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内なる良心の声ものみの塔 1975 | 7月15日
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エジプト人も,世界中の人々と同じく,姦淫が道徳上の重大な罪であることに気づいていました。彼らの最古の宗教書は,最後の審判と「心臓」を量ることとを関連させています。そして人はどんなことに関して裁かれたでしょうか。古代エジプトの「死者の書」は,故人が,『わたしは盗みませんでした。わたしは人を殺しませんでした。わたしはうそを言いませんでした。わたしはどの男の妻も犯したことはありません』と言って,自分の無罪を断言するところを描写しています。ですから彼らは良心の導きによって,姦淫が悪であることを自覚していたにちがいありません。
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内なる良心の声ものみの塔 1975 | 7月15日
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罪を犯したあるバビロニア人の祈りを記した古代のある楔形文字の書板も,打撃を受けた良心が同様の結果を示すことを示しています。彼は,「わたしの胸が鳴りひびく笛のように苦情を言うので」お聞きとどけください,と自分の神に懇願しています。
12 (イ)それで,使徒パウロが指摘したように,良心の機能についてどう結論するのは正しいと言えますか。(ロ)すべての人が良心を示しますか。
12 以上のことはすべて,わたしたちが,アダムから知性と道徳的感覚を受け継いでいるゆえに,良心を持っていることを示しています。したがって,神より与えられたモーセの律法については何も知らなかった諸国民でさえ,盗み,うそをつくこと,近親相姦,殺人,姦淫などを禁じていました。そうです,「律法を持っていなくても」,彼らは「生まれながらに律法中の事がらを行なう」のです。使徒パウロは,彼らの道徳的規準の基礎となっているものを強調してこう言っています。「その良心[ギリシャ語,スネイデーシス]が当人とともに証しをし,自らの考えの間で,あるいはとがめられ,あるいは釈明されさえしているのです」。(ローマ 2:14,15)神から授けられた良心という機能が極めて普遍的であるために,ある百科事典は,「良心が現実のものと認められない文化は,いまだかつてあったためしがない」と述べています。そして「良心がない」ように見える個人について,ジオフレー・スチーブンソン博士は,「それは,正真正銘の狂気か精神異常と考えられた。一部の人々は今でもそのように考えている」と書いています。―テトス 1:15と比べてください。
良心 ― その働きと訓練
13 わたしたちには良心がある,ということを知るだけでなくそれ以上のことが必要なのはなぜですか。
13 それではわたしたちは,「生まれながらに律法中の事がら」がひとりでに行なえるのでしょうか。そうではありません。ほかにも必要なことがあります。良心の真の源と,人にこの精神能力がある理由とを理解していても,ただそれだけで,良心から十分の益を確実に受けるわけではありません。古代のエジプト人も,良心の働きがはっきり認められる一定の道徳規準を有していたことを思い出してください。しかし,それだけで十分でしたか。良心があるということだけでエジプト人は,すべての間違った事柄から守られましたか。彼らが忌むべき動物崇拝を行なって,「創造したかたより創造物をあがめてそれに神聖な奉仕をささげ」たことは,ある程度の良心があるだけでは不十分だということを証明しています。(ローマ 1:20-25)したがってわたしたちは,自分に良心があるということだけでなく,それ以上のことを知る必要があります。良心はどのように働くか,どうすれば訓練できるか,日常生活の中でそれを働かせることに関し神はなんと言っておられるか,などについて知っている必要があります。
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