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「主の業」に対する熱意ものみの塔 1982 | 3月15日
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『堅く立つ』
10 (イ)使徒パウロも現代の「奴隷」級も「愛する兄弟たち」に対してどんな態度を取りますか。(ロ)1982年の年句はこのこととどのように一致していますか。
10 パウロは温かい訴えるような調子で,すばらしい復活の希望を支持する論議を終えます。「こうして,わたしの愛する兄弟たち」と,パウロは言います。パウロは自分の霊的兄弟たちが彼らの目標に到達することを願っています。同様に今日,「忠実で思慮深い奴隷」は全世界にいる,来たるべきエホバの王国に関心を持つ幾百万もの人々の霊的福祉に深い関心を抱いています。その「奴隷」は,「大群衆」が一人残らずその王国の地的領域で生きる資格を得ることを願っています。大群衆は,『自分の衣を洗い』,神に奉仕することによってこれを得ます。無傷で「大患難から出て来る」ためです。(マタイ 24:45-47。啓示 7:9,14)その目標はどのようにして達成されるのでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストの業に熱心にあずかることによって達成されるのです。パウロは,エホバの証人の1982年の年句となる次の言葉の中にそのことを示しています。
「堅く立って,動かされることなく,主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持ちなさい」― コリント第一 15:58。
11 『堅く立つ』とはどういう意味ですか。
11 エホバの新秩序に“間に合うように入る”ことを願う人々にとって,堅く立つというこの特質は欠くことのできないものです。堅く立つということには,変わらない,堅実である,動揺しない,などの意味があります。わたしたちが持っていなければならないのはその種の信仰,前途にある目に見えない事柄に対する保証された期待です。しかしわたしたちにとってそれは,聖書の研究を通して,あたかも実際にこの場にあるかのように,現実のものとなっています。―ヘブライ 11:1。
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「主の業」に対する熱意ものみの塔 1982 | 3月15日
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「動かされることなく」
13 わたしたちは自分が『動かされない』ことを,ヨブにならってどのように示すことができますか。
13 パウロはまた,『動かされることのない』ようにしなさい,とわたしたちに勧めています。これは堅く立つこととよく似ています。それは,神の戒めを守ることにおいてぐらつくことなく忠実を保たねばならないという意味です。これは模範的な忠誠の人であったヨブの態度でした。ヨブは自分の裁き主である神について,「神がわたしを試された後,わたしは金のように出て来る」と述べました。わたしたちはそのような確信を表明できるでしょうか。もしヨブと同じくエホバについて次のように言うことができれば,わたしたちはその確信を表明できます。「その道をわたしは守って,逸脱しない。その唇のおきてからわたしは離れない。わたしはわたしのために規定されるものよりも,み口の言われたことを蓄えた」。(ヨブ 23:10-12,新)もしヨブのように,定期的な集会のために予定されている事柄だけにとどまらず,ものみの塔協会の出版物を深く調べて,神の言葉の現代的適用に関してさらに深い理解を得るなら,真理に堅く立って動かされないようにするのに確かに大きな助けになるでしょう。
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「主の業」に対する熱意ものみの塔 1982 | 3月15日
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真理の光はいよいよその輝きを増していますから,主の『忠実な奴隷』と共にいる点で『動かされることがない』のはなんと幸せなことでしょう!―コロサイ 1:21-23。
「主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持ちなさい」
18 (イ)霊的健康を保つ秘けつはなんですか。箴言はこのことをどのように示していますか。(ロ)「主の業においてなすべきことをいっぱいに持つ』方法としてどんなことが挙げられますか。
18 そうです,『自分の業を行なうことにおいてではなく』主イエス・キリストの業において『なすべき事をいっぱいに』持つようにしましょう。霊的健康を保つ秘けつはそこにあります。霊的な怠惰は疑いを生みがちです。それは命取りになりかねません。箴言 19章15節(新)に,「怠惰は人を深い眠りに陥らせ,緩慢な魂は飢える」とある通りです。霊的怠惰が続く場合,その結果は霊的飢餓と死です。ですからわたしたちは(受け入れる人が少ない地域でも)定期的に家から家に宣べ伝え,あらゆる機会を捕らえて非公式の証言をし,羊のような人々を重ねて訪問し,そのような人々と協会の出版物を用いて家庭聖書研究を定期的に行ない,忙しく働きましょう。わたしたちの中には,正にわたしたちの信仰の「開拓者」である主イエス・キリストのこの業において,「開拓者」,すなわち全時間の王国宣明者として奉仕できる人もいるでしょう。―ヘブライ 12:2,モファット訳。イザヤ 6:8-10。
19 わたしたちはみなどんな精神を示すことができますか。中にはこの業にどのようにしてより多くあずかる人がいますか。
19 開拓者の名簿に載っていてもいなくても,わたしたちはみな真の開拓者精神を持って楽しく「神聖な奉仕」をすることができます。そうしていれば多くの人は時々「補助開拓」をするようになるかもしれません。そして,もしそこから得た喜びが励ましになってわたしたちのうち幾人かが正規開拓者になるとすれば,「主の業」にあずかるわたしたちの分はどんなに多くなることでしょう!―ローマ 12:1,2。
20 (イ)わたしたちにはだれの同労者となる特権がありますか。(ロ)わたしたちはどんな確信を抱いて目標に向かい前進すべきですか。(ハ)最後に,パウロのどんな言葉をわたしたち自身の言葉にしたいと思いますか。なぜですか。
20 この主イエスの業,イエスの足跡に従うことはまた「エホバの業」でもあります。(コリント第一 16:10。ヨハネ 5:17)「事物の体制の終結」の時に,主権者なる主エホバ,主イエス・キリストおよび天のみ使いたちの同労者として働けるとは,なんと大きな特権でしょう!(コリント第一 3:9。マタイ 25:31-33; 28:19,20)わたしたちの労が「主にあってむだでないことを」わたしたちは知っているからです。
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