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クリスチャン婦人の特権ものみの塔 1964 | 7月1日
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天使によい手本を示し得るのです。天使はエホバを支配する王イエス・キリストに服従しつつ,忠実な奉仕をつづけます。
19 コリント前書 11章11,12節において,パウロは男女の正しい立場につき何を述べていますか。何を考えるとき,男女ともに神の定めに従って謙遜に行なうことができますか。
19 しかしいちばん大切なのは男であって女はとるに足りない者であるかのような間違った印象を男が受けないため,パウロはコリント前書 11章11,12節に次のことを述べました。「ただ,主にあっては,男なしには女はないし,女なしには男はない。それは,女が男から出たように,男もまた女から生れたからである。そして,すべてのものは神から出たのである」。そうです,心に留めなければならないのはこの事です ― かしらの地位にしても,男と女の立場にしても,会衆内における振舞いと秩序にしても,物事の定めは神から出たのであり,人間から出たのではありません。この見方を持つならば,男であっても女であっても,私たちは釣合いを失うことなく,謙遜を保ち,エホバの祝福に感謝できます。
20 いま頭のおおいについて論ずるのは何のためですか。
20 明らかにコリントでは,会衆内における婦人の地位について若干の論争がありました。そこで使徒パウロはすべての人が理解できるように原則を述べ,最後にこう結んでいます,「しかし,だれかがそれに反対の意見を持っていても,そんな風習はわたしたちにはなく,神の諸教会にもない」。(コリント前 11:16)今日エホバの証者のあいだでこの論争がおきることはないにしても,この問題が今日のクリスチャン会衆に実際にどう適用されるかをややくわしく考察するのは良い事と思われます。そこで次号の「ものみの塔」には,かしらのおおいが問題となる事情をとりあげてそれを考慮します。それによって新世社会内の忠実な婦人は,聖書およびクリスチャンの良心に一致してどのように正しく振舞うべきかを知るでしょう。
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子供も一緒に聖書を学ぶものみの塔 1964 | 7月1日
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子供も一緒に聖書を学ぶ
◆ アメリカ,インディアナ州のあるエホバの証者は,姉と妹の二人と聖書の研究をしていますが,その研究がどのように始まったかを次のように話しています。「約15年前,一人のエホバの証者は,二人の若い娘を持つ婦人と聖書の研究を始めました。娘たちも加わり,研究は1年半ほど続きましたが,その後中断しました。ご主人が亡くなり,婦人がかわって家族を養わねばならなくなったからです。忙しい生活が始まり,神の言葉に対する婦人の関心は次第にうすれてゆきました。研究はその後再開されませんでした。しかし,いったんまかれた真理の種は家族の心の奥にはいり,母親は決して娘たちを偽りの宗教に入れませんでした。時に娘たちは,友だちにさそわれて教会に行くこともありましたが,説教に嫌悪をさえ感じて帰ることがすくなくありませんでした。その後,娘たちはそれぞれ結婚しましたが,結婚後は二人とも一度も教会に行きませんでした。この二人は会うごとに,よく聖書の真理について話し,ついにエホバの証者をさがして聖書を勉強することに決めました。15年もたっていたのに,二人は母親が一緒に勉強していたエホバの証者の名前を忘れず,その証者に電話をかけました。その後,私がたずねることになり,研究が始まりました。今二人は,機会が許すごとに偶然の証言をし,母親には,再び勉強を始めて,自分たちの得た喜びと満足を知るようにすすめています」。
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