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「互いを迎え入れなさい」ものみの塔 1981 | 9月15日
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たのは割礼を受けたユダヤ人でした。神は彼らの先祖を通して特別な約束を交わしておられました。しかし神がこうした道を選ばれた結果及ぶ益は,厳密に言って生来のユダヤ人すなわちヘブライ人だけに限られているわけではありません。ではそのことについて不平を述べる正当な根拠があるでしょうか。全くありません!
14 そのため,天からの神のみ子はどんな種族の人間になる必要がありましたか。そして自分と同じ種族の人々から,み子はどのような扱いを受けましたか。
14 神がそれ相当のふさわしい人々と,その人々の生来の子孫つまりユダヤ人に関して破れることのない約束を交わされたということを決して忘れてはなりません。したがって,神のみ子は天のみ父のこれらの約束を果たすために天から下って来なければなりませんでした。そのためみ子は,多くの国々から憎まれていた人種,神が国家的な契約を結ばれた民の一員として生まれる必要がありました。それでも,ユダヤ人としてさえ,神のみ子は仲間のユダヤ人の大多数からは受け入れられませんでした。その点について,神のみ子の地上での生涯に関して書き記したある人は,「彼は自分のところに来たのに,その民は彼を迎え入れなかった」と的確に記しました。―ヨハネ 1:11。
15 イエスはナザレでどんな種類の仕事をしましたか。そうすることにより,イエスは「割礼を受けた者たちの奉仕者」として仕えていたのですか。
15 それで,生来のユダヤ人だけで構成されていたわけではないローマの会衆のクリスチャンに対し,ユダヤ人の使徒パウロはこのように書きました。「わたしは言いますが,キリストは実に,神の真実さのために,割礼を受けた者たちの奉仕者となり,こうして,神が彼らの父祖になさった約束の真実さを証拠だて,諸国民がそのあわれみのゆえに神の栄光をたたえるようにされたからです」。(ローマ 15:8,9前半)発育期にあったイエスはガリラヤのナザレで,養父つまり割礼を受けたユダヤ人ヨセフの家で大工の仕事を学ばれました。ユダの部族に生まれたので,イエスは祭司の家系,つまり神殿のレビ人の部族に属していたわけではありません。血筋から言うと,イエスはエルサレムの神殿の僕たちの立場を得ることはできませんでした。しかし神のみ子イエスは,単に大工として仕え,死ぬために地上に来られたのでしょうか。そうではありません。ですから,イエスが「割礼を受けた者たちの奉仕者」となられることには,養父ヨセフと同じ大工になること以上の意味があります。
16 大工としてナザレの町の人々に仕える以上のことをするため,イエスは何を行ない始められましたか。
16 もしイエスがその生涯中に,ナザレでの大工の仕事以上のことを行なわれなかったとしたら,予告されていた奉仕の務めを実践できなかったに違いありません。そのため,天のみ父であられるエホバ神は,イエスがナザレの町の人だけではなくその国民全体の「割礼を受けた者たちの奉仕者」となるよう,新しい事をイエスに行なわせられました。そういうわけで30歳の時を最後に,イエスは大工の職を離れました。
17 バプテスマを受けて油そそがれたあとのイエスの業と,神殿のユダヤ人大祭司の奉仕とを比べてみるとどんな事が分かりますか。
17 イエスは,レビ人であるバプテスマを施す人ヨハネから水のバプテスマを受け,神の聖霊によってバプテスマを受けたあと,どんな種類の業を開始されましたか。それは,エルサレムにおける真の神の「奉仕者」であった神殿の祭司やレビ人の仕事よりも劣るものでしたか。事実に通じている人であれば,イエスは単なる宗教的職業ではなく公の奉仕,つまり「奉仕の務め」を始められたことを認めるでしょう。聖書の英国改正訳は適切にも,そのことを次のように表現しています。「キリストは,神の真理のため,割礼の奉仕者とされた。それは父祖たちに与えられた約束を確証するためである」。(ローマ 15:8。ジェームズ王欽定訳もご覧ください。)間違いなくイエスは,国家的な奉仕を行なっておられたのであり,人間ではなく宇宙の主権者であられる神の任命によって,聖職者といえる職務に携わっておられたのです。イエスが地上での仕事を替えたあとに行なわれた事は,エルサレムのユダヤ人大祭司の宗教的な奉仕よりもはるかに重要なものでした。
18 地上のどの国からも「奉仕者」としては認められなかったとはいえ,イエスが「奉仕者」として仕えたのは「割礼を受けた者たち」であったと言えるのはなぜですか。
18 イエス・キリストはエルサレムの神殿で何らかの宗教的な奉仕を行なって,そこの祭司やレビ人たちと競い合ったりすることはできませんでしたが,同じように,ローマやアテネなどにあった非ユダヤ人の国民の神殿で宗教的な奉仕を行なうことももちろんできませんでした。またそうしようともされませんでした。それでもイエス・キリストは,神の真実さのために「割礼を受けた者たちの奉仕者」となる務めを負っておられました。なぜそう言えますか。「神が彼らの父祖[異邦人ではなくヘブライ人]になさった約束の真実さを証拠だて」なければならなかったからです。例えば,彼らの「父祖」であるアブラハムは3人の女性によって多くの息子たちをもうけましたが,神はアブラハムとの約束を受け継ぐ人として,アブラハムの最初の妻サラから生まれたひとり息子,すなわちイサクを選ばれました。次にイサクは双子の息子をもうけましたが,神はそのうち年下のヤコブ,のちにイスラエルとなった者を選び,地上のすべての国の人々が祝福を受ける基となる「胤」に関するアブラハムの約束を受け継がせました。やがてヤコブの12人の息子たちはイスラエルの12部族を生み出し,神はモーセを仲介者として,一国民としての彼らと国家的な契約を結ばれました。
19 イエスがレビ族の一員として生まれなかったのはなぜですか。イエスが地上に来ることをだれが,またどこで迎え入れましたか。
19 その後,イスラエル国民がエホバの目に見える代表者として人間の王を持つことを選んでから,神はユダ族のダビデ王に対し王に関する約束をなさいました。そのため,約束のメシアつまりキリストはダビデの家系に生まれなければなりません。そういうわけで,イエスはダビデの故郷ベツレヘムで,ユダヤ人の処女マリアから,ダビデの後継者として生まれたのです。天のみ使いたちはイエスを地上に迎え入れました。こうして天からの神のみ子はどうしてもユダヤ人として生まれなければならなくなりました。み父である神の破れることのない約束は確証される,つまりその正しさが証明されなければなりませんでした。神はご自身が偽り者として証明されることをお許しになりませんでした。
20 イエスは「割礼を受けた者たち」の一人となられましたが,非ユダヤ人の国民にどんな事が起こることになっていましたか。なぜですか。
20 イエスは心から喜んで天のみ父と協力されました。こうしてイエスは「実に……割礼を受けた者たちの奉仕者とな(られ)」ました。彼らと同じように割礼を施されたのです。イエスが死んで復活されたあとの3年半の期間は,割礼を受けたユダヤ人に特別な恵みが示されました。それでも,無割礼の異邦人,つまり非ユダヤ人がエホバの神権組織に迎え入れられる時が来ようとしていました。これは,人間に対するエホバの破れることのない,約束の確かさを裏付けるものとなるはずでした。
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「諸国民よ,彼の民とともに喜べ」ものみの塔 1981 | 9月15日
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「諸国民よ,彼の民とともに喜べ」
1 今なおモーセの律法を守っているユダヤ人たちはなぜ,諸国民が,「彼の民とともに喜べ」,と求められているその「彼の民」ではないのですか。
諸国民すべてが,「彼の民とともに喜べ」,と求められているその「彼の民」とは一体だれでしょうか。(ローマ 15:10)それはユダヤ人の民ではありませんでした。今なおモーセの律法を守ろうとする生来のユダヤ人は,西暦70年以来1,900年にわたって憎まれ,迫害されてきまし
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