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「新しい創造物」は活動を開始する聖霊 ― 来たるべき新秩序の背後にある力
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「それだけではありません。霊という初穂を持つわたしたち自身も,そうです,わたしたち自身が,自らのうちでうめきつつ,養子縁組を,すなわち,贖いによって自分の体から解き放されることをせつに待っているのです。
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「新しい創造物」は活動を開始する聖霊 ― 来たるべき新秩序の背後にある力
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27 どのような事情の下でクリスチャンは聖霊による願い出を必要としますか。
27 この点に関連して箴言 13章12節の言葉は非常に適切です。「延ばされる期待は心を病ませる」。うめきを抱くこの人間世界において,神の霊的な子供とされたクリスチャンたちは,不完全な人間の体から解き放されること,また自分たちの天的な相続物を受け継ぐことを望み見ています。時には,苦しい事情の下で何を祈り求めてよいのか正確に分からず,神への祈りの中で自分をどのように言い表わすべきかが問題となる場合もあります。取りなしをするものとしての神の聖霊に願い出てもらう必要があるのはこの時です。
28,29 (イ)ヘブライ語聖書の筆記者の場合,語ったり書いたりすることをいわば聖霊が行なっていたと言えるのはなぜですか。(ロ)ヘブライ語聖書の筆記者たちはその感情や弱さの面でクリスチャン会衆の成員とどのように比べられますか。
28 使徒パウロは,「わたしたち自身」すなわちパウロおよび神の霊によって生み出されたそのクリスチャン兄弟たちは,「霊という初穂」を持っている,と述べています。(ローマ 8:23)パウロはここで,神からの見えない聖なる活動力を持つことを意味しています。この活動力は人々に霊感を与えて語らせ,またその語ったことを書き記させました。それは霊そのものが語りまた書き記しているかのようでした。その点についてこう記されています。「聖書の預言はどれも個人的な解釈からは出ていないということです。預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたものではなく,人が聖霊に導かれつつ,神によって語ったものだからです」。(ペテロ第二 1:20,21)パウロがキリスト教の擁護のために引用した霊感のヘブライ語聖書を書き記したのはただの人間でした。それらはクリスチャン会衆を構成した人々と同様の感情を持ち,同じ肉体的弱さを持つ人々でした。ゆえにわたしたちはそれらの人々に身近なものを感じます。
29 「わたしたちも,あなたがたと同じ弱さを持つ人間です」。これは使徒パウロとその宣教仲間のバルナバが述べた言葉です。二人を超人的なもの,人間の形で現われた神々と誤って考えた,異教徒の偶像崇拝者たちにそう語りました。―使徒 14:15。
30 (イ)聖書の筆記は実際のところどのような力の表現ですか。そのゆえにどのような益がありますか。(ロ)聖書中の人物が直面した事態や状況は人間的な助け以上を要するどんな範囲に及んでいましたか。
30 霊感の下に書き記された聖書は,実際のところ神の聖霊の表現であると言えます。そのゆえにそれら霊感の書は,「教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益」であり,それは,「神の人が十分な能力をそなえ,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるため」です。(テモテ第二 3:16,17)その『有益な』書の中には神への数多くの祈りも含められていました。それは聖書の筆記者自身によるものもありますが,エホバ神に献身した他の人々によるものもありました。それらの祈りが神に捧げられたその状況は様々でした。わたしたちと共通の人間的弱さを持つそれらの人々も,自分の遭遇した特殊な事情や種々の脅威のために様々な圧力を感じました。彼らの窮迫した事態はいろいろに異なり,それは今日でも真のクリスチャンが直面するものと相通ずるところがありました。それは人間的な助け以上のものが必要な場合となります。そのような場合,わたしたちはどのように祈ったらよいでしょうか。
31,32 (イ)クリスチャンは祈りに関してどれほど戸惑うことがありますか。(ロ)そのような時,聖書の筆記に霊感を与えた霊はどのようにしてクリスチャンのために願い出るものとなりますか。神はどのように理解し,またどのように答えを与えられますか。
31 自分の無力さと困惑のあまり,「わたしたち自身が,自らのうちでうめ(く)」ことになるでしょう。(ローマ 8:23)どのように神に祈りや請願を捧げたらよいか,自分たちの天の助け主に向かってどのように言葉と文句をまとめたらよいかが分からないのです。それでも神は,わたしたちの事情を理解してくださり,わたしたちが誠実に何を望んでいるかを正確に見きわめてくださるのです。
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