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  • 復活 ―「おのおの自分自身のふさわしい地位に」
    ものみの塔 1979 | 10月1日
    • 26 (イ)復活に関して,キリストの「ふさわしい地位」とは何でしたか。(ロ)テサロニケ第一 4章16節は,順位,あるいは地位,あるいは重要さの順序による他の人々の復活があることを,どのように示していますか。

      26 したがって,請け戻しを必要としていた人類が復活するには,その前に「請け戻す方」の死と復活がなければなりませんでした。そのために請け戻す方であるイエス・キリストの復活が第一位を占めているのです。イエスは地位の重要性に関して言えば,「自分のふさわしい地位」に復活されました。さらに,順位,あるいは地位,あるいは重要さの順序による他の人々の復活もあります。それはヨブや殺害されたベツレヘムの幼子たち,また死んでいる他の人間の復活よりも前に行なわれます。テサロニケ第一 4章16節に書かれている,「そしてキリストにあって死んでいる者たちが最初によみがえる」という霊感による言葉は,この点にわたしたちの注意を引きます。(アメリカ標準訳)

  • 「キリストにある死人がまずよみがえる」
    ものみの塔 1979 | 10月1日
    • 2 コリント第一 15章22,23節は,神が復活に関して順序を守られることをどのように示していますか。

      2 エホバ神は死者の復活に関して,特定の順序に従われます。使徒パウロはこの点に注意を引いています。パウロ自身,復活されたイエスの栄光を見,イエスと話をした人です。それから18年後に,パウロはギリシャのコリントにあったクリスチャン会衆に手紙を送り,次のように問いかけます。「キリストは死人の中からよみがえらされたと宣べ伝えられているのに,あなたがたのうちのある者たちが,死人の復活などはないと言っているのはどうしてですか」。(コリント第一 15:12)この質問に続いてパウロは霊感による答えを展開します。そしてあるところでこのように言います。「アダムにあってすべての人が死んでゆくのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのです。しかし,おのおの自分の順位にしたがってです。キリストが初穂で,そののち,その臨在[ギリシャ語でパルーシア]の間に,キリストに属する者たちです」。(コリント第一 15:22,23)イエスを復活させたのは,神以外のだれでもありません。

      3 イエスは復活という事柄においてどのように「最初の者」となられましたか。

      3 イエス・キリストは,西暦33年ニサン16日に復活されました。その日は,ユダヤ人の大祭司が収穫された大麦の初穂を捧げる日でした。このことは,イエスが死者の復活の「初穂」であることと明確に符合します。(コリント第一 15:20)ですからイエス・キリストは「順位」にして第一位です。ユダヤの大麦の収穫の場合,後の実があってそれも収穫されましたが,同様に,死者の復活においても,後の実があるはずです。しかしイエス・キリストは最初でしたから,パウロはイエスを「死人の中からの初子」と呼び,「それは,彼がすべての事において最初の者となるためでした」と言いました。―コロサイ 1:18。

      4 死んでいる人間の中から最初に復活する人も,どんな公式の出来事が開始するまで待たねばなりませんでしたか。それはいつ始まりましたか。

      4 イエス・キリストはその犠牲の死により,「アダムにあって」死んでゆく人間家族すべてを買い戻す,すなわち請け戻すことをされました。したがって人間家族はみな「キリストに属している」のです。しかし,死んでいる人間の中から最初の人々を復活させることも,イエス・キリストの「臨在」すなわちパルーシアの開始後まで待たねばなりません。この正式の臨在は,イエスの再来と共に始まります。イエスが予告された「しるし」や,聖書に基づく特定の時の計算によると,目に見えないイエスの「臨在」,すなわちパルーシアは,西暦1914年の秋に始まっています。―マタイ 24:3。a

      5,6 「アダムにあって」死んでゆく人々を収穫するのに神が順序と「順位」を守られることを,テサロニケ第一 4章13-17節はどのように示していますか。

      5 「アダムにあって」死んでゆく人々,復活の後の実として収穫される人々の復活については,エホバ神は順序と「順位」を守られます。使徒パウロは,特に「イエスにより死んで眠っている者たち」の後に残った一世紀のクリスチャンたちを慰める目的で,次のように書きました。

      6 「主の臨在の時まで生き残るわたしたち生きている者[霊によって生まれたクリスチャン]は死んで眠っている者たちに決して先んじないということ,これが,エホバのことばによってわたしたちがあなたがたに伝えるところなのです。主ご自身が号令[大号令,NIV]bとみ使いの頭の声また神のラッパとともに天から下ると,キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえるからです。そののち,生き残っているわたしたち生きている者が,彼らとともに,雲のうちに取り去られて空中で主に会い,こうしてわたしたちは,常に主とともにいることになるのです」― テサロニケ第一 4:13-17。

      7 パウロはここで,特にどの死者について述べていますか。啓示 14章12,13節は,彼らが復活する特別の時期をどのように示していますか。

      7 使徒パウロがここで述べているのは,死んでいる一般の人類のことではなく,キリストにより「死んで眠っている者たち」,「キリストと結ばれて死んでいる者たち」のことです。聖書巻末の書の中で,使徒ヨハネはそれら死んでいるクリスチャンたちが死の眠りからよみがえる時について述べています。啓示 14章12,13節の中でヨハネは次のように書いています。「『ここが,[国際平和と安全のための世界組織と関連して]聖なる者たち,すなわち神のおきてとイエスの信仰を守る者たちにとって,忍耐となるところである』。またわたしは,天から出る声がこう言うのを聞いた。『こう書きなさい: 今からのち主と結ばれて死ぬ死人は幸いである。しかり,彼らはその労を休みなさい,彼らの行なったことはそのまま彼らに伴って行くからである,と霊は言う』」。さてそこで,「今からのち」とは,いつからのことを言うのでしょうか。

      8 「今からのち」という表現はなぜ霊における主の臨在中を意味しますか。そのときに彼らが死ぬと,彼らの行ないはそこで終わりますか。

      8 使徒パウロがテサロニケ第一 4章16,17節に書いている事柄を考えるなら,それはイエス・キリストの「臨在」,すなわちパルーシアの間のことで,それが始まる前ではなく,後のことにちがいありません。イエスが霊により目に見えない様で臨在される間にも,地上には,「主と結ばれて死ぬ」,霊によって生み出されたクリスチャンたちがいます。その人々はイエスの「臨在」中に死ぬので特に「幸い」です。彼らの『行ない』は,肉体における死によって少しの間も打ち切られることはないからです。なぜでしょうか。なぜなら「彼らの行なったことはそのまま彼らに伴って行く」,つまりギリシャ語テキストに従って字義通りに言うなら,『彼らと一緒について行く』からです。

      9 啓示 14章13節によると,なぜその時に死ぬ「聖なる者たち」は「幸い」ですか。

      9 それには,地上での肉体における業から,天の領域での霊における業へと,活動の移行が必要です。「主と結ばれて死ぬ」人々について,使徒パウロはこう述べています。「死人の復活についても,これと同じです。朽ちるさまでまかれ,朽ちないさまでよみがえらされます。不名誉のうちにまかれ,栄光のうちによみがえらされます。弱さのうちにまかれ,力のうちによみがえらされます。物質の体でまかれ,霊の体でよみがえらされます。物質の体があるなら,霊の体もあります」。(コリント第一 15:42-44)ですから復活したそれら「幸い」な人々は,地上での「労」に引きつづき霊の領域で霊の体での働きをするのです。死の眠りについて,キリストの臨在を待つ必要はありません。

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