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迫害に遭っても喜びを抱いて忍耐するものみの塔 1982 | 7月15日
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「患難にあっても歓喜しましょう。患難が忍耐を生じさせることをわたしたちは知っているからです。
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迫害に遭っても喜びを抱いて忍耐するものみの塔 1982 | 7月15日
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3 (イ)ローマ 5章3節に記されているように,患難はどのように忍耐を生じさせますか。(ロ)これはどのように,わたしたちの信仰を強める結果となりますか。(ヘブライ 10:38,39)
3 仲間のクリスチャンたちが幾つかの場所で経験している迫害について読む時,「自分だったらそうした迫害を耐え忍ぶことができるだろうか」と思うかもしれません。しかし同時に,反対や試練が突如わたしたちの身に生じ,神に仕えることをやめたりそこから手を引いたりするのではなく,助けを神に仰ぐ時,神がわたしたちの祈りに答えてくださることを知り,どのように患難が忍耐を生じさせるかを経験します。それからはもう,それに耐えられるかどうかという疑念を抱くことはありません。エホバの力においてそうできることをわたしたちは知っているのです。最初の試練がそれほど厳しいものではなかったとしても,やはりわたしたちの信仰は試され,その信仰はその試練ゆえにより強いものとなるのです。次の試みはより厳しいものかもしれませんが,わたしたちの信仰は以前の試みからしりごみすることがなかったために,その分だけ強いものになっています。ですから,神はわたしたちが耐えられる以上に誘惑されるままにされたり,わたしたちを『見捨てられた』ままにさせたりはしない,と分かっているので,わたしたちは実際にエホバの力においてどんな信仰の試みにも立ち向かうことができます。―コリント第一 10:13。コリント第二 4:8-10。
4 誘惑や迫害を首尾よく忍耐した後に,わたしたちは喜ぶべきどんな真の理由を持つことになりますか。
4 患難を忍耐することは,確かに歓喜の理由となります。誘惑に屈することなく正しい事にしっかり付き従ったことを喜ぶことができます。わたしたちが知る通り,これは神が是認されることであり,それゆえに首尾よく忍耐するなら,ヤコブ 1章12節に明確に述べられているように,神に一層近付くようになり,そのことは喜ぶべきさらに別の理由となります。
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