質問は,エバが持つべきものを神が差し控えていることをどのように示唆していますか。また,(ロ)エバは,「知識の木」から食べてはならないという神の律法について知らなかったのですか。
28 「さて,エホバ神が造られた野のすべての野獣のうち蛇が最も用心深かった。それで蛇が女に言いはじめた,『あなたがたは園のすべての木からは食べてはいけない,と神が言われたのは本当ですか』。それに対して女は蛇に言った,『園の木の実をわたしたちは食べてよいのです。しかし,園の真ん中にある木の実を食べることについて,神は,「あなたがたはそれを食べてはならない。それに触れてもならない。あなたがたが死ぬことのないためである」と言われました』。それに対して蛇は女に言った,『あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその日にあなたがたの目が必ず開け,あなたがたが必ず神のようになって善悪を知るようになることを,神は知っているのです』」― 創世 3:1-5,新。
29,30 サタンが偽りを語る前,エバは「知識の木」の実をどのようにみなしていましたか。偽りが語られた後,それをどうみなしましたか。
29 その時まで,女は,へびが語った「知識の木」から食べてはならないという命令に従っていました。彼女にはあらゆる種類の食物があり,不足しているものは何もありませんでした。女はその木から食べるなら悪い結果になることを理解していました。その実に毒があったというわけではありませんが,それを食べるなら死の裁きがもたらされると神は言われました。ところで,森の中で毒のつたとか,その実を食べると危険な木を見た時,それに触れ,実を取って食べたいという気持ちになりますか。いいえ,そうした魅力は感じません。エバの場合もそうでした。ところが,サタンの偽りによって,その木は魅力的に見えるようになったのです。エバは創造者の言葉よりも,低いへびを通して語られたサタンの言葉を信じました。次のように記録されています。
30 「そこで女が見ると,その木は食物として良く,目に慕わしいものであった。実に,その木はながめて好ましいものであった。それで彼女はその実を取って食べはじめた」― 創世 3:6,新。
エバは欺かれた
31 へびがエバに語り掛けた時,エバはどのように考えたと思われますか。
31 へびが不意に話し掛けた時,彼女はなぜあぜんとしなかったのですか。また,なぜ逃げなかったのですか。聖書は何も述べていません。木の上にいるへびを見掛けたエバは,へびの動きに注意を引かれたのかもしれません。エバはへびが非常に用心深い動物であることを知っていました。したがって,へびはたいへん賢そうに見えたのかもしれません。へびが話した時,それには特別な知恵がありそうに見えたのです。
32,33 (イ)エバは,その実を食べるとどんな自由が得られると考えましたか。(ロ)エバは,夫より先走った行動を取り,実際にはどのように自由を失いましたか。
32 いずれにしても,その動物を通して語られた偽りは,例の実を食べても死なないことをエバに確信させました。エバは,かえって,特別な力を得ること,つまり,取るべき道を自分で自由に判断して神のようになることを信じました。彼女がだれかに頼るとか従うとかいうことはありませんでした。そして確かに,神の命令をエバに告げた夫に従うことをやめてしまいました。彼女はためらわずに行動し,夫に相談しないで木の実を取ったのです。
33 その理由で使徒パウロはクリスチャン婦人の柔順さを強く勧めました。完全な独立を得ていると考えていたエバは,実は正反対のことを行ない,最も困難な事態を自分の身に招いたことをパウロは指摘しました。エバは自分にふさわしくないことをしようとしました。パウロはこう述べています。「アダムは欺かれませんでしたが,女は全く欺かれて違犯に至ったのです」― テモテ第一 2:11-14。
アダムの信仰の欠如
34,35 (イ)欺かれなかったアダムはなぜ反逆に加わりましたか。(ロ)エデンの園を管理する上で日々起こる問題に比べ,エバが罪を犯したことによって提起された問題のほうがアダムにとってずっと深刻だったのはなぜですか。アダムはどのように信仰の弱さを表わしましたか。
34 アダムが欺かれなかったなら,どうして彼は,妻の反逆に加わったのでしょうか。アダムは妻のエバを欲する気持ちを神との関係よりも優先させました。それで,彼は妻に会った時に彼女から木の実を受け取ったのです。―創世 3:6。
35 聖書はアダムとエバの間で交わされた言葉を記録していません。しかしここで,アダムは極めて深刻な問題を突然かかえ込んでしまいました。アダムには,動物を治めたり園を耕作したりすることに関連して解決しなければならない問題があったかもしれませんが,エバにかかわるこうした事態はアダムの心にまともに響き,彼の忠節を試すものとなりました。彼は次のように考えたかもしれません。『幸福な生活を送っているさなかに,どうしてこのようなびっくりすることが突然わたしに起きなければならないのか。神はなぜそれを許されたのだろう』。神に対するアダムの信仰は試みられました。アダムは神に一層優れた愛を示すべきでした。神が自分を支持してくださることをアダムは知っていたはずです。―詩 34:15。
36,37 (イ)アダムは信仰の欠如に加えて,弁解がましい人間であることをどのように示しましたか。(ロ)しかし,反逆のすべての責任はアダムにありましたか。
36 もしアダムが忠節であることを証明したなら,神はご自分の子であるアダムを顧みられ,アダムが完全に幸福になるよう物事を成し遂げられたに違いありません。(詩篇 22:4,5と比較してください。)ところがアダムはそのような信仰を働かせませんでした。その上,「わたしと一緒にいるようあなたが与えてくださった女,その者がその木の実をわたしにくれたので,わたしは食べました」と言って,言い訳をしようとしました。―創世 3:12,新。
37 アダムの弁解がましい返答は,有罪者として女をとがめるものでした。しかし,すべての責任はアダムにあったのです。神が直接交渉を持たれたのは,家の頭であるアダムでした。彼は責められるべきでした。実際,アダムはヤコブ 1章13節から15節に述べられている道を取ったのです。
38 ヤコブ 1章13-15節は,完全な人間であったアダムとエバが罪に陥った過程をどのように描写していますか。
38 「試練に遭うとき,だれも,『わたしは神から試練を受けている』と言ってはなりません。悪い事がらでもって神が試練に遭うということはありえませんし,ご自身がだれかに試練を与えることもないからです。むしろ,おのおの自分の欲望に引き出されて誘われることにより試練を受けるのです。ついで欲望は,はらんだときに,罪を産みます。そして罪は,遂げられたときに,死を生み出すのです」。
全人類に害が及ぶ
39 (イ)アダムはどんな意味で,罪を犯した「日に」死にましたか。(創世 2:17)(ロ)霊性のそう失はアダムの体にどんな影響を与えましたか。子孫にもどう影響しましたか。
39 アダムはそのようにして罪人となりました。ヘブライ語の「罪」という言葉の意味に従えば,彼は“的を逸し”ました。アダムはもはや完全な標準に達することができなくなりました。霊的に死んだだけでなく,その日のうちに身体的に死に始めました。今やアダムは身体的にも影響を及ぼす欠陥,つまり道徳的弱さを持っていました。なぜなら,『死を生み出しているとげは罪である』からです。(コリント第一 15:56)アダムの霊性が損なわれたので,精神の働きは平衡を失い,それは身体の平衡がくずれ,堕落する一因となりました。アダムは死ななければなりませんでした。(創世 3:19)アダムはもはや道徳的にも,身体的にも十分な強さを子供たちに伝えることができませんでした。もはやそれを持っていなかったからです。したがって,「すべての者は罪を犯しているので神の栄光に達しない」のです。アダムはかつて完全であった時に神の栄光を反映していました。―ローマ 3:23。
40 (イ)アダムが罪を犯した後,エホバ神はなぜアダムをエデンの園から追い出しましたか。(ロ)コリント第一 5章11-13節に示されているように,今日クリスチャン会衆ではそれに似たどんな処置が取られますか。
40 罪人となったアダムは,エホバ神と親交を持つ権利を持っていませんでした。また,パラダイスの園でそれ以上生活する権利もありませんでした。それで神はご自分の初子である天のみ子に話されたものと思われます。このみ子は創造の業においてエホバによって用いられた方です。(コロサイ 1:13,15,17)エホバはこう語られました。「『さあ,人は,善悪を知る点でわたしたちのひとりのようになった。今,彼が手を出して,まさに命の木からも実を取って食べ,定めのない時まで生きることにならないように ―』。そこでエホバ神は,彼をエデンの園から出して,その取られた地面を耕させた」。(創世 3:22,23,新)今日でも同様に,悔い改めることをしない不正なもしくは不道徳な者は,クリスチャン会衆から排斥され,その者との親交や交際があってはならない,と聖書は命じています。―コリント第一 5:11-13。
41 すべての人は弱さを受け継いでいますが,あらゆる悪行をそのせいにすることができますか。(ローマ 3:23; 5:12)
41 こうした事柄のすべては人類にとって何を意味しましたか。無力さを受け継ぐ結果になりました。とはいえ,自分が行なう悪い事柄すべてをそのせいにすることのできる人はだれもいません。なぜなら,実際,だれでも故意に罪を犯し,そのため,個人の責任を負うことはあり得るからです。人類の間で罪は増大しました。その結果,極端な悪および,それが招く様々な苦しみや悲しみが現われてきました。罪は王のように人類を支配し,ほとんどどんな考えや行動にも浸透してきました。それで根深い利己主義が存在するのです。―ローマ 5:14。
神は挑戦にどう応じられたか
42 (イ)神の支配もしくは主権に関するどんなことが挑戦を受けましたか。(ロ)そのことに関する悪魔の主張,つまり論議はどんなものでしたか。
42 幸いにも神は,人類に対するその過分のご親切と愛のゆえに,人類を見捨てて,人類が永久に絶えてしまうようにはされませんでした。しかし,神の置かれた立場を考えてください。神の支配権,および主権の正当性,公正さ,その価値の有無が挑戦を受けたのです。悪魔によれば,エホバは愛に基づいて支配していませんでした。知性を持つ創造物が従順なのは,神の支配権を愛し,他の何にもまして神の支配を好むからではない,と悪魔は主張しました。神の主権は,神が自分に従順な者にすべての良いものを与える結果支持を受けているに過ぎない,つまり,神は事実上買収による支配を行なっている,と主張したのです。(ヨブ 1:9-11)さらに悪魔は,創造物が受ける権利のあるものを神は彼らに与えていないと非難しました。神が創造物に対して差し控えているとされたもののひとつは,神に依存しない完全な独立,自分たちの好き勝手に行動する権利でした。―創世 3:5。
43 全能の神がたちどころに悪魔を滅ぼすことをされず,ある期間悪の存続を許されたのはなぜですか。
43 神は自分の支配が正しいことをご存じでした。そして,たちどころに悪魔を滅ぼすこともできました。しかし,そうしたところで,提起された問題は解決されなかったでしょう。なぜなら,サタンの挑戦は,アダムとエバの支持を受けて,神のお名前と政府にそしりをもたらしただけでなく,宇宙内の理知を持つものすべての名前に暗い影を投げかけたからです。王としてのご自分の名前のために,また,当時およびその後に存在する忠実な人々から成るご自分の全家族のために,神は悪が一定の期間存続するのを許されました。
44 (イ)神がただちにアダムとエバを死なせていたなら,わたしたちは今ごろどうなっていたでしょうか。(ロ)生まれて来る人々に対して神はどんな確信を持っていましたか。その確信が正しかったことは証明されましたか。
44 もし神がアダムとエバを直ちに死なせたなら,これまで地上に生存した人々のだれ一人として生まれて来なかったことになります。アダムとエバが悪くなっても,その子孫すべてが悪くなるわけではないことを神は知っておられました。多くの人は悪魔のもたらし得るあらゆる試練を経て神に仕えるでしょう。それゆえ,神は,サタンが無法者として存在するのを許され,アダムとエバに子供をもうけさせたのです。聖書の記録が示しているとおり,彼らの子孫の中には忠実さを立証した人が数多くいます。―ヘブライ 11章。
45 (イ)神が悪を許されたことによって,一番長い間苦しんだのはだれですか。(ロ)神がある期間悪を許されたことにより実際に益を受けたのはだれですか。
45 不利な状況下にあったにもかかわらず,人間は大抵の場合,人生をある程度楽しんで幸福を味わってきました。事実,ほとんどの人は人生の比較的短い期間苦しんだに過ぎません。ですから,苦しいこともありますが,大抵の人は生まれて来てよかったと感じています。ところがエホバ神は,邪悪な事柄や苦しみを見ながら,そうした悪を約6,000年間我慢してこられたのです。それは,宇宙の家族の父親であるエホバにとって悲しいことでした。(詩篇 78:40と比較してください。)エホバはいつ何時でも悪を終わらせる力をお持ちですが,ある目的のためにそうすることを差し控えておられます。それはご自分の益のためではなく,現在および今後生存する理知のある創造物の益のためです。(ルカ 18:7,8。ヨブ 35:6-8)世界の歴史と聖書からすれば,その問題が完全に解決される時は間近です。
46 神の支配に関する論争が十分に審理されるのに約6,000年かかったとはいえ,そのことによってどんな益が得られますか。
46 神が取られた処置には法的な理由がありました。一例として,ある事件が国の最高裁判所に持ち出されて徹底的に審理され,最終的な判決が下されると,最高裁判所の判決はその後に起きる同様の問題各々に判決を下す際の判例となります。それと同様に,宇宙的な論争の場合も,天の最高法廷で解決されると,それは判例となるのです。悪がそれに伴う苦しみと共に宇宙をかき乱すことは決して許されないでしょう。ダニエル 7章9,10節にはエホバの法廷の様子が描かれています。
47 ご自分の主権の正しさに関する宇宙論争の解決に伴い,神はほかに何を備えられましたか。
47 このようなわけで,神はご自分の宇宙主権の論争を解決するために悪と苦しみを許してこられました。また,神は,論争を解決するに当たって,人類をみじめな状態から引き上げる備えをも設けられました。この備えは罪が王として人類を支配することによって及んだあらゆる弊害を除き去ります。神がどのようにその備えを設けられたか,という興味深い点は6章で取り上げられます。
[51ページの図版]
アダムは神の指導を受け,動物を治める仕方を学んだ
[63ページの図版]
法廷で事件が十分に審理されたなら,判決は判例となる。同じように天の最高法廷が宇宙論争に判決を下す時,全創造物は益を受ける