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聖書時代の使者ものみの塔 1967 | 1月15日
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人はこの道理のとおった願いを拒絶してイスラエル人の通過を認めず,むしろ軍隊を差し向けて,その通過を妨げようとしました。しかしその使者に危害を加えたとは示されていません。使者はモーセのもとに帰り,エドム人がその願いを拒否した旨を彼に伝えました。そこでモーセはイスラエル人を連れてエドム人の領土の外側を通過したのです。
また使者は,相手国に対する挑戦や戦宣布告をするためにも用いられました。たとえば,ユダの王アマジヤはイスラエルの王ヨアシに戦いをいどむために使者を派遣しました。(列王下 14:8)アッシリアのセナケリブ王はエルサレムのヒゼキヤ王に戦宣を布告する使者のひとりとしてラブシャケを用いました。アッシリアの宮廷においては「ラブシャケ」という称号は「しゃく取りの長」を意味していました。アッシリアの王はこのような高官を王自身の使者あるいは使節としてヒゼキヤ王に差し向けたのです。このアッシリアの使者が誇り高ぶって語ったにもかかわらず,アッシリアの軍隊はエルサレムの都を取ることには失敗しました。と言うのは,エホバ神は,一夜のうちにアッシリアの兵士18万5000人を殺して,ご自分の民のために戦われたからです。―列王下 18:19; 19:35。
クリスチャンの使者
クリスチャン・ギリシャ語聖書中で「使者」ということばはキリストの油そそがれた追随者に関連して象徴的な意味で用いられています。キリストは神の御国の使者となられたので,キリストの追随者としてその御国の音信を国々の民に宣明する人々も使者と呼ばれています。しかし王の公式の使者とは異なって,彼らは政府の責任者に特別に遣わされているわけではありません。彼らが携えている知らせは,すべての人が神のみ子イエス・キリストを通して,天の王エホバ神との友好関係にはいれるように計らう和解の音信です。
キリストに従う油そそがれた者について,イエス・キリストの使徒パウロはこう述べました。「神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから,わたしたちはキリストの使者なのである。そこで,キリストに代って願う,神の和解を受けなさい」。(コリント第二 5:20)この勧めに従って神のみ子を通してエホバ神と和解する人々は,来たるべき全能の神の大いなる日の戦いの際に,神とキリストとの敵にならないで済むでしょう。(黙示 16:14,16)このようにして,キリストに従う油そそがれた者たちは,王であられるエホバ神の使者としての務めを今日果たしているのです。
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読者からの質問ものみの塔 1967 | 1月15日
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読者からの質問
● ものみの塔協会の出版物の中で,聖書の解釈の変化することが時々あります。私たちの信じていることは「真理」と考えられていますが,「真理」は変化するのでしょうか。―アメリカの一読者より
聖書と一致した信条が「真理」であることは,聖書そのものの中に述べられています。ペテロの第二の手紙 2章2節で,そういった信条に基づいた崇拝は,「真理の道」と呼ばれています。しかし,箴言 4章18節は「真理の道」について次のように述べています。「正しい者の道は,夜明けの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる」。それで,私たちはすべてのことを知りつくしているのではありません。ハルマゲドン後の事物の制度になっても,すべてを知ることはできないでしょう。私たちは永遠に学ばねばならないのです。このことは,使徒パウロの書いたローマ人への手紙 11章33節からもわかります。「ああ深いかな,神の知恵と知識との富は。そのさばきはきわめがたく,その道は測りがたい」。
それで時々見解が変わってもそれは考えられることです。私たちの基本的な信条は,聖書の真理であっても,細い点では以前完全に理解できなかった事柄があります。エホバの霊の助けにより,時たつうちにこのような問題は明らかにされます。
たとえば,二,三年前「上なる権威」に関する良い記事が「ものみの塔」誌に連載されました。(1962年,11月15日-12月1日号)この記事
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