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なぜ「服する」のですかものみの塔 1980 | 8月15日
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神の言葉聖書の中で何度も繰り返されている多くの命令の一つに,「服しなさい」という命令があります。ローマ 13章1節は,「すべての魂は上にある権威[すなわち政府]に服しなさい」と述べています。
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なぜ「服する」のですかものみの塔 1980 | 8月15日
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それは治める人つまり率先する人と服すべき人とがいるという意味にほかなりません。なぜそう言えるのですか。なぜなら,人はだれも自分独りでは存在できないからです。人はみな,自分が何らかの形で提供できるものと引き換えに,物品やサービスという形で他の人から提供されるものを必要としています。それには組織が要ります。組織が機能するには意見の一致がなければならないだけでなく,認められた権威がなければなりません。国家・州・郡・市・村はいずれも,治める人だけでなく治められる人,つまり服する人がいなければ成り立たない政治的な組織です。世俗の分野であれ宗教の分野であれ,また公の事柄であれ家庭内の事柄であれ,人間の他のほとんどすべての活動分野においてもこの原則はあてはまります。
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なぜ「服する」のですかものみの塔 1980 | 8月15日
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政府に服する
今の人間社会においては,人々が文化生活を営むために,また,地方的な規模で,あるいは全国的な規模で政府から提供される数多くのサービスを享受することはもとより,ある程度の安全を享受するには,政府が必要とされます。したがって,政府がその目的を果たすには,治められている人々の側に進んで従う気持ちが少なくとも従順さがなければならないということになります。それゆえ,神の言葉はクリスチャンに,「服しなさい。神によらない権威は存在しないからです」と命じているのです。ですから,クリスチャンは,税金を納め,交通規則を守り,その他の義務を果たすなど国の法律に良心的に従わねばなりません。そうしたことはすべて,平和と秩序の維持に役立ちます。―ローマ 13:1-7。
しかし,聖書の他の箇所によれば,政府への服従は絶対的なものではありません。「それでは,カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」といった聖書の他の命令からも,政府への服従が条件つきのものであることは明らかです。また,「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」という命令もあります。お分かりのように,今の事物の体制の政府に「服しなさい」という命令は絶対的なものでなく,神の直接の命令に反しない限り,という条件のついた相対的なものなのです。―マタイ 22:21。使徒 5:29。
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