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求めるべきもの 正しい良心ものみの塔 1961 | 11月15日
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て正します。良心が適当な注意を受けるなら,それは神のしもべを導き一そう高い義務と徳行に対して,よりよく答え応ずるようにさせる力になります。一方,怠慢なしもべ,あるいはもっとまがった人の良心は,その働きをやめてしまうでしょう。
すべての悪しき者に対する神のさばきの執行を思って,私たちは恐れおののきます。(マラキ 3:5)しかし,こわいからという理由だけで悪をさけ,善を行なうのであってはなりません。正義を良心的に愛するというのが,私たちを動かす原動力でなくてはなりません。それでパウロは次のように言っています,「だから,ただ怒りをのがれるためだけではなく,良心のためにも従うべきである」。それで,良心のために,私たちは神に従い,良いことをしたいと思うべきです。―ロマ 13:5,新口。
他の人の良心
クリスチャンは自分自身の良心だけでなく,他人の良心のことをも考えるべきです。自分の良心をないがしろにするなら,それは無感覚になり,それ自体いやしと保護を受けることができません。他の人の良心を無視するなら,その人たちを怒らせ,生命に至る道の途上,彼らをつまずかせることになります。パウロはこのことをよく知っていました。パウロは,自分が自由に振舞ったために,兄弟の弱い良心を痛めるようなことがあれば,その自由を犠牲にしてもよい,と言いました。―コリント前 8:7-13; 10:27-29。
一方,パウロは,偽りの宗教家たちの誤って教育された良心をただ満足させるために,自分の良心を妥協させるというようなことをしませんでした。自分たちの良心を再教育するのは,宗教家自身の責任でした。弱い良心に対して思いやりを示さねばなりませんが,どのような状態にあっても,この世の人々の持つ汚れた不敬虔な良心をクリスチャンの導きとすべきではありません。
もし,全世界が,クリスチャンの真の良心を持っていたとしたら,人々は兄弟が兄弟に対するように,お互いに責任を感じることでしょう。人々は動かされて自分自身だけでなく,隣人や敵を愛するでしょう。クリスチャンの良心があるところでは,殺したり,貯えた物や労苦の実を滅ぼしたり,世界中の何百万という家々の一致をおびやかしたいという気持ちがおこらないでしょう。ただ,神の原則に従って生活し,平和に生きたいという願いがあるのみです。それですべての人はよい良心を求めるべきです。神にそのような良心を願い求め,その願いと一致して行動して下さい。―マタイ 5:43-48。
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ロシアにおける迫害ものみの塔 1961 | 11月15日
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ロシアにおける迫害
共産主義者たちが用いる一つの迫害の手段は,治安警察署員によって開かれる集会です。数百人の町の人々が集められますが,その中に私たちの兄弟たちがいるわけです。それから,共産党の種々の協力機関の乾部たちは,1959年のコルホーズナヤ・プラウダ紙が伝えたように,「この宗派は,一つの地下政治組織で,ソビエト政府に対する破壊活動をつづけており,新しい戦争のことを公然と宣伝している」とエホバの証者を非難します。すると参会者は,自分たちの地域にいるエホバの証者がその活動を中止して信仰を捨てることを要求し,証者はそのことについて公衆の前で質問されます。信仰を捨てることを拒否する者を,その土地から排斥する宣言文が作成されます。証者たちは職場から追い出され,生活の手段を失います。
責任の地位にある兄弟は,方々で開かれたこの種の集会について報告を寄せていますが,さらにこうつけ加えています,「しかし彼らはまだ,大した成果をあげていません。エホバのあわれみにより,大多数の兄弟姉妹は,励ましを受けてしっかりとした態度を保っています。そして,むずかしい問題があるにもかかわらず,多くの小さなグループに分かれて集まり合い,命の食物を共に楽しみ,また主の他の羊を集めることに最善の努力を払っています」。―1961年のエホバの証者の年鑑より
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