御國のこの良いたより
1 将来に対する人間の希望について,どんな質問がありますか?
将来にたいするあなたの希望は何ですか? 死んで終つてしまう前の短い時のあいだに,なにかたのしい事か,幸いな事をしたい希望をいだき,ほんのわずかな年だけこの地上で生きることですか? 死後の生命の,どんな希望を持つていますか? 地上の人間全体にとつては,どんな将来があるのですか? ある炎害はついには,この地や,この地上の生物をみなほろぼすでしようか?
2 (イ)違つた場所の人々は,これらの質問について,どのように答えますか?(ロ)将来に対してたしかな希望を持つために,道理にかなつた賢い行とは何ですか? そして,なぜそうですか?
2 世界の違つた場所の人々は,これらの質問にたいして,それぞれ違つた仕方で答えるでしよう。人間の将来が何かということについては,違つた宗教,違つた考え方が多くあります。他の人々は,その将来が何であるかについて自分勝手な結論に達しています。将来のたしかな希望を得たいと願うときに,道理にかなつた賢い行とは,人間と人間の住家であるこの地に対する最高全能の神の御目的は何であるかを知ることです。全能の神は人間を創造したのですから,神だけが私たちの運命を決めることのできる方であり,また実際に神は決められております。創造者をよろこばす者たちは,幸福な将来を持つていますが,その幸福な将来は創造者の特別な代表者イエス・キリストを通して地上の人間に告げられました。イエスはその音信を『御国のこの良いたより』と呼びました。―マタイ 24:14,新世。
3 『この良いたより』についてことごとく理解するために必要な知識はどこから得られますか? なぜそこだけにしかないのですか?
3 『この良いたより』とは何ですか? それが何であつて,またここで言われている『御国』が何であり,また『御国』は,どのように人類に祝福をもたらすかを知るためには,最高至上の神の御目的と,人間に対する神の御処置を知らねばなりません。このことは,1冊の本である聖書から知ることができます。太陽,月,星,この地球,およびこの地上のあらゆる素晴らしいもの,魚,鳥,動物,木や花や人間を創造することのできるお方は,また1冊の本をつくることもできました。人間が自分一人でも調べることのできるような仕方で,この知識を全世界にひろめさせるのが創造者の御目的ですから,それには書かれた記録がなければなりません。そうすれば,人はそれに頼つて正しいかどうかを確めることができます。人間や地についての創造者の御目的が書かれているただ一つの記録は,聖書です。神は今日までの長い年月のあいだ聖書を守つて保存してこられ,聖書は幾百という言葉に翻訳されております。この地上の私たちの生命や,将来の私たちの希望については重要な質問がありますが,それらすべての質問に対する答えはこの聖書の中から得ることができます。
4 聖書が,私たちのために答えている重要な質問の中で,そのいくらかは何ですか? それで私たちはいま何をしますか?
4 神とは誰ですか? 神はなぜ,そしてどのように人間をつくりましたか? 地上には,なぜ悪やくるしみがあるのですか? それらは何時終りますか? 地と人間の将来は何ですか? 人間は,神から生命をいただくために何をしなければなりませんか? これらの質問や,他の多くの質問は,ことごとく聖書の中で答えられています。聖書は神の言葉であつて,神はその御言葉の中で御自身と,また私たちに対する御目的を示されています。(ヨハネ 17:17。テモテ後 3:15-17)聖書に目を通して,その内容をいくらか学びましよう。
真の神
5 生命を願うならば私たちは,神について何を認めねばなりませんか? 神の偶像をつくつて,それに崇拝をささげようとするのはなぜ間ちがいですか?
5 真の神はただ御一人だけおられます。そのお方は全能最高で,『天と地と海と,その中のあらゆるものとを造り給える』創造者であられます。(使行 4:24)御子キリスト・イエスを初め,生命を願うものはみな,真の神の最高至上権を認め,真の神に従わねばなりません。(コリント前 15:28)神は人間の目で見ることのできないお方であつて,『いまだ神を見し者あらず。』(ヨハネ第一書 4:12)それで,神の偶像をつくつて,それに崇拝をささげようとすることは間ちがいです。神と比較できるものは,何もありません。神と匹敵できるものは,何もありません。予言者イザヤは,イザヤ書 40章18節と25節で,神についてこう書きました。『されば,なんじら誰をもて神にくらべ,いかなる肖像をもて神にたぐうか?』神はすべての生命の源です。それで将来に永遠の生命をいただこうと希望して頼らねばならないお方は,ただその神だけです。
6 神はなぜ御名を持つておられますか? その御名は何ですか? 私たちは,なぜその御名を知らねばなりませんか?
6 全能の神は,人々の崇拝する多くの偽りの神々と御自身を区別するために,御自分の御名を持つておられます。その御名はヱホバです。詩篇 83篇18節は,ヱホバについて次のように述べております。『されば,彼らはヱホバという名を持ち給う汝のみ全地をしろしめす至上者なることを知るべし。』それで,全能の神の真の崇拝者になるためには,ヱホバの御名をお持ちになる神を知らねばなりません。
キリスト・イエス
7 神のつくられたもののうちで,主要な方は誰ですか? なぜ,その方は言と呼ばれましたか?
7 神によつてつくられ,神にしたがうもののうちで,その主要な方は,神の御子です。御子は,地上に来られてイエスという名前をお取りになりましたが,聖書の示すところによると,この方は地上に来る前に天で霊者として生存しておられました。天にいる時には,イエスは言葉と呼ばれましたが,それは,つくられた他のすべての創造物にたいして,御子はヱホバの代弁者であつたということです。ヨハネ 1:1。コロサイ 1:16。黙示 19:13。
8 イエスとヱホバ神は,同じ方であつて,両者は同等ですか? このことについて,イエスは何と言いましたか
8 イエスとヱホバ神は同じ方ではなく,またイエスは神と等しくありません。ヱホバだけが最高至上のお方です。そのために,ヱホバについて『父は我よりも大いなり。』とイエスは言われました。(ヨハネ 14:28)イエスは,天の父にいつも従順に従い,神の義しい御業をする時には,神といつも一致して,一体となつています。たがいに一致していたために,イエスは『我と父とは一つなり。』と言うことができたのです。(ヨハネ 10:30)しかし,父とイエスが一人の者であるという意味でイエスは言つたのではありません。両者は一人であると言うのは,愚かなことです。それは,イエスが後になつて父に祈り,次のように言われたことからも分ります。『わが父よ,もし得べくばこの酒杯を我より過ぎ去らせ給え。されど我が意のままにとはあらず,御意のままに為し給え。』― マタイ 26:39。ヨハネ 17:20-22を比較しなさい。
9 イエスは何の支配者になりましたか? イエスは何を祈るようにと弟子たちに教えましたか?
9 イエスは神の御子であつて,最も愛された方であり,神の御国の王になりました。正義と平和は,その神の御国を通して,新しい世にもたらされます。イエスは地上にいるときに,その御国について祈り,またその祈りを天の父であるヱホバに捧げるようにと御自分の弟子たちに教えました。『この故に,汝らはかく祈れ。「天にいます我らの父よ。願くは御名の崇められんことを。御国の来らんことを。御意の天のごとく,地にも行われん事を。」』(マタイ 6:9,10)イエスが人間になつてなぜ地上に来て死なれたのか,そして御国についてのその伝道が,なぜ非常に良いたよりであつたのかを研究する前に,エデンの園で,神が最初の人間を創造した時に戻りましよう。
罪,死,そして悪魔
10 最初の男と女はどのようにつくられましたか? 両人は,何をするように命ぜられましたか?
10 神は初めに最初の男と女,アダムとエバを創造しました。両人は完全であつて,神はエデンと呼ばれる地のパラダイスの園に両人を置きました。神は彼らに対して,『生めよ,繁殖よ,地に満てよ。これを従わせよ。』と命ぜられ,彼らはゆくゆくは,地上のあらゆる生物を治めることになつていました。―創世 1:27-31。
11 両人の従順は,どのように試験されましたか? どんな生物によつて,そのような行をするよう誘われましたか?
11 創造者にたいして忠実を保ち,従順に従つたならば,両人は平和のうちにこの地上で永遠に生きることができ,心の欲するものを何でもみな得ることができたでしよう。その体も心も完全ではありましたが,まだ験されてはいなかつたために,神は試験を与えて,両人がはたして神に従順かどうかを表し示す機会を設けられました。神はアダムに次のようにお命じになりました。『園のすべての樹の果は,なんじ意のままに食らうことを得。されど善悪を知るの樹は,なんじその果を食うべからず。なんじ之を食らう日には,必らず死べければなり。』(創世 2:16,17)両人は,この試験をうけて忠節を保ちましたか? 聖書には忠節を保たなかつたと,記録されています。創世記 第3章に記されている説明によると,最初に女,次には男が神のいましめをやぶり,禁ぜられた樹の果を食べました。両人を欺いた者はいつたい誰でしたか? 聖書の記録は蛇であると言いますが,蛇の行の背後には,目に見えない,なにか超人間の力があつたに違いありません。その目に見えない力は誰であつたかは,すぐに知ることができます。
12 アダムとヱバが罪を犯した後に,両人には何が起りましたか? エデンの園の蛇の背後にいた目に見えない力は誰でしたか?
12 神はアダムに禁じた樹の果についての命令を与えられた時に,『なんじ之を食う日には,必らず死べければなり。』と言われました。(創世 2:17)神はいまやこの宣告を実施されました。最初にアダムとエバを楽園<パラダイス>の園から追放しましたが,彼らはその日から後に死に始め,時を経て本当に死んでしまい,元々の塵に戻りました。神に対して不従順な行をなし,神のいましめに反逆したために,彼らに死がもたらされました。また,アダムとエバが罪を犯して後に,その子供たちが生まれたために両人は罪と死をその子孫や,現在の私たちのところにまで伝えたのです。『それ一人の人によりて罪は世に入り,また罪によりて死は世に入り,すべての人,罪を犯しし故に死はすべての人に及べり。』(ロマ 5:12)蛇の背後にいて,アダムとエバを導き,神に反逆させた目に見えない力こそ,その死に対して責任を持つ者です。その者は人殺しでした。イエスは,その悪い者に従う者たちにむかつて,次のように言われた時に,その人殺しが誰であるかを示されました。『汝らは己が父,悪魔より出でて己が父の慾を行わんことを望む。彼は最初より人殺なり。また真その中になき故に真に立たず,彼は虚偽をかたる毎に己より語る。そは虚偽者にして虚偽の父なればなり。』(ヨハネ 8:44)それで,エデンの蛇の背後にいた目に見えない力は,悪魔サタンであつて,悪魔は神とその御目的に反対する大いなる反逆者です。
13 (イ)悪魔はどのようにして存在するようになりましたか?(ロ)禁ぜられた果を食べることの結果について,誰が真実を語りましたか? 悪魔はそのエバに語つたことを,どのように支持しようとしていますか?
13 悪魔は初めに,神の霊の子であつたために,完全でした。しかし,彼は神のようになろうという誇りと権力欲を心に起して,このために反逆するようになり,アダムとエバを誘つて自分の反逆に加らせたのです。悪魔は最高至上の神のようになり,人間が彼を崇拝し,彼に奉仕するのを欲しました。(エゼキエル 28:14,15,17)アダムとエバを誘つて自分に従わせた仕方は,両人に偽りを語ることでした。禁ぜられた果を食べるならば,最初の人間の夫婦は死ぬであろうと神が言われたことを記憶して下さい。しかし,悪魔は蛇を通してこう言いました。『汝ら必らず死ぬることあらじ,神汝らが之を食う日には汝らの目開け,汝ら神の如くなりて善悪を知るに至るを知りたもうなりと』(創世 3:4,5)真実を語つたのは誰でしたか? 神ですか? または悪魔ですか? アダムは本当に死にましたか? アダムは死んだと聖書の記録は述べています。『アダムの生存えたる齢は,すべて九三〇才なりき。しかして死ねり。』(創世 5:5)しかし,サタンはその最初の偽りを続けようと努め,人間が死ぬ時には,それはただ死ぬように見えるだけであつて,死ぬのはただ体だけであり,体の中のあるもの,たとえば魂や霊は,生き続け,ふたたび生まれ変つて他の人間になるか,または動物の中に入るか,あるいは霊の世界に行くのだという考えをつくりだしました。それは真のことですか? 人間が死ぬ時に,人間には何が起りますか?
14 神はアダムに警告を与えて,ただ体だけが死ぬと言われましたか? 死人の魂が,どこか別のところで生きているかどうかについて,どんな聖句はどう示していますか?
14 従順を守らないならば,アダムは死ぬであろうと言われた時に,神はその体だけが死んで,魂はどこか別のところで生き続けるなどとは一言も言われなかつたのです。『なんじ必らず死ぬべければなり。』と言われただけです。つぎの聖句は人間が死ぬ時に人間は全く死んでしまつて,どこか別のところで生きているのではないとはつきり示していることに注意してください。『もろもろの君によりたのむことなく,人の子によりたのむなかれ,彼らに助けあることなし。その気息いでゆけば,かれ土にかえる。その日かれがもろもろの企図はほろびん。』(詩 146:3,4)『生ける者は,その死なんことを知る。されど死ぬる者は何事をも知らず。応報をうくることも重ねてあらず,その憶えらるる事も遂に忘れらるるに至る。すべて汝の手に堪うることは力をつくして之を為せ。そは汝の往かんところの陰府には,工作も計謀も知識も智恵もあることなければなり。』(伝道之書 9:5,10)『それすべての魂は我に属す。父の魂も子の魂も我に属するなり。罪を犯せる魂は死ぬべし。』― エゼキエル 18:4。
15 それで人間が死ぬときに,人の魂は見えない世界に行きますか? そのような種類の教は,何に基いていますか?
15 それで,人間が死ぬ時に,その魂は天に昇つて行くこともなく,『地獄』と呼ばれる苦しみの場所にも行かず,また『霊』あるいは『幽霊』になつて戻り,死人の縁者に現われるということもできません。そのような教は,みな人間は死ないというサタンの最初の偽りに基いています。サタンは多くの人に働きかけて,そのような教を信じさせていますが,それは人々を恐れに閉じこめ,神の御目的を正しく理解させないためです。
16 いわゆる死人の『霊』や魔術者について,人々は欺かれて,どう信じていますか? 魔術を行うことに対して,聖書は何と言つていますか?
16 病とか病気は,死人の『霊』の影響で生じるのだと多くの人々は欺かれて信じています。その人々は,『霊』を鎮めることのできると主張する魔術の医者のところに行きます。死人と連絡して,その言葉を生きている者に伝えることができると主張する魔術者もいれば,また死人の『霊』の助けを得て超自然の力を持つていると主張する魔術者もおります。これらの信仰も同じく悪魔の偽りに基いているものであつて,悪魔は,人間は死んでも死なないということを信じさせるために,これらの信仰をひろめました。聖書は,魔術のようなことをすることを禁じ,特別にこう警告しています。『なんじらのうちに,その男子女子をして火の中に通らしむる者あるべからず。また,卜筮する者,邪法を行う者,まじないする者,魔術を使う者,法印を結ぶ者,憑鬼する者,巫覡の業をなす者,死人に問うことをするべからず。すべてこれらの事を為す者は,ヱホバこれを憎みたもう。汝の神ヱホバが彼らを汝の前より追はらい給いしもこれらの憎むべき事のありしに因りてなり。』― 甲命 18:10-12。
17 それで,人間は死ぬ時に,どうなりますか? このために,神は,死んでゆく人間に対してどんな御準備をつくられましたか?
17 このことについての簡明な真実はこうです。人間が死ぬ時に,その者は死んでしまい,無意識となり,何も知らないということです。それでは,将来がないではないかと,尋ねられるかもしれません。人間が死ぬと墓に行つて,そこが人間の終りとするならば,私たちにはどんな希望があるのですか? いまこれらの質問に答えるものとして,私たちは人間に対するヱホバの最もすばらしい,恵みの御準備を,聖書から知ります。それは,贖いです。
贖い
18 贖とは何ですか? 神は人類のために,贖いをどのように備えられましたか? その贖いに信仰を働かす人は,どんな利益が得られますか?
18 贖いとは,とき放つもの,救助をもたらすもの,束縛からの解放をもたらすために支払われる価値あるものです。贖とは,聖書の中では,罪と罪による死とから人間を救う神の御準備を意味します。それで,マタイ伝 20章28節には,次のように書かれているのです。『人の子の来れるも,事えらるる為にあらず,反つて事うることをなし,又多くの人の贖いとして己が生命を与えんためなり。』ヱホバ神は御子イエス・キリストを地に遣し,御子とその死を通して贖いの価を準備されました。この御準備に信仰を働かせ,神に忠実に奉仕する人々は,相続してきた罪や,また罪の結果に来た永遠の死から解放されて,生命の贈物を受けることができます。それで,ロマ書 6章23節には,こう書かれているのです。『罪の払う価は死なり。されど神の賜物は我らの主キリスト・イエスにありてうくる永遠の命なり。』
19 贖いを払うためには,何が必要でしたか? この価値あるものは,イエスの中にどのように備えられましたか?
19 すでに学んだように,アダムが神に反逆した時に罪と死が世に入りました。アダムは,自分自身や,その子孫にとつて,楽園の地で生きる完全な人間の生命を失いました。キリスト・イエスは,その贖いの手段によつて,この失われたもの,すなわちその権利と地的ないろいろの期待を持つ完全な人間の生命を買い戻しました。申命記 19章21節にある神の律法は,類似をもつて類似を償うということです。それで,失われた完全な人間の生命のために,一つの完全な人間の生命が犠牲にされねばならなかつたのです。地上にいる人間で,罪人アダムの子孫には,この贖いを備えることはできません。なぜならば,アダムの子孫はみな,アダムから相続した罪と死の処罰の中にいて,提供することのできる完全な人間の生命を持つていなかつたのです。それで,ただ神だけが贖いを備えることができるのであつて,神は天で一緒にいた独り子の生命をユダヤ人の処女マリヤの胎に移されことにより贖いを備えられたのでした。(マタイ 1:23)イエスは,地的な父の助けなしに,奇蹟的に生まれてきました。イエスは,このようにしてアダムからの処罰を相続しなかつたのです。この子イエスは生長して完全な人となり,贖いを備えることのできる完全な人間の生命という価値あるものを持ちました。
20 イエスはなぜ死の犠牲を遂げられましたか? イエスは,どのように贖の価値を捧げることができましたか? どこで,また誰に?
20 洗礼者ヨハネは,このイエスが自分のところに来るのを見て,イエスを犠牲の小羊になぞらえ,『視よ,これぞ世の罪を除く神の小羊』と言いました。(ヨハネ 1:29)イエスが死んでお棄てになつた完全な人間の生命は,贖を備える価値あるものです。イエスは死んで3日の後に復活をうけ,40日の後には天に昇りました。イエスは復活の時に人間の生命を取り戻さず,霊者として甦えされました。(ペテロ前 3:18)彼は天に昇つたときに,罪を取り除くことのできる献げもの,または犠牲としてその完全な人間の生命の価値を神に捧げました。―ヘブル 9:24,26。
21 誰が贖から益を受けますか? そして,この信仰はどのようにして来ますか?
21 贖の益を受ける人は誰ですか? それは,信ずる人,または信仰を働かす人だけです。ヨハネ伝 3章36節は,こう言つています。『御子を信ずる者は,永遠の命をもち,御子に従わぬ者は,命を見ず,反つて神の怒その上に止まるなり。』アダムは自らの意志で決定した罪人であるため,死ぬように宣告されたのは全く正しいことです。それですから,アダムはその贖いの益を受けません。同じように,自分の意志の決定でヱホバに反対する他の反逆者たちも,みなこの恵みの御準備の益を受けません。罪の影響のため生じた死から人間が救われるためには,キリスト・イエスを通してもたらされる神の恵みを知り,そして神のつくられたこの御準備に信仰を持たなければなりません。神の御言葉を学ぶことによつてそのような信仰は来ますが,神の御言葉は贖という神の御準備を明白に教えています。それらの人々は,アダムの子孫であるために,罪人であり,死の処罰をうけているということを認めなければなりません。彼らは贖の必要を深く認識しています。
22 贖いの御準備は,どんな希望を開きましたか? その希望は,何処で実現されますか?
22 このようにして,贖いの御準備は永遠の生命の希望を開きました。聖書によると,ある人は贖いによつて天の生命が与えられ,他の者は地上で生命が与えられるということが分ります。いまこの生命の将来の希望について,聖書は何と言つているかを研究してみましよう。
天の御国
23 (イ)聖書は『天』という言葉をどのように用いますか?(ロ)神はなぜ,地を支配する新しい支配権を建てる御目的をつくられましたか? 誰が,または幾人の人は,その支配権を行使しますか?
23 『天』という言葉は,理智ある生ける者の住むところを指す時には,霊界を指しているものです。神は,その聖なる御使とともにこの天に住まわれています。『天』という言葉は,また人間よりも高いもので,もつと力のある支配者を指すか,あるいは霊の力が地に対して行う見えない支配のことをも指しています。サタンは初め,『おおうことをなすケルブ』であつて,罪を犯す以前には,地上の人間に対して権威を持つていたために,人間を直接に支配した目に見えない『天』または目に見えない支配力であつたのです。神は,おおうことをなすケルブが反逆した時に,地を支配する新しい天的な支配権を建てる御目的をつくられました。それは,『天の御国』と呼ばれます。(マタイ 3:2,新世)この天的な御国は,むかし神の選民であつたイスラエルの国の首都シオンによつて予表されていました。天の御国,またはシオンは,死にいたるまで忠実にキリスト・イエスの足跡にしたがつて,その忠実を守り,試みと試錬を経た人々で構成されます。ヨハネ黙示録の7章と14章では,これらの人々の数は14万4000人に限られていますが,地上の人口と比較してみるときに,全く少数の人々です。イエスは,地上にいる時に,この天の御国で彼と一緒になる人々を選び始めました。イエスは,彼らを羊にたとえて『おそるな小き群よ,なんじらに御国を賜うことは汝らの父の御意なり。』と言われました。(ルカ 12:32)イエスの時からいまにいたるまで,天の御国の成員の選択は行われてきました。そして19世紀にわたる選択がなされて後の今日では,14万4000人のうちの僅かな残れる者がこの地上におります。
24 これらの人は,どのようにその天の御国に召されますか? その御国は何時完成しますか?
24 この天の御国級をつくりあげる者たちは,ヱホバの御言葉とその御霊によつて『召されて』いる者です。つまり,彼らはヱホバの御言葉を通して,天の御国で行うこの奉仕の希望を知るようになり,またヱホバは,彼らに御霊を働かせられて,御自身の霊的な子たちにならせ,この希望は彼らのものであるということを確信させます。ロマ書 8章16,17節には,こう書かれています。『御霊みづから我らの霊とともに我らが神の子たることを証す。もし子たらば世嗣たらん。神の嗣子にしてキリストと共に世嗣たるなり。これは,キリストとともに栄をうけんために,その苦しみをも共に受くるに因る。』(ヨハネ 3:3-5をも見なさい)御国級の最後の成員が,死にいたるまで忠実を保ち,その地上の生涯を終えて,死から天の生命に復活されることにより王キリスト・イエスに従う14万4000人の天の御国は,全く完成されます。御国は,天にいる他のすべてのものと,地上で生命を得る者をみな支配いたします。
25 『御国のこの良いたより』を伝道する仕事を,誰がいただいていますか? このたよりはなぜ『良い』のですか?
25 この級の者で,今日でも人間として残つている者たち(残れる者)は,神より『御国の良いたより』を伝道せよという仕事をいただいています。御国についてのこのたよりは,なんと良いのでしよう! あらゆる反逆をうち砕き,宇宙に平和と正義を回復するのは,ただこの天の御国だけです。御国はサタンとそのすべての代理者たちを亡します。御国の義しい支配の下に,神の最初の御目的はなしとげられます。すなわち,愛の御心を持つて居られる神に奉仕し,またその神に讃美と誉を捧げる人々でこの地を充たすということです。これはみな,ヱホバ神の御名,御言葉,そして御目的を立証し,宣明するでしよう。ヱホバ神は最高至上の方であると示されます。このことをなしとげるのは,天の御国であるために,御国はあらゆるものにまして最も大切なものであり,その御国についての教えは聖書の中でもつとも大切な教理なのです。
地上の生命
26 詩篇 37篇11,29節は,永遠の生命を何処で楽しむ希望を与えていますか? イエスが弟子たちに教えた祈りは,このこととどのように一致していますか?
26 詩篇を書いた人は,ずつと昔しに予言を含めて,こう書きました,『されど,謙るものは国(地)をつぎ,また平安のゆたかなるを楽しまん。ただしき者は国(地)をつぎ,その中にすまいてとこしえに及ばん。』(詩 37:11,29)イエスは,マタイ伝 5章5節で後日にこの詩篇を引用して話し,地上で永遠の生命を得るこの希望は真であると確認されました。ある宗教制度によると,生命の前途は天のものか,または地獄の火にもだえる永遠の苦しみのものであると考えられています。すでに学んだように,聖書は永遠の苦しみという考え方を支持してはおらず,また平和と幸福をたのしむ将来の生命の希望を天だけに限つてはおりません。天の御国(このためには,僅かな制限された数が召されている)の支配の下に,無制限の数の人々は,完全な人間の生命という祝福をこの地上でうけるでしよう。この理由から,『あなたの御国の来ますように。天で行われるように,地にもあなたの御意が行われますように。』神に祈れと,イエスは弟子たちに教えたのです。―マタイ 6:9,10,新世。
27 どんな種類の人々は,地的生命のこの希望にいま分けられていますか? イエスは,御自身を羊飼になぞらえ,これらの人々について,どのように語られましたか?
27 天の相続に対する召しは,いま終つて閉じられていますが,聖書の明白に示すところによると,ヱホバは,羊のような性質を持つ大いなる群衆を恵みの側に分けられています。それらの者たちは,ヱホバに奉仕しようと欲しており,またその希望は天の御国の支配の下に楽園の地でうける生命の希望です。イエスは御自身を牧飼になぞらえ,この他の羊についてはヨハネ伝 10章16節で次のように語りました。『我には亦この檻のものならぬ他の羊あり。これをも導かざるを得ず。彼らは我が声をきかん。遂に一つの群ひとりの牧飼となるべし。』
28 (イ)そのような祝福が人類に来るためには,どんな変化がなければなりませんか?(ロ)それで,今日の『良いたより』は何ですか?
28 しかし,そのような祝福が人類のところに来る以前に,大きな変化が是非とも必要ではないでしようか? 平和と正義がこの地上で栄えるためには,悪や,亡びや,病気や死が,この地からなくならねばなりません。何時,そしてどのように,それはもたらされますか? 聖書の示すところに従うと,キリスト・イエスが再臨して,その御国が天で設立されてから,この状態は起ることになつています。今日の良いたよりは,キリスト・イエスはすでに再臨され,彼の治める神の御国は設立されて,いまや天で支配しており,間もなく,サタンや,その悪い御使たちや,地上の目に見えるサタンの僕たちは,ハルマゲドンの戦で亡ぼされてしまうということです。どうしてこのことを知りますか?
御国の力をもつイエスの臨在
29 イエスの再臨は,人間の目で見ることができますか? どんな事実,および聖句によつてその答えは決定されますか?
29 イエスは再臨すると言われましたが,それは地上の人間の目に見える人間の姿で再臨するという意味で言われたのではありません。イエスは,贖いとしてこの地的な生命を断念されたために,その地的な生命を取もどすことはできません。人間の形をとつて,最初に地上に来た時,それはイエスにとつて卑しいことでした。(ヘブル 2:9)でも,再臨の時には,『御使よりも低い』人間としては来ないで,彼はすべての栄光を持つ霊者になつて来られます。(マタイ 25:31)霊者のゆえに,御国の力をもつて再臨されても,それは地上の人間の目に見ることはできません。地を去る前に,イエスは『暫くせば,世は復われを見ず。』と弟子たちに言われました。(ヨハネ 14:19)イエスはいまや御父の『本質の像』になられ,『人のいまだ見ず,また見ること能わぬ』光の中に御父と共に住まわれています。(ヘブル 1:3。テモテ前 6:16)それですから,イエスの再臨は実際の目では見えません。ただ理解の目でもつて見ることのできるものです。―エペソ 1:18。
30 地上の人々は,何の手段によつて,イエスが再臨されて王であるということを理解しますか?
30 イエスは,御国の力をもつて臨在される証明として,大きな『しるし』をつくりあげる顕著な証拠を予言されました。地上の人々は,『しるし』をつくりあげるこれらの見える証拠を見ることにより,またその意味するものを理解して,イエスが天で御国の力を取られ,長いあいだ約束されていた御国の王になつて臨在されているということを知ります。この『しるし』をつくりあげるものは,何ですか?
31 イエスの使徒たちは,このことについてどのような質問をつくりましたか? イエスは,苦難の初まりは何であると言いましたか?
31 イエスの使徒の心にもその質問が起きて,彼らはこう尋ねました。『われらに告げ給え。これらの事は何時あるか? 又なんじの来り給うと世の終とには何の兆あるか?』(マタイ 24:3)イエスは,こう答えられました。『民は民に,国は国に逆いて起たん。また処々に飢饉と地震とあらん。これらは,みな産の苦難の始めなり。』― 7と8節。
32 この『苦難の初まり』についての予言は,どのように成就されましたか? イエスは,その時以来の苦難の時をどのように予言されましたか?
32 この言葉によると,大きなしるしは,世界戦争と共に始まります。1914年から1918年までに,世の国々は互いに戦争に加わつたために,その戦争は第一次世界大戦と呼ばれました。その戦争に引き続いて,饑饉や疫病は多くの場所で起り,第一次世界大戦が終つた後でも,なお災や悩みを地にもたらしました。実際に戦争中の4年間で殺されたものよりも多くの者が疫病で死にました。また1914年以来では,歴史上いままでにない程の多くの地震が報告されており,資産と生命の両方に大きな被害を与えています。しかし,イエスは『これらは,みな産の苦難の始めなり。』と言われました。それで,第一次世界大戦以来,苦難の時は続き,最初の時よりももつと恐ろしい別の世界大戦をも引き起しました。人々は今日,もつと恐ろしい破壊の武器が用いられる別の戦争が起りはしまいかと恐れています。饑饉や,また,地震も,いまだに人類に苦しみを与えています。人間はみな,将来はいつたいどうなるのであろうかと疑問に思い,不安の気持で充たされています。イエスは,その予言された兆の一部であるこれらの状態を良く説明いたしました。イエスの言葉によると,『地にては国々の民なやみ,海と濤との鳴り轟くによりて狼狽え,人々おそれ,かつ世界に来らんとすることを思いて胆を失わん。』― ルカ 21:25,26。
33,34 それで,イエスは何年に統治し始めましたか? 御国のこの誕生に引き続いて,天ではどんな出来事が起こりましたか?
33 それで,イエスが1914年には,御国の力を取られ,その支配を天から始められたとすべての証拠は示しております。それにしても,このすばらしい出来事になぜ災いや悲しみがこの地上に起るのですか? ヨハネ黙示録 12章は,それについて答えを与えています。
34 ヱホバ神の大きな敵であるサタンは,この時まで神の天にいる被造物の中に立ち交ることができました。黙示録 12章の象徴の言葉が説明しているように,サタンは,御国が『生まれる』,または支配し始めるのを欲しなかつたのです。サタンは,この地の支配権を自分のものにしておきたいと欲していたために,時が来て,ヱホバが御子キリスト・イエスに支配せよとお命じになられた時,新しく生まれた御国とサタンのあいだに戦争があつたことは必至です。黙示録 12章7-10節を読んでみましよう。『かくて天に戦争おこれり。ミカエル及びその使たち龍とたたかう。龍もその使たちも之と戦いしが,勝つこと能わず,天には,はやそのおるところなかりき。かの大いなる龍,すなわち悪魔と呼ばれ,サタンと呼ばれたる全世界をまどわす古き蛇は落され,地に落され,その使たちも共に落されたり。我また天に大なる声ありて「われらの神の救と能力と国と神のキリストの権威とは,今すでに来れり。我らの兄弟を訴え,夜昼われらの神の前に訴うるもの落されたり。」というのを聞けり。』
35 なぜ災いや苦難が地上に続きますか? これらの状態を見ても,私たちは希望を失うべきではないと,イエスはなぜ言われましたか?
35 サタンを打ち負かしたこの勝利によつて,天はよろこびましたが,地上に及ぶサタンの影響はなくならずに,残りました。サタンはいまや地に制限されていて,その終りが近いのを知つているため,あらゆることをしても,ヱホバから地上の人間を引き離そうとしています。その12節には,こう書かれています。『この故に,天および天に住める者よ,よろこべ,地と海とは禍害なるかな。悪魔おのが時の暫時なるを知り,大いなる憤恚を懐きて汝らのもとに下りたればなり。』このような状態を見ても,私たちは希望を失うべきではありません。なぜならば,それは,長いあいだ約束された御国が,天で設立された兆だからです。それの意味するものは,サタンの時は短く,まもなくサタンとその代理者は,ハルマゲドンの最後の戦争でことごとく亡ぼされるということなのです。それで,イエスは,こう言われました『これらの事起り始めなば,仰ぎて首を挙げよ。汝らの贖罪,近づけるなり。』― ルカ 21:28。
36 マタイ伝 24章14節では,『しるし』のどんな部分が予言されていますか? あなた自身,その成就が行われているのをどのように見ましたか?
36 いままでに述べられていない,別の兆がありますが,それはマタイ伝 24章14節に書かれています。『御国のこの良いたよりは,すべての国民に対して証しをするために,全世界に伝道されるであろう。それから全き終りが来るのである。』(新世)この予言によりますと,世界が災いや苦難で苦しみ,将来を恐れているとき,すべての国々で伝道する人々が必らずいることになります。しかも,それらの人々は『御国のこの良いたより』をかならず伝道します。彼らは設立された御国を人々に必らず語ります。兆のこの部分も,成就されており,あなた自身その成就を見ました。誰かがあなたのところに来て御国についてお話ししませんでしたか? ヱホバの証者は,いまや全世界にわたり,150以上の地や海の島々で,また100以上の言葉を用いて,設立された御国の良いたよりを伝道しています。
37 この伝道の結果に,『しるし』のどんな他の部分が続きますか?
37 ヱホバの証者は,御国を伝道するこの仕事を忠実に行つているために,あらゆる国でひどく迫害されています。イエスは,このことをも予言しておられました『なんじらわが名の為めに,もろもろの国人に憎まれん。』― マタイ 24:9。
38 この伝道の目的は何ですか? 素直に聞く者は,何に譬えられており,聞かない者は,何に譬えられていますか?
38 この伝道の業をする目的は次のためです。すなわち,ヱホバに善意を持つていてサタンの世に来る亡びから逃れ,正義の新しい世で永遠に生きるために,ヱホバを崇拝しようと願う人々が,警告を聞いて正しい路を取るためです。イエスは,音信を聞いて,それに信仰を持つ者を羊に譬えました。イエスは,音信を拒絶し,それに敵対する者を山羊に譬えました。御国について伝道する時に,この世に分離が生ずることになります。つまり,一方には羊で,他方には山羊という具合です。『人の子その栄光をもて,もろもろの御使をひきいきたるとき,その栄光の座位に坐せん。かくて,その前にもろもろの国人あつめられん。これを別つこと牧羊者が羊と山羊とを別つ如くして,羊をその右に,山羊をその左におかん。』― マタイ 25:31-33。
この世の組織制度の終り
39 (イ)この『しるし』が,それぞれ違つた部分で成就したことは,何を証明しますか?(ロ)この世の『組織制度』の終りは,何を意味しますか?
39 このように,キリスト・イエスの語られた兆のちがつた部分は,ことごとく成就されているということが分ります。すなわち,世界戦争,饑饉,疫病,世界的な困乱,地上の災い,『御国のこの良いたより』が伝道されていること,その良いたよりの伝道者が迫害をうけていること,人々が二つの級に分けられていることです。この兆の成就は,キリスト・イエスが天から統治しているということだけではなく,またこの世の『組織制度』の終りは間近いと証明するものです。(マタイ 24:3,新世)といつても,『地は永久に存つなり。』と聖書は述べているゆえに,この文字通りの地球に終りが来るということではありません。(伝道之書 1:4)終りの来るものは,サタンが神として支配するこの悪い世であつて,サタンや,その悪い悪鬼や,また地上でサタンに従うすべての者は亡ぼされてしまいます。(コリント後 4:4)このようにして,地のすべての悪がなくなります。
40 最終のどんな戦争が,まだ必要ですか? 神の僕は,なぜその戦争に参加しませんか?
40 サタンは,いまでも『この世の神』の地位を持ち続けようと心にかたく思つています。それで,サタンとヱホバのあいだには別の戦争がなければなりません。その戦争は,ハルマゲドンの戦いです。(黙示録 16:14-16)地上にいる神の僕たちが,その戦いに参加する必要はありません。キリスト・イエスは,ヱホバの御使の天の大軍をひきいて,サタンとその制度に最後の攻撃を加え,それを全く亡してしまいます。そして,正義の新しい世に従順な人類を入れて,救いを与えられます。(黙示 19:11-16)このような仕方によつて,この世の組織制度が終ることは,この世から悪をなくし,その代りに平和と正義が栄えるための唯一つの道です。全能の神ヱホバだけが,このことをすることができます。
41 ヱホバの証者は,神を愛する者たちに与えられる祝福の他に,何を伝道しますか? なぜそうですか?
41 この地から悪と不義をなくすのに,人間はいままでにいつたい成功したことがありますか? 言語,人種,宗教のためにこんなにも分裂してしまつた諸国民のあいだに,人間は一致や調和をもたらすことに成功しましたか? いいえ,成功してはおりません。そのために『御国のこの良いたより』だけが,永続する唯一つの救済について語つているのです。『この良いたより』は,またこの世の終りとも関係を持つものです。それでこの理由からヱホバの証者が忠実に語るものは,ヱホバを愛しヱホバに仕える人々に与えられるヱホバの祝福だけではなく,また,ヱホバに反対する悪い者たちになされる亡びの裁きであります。主なる神から命ぜられた任務は,『貧しき者に福音をのべ伝うること……ヱホバのめぐみの年とわれらの神の刑罰の日とを告げしめ,又すべて哀しむ者をなぐさめる』ことです。―イザヤ 61:1,2。
42 どんなものが,間もなく永遠になくなつてしまいますか? いま神に頼る人々のあいだにどんな状態が行われると予言されていますか?
42 本当にそれは良いたよりです。そしていまある悪,不道徳,戦い,戦争,そうです,病いや病気,またそれに伴う悲しみなどすべては,間もなく永遠になくなつてしまうと知ることができます。この世の組織制度の終りの時のあいだに,ヱホバ神に頼る人々の中に行われる状態について,聖書には次のように書かれています。『彼らはその剣を鋤に打ちかえ,その鎗を鎌にうちかえん。国と国とは剣を挙げて相攻めず,また重ねて戦争を習わじ。皆その葡萄の樹の下に坐し,その無花果の樹の下に居らん。これを懼れしむる者なかるべし。万軍のヱホバの口これを言う。』(ミカ 4:3,4)人間のあいだに平和があるだけではなく,人間と動物のあいだも平和となります。『おおかみは小羊とともにやどり,豹は小山羊とともにふし,犢,牡獅子肥たる家畜ともに居りて小き童子にみちびかれ,牝牛と熊とはくいものを同にし,熊の子と牛の子とともにふし,獅子はうしのごとく藁をくらい,乳児は毒蛇のほらにたわふれ,乳ばなれの児は手をまむしの穴にいれん。かくてわが聖山の何処にても害うことなく,傷ることなからん,そは水の海をおおえるごとくヱホバをしるの知識地にみつべければなり。』― イザヤ 11:6-9。
43 王の御子についての詩篇記者の祈りは,前述のこととどのように一致しますか?
43 永遠の王ヱバホ神の御子である正義の王キリスト・イエスは全き統治を行い,地上に住む人々はその公正,正義の支配の福利を感ずるでしよう。それで,霊感をうけた詩篇記者は,次のように祈りました。『神よねがはくは汝のもろもろの審判を王にあたえ,なんじの義を王の子にあたえたまえ。かれは義をもてなんじの民をさばき,公平をもて苦しむものを裁かん。義により山と岡とは民に平康をあたうべし。かれは民のくるしむ者のために審判をなし。乏しき者の子らをすくい,虐ぐるものを壊きたまわん。かれらは日と月とのあらんかぎり,世々おしなべて汝をおそるべし。』― 詩 72:1-5。
44 そのような完全な世で,あなたはどのように生きることができますか? そのような前途を考えて,その『しるし』を見る時に,あなたは何をしなければならないとイエスは言われましたか?
44 なんとすばらしい前途が将来にあるのでしよう! あなたはそのような完全な世で生活したいですか? 羊のような柔和な性質と,正しい牧飼キリスト・イエスによろんで従おうとする気持ちを示し,また実際にいま従い,そして『御国のこの良いたより』を信じてヱホバの側に立つならば,あなたはそのような世で生活することができます。羊のような人々は,新しい世の状態の前途を心に考えて,キリスト・イエスの次の言葉に注意を払います。彼は,御自分の臨在の兆についていろいろと話されてから,その言葉を言われたのでした。『これらのことが起り始めたならば,身を起し頭を上げなさい。なぜならば,あなた方の救いは近づいているのである。ほんとうにあなた方に言う。すべてのことが起きるまで,この時代は決して過ぎさらないであろう。』(ルカ 21:28,32,新世)そうです,この時代に生きていてハルマゲドンの最後の戦いの時に救われ,その後の清められた地に入ることのできるその『羊』の一員にあなたはなることができます。主イエスの『他の羊』の一員になり,その祝福をうけるために,何をしなければなりませんか? 聖書の示すところにより,私たちが取らねばならない道を見て見ましよう。
献身
45 神が私たちに命ずることをする前に,まず初めに何が必要ですか?
45 神が私たちに命じていることをする前に,私たちは神を知らねばならず,また神の目的について知識を得て,神と御子キリスト・イエスに信仰を働かさねばなりません。信仰は知識を基礎にして得られるもので,正しい知識は聖書の中に見出されます。ヱホバは現在の地上にいる柔和な人々が御自身の御言葉を知るように取計つておられます。というのは,ヱホバはその証者たちを人々の中に行かせて,『御国のこの良いたより』を伝道させ,善意者らに神の御言葉の研究を援助して,生命に導く知識を得させているからです。『かく信仰は聞くにより,聞くはキリストの言葉による。』― ロマ 10:17。
46 信仰を持つとは,何を意味しますか? 自分自らを献身することは,何を意味しますか?
46 信仰とは,その得たところの聖書の知識から,神は存在しているということ,また神を求める者に神は報いを与え,そして聖書は真であつて,人間の確かな導きであるという確信を持つことです。また信仰を持つということは,イエスを人間の救い主,贖い主と認めることです。そのような信仰を持つときに,その人の生活の仕方に変化が起ります。その人は,この世の悪に従わず,また自分自身の利己的な欲望に仕えるのを止めて,神の御意を行います。その人は,その持つているすべてのものは,神のお恵みによるのであつて,神をよろこばす唯一つの道は神に奉仕することであると悟ります。そして神の御意を行うために,自分自らを献身します。献身とは,つまり神の御言葉の命ずることならば,どんなことでも行うと同意することです。イエスはこう言いました。『私に従いたい人は,自分自らを捨てて,その刑柱を負い,私にいつも従いなさい。』― マタイ 16:24,新世。
47 イエスの模範通りに,また彼の教えたことに従つて,私たちの献身はどのように公やけに示されますか?
47 イエスは神の御意を行うのに自分自らを献身し,その献身を公やけに言い表しました。どのように? 水の洗礼をうけることによつてです。イエスは弟子たちに話しをして,『すべての国の人々を弟子として,父と子と聖霊の名によつて洗礼を与えよ』と教えました。(マタイ 28:19,新世)それですから,神の御意を行おうと同意する人々は,みな洗礼をうけねばなりません。―詩 40:8。マルコ 1:9-11。ヘブル 10:7。
48 洗礼によつて何がなしとげられ,それはどのように施されるべきですか?
48 洗礼によつて何がなしとげられ,また洗礼はどのように施されるべきですか? イエスは,ヨルダン河の水に全く没して,洗礼をうけました。それで,今日の洗礼もそれと同じ仕方で,水の中に没することでなければなりません。この浸礼は,洗礼をうけた者の罪を清めるものではありません。それは,クリスチャンの洗礼の目的ではないのです。水の下に没するということは,洗礼をうけた者がその古い生命の仕方については,死んだということを象徴します。その人は,神の御意を行うために自分自身の意志を進んで自発的に断念しました。水からひきあげられたことは,神の御意をするのに表われ出たことを表します。
49 新しい世で,ヱホバの求められるような人になるために,献身して洗礼を受けた人は,何をしなければなりませんか?
49 献身をして洗礼を受けた者は,それからは忠実に積極的にヱホバ神に奉仕すべきです。引き続き,神の御言葉を研究して,神の御意が何であるかを知り,その御意を忠実に行う時,力をいただくためにヱホバの御霊に頼らねばなりません。その希望は,いまやヱホバの新しい世だけにかかつています。その人は,同じ信仰を持つ他の人々と交わり,また神の民の合衆とも定期的に交わりたく欲します。しかし,ヱホバの最終の是認をいただくためには,ハルマゲドンにいたるまで,そしてまた新しい世に入つてもヱホバに忠実を保たなればなりません。このような人々の一員になりたいと願われるならば,新しい世で,ヱホバの求められるような人であると,あなた自身が証明しなければなりません。
50 私たちは,何に従うのを止めなければなりませんか? 私たちはどんな人を着るべきですか? どのように?
50 使徒パウロは,ロマ書 12章2節で次の助言を与えています。『この世の組繊制度に従うのを止めなさい。むしろ,あなたの心を入れ代えることによつて,新しくなり,神の善く,御心にかなう,全き御意をわきまえ知るべきである。』(新世)この世の人々は,争い,しつと,憎しみ,不正と盗み,嘘と殺人,不潔と不道徳で充ちていますが,私たちはもはや,そのような人々とは違います。この世の人々のそのような事がらのために,『神の怒りは来る。あなた方も彼らの中で生活していた時に,かつてそれらのことをしながら歩いていた。しかし,いまではこれらのものをすつかり捨て,怒り,憤り,悪意,そしり,卑猥な言葉を口から捨てなさい。たがいに嘘を言つてはならない。古い人をその行とともに脱ぎ棄てて,新しい人を着なさい。新しい人は,正確な知識により,造り主の像に従つて新しくされるのである。』― コロサイ 3:6-10,新世。
51 (イ)クリスチャンの僕たちに,どんな教えが与えられていますか?(ロ)家庭内で聖書の原則を適用するとき,夫,妻,子供にどんな変化がなされますか?
51 クリスチャンは,あらゆることでこの世とは違つた仕方でおこないます。この世で傭われている人々は,傭主をだまそうとして,真心をこめて働こうとはいたしません。しかし,聖書の助言は次のようです。『あなた方奴隷たちよ,なにごとについても,肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先きだけの勤めをするのではなく,真心をこめて,ヱホバを恐れつついたしなさい。何をするにも,人にではなく,ヱホバに仕えるよう心から働きなさい。』(コロサイ 3:22,23,新世)聖書の原則を,家庭の中で適用するならば,そこにも変化が行われます。平和と調和が欠けていて,夫は妻をひどく抑えつけ,妻はまた夫の言葉を聞かず,夫に尊敬を示さないような家庭は,なんと多くあることでしよう!『妻たちよ,夫に従いなさい。それは主にある者にふさわしいことである。夫たちよ,妻を愛しなさい。つらくあたつてはならない。子供たちよ,なにごとにも両親に従いなさい。これは主によろこばれるものである。』(コロサイ 3:18-20,新世)そうです,子供たちもいま,新しい世と調和して生活することを学ぶべきです。子供たちがそうする方法は,クリスチャンの両親で,子供たちに神への奉仕の仕方をしつけるその両親に従うことによるのです。
結論
52 (イ)結論して,私たちは,神について,この世の罪と死の理由について,人類を救う手段と方法について,何を学びましたか?(ロ)このたよりは,なぜ良いのですか? このたよりを持つているあなたは,いま何をしなければなりませんか?
52 短い研究ではありますが,私たちは神の御言葉から,この記事の最初に出されている質問の答えを学びました。神が誰であるかということ,その神は創造者であつて,御名前はヱホバであるということ,神は人間をつくつて地上で平和のうちに永遠に生活させようとされたこと,しかしサタンの反逆と最初の男と女がサタンに加つて忠実を保たなかつたために,罪と死がこの世に入り,その結果に多くの悲しみや悪が生じたということを知りました。罪と死からの救いは,キリスト・イエスの贖の犠牲と,キリストによる神の御国によつて来るということ,そして最後の救いは,神がキリスト・イエスを通して,近づいているハルマゲドンの戦いで,サタンとすべての悪を亡しさる時に来るということも知りました。そのときに,神の天の御国は,地上の人類に永遠の祝福をもたらします。それで,私たちが学んだことは,良いたよりではありませんか? それは,最も高い神ヱホバの御国に関するものですから,ただ一つしかない良いたよりであつて,その御国と祝福は決して終ることはありません。(詩 145:13)いま『御国のこの良いたより』を他人に宣べ伝えることは,神に対してもまた友なる人間に対しても,それはあなたの義務であります。