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恐れの気持ちからの解放ものみの塔 1974 | 1月15日
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もありません。死者のために食物を供したり,武器・衣類・特別の犠牲をささげたりすることは無益です。
人々を恐れのうちに閉ざしてきたのは悪魔です。悪魔に,アダムとエバを死に至らせる力があったわけではありません。彼らを死に定め,エデンの園から追い出して「命の木」から遠ざけたのはエホバです。しかし悪魔は,全人類の先祖アダムを罪に誘うことによって,すべての人間に相続的な罪と死をもたらしました。(ローマ 5:12)この神に対する敵対者は人間男女の弱さや罪の傾向に,また真理を知らない人々の無知につけ入ることができます。彼は人間を時ならぬ死に陥れることができます。死者がなんらかの形でなお生きつづけているという誤った考えを信じる人は,悪魔およびその仲間である邪悪な霊者たちのわなに陥ります。そうした霊者たちは実際に存在します。死者を助けようとして犠牲をささげたり儀式を行なったりする人,またお金を払って魂を「煉獄」その他の想像上の場所から解放したりしずめたりしようとする人は,実際には悪霊たちの手中に陥ることになります。そのようなことについて使徒パウロはこう書いています。「諸国民が犠牲としてささげるものは,悪霊に犠牲としてささげるのであり,神にささげるのではない」― コリント第一 10:20。
死は敵であり,生命を愛する人にとっては少しも願わしいものではなく,きわめて悲しい事がらです。しかし,死に関する真理を知り,神の目的つまりそのメシアなる王の一千年統治の間に死者を復活させようとしておられることを理解している人々にとって,それは過度の,そして打ちひしぐほどの悲嘆とはならないはずです。魂の不滅に対するバビロニア人の思想に基づくギリシャ的な習慣に囲まれた,テサロニケ市のクリスチャンたちにあてて,使徒パウロは次のように書きました。「兄弟たち,死んで眠っている者たちについてあなたがたが知らないでいることを望みません。希望を持たないほかの人びとのように悲しむことのないためです」― テサロニケ第一 4:13。
死は大きな敵として多くの苦悩を与えてきましたが,神は,死ののちにあるものへの恐れの気持ちから人々を解放するために,この真の希望を与えておられます。主イエス・キリストは全人類の墓をからにしたのちに,すべての従順な人々から罪(これが死の定めをもたらす)のあらゆるこん跡をも除き去るのであり,この点を知ると,死の悲しみを取り除くことができます。ついで,消え去るべき,人間の最後の敵として,アダムに由来する死そのものが「火の湖」に投げ込まれます。「火の湖」に投げ込まれるというのは,永遠に消滅することの象徴です。こうして,キリストの千年統治期間に起きる地上の死者の復活は,人類が幾世紀ものあいだ閉ざされてきた恐れの気持ちを一掃するものとなります。それは永久に除き去られます。壮大な解放ではありませんか。―啓示 20:13,14。コリント第一 15:26。ローマ 8:20,21。
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酒に対する勝利ものみの塔 1974 | 1月15日
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酒に対する勝利
● 1973年6月30日のこと,ロサンゼルスの「神の勝利」国際大会でドミニカ共和国に住むある男の人の経験が話されました。彼は町でも名の通った大酒飲みでした。給料をもらうと数日飲み歩き,お金を全部使ってしまいました。すぐれた教師であったため,くびにはなりませんでしたが,酔いがさめるまで彼のクラスの授業は中止されました。ひとりのエホバの証人が彼と聖書研究を始めました。聖書の知識を得て進歩するにつれて,その人は酒もたばこもやめました。その変わりようがあまりにも大きかったため,人びとは路上で彼を呼び止め,何が起きたのかとよく尋ねました。そうした人びとに対して彼は,自分を助けることができたのはエホバの証人だけだと説明しました。アルコールの飲み過ぎに対する彼の勝利は,神の真理と,人の生活を変えるその力について多くの人に語る機会を彼にもたらしました。
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