新世社会内の結婚
「人は父と母を離れて,妻と結び合い,一体となるのである」― 創世 2:24。
1 初めの結婚の様子を述べなさい。
世に呼ばれる「文明のゆりかご」のどこか,恐らくは今日アルメニヤと呼ばれる地方に,かつて壮麗な庭園がありました。人類と結婚とはそこに始まりを得ました。時間の頁をめくり返し,初めの男と女,アダムとエバのすまいとなった楽園に目をやることが出来るなら,私たちはどんなにか美しい光景を見るでしょう。人の生活に必要なもの,人の生活を楽しくするもの,すなわち水の流れと,葉を豊かに繁らせた木立のある,静かで,ここちよい庭園に一組の夫婦が共にいました。あたりには各種の動物が遊び,頭上には優美な小鳥が飛びました。人の生活をおびやかし,それをそこなうものは何もありません。水の中には水の動物がいました。しかし,すべてにまさるものとしてアダムとエバがそこにおり,二人は喜びのうちに互いに助け合って子供を生み,子孫を地上に住まわせて楽園のすまいを全地に広げることができました。和合した完全な男女は,天の父エホバの祝福を受けつつ,『ふえて地に満ち,地を従わせる』ことができました。―創世 1:26-28。
2 結婚したクリスチャンはどのようにして問題を乗り越えますか。
2 楽園が失われてからすでに久しく,今日の男女はこの完全な状態から遠く離れています。(ロマ 5:12)しかし,「人はその父と母を離れて,妻と結び合い,一体となるのである」との言葉は多くの人に真実となってきました。(創世 2:24)たしかに,不完全な人間には幾多の問題がありました。しかし,神のことばを持ち,それを心におさめたクリスチャンはそうした問題を乗り越えることができます。詩篇記者ダビデも言いました,「〔エホバ〕は恵みふかく,かつ正しくいらせられる。それゆえ主は道を罪びとに教え,へりくだる者を公義に導き,へりくだる者にその道を教えられる。〔エホバ〕のすべての道はその契約とあかしとを守る者にはいつくしみであり,まことである」。―詩 25:8-10,〔文語〕。
結婚した者として自分の務めを果たす
3 (イ)ある者は自分の妻をどのように扱いますか。クリスチャンの夫はどうしますか。(ロ)クリスチャンの妻は何に従いますか。
3 夫と妻の双方が結婚関係にある者として各自の立場を十分に認識するなら,多くの問題は容易に克服できるでしょう。みことばにしるされるエホバのあかし,すなわちさとしは,夫と妻のそれぞれの立場と責任を明らかにしています。夫である者に対して使徒パウロは書きました,「夫たる者よ,妻を愛しなさい。つらくあたってはいけない」。(コロサイ 3:19)自分の妻に君臨し,思いやりのない言葉と行いをほしいままにする男子が多くいます。真のクリスチャンであるなら,そうであってはなりません。またクリスチャンの男子は,女性を過度にほめたたえ,祭り上げるようなこともしません。クリスチャンの婦人もそれを期待すべきではありません。むしろ婦人は,「妻たる者よ,夫に仕えなさい。それが,主にある者にふさわしいことである」と述べた霊感による使徒の言葉に従います。(コロサイ 3:18)結婚によってむすばれた男と女がエホバのさとしに心をとめるなら,問題は減り,幸福は増すでしょう。
4 古代イスラエルには自分の妻を裏切る者もありましたが,クリスチャンの夫はどのように行動しますか。
4 エデンの園で罪人エバに宣告した時,神はこう言われました,「あなたは夫を慕い,彼はあなたを治めるであろう」。(創世 3:16)この言葉は真実となってきたではありませんか。不完全な夫は妻に対して力をふるい,時には過酷に,また残酷になりました。もとよりこの言葉は,妻をしいたげることを夫に許すものではありません。クリスチャンの夫たる者はすべて,「自分の妻を,自分のからだのように愛」すべきことを知らねばなりません。(エペソ 5:28)古代イスラエルには,自分の妻を不誠実にあしらい,あきると離縁する者もありました。しかしエホバは言われました,「あなたがたはみずから慎んで,その若い時の妻を裏切ってはならない。……わたしは離縁する者を憎み」。クリスチャンの夫であれば決してそうしたことをしないでしょう。事実,クリスチャンであれば,「みずから慎んで,裏切ることをしてはならない」とのエホバのさとしに従うゆえに,どんな方法であっても自分の妻を裏切ることはありません。―マラキ 2:13-16。
5 クリスチャンの夫は家族のかしらとしてのつとめをどのように果たしますか。
5 あなたはクリスチャンの夫ですか。それでは,かしらとしての善良な資質を示さねばなりません。愛と思いやりを持ち,決して過酷に,また尊大に振舞ってはなりません。自分の権威を押し通すために妻に無理な要求をしてはなりません。妻の問題を思いやりなさい。家庭内の問題については,すべての事実を考慮したのち,家族のかしらであるあなたが決定しなければなりません。夫は,エホバの助けを得て,家族全体の霊的な面が満たされるように絶えず心を配るでしょう。一つの事を忘れてはなりません。すなわち,良くても悪くても家庭の霊的な状態はあなたが預っているのです。必要なのはあなたが愛の心で導くことです。妻や子供たちはあなたに従うべきですが,恐れの気持でそうすべきではないからです。すべての者はエホバを恐れるべきです。いかなるクリスチャンも,「〔エホバ〕を恐れることは知恵のはじめ」であり,『愛が人の徳を高める』ことを忘れてはなりません。―詩 111:10。コリント前 8:1,〔文語〕。
6 クリスチャンの妻はどのようにして結婚の喜びを増すことができますか。そのよう婦人について聖書は何と言っていますか。
6 あなたはクリスチャンの妻ですか。それなら,結婚の喜びを増すためにどれだけ多くの事ができるかを考えてごらんなさい。あなたはやさしく,同情心に厚く,愛の深い人になれるのです。箴言 12章4節はこう書いています,「賢い妻はその夫の冠である,恥をこうむらせる妻は夫の骨に生じた腐れのようなものである」。あなたは夫に恥をこうむらせようとは思わないでしょう。婦人が賢く,従順な妻となり,勤勉で,エホバを愛する者となるのはほめるべきことであり,そうした婦人は夫からも,他の人々からも賛称をあびるでしょう。忠節に夫をささえ,良い時にも悪い時にも夫と協力して敬虔に歩む,従順で忠実なクリスチャン婦人は多くいます。あなたもそうした婦人の一人なら,次の言葉に価するでしょう。「りっぱに事をなし遂げる女は多いけれども,あなたはそのすべてにまさっている……。あでやかさは偽りであり,美しさはつかのまである。しかし〔エホバ〕を恐れる女はほめたたえられる。その手の働きの実を彼女に与え,その行いのために彼女を町の門でほめたたえよ」。―箴言 31:29-31,〔文語〕。
7,8 (イ)使徒パウロはコリント前書 7章3-5節でどんな助言を与えましたか。(ロ)夫婦関係においてどのように思いやりを示せますか。
7 結婚の幸福を長く保つためには,聖書に示されるエホバのさとしを尊重せねばなりません。夫も妻も自分の分を果たし,各自の役割を全うせねばなりません。結婚生活には二人が愛と理解を働かさねばならない特別の面があります。その点につき使徒パウロは書きました。「夫は妻にその分を果し,妻も同様に夫にその分を果すべきである。妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である。互に拒んではいけない。ただし,合意の上で祈に専心するために,しばらく相別れ,それからまた一緒になることは,さしつかえない。そうでないと,自制力のないのに乗じて,サタンがあなたがたを誘惑するかも知れない」。―コリント前 7:3-5。
8 配偶者のからだを自由にすることが許されているとは言ってもクリスチャンは親密な事柄において一切の拘束を取り払ってよいという意味ではありません。夫は自分の妻を思いやるべきであり,妻は夫を引きつける自分の力を自分本位に用いてはなりません。みことばの中でエホバは女性の弱さを思いやっておられますから,クリスチャンの夫も同じようにすべきです。夫は妻のからだに変化と周期のあることを忘れてはなりません。夫は知識に従って妻と共に住み,弱い器として妻を扱わねばなりません。(レビ 18:19。ペテロ前 3:7)結婚関係における調和と,相互に対する思いやりとが,あなたの結婚生活を幸福にするでしょう。
「神が合わせられたもの」を守る
9,10 (イ)夫婦間に問題が起きた時,別居が唯一の答えでないのはなぜですか。(ロ)別居を考えさせるどんな事態がありますか。そのような場合でもどんな見方をすべきですか。
9 不完全な人間同志として,夫婦の間にも時に大きな問題が起き,離別を考えねばならない場合もあります。しかし,イエス・キリストはこう言われました,「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ,そして言われた,それゆえに,人は父母を離れ,その妻と結ばれ,ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや,ふたりではなく一体である。だから,神が合わせられたものを,人は離してはならない」。それゆえ,「神が合わせられたもの」を守るためにまじめな努力をしなければなりません。そして,夫婦間になにか問題が起きても,性急に離別を求めてはなりません。むしろ,結婚の日の事を考え,二人が得た喜びを振りかえるほうが賢明です。愛の心で見ることができるなら,問題は解決できるのです。―マタイ 19:4-6。
10 聖書は結婚した者が分かれないことをすすめているのです。パウロはその点をこう述べました。「ある兄弟に不信者なる妻ありて,ともに居ることをよしとせば,これを去るな。また女に不信者なる夫ありてともに居ることをよしとせば,夫を去るな。妻よ,なんぢいかで夫を救ひ得るや否やを知らん。夫よなんぢいかで妻を救ひ得るや否やを知らん」。(コリント前 7:12-16,文語)この言葉から明らかなこととして,問題がとくに大きい場合でないかぎり,クリスチャンは配偶者と分かれることを考えてさえなりません。極度の身体上の虐待や生命の実際の危険がある時,また霊の思いが絶対に危険にされた場合にはじめて,別居が考慮の対象となるでしょう。しかしこのような場合においてさえ,円熟したクリスチャンであれば別居をまっさきに考えることはありません。
11 (イ)別居が問題になるなら何をすべきですか。(ロ)別居そのものにどんな問題の伴うことがありますか。
11 結婚のきずなを守るために熱心に努力しなければなりません。それゆえ,別居を考えるような事態に臨むなら,エホバに頼らねばなりません。祈りつつ,問題をあらゆる面から考えるべきです。「常に祈りなさい」。(ロマ 12:12)重荷をエホバにゆだねなさい。エホバが必ずあなたをささえ,導かれます。(詩 37:5)祈りに加え,きずなを守るために熱心に働きなさい。子供の世話,生活資金,すまいなど,別居そのものに予期しなかった問題の伴うことを見落してはなりません。あなた自身の身体的,また感情的な要求をも無視してはなりません。興奮して争っている時にこれらは小さく見えるかも知れませんが,別居の生活が始まってのちに大きな問題となってくるのです。自ら選んだ別居の苦境にあって欲情に屈し,不道徳な行為に陥るなら,恐ろしい結果を招いたことになりませんか。
12 緊張した事態に臨む時,人はどのように自問すべきですか。
12 緊張した関係のときに別れることを避けるため,あなたの相手ではなく,あなた自身をよく調べてごらんなさい。このように自問してごらんなさい。この結婚を守るために自分は何をしているだろうか。自分は思いやりに欠けたところがないだろうか。自分は本当に神の御霊の実を示しているだろうか。考えてごらんなさい,御霊の実の中には愛と自制があるのです。(ガラテヤ 5:22,23)相手が怒っている時にあなたは自制していますか。あるいは,小さな事を取りたてて問題にしますか。もしそうなら,すぐにやめねばなりません。それによって結婚が守られるかも知れません。問題を取除くために自分が最大の努力をしていること,また自分の生活がエホバの霊に導かれていることを確かめねばなりません。
13 夫婦の双方がエホバに献身している場合に,別居が賢明でなく,また必要でないのはなぜですか。
13 悲しいことに,夫婦の双方がエホバに献身しているところに緊張した事態の起こることもあります。このような場合に別れることはいよいよ賢明でなく,また必要でありません。献身したクリスチャンの夫婦は自分たちの問題を愛のうちに解決できるはずです。そして,どうしてできないことがありますか。「愛はいつまでも絶えることがない」。(コリント前 13:8)家庭的な問題に不一致の点があるならば,普通は二人が問題を扱うだけで十分です。イエスは言われました,「もしあなたの兄弟が罪を犯すなら,行って,彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら,あなたの兄弟を得たことになる」。(マタイ 18:15)試みさえするならば,献身したクリスチャンであるあなたの夫または妻を得ることができるのです。
14 どんな道を取るべきですか。問題を話し合うにあたり,どんな手順がすすめられていますか。
14 このためには問題を話し合うことが必要です。それゆえ,聖書および「ものみの塔」などのクリスチャンの出版物に従って問題を考えてごらんなさい。一緒にすわりなさい,聖書を手に持ちなさい,そして冷静に問題を話し合ってごらんなさい。正直になり,すすんで自分の弱さや誤ちを認めなさい。妻として,従順さに欠けた点があったかも知れません。夫として,思いやりの足りないところがあったかも知れません。多くの人にとって「ものみの塔出版物索引」は,「ものみの塔」その他のクリスチャン出版物の中から類似の問題を扱った記事をさがすのに役立ちました。おそらく,家庭における夫と妻と子供それぞれの立場を考えて見るのが有益でしょう。「幸福な家庭を築く」と「幸福な家庭における妻と子供の役割」という記事をのせた1963年1月15日号の「ものみの塔」はいかがですか。また,1963年12月15日号にある「結婚の絆が切れそうな時」と題する記事も見落してはなりません。これらの「ものみの塔」誌を持っていないなら,エホバの証人の御国会館で手に入れることもできるでしょう。一晩か二晩をかけてこれらの記事を一緒に読んでごらんなさい。エホバのさとしに従うことを忘れてはなりません。それでもなお別れたいと思いますか。そのようなことはないでしょう。
15 祈りはクリスチャン夫婦をどのように和合させますか。
15 しかしこれだけでなく,他にも大切な事があります。共に祈るならクリスチャンである二人は互いに近づけられるでしょう。何世紀も昔,ダビデは謙そんに,また熱心にエホバに祈りました。「神よ,どうか,わたしを探って,わが心を知り,わたしを試みて,わがもろもろの思いを知ってください。わたしに悪しき道のあるかないかを見て,わたしをとこしえの道に導いてください」。(詩 139:23,24)こうした熱心な願いをしてはいかがですか。問題について一緒にエホバに祈ったのちに,冷淡で,荒々しい態度を取れますか。たしかに祈りはあなたがた二人を結ぶでしょう。謙そんな心で,そしておそらくはひざまずいて,自分の心をエホバの前に広げたのではありませんか。しかもそれを二人で一緒にしたのではありませんか。それでは,どうしてその祈りに逆らって行動できますか。まずそんなことはできません。
不信者の配偶者を助ける
16,17 結婚したクリスチャンが分裂した家族にあって苦難に耐えるなら,どんな結果もありますか。例をあげなさい。
16 信仰の面で分離した家族にあっては時に苦難に立たねばなりません。また正面からの反対を受けることもあります。(マタイ 10:32-39)しかし,神の国のためにこれに耐えるなら,夫を,あるいは妻を動かして真のクリスチャンとすることができるかも知れません。クリスチャンの使徒ペテロは書きました,「同じように,妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば,たとい御言に従わない夫であっても,あなたがたのうやうやしく清い行いを見て,その妻の無言の行いによって,救いに入れられるようになるであろう」。(ペテロ前 3:1,2)これは実際に起こるのです。どんな例がありますか。
17 モロッコの西方,大西洋のマデイラ島に,この言葉の真実さを実証したクリスチャン婦人がいます。彼女の場合に事態がどうなったか次の報告をお読み下さい。「彼女の家で〔聖書の〕研究が始まりましたが,彼女の夫がはげしく反対したため,これは大きな問題となりました。夫は研究をやめさせるためいろいろなことをしました。しかし,研究は続けられ,やがて婦人は集会に出席し,奉仕にも出かけるようになりました。真理に対する婦人の関心が高まると共に夫の反対も強くなり,婦人は夫との別居を決意するほどになりました。しかし,兄弟たちから,夫と共に住み,夫を真理に入れるためにペテロ前書 3章1,2節にある通りの模範的な妻になるようにとの助言を受けました。婦人はこれに従うと共に,エホバの助けと導きを絶えず祈りました。数ヵ月後,夫は突然に,エホバの証人が家に来て自分に聖書を教えてくれるようにと言いました。忍耐し,忠実さを守ったこの婦人は先日の大会で夫と共に浸礼を受け,今では二人そろって献身したエホバの証人となっています」。(1963年度エホバの証人の年鑑243頁)すばらしい結果ではありませんか。エホバのさとしを守ることによって,分離した家族にあっても決裂を避けることができ,時にはこうした喜ばしい結果も得られるのです。
18 (イ)不信者であっても信者となった者の配偶者には,クリスチャン会衆を強めるどんな力がひそんでいますか。(ロ)不信者であった者がキリスト教を受け入れるなら,その配偶者は信者としてどんな益を得ますか。
18 不信者ではあっても,すでに信者となった者の配偶者であれば,いつかクリスチャン会衆を強めるために働くようになるかも知れません。時おり,婦人が先に真のクリスチャンとなります。この場合には,その婦人の夫を助けてクリスチャンとするための機会が開けたことになります。やがて,こうした男子の中にも神に献身し,霊的な円熟を目ざして進歩する者が出て来るでしょう。エホバ神がご自身の民の仕事を栄えさせられるに従って,新しい会衆が建てられ,監督や補佐のしもべたちが新たに必要になります。やがて不信者であった夫がそうした立場を満たすようになるかも知れません。そして,以前には不信者であった夫が真のキリスト教を受け入れることによって,家族内での信仰上の不一致も克服されるでしょう。家族のきづなは強められ,かつては夫に反対されていた婦人も今度はその協力を得るようになるのです。これによって妻は自分の宣教をより良いものとし,また拡大することができるでしょう。また子供も益を受けます。それゆえ,信者の配偶者がまだ信者となっていないならば,是非ともその人を助けるべきです。もとより,男の場合にも,女の場合にもこれはあてはまります。
19 なぜ不信者の夫は自分が無視されていると感ずることがありますか。クリスチャンの妻はこの点について何ができますか。
19 あなたの配偶者が今不信者であっても,クリスチャンであるあなたはその人に愛の負債をおっている事を忘れてはなりません。(ロマ 13:8)ラハブを覚えておられますか。イスラエル人がエリコに向かって進軍した時,ラハブは自分の家族を救うために家族の者を自分の家に集めねばなりませんでした。(ヨシュア 2:17-21)この終わりの時代にあって,あなたも同じような事が出来るかも知れません。それゆえ,不信者の配偶者を助けてクリスチャンとならせることを目ざして働きなさい。不信者であるかのように見えても,実際には真のキリスト教に反対していない場合がよくあります。そうした人たちはただ誤解していることがあります。信者となった妻は自分の夫をおろそかにしていなくても,夫はそう感じているかも知れません。妻はクリスチャンの集まりに行き,宣教奉仕をしますが,夫はこれに加わっていません。以前には大抵のことを二人で一緒にしました。しかし今,妻は思いやりをこめ,家庭のつとめをよく果たしていても,不信者の夫は事情が以前と異なるのを知るでしょう。この点をなんとかできますか。あなたの夫に普通以上の愛と思いやりをそそぎなさい。もし彼が真のキリスト教に関心を持ち始めるならら,あなたは喜ぶに違いありません。一切をつくし,深い親切と理解をもってあなたの夫を扱いなさい。―コロサイ 3:12。
20 不信者の夫と友好的な間がらになるためにどんな機会を作れますか。
20 クリスチャン夫婦の訪問が不信者に良い印象を与えることもあります。訪問したクリスチャンの夫がその不信者と真に親しい間がらを築けるかも知れません。たとえば,不信者の配偶者を持つ信者が病気になった時に,献身した夫婦がそこをたずねて,クリスチャンとしての心づかいを示せます。あるいは不信者が病気になる場合もあります。クリスチャンがその人にも心づかいを示せたらすばらしいではありませんか。たしかにそうです。それでは,事情が許すなら,そうした場合に不信者をたずね,助けることはいかがですか。このほかにも援助の機会を求めてはいかがですか。こうして聖書の慰めと励ましとをさしのべることができるでしょう。こうした聖書の言葉はかつては応じなかった耳と心にも感謝をもって迎えられるでしょう。
21 不信者の夫と聖書について話し合う機会ができるなら,クリスチャンはどのような態度で話を進めるべきですか。
21 聖書について話し会う機会が来たらどうしますか。不信者と議論を始めてはなりません。彼が話すにまかせなさい。これによってあなたはどのように助けたらよいかを知るでしょう。彼の立場に思いやりを持ちなさい。彼の心にあなたの心を入れ,相手の立場に立って考えなさい。彼の立場に立って問題を見てごらんなさい。ほめるべき点があればほめなさい。たとえば彼は,エホバの証人がなぜ輸血を受けないかを疑問にしているかも知れません。今エホバの証人となっている人の中にもかつては同じような疑問を感じた人が多いという点をあげることができるでしょう。また,あなた自身が同様な疑問を抱いたことがあるなら,そのことを話しなさい。そして,血に関する聖書の原則を理解するまでは自分も同じように考えていたと説明できるでしょう。そのうち,創世記 9章3,4節,使徒行伝 15章28,29節などにある聖書の教えにふれることが有益かも知れません。親切さと忍耐心とをもって臨むなら,この人を大いに助けることができるでしょう。
22 神への献身とエホバの証人の目的に関し,不信者にどんなことを説明できますか。どんな見込みがありますか。
22 時を選んで,不信者の夫が自分自身のためにも,妻のためにも,妻の信じていることを調べて見るべきことを話せるでしょう。また,神に対する献身の意味と,献身してクリスチャンとなった彼の妻がなぜエホバに対する献身の誓いを果たすべきかを説明するのが適当かも知れません。(伝道 5:4,5)別の時には,エホバの証人が聖書を教えるのは,人々が真理の知識に従って行動するのを助けるためであるとも説明できるでしょう。(ロマ 10:13-15)また,聖書の教えを知ることに益のあることを話すとよいでしょう。こうすれば,彼は自分のするべき事を理性的に判断するでしょう。事が運んで不信者の夫と聖書研究が始まる場合に,すくなくとも初めしばらくの間は,楽な気持ちで勉強をするためにその人の妻が研究の場にいないほうが望まれる場合もあるでしょう。この点は個々の事情に従うべきです。しかし考えてごらんなさい。こうしてクリスチャンとしての深い関心を示すなら,この人はいつか自分の妻やあなたと共に永遠の福音を述べ伝え,「いのちの言葉」を人に教えるようにもなるのです。なんと大きな見込みがあるではありませんか。―黙示 14:6。ピリピ 2:16。
23 結婚においてどんな資質を働かすべきですか。なぜエホバのさとしに注意すべきですか。
23 こうしてエホバのさとしを顧みる時,結婚について何が言えますか。たしかに,新世社会内の結婚には真の幸福があります。時に問題の起こることがあっても,愛を働かせ,聖書の原則をあてはめることによってそれを解決する決意をすべきです。神が合わせられたものを守るために努力しなさい。不信者の配偶者に対しては誠実な援助をさしのべなさい。そして,愛をもってあなたの結婚を美しく飾りなない。愛にまさるものはないからです。「愛は大水も消すことができない,洪水もおぼれさせることができない」。(雅歌 8:7)結婚によって結ばれた男女として,言葉により,行いにより互いに愛を示し続けなさい。エホバのさとしをたえず心にとめなさい。その時あなたはしあわせになるでしょう。愛が栄え,聖書のことばが尊ばれる時,クリスチャンの結婚はなんと輝かしいものとなるのでしょう。