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世俗の仕事を持つ奉仕者たちものみの塔 1981 | 6月15日
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しかし,ギリシャ語の語源が低い状態と関連していたにもかかわらず,使徒パウロはこの言葉を用いて,「わたしは……自分のこの奉仕の務め<ミニストリー>を栄光あるものとします」と述べました。(ローマ 11:13)パウロは最後までその務めに固く従うことによってこの点を証明しました。
7 (イ)王国の音信に関する奉仕の務めは,料金を取らないことによって安っぽいものになりますか。(ロ)必要な世俗の仕事はどれも,王国の奉仕者たちによってどのようにみなされていますか。
7 パウロが熱心に自分の奉仕の務めを遂行したのは自らの栄光のためではありませんでした。パウロは自分が「良いたより」を宣べ伝えた人々から費用を集めたり料金を取ったりすることはありませんでした。しかしこうすることによって,パウロは自分の奉仕の務めを安っぽいものにしていた訳ではありません。「良いたより」を受け入れた人々は,「良いたより」に対して料金を払うことはしませんでしたが,自分自身に益となる事柄を行なうためにはやはり『費用を計算し』なければなりませんでした。パウロはこうした栄光ある「良いたより」を託されたことに対し,それを非常な名誉と感じました。それはこの世のどんな高給の仕事と比較しようにも比較できない程の奉仕の務めです。現代のエホバの証人たちは使徒パウロの模範に倣っています。どのようにでしょう
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世俗の仕事を持つ奉仕者たちものみの塔 1981 | 6月15日
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8 パウロは,ついにローマに到着した後,どのようにそこで引き続き『自分の奉仕の務めを栄光あるものとし』ましたか。
8 使徒パウロがついにローマに到着し,同地の会衆と接するようになっても,パウロは依然として,幾年か前にローマの人々への手紙の中で述べた事柄を行ない続けました。つまりパウロは『自分の奉仕の務めを栄光あるものにした』のです。鎖でつながれた囚人であったにもかかわらず,パウロはどのようにこのことを行なったのでしょうか。パウロの忠実な仲間であった医師ルカはこう述べています。「わたしたちがついにローマに入った時,パウロは兵士の監視のもとにひとりで滞在することを許可された。しかし三日後,彼はユダヤ人の主だった人びとを呼び集めた。彼らが集まってから,[パウロは彼らに話した]。……こうして彼は,自分の借りた家にまる二年とどまり,そのもとに来る者をみな親切に迎え,妨げられることなく,全くはばかりのないことばで人びとに神の王国を宣べ伝え,また主イエス・キリストに関することを教えるのであった」― 使徒 28:16-31。エフェソス 6:20。
9 パウロの投獄とその理由は,どの程度ローマで広く知られるようになりましたか。ローマ市のクリスチャンたちはそのことについてどう感じましたか。
9 不当にも囚人として拘禁されていたパウロのこの活動は,どんな結果を生みましたか。パウロはこう述べています。「さて,兄弟たち,あなたがたに知って欲しいのですが,わたしに関することがかえって良いたよりの前進に役だつ結果となり,わたしのなわめがキリストのことに関連して親衛隊の全員とほかのすべての人たちの間で公に知られるようになりました。そして主にある兄弟たちの多くは,わたしが獄につながれたことのために確信を持ち,神のことばを恐れなく語る勇気をいよいよ示しているのです」。「すべての聖なる者たち,特にカエサルの家の者たちが,あなたがたにあいさつを送っています」― フィリピ 1:12-14; 4:22。
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世俗の仕事を持つ奉仕者たちものみの塔 1981 | 6月15日
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15 これらの人たちは,自分たちの状況がコリントにおける使徒パウロの状況に似ていることに気付いています。どのようにですか。
15 彼らは,自分たちの状況が使徒パウロの状況に似ていることに気付いています。パウロは1年半の間,ユダヤ人の信者であるアクラと共にコリントで天幕作りをして働きました。(使徒 18:1-11)今日,パウロを当時の“正規の奉仕者”の部類に入れる人もいることでしょう。
16 パウロがエルサレムに向かう途中でミレトスに立ち寄った時,自分の世俗の仕事について何と語りましたか。
16 パウロがエルサレムに向かう途中,小アジアのミレトスの港に立ち寄った時に語ったことも思い出されます。そこからパウロは人をやって,エフェソスの会衆の年長者たちつまり監督たちを呼んで来させました。パウロは彼らに,特に次のように語りました。「ですから,目ざめていなさい。そして,三年の間,わたしが夜も昼も,涙をもってひとりひとりを訓戒しつづけたことを覚えていなさい。……わたしはだれの銀も金も衣服も貪ったことはありません。この手が,わたしの,そしてわたしとともにいる者たちの必要のために働いたことを,あなたがた自身が知っています。わたしは,このように労して弱い者たちを援助しなければならないこと,『受けるより与えるほうが幸福である』とのことばを覚えておかなければならないことを,すべての点であなたがたに示したのです」― 使徒 20:31-35。
17 (イ)パウロは時々世俗の仕事で働くことによって,自分の奉仕の務めを軽視していましたか。それともそれについてはどんな意図がありましたか。(ロ)神殿の従者の例から分かるように,当時の献身した他のクリスチャンたちが世俗の仕事を持つ奉仕者であったかどうかについて何と言えますか。
17 一時的に世俗の仕事を持ち,賃金を得るための仕事をして働いたからと言って,パウロは王国に関する自分の奉仕の務めを軽視していた訳ではありません。パウロは宣べ伝えて教える自分の仕事が,聞く人や学ぶ人に金銭的な負担をかけるものとならないように物事を取り決めました。そのようにしてパウロは,確かに,自らの教育的な業が金もうけのための商売であるという非難を受けないようにしました。(コリント第一 9:13-18)この場合でもパウロは,「わたしは……自分のこの奉仕の務めを栄光あるものとする」という自分の言葉どおりのことを確かに行なっていました。(ローマ 11:13)パウロが,自活するために世俗の仕事を持つ奉仕者であったことは,パウロが王国に関する奉仕の務めにおいて純粋で利他的な動機を持っていたことを証明しています。
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