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キリストの死を記念する ― あとどれほど続くかものみの塔 1978 | 3月1日
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酒の杯を飲んでから,イエスと弟子たちは,賛美歌,すなわち詩篇 115篇から118篇を歌いました。(マタイ 26:27-30)ですから記念式を行なう際,新しい契約に入っている人たちは,この杯の上に祝福を述べます。イエスがその杯を祝福されたので,それは「祝福の杯」なのです。こう書かれています。
「わたしたちが祝福する祝福の杯,それはキリストの血を分け持つことではありませんか。わたしたちが割くパン,それはキリストの体を分け持つことではありませんか。パンは一つですから,わたしたちも,たとえ大ぜいいるにしても,一つの体なのです。わたしたちはみな,その一つのパンにともにあずかっているからです」― コリント第一 10:16,17。
記念式で見守る者たち
キリストの霊的な「体」の成員である,霊的イスラエル人の残りの者は,今でも地上にいます。近年,それら残りの者たちは,年一度の記念式に,証人つまり見守る者として出席するよう他の人たちを招待してきました。これら献身している羊のような人たちは,イスラエルのエヒウ王の友ヨナダブによって予表されていました。(列王下 10:15-23。エレミヤ 35:1-16)西暦1935年以来,りっぱな羊飼いであるイエス・キリストは,それら現代の「ヨナダブ」,つまり「ほかの羊」の「大群衆」を導き,その霊的な「体」の霊によって油そそがれた残りの者とともに交わるようにされました。しかしまず最初に,1938年2月15日号の「ものみの塔」誌(英文)の中で次のような招待が差し伸べられました。
「……4月15日午後6時以後,油そそがれた者のそれぞれの会は集合し,その仲間であるヨナダブも同席して記念式を行ないます。表象物はパン種を入れないパンと本物の赤いぶどう酒を用います」― 50ページ,「記念式」の項。
「小さな群れ」として同じ「囲い」のものではない,それら「ほかの羊」は,あずかる者としてではなく,見守る者として記念式に出席しました。―ヨハネ 10:16。ルカ 12:32。―1938年3月1日号の「ものみの塔」誌(英文)75ページをご覧ください。
その時以来,今では「大群衆」に増えている「ほかの羊」は,年一度のキリストの死の記念式に出席してきました。それは当然なことです。彼らはキリストの死を象徴する杯を飲みませんが,それでも啓示 7章14節は,彼らが「自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」と述べています。また,啓示 7章9,10節は,彼らが自分たちの救いを,神と,子羊イエス・キリストに帰していることを示しています。
それで今年は,3月23日の日没後,献身してバプテスマを受けている「ほかの羊」すべては,1978年の主の晩さんを行なうため,「小さな群れ」の残りの者とともに集まります。栄光を受けた主イエスが,残りの者を,彼らの天の住みかに迎え入れられる時が近づいているので,「ほかの羊」の「大群衆」が記念式を祝う機会はそれほどないことでしょう。
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命を得させる授業ものみの塔 1978 | 3月1日
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命を得させる授業
● エクアドルの一女教師は,自分の学校の生徒200人余りとの聖書研究を定期的に司会しています。学期が始まる前に,その女教師は自分の考えていることを親たち全員に話し,異議があるかどうかを尋ねました。異議を唱えた人は一人もいませんでした。事実,子供たちが優れた道徳や習慣を教えられているのを見るのはうれしい,と語った親たちもいました。その学校には,二年生から六年生までの生徒がいるため,二年生から四年生までの子供たちには「偉大な教え手に聞き従う」と題する教科書が手渡され,五年生と六年生の生徒は,それより進んだ教科書「あなたの若い時代,それから最善のものを得る」を受け取りました。研究は,普通のクラスの授業と同じようにグループで行なわれていますが,その授業は,家庭聖書研究と同じように,祈りをもって始められ祈りで閉じます。
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